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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
パンを食べたいだけだった
10/41

ー10ー


 スタッフルームらしき部屋に彼は一度消えた。もどってきたときには片手に写真を持っていた。シワだらけで、あまり状態がいいものではないが、人物の顔がよくわかった。なにかの集合写真のようだ。二十人ほどが上下二列で並んでいる。うち、ひとりは、赤子を抱えるキヅキだ。ユヅキもとなりにいる。


「これは?」

「一九年前の写真だ」

「一九年前……、おれが生まれた年?」

「そうだ。そこでキヅキが抱えている赤子の快気祝いで撮った。写真では見えないが、そいつは片足を失っている。だが、いまや立派なネシティになって、そこそこ活躍しているらしいぜ」


 ——しばらく写真に釘つけられた。ずっとひとりだと思っていたし、友達などいない。キヅキに教えられたネシティの技術だけを信用して生きてきた。こんなにも大勢の笑顔に囲まれていた時間が、自分にあったなんて……。思いもしない。


「意外と、人間ってのは自分が気づいていないだけで、他人の善意に包まれていたりするぜ? まぁ……、それはそれとして。自分こそが善意を与えられるようにならねぇとな。ください、ちょーだい、の人生ほどクソなもんはねぇし」

「……おれはひとりだ。ずっと、この先も」

「そうだ。ネシティは自分の技量以外を信じるな。それでいい」


 おれは、だれかに頼るのが下手だ。でも頼らなきゃいけないときもある。例えば、義足が壊れたときとか。パンのひとつだって焼けはしない。


 だけど、おれはひとりだ。どんな仕事でも、どんな状況でも、その一心だけはゆるがない。いつもいつでもだれかが助けてくれる、という甘い幻想はとうに捨てている。最初から捨てていれば、《《なんで、あのとき助けてくれなかった》》、といって怒ることもない。


 心酔するほど他人を信用していいことはない。

 人の心は移ろいやすい。

 惑わされやすい。


 ほとんどの人間は、けっきょく己の保身しか考えない。そんなものに我が身を預けるのは、愚かだろう。自分がだれかの役に立っていて、きょうとあしたを繰り返し生きていられるなら、それでいい。


 ——ユヅキの雰囲気からして、このお茶会も解散の時間らしい。


「コーヒー、美味かった。ありがとう。本も大切にする」

「おう。またいつでもきな。待ってるぜ。あんなら、小説を読みに来い。コーヒー一杯の値段で読ませてやる。家族割だ」

「家族じゃないだろ」

「兄貴が赤ん坊から育てたんだ。家族みたいなもんだ」

「まぁ……、そうなるか」

「そうなるんだよ。あんまり頭硬いと彼女できねぇぞ」

「そうだな——気をつけるよ」


 おれは席を立った。床に置いてあった荷物を手に取る。


「兄貴に会ったら伝えてくれ。こっちは元気でやってる、って」

「もちろん」


 そのままユヅキは店の出入り口まで見送ってくれた。


 陽は完全に暮れていた。街灯のオレンジが照らす灰色の道を歩き、宿にもどる。人通りはまばらだ。商店街の明かりも、ほとんど消えている。強い風が吹いて、砂埃が舞った。首のスカーフを口元まで上げないと、肺に砂が入りそうだった。


 半砂漠化している郊外の砂が、風でこちらまで来たのか。夜遊びする天気ではない。いま自宅にいるのは正しい判断だ。


 宿に着き、まず体の砂を払って落とした。二〇〇年前はアパートと呼ばれていたらしい部屋の鍵を開け、中に入る。

 

 手を洗い、うがいをして、荷物も下ろさずベッドに倒れこんだ。人とよく話す日だった。さすがに疲れた。神経が昂っているのか、眠気は不思議と弱い。


 このままではさすがに人間としてどうかと思い、おれは重たい躰を起こした。


 まずシャワーを浴びて、クローゼットにあったパジャマに着替えた。ベージュ色で、囚人が着そうなほど地味で味気のない服だったが、ないよりましだった。


 風呂場にバケツがあったから、きょうまで着ていた服を洗っておいた。二週間の旅路ではシェルター——各地に点在する、旅人が泊まるための簡易宿泊施設——での寝泊まりが多くなる。


 シェルターの良し悪しはさまざまだ。街から近ければ設備が充実している場合も多い。が、郊外になるほど寝られるだけまし、という場所もある。


 シェルターの状態維持は、ネシティ連会が努めている。街から離れたシェルターにおいても、生活空間の充実をはかってほしいとは常々思っている。今度キヅキに言っておこうか。いくら郊外のシェルターだからといって、毛布一枚じゃ心もとない。せめて寝袋にしてくれ、と。


 カーテンレールに服を干して、ふたたびベッドに躰を預ける。砂でノドがやられそうだったから、ほどよい加湿に助けられそうだ。


 天井に向かって小指を伸ばし、きょうのことを思い出した。


「約束……」


 仕事ではない依頼。

 個人としての予定。


 そんな約束を交わした経験があっただろうか。すくなくともネシティになってからは、連会に帰る以外の、個人的な予定を入れた記憶がない。


「おれの人生、つまらないのか?」


 自分の口から漏れて、自分の耳に落ちたところで、言葉はただそれでしかない。


 おれは干渉されたくない。

 とやかく言われたくない。

 ただ静かに、だれかの役に立てているならそれでいい。

 ミカとの約束も、おれが役に立てそうだから受けたまで。

 なのに……、変に胸が落ち着かなくて気味がわるい。

 仕事の約束とは、まったくちがった感覚がする。

 キヅキなら、この感覚を説明できるのだろうが……。


「他人、自分……、仕事として会う他人、ネシティとしての自分……」


 天井に向けた手をぱっと開いて、その指を一本ずつ折っていく。こんなことをしていると、片手の指はなぜ奇数なのかと考えてしまう。小指がないと困ることがあるのだろうか。もし最初から四本指なら、そういうものだと信じて生活していただろう。


《——あるのが当たり前のものを、突然取り上げられたとき。人間はおどろくほど弱ってしまう。取り上げられるくらいなら、最初からなかったほうが、よかったくらいに——》


 どこかの歴史文明学者が説いたらしい一節。人づてに聞いただけだから、どの本い書いてあるかなど、知らない。


 二〇〇年前——インターネットだか、メールだか、エスエヌナントカ……、とかいうもので、世界の人々は毎日だれかと繋がっていた。雪合戦のように言葉をぶつけあっていた。それが突然、たった一日で取り上げられた人間の文化はひどく衰退し、その結果の現在だ。


 他人と毎日つながることが、そんなに大切なのだろうか。

 おれには、その重要さが理解できない。


 たとえば緊急時に電話という、離れていても会話ができる技術があって、医者がすぐに駆けつけてくれるのは便利だと思う。知りたい知識を、知りたいだけ仕入れられるのも、すごく便利だろう。しかし、それで十分なのでは?


 なにかを食べた、どこに行った、だれが結婚した、だれが離婚した、あれを買った、これを買った……。こちらが見聞きしたところで、きょうの食事の量が増えたり減ったりするわけじゃない情報が毎秒毎分自分の頭に飛びこんでくる。それに、どんな得があったのだろう。そういった情報を毎日欠かさずに見ていれば、その分賢くなったりしたのだろうか。わからない。


 言葉をすぐに届けられることをいいことに、他者への中傷や口撃合戦に明け暮れる人種もいたらしい。はたして、その行為は、ほんとうに必要だったのか? その……、言葉の戦争? の先に平和はあったのだろうか。


 すくなくとも、おれや現代の人間は、たったいましか感じえない幸せを求めているように思う。


 いま目の前にあるパンがうまいとか、きょうも家族が健康でよかったとか、そんな、必要にして十分な幸せを——。


「あ、パン……」


 せっかく格安で売ってもらったのに、きょうは食べずに寝てしまいそうだ。他人と話しすぎると食欲がなくなってしまう。躰は元気でも、気疲れで全身が動かなくなる。めんどうな性格だが——この性格を抱えるのはおれだ。迷惑をかけたくないから、家族はいらない。他人がそもそも苦手なおれは、自分の家族を持つことはないだろう。結婚に意味も意義も見いだせない。


 これをキヅキに言うと、若いんだよおまえは、のひとことで片付けられそう。


 ただ、ねがわくば——。

 自分の死体を、だれにも見られたくないな、とだけ。

 それだけは思う。



 時間は朝のおそらく七時。昨晩は風が窓を打っていたが、今朝は静かだ。小鳥の鳴き声が聞こえる。ハヤブサという鳥だ。昔は大きめの種類だったらしいが、いまはかわいらしい、手のひらサイズだ。


 フロントは101。まずはチェックアウトを済ませた。昨晩は初老の男性だったが、今朝は初老の女性だ。夫婦で宿を経営しているのだろうか。


「はい、鍵ね、たしかに」


 ドアの前で女性が言った。部屋着すがたで、自宅にいるみたいな格好だ。実際、この101がそういう場所なのだろう。


「世話になった」

「朝食はいらないの? うずらの卵と、トースト。コーヒーも無料だよ。部屋に届けるけど」

「コーヒー……」


 昨日買ったパンと、淹れたてコーヒーの組み合わせが誘惑してきた。


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