表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

エンジェルイーター

プロローグ

 『ねぇねぇ、天使ってどんな人なの?』

  彼の膝の上に体を預けている少女は疑問を口にする。

 『そうだな……とても悪い人たちかな』

  少女の問いかに、彼は少し答えに詰まりながらも答えた。

 『悪い人たちなの?』

  少女は首を傾げて、腰まで伸びる髪をひらりと揺らす。彼を見つめるその瞳には少しの恐怖心と大きな好奇心が入り混じっていた。

 『あぁ悪い人たちだよ。なんせ、子供たちを攫っていってしまうんだから』

 『どうして、嫌だよ。怖いよ!』

  少女は彼の服に両手でしがみつき、小さな顔を胸にうずめる。小刻みに震える少女の年相応な姿に彼はつい顔を緩めてしまう。

 『大丈夫。天使たちなんかにお前を連れ去らせたりしないさ』

  彼は自分の大きな手のひらを少女の頭に乗せ、滑らかな髪を優しく撫でてあげた。

  するとうずめていた顔を上げ、彼に笑顔を向ける。

 『ほんとに?約束だからね、パパ』



第一章 とある父親の一日


「起きてください。起きてくださいエインさん!」

 窓から差し込む陽の光に照らされている体を小さな手が揺らす。

 目を開くと視界の中には夢の住人ではなく、肩まで髪が伸びている少女がいた。

「もうエインさん早く起きてください!」

「んぅ……どうした?」

 布団からむくりと体を起こすと腰に手を当ている少女は、花の刺繡が入ったエプロンを身に着け、丸い頬をぷりぷりとさせてエインを睨みつけている。

「どうしたって忘れたんですか。昨日の夜組合の人に呼ばれているから、日が出ても起きてこなかったら起こしてくれって頼んできたじゃないですか」

 寝起きで回らない銀髪の頭をくしゃくしゃとかきむしり、一生懸命回転させ、確かに昨日いつも泊っている宿に帰ってきた後、受付で宿の娘に言っていたことを思い出す。

「では起こしたので私は戻りますね、二度寝したとしても知りませんから」

エインが起きたことを確認すると、宿の娘は部屋を出ていった。二十ほど下の女の子に注意されえるというのはなんとも情けないことだが、エインはその光景を夢の住人と重ねてなんだか懐かしく感じていた。

ベッドから起き上がり、ゆったりとした足取りで装備が散乱した机に向かう。

 置いてある傷だらけの革鎧を手慣れた手つきで身に着けゆき、大型のナイフを腰にしまう。もう何年も同じものを使っていると傷だらけになってしまうのも仕方がない。手入れは欠かさずしているが、それでも冒険者のようなことをしていればいずれ限界はくる。

 弓と矢を肩にかけてフードを目部下にし部屋を後にしようとした際、腹の虫が呻き声を上げる。

「腹が減ったな」


 日が昇りきってないからか、都市は静かであった。

 住民達の笑い声や冒険者達の馬鹿声なんかもしない、静かな時間。

 聞こえてくる音は、ちらほら歩いている住民の足音や、たまに通ってゆく行商人の馬車のカラカラとした心地よい音ぐらい。

 歩みを進めて向かった先は都市アルフリアの中央にある噴水広場。

 その傍にあるひときわ大きい建物、冒険者組合に訪れる。

 中に入ると組合の職員たちは早朝から事務作業や掃除、掲示板への依頼張り出しなど、誰が見ても忙しそうな光景、いつもの光景が広がっている。あと一時間もすればこの組合内も依頼を求める冒険者たちがちらほらと訪れることだろう。そして迎える冒険者ラッシュを乗り切るために、今日も職員たちはせわしなくあちこちを走り回っていた。

 だがそんな忙しそうな職員たちには見向きもせずにエインは依頼を受注する受付前に向かった。

「あ、おはようございますエインさん」

「あぁ、おはようエレーサ」

 エインよりも先に声をかけたのは受付嬢のエレーサであった。肩ほどまで伸びた黒髪の彼女は、他の忙しい職員たちとは違い落ち着いた様子でコーヒーをすすっている。

「ごめんなさい、こんな朝早くに呼び出したりしてしまって」

「いいさ、いつものなんだろ」 

「はい」

 飲んでいたコーヒーの手を止め、引き出しから丁寧に丸められた紙を机の上に広げる。

 そこには冒険者ならば一度は目にするゴブリン討伐の依頼書があった。

「一昨日の朝方にエルネ村の村長さんが組合に来まして、村にゴブリンが攻め込んできたので退治してほしいと依頼されたのですが」

 よくある話である。ゴブリンはこの世で一番多いモンスターであり、一番弱いモンスターでもある。子供並みの体躯と脳みそで村人たちを襲っては子を増やすことを繰り返している。

だが、そのような依頼は新人向けであり、ましてやエインほどの中級冒険者が早朝から呼び出されてまで受けるような依頼ではなかった。

「その際に灰色の片翼を持った人型の何かが森に入っていくところを村の猟師の方が目にしたと」

「灰色の片翼か……信憑性はどのくらいある?」

「今回は組合長からの依頼ではないのでなんとも」

 普段エインが行う依頼はギルド長直々の依頼か、エレーサが持ってくるものがほとんどである。彼女たちが持ってくる依頼は掲示板に貼られているものとは少し違い、依頼書の左端に翼を模したハンコが押されているのだが、今回はまだ押されてはいなかった。

「どうする?」

「少しでも可能性があるなら、行かない理由はないさ」

 では依頼を受理しますねとエレーサが言うと、拳ほどの大きさのあるハンコをゴブリン退治の依頼書に押した。

 受理されたのを確認し、エインは先ほど入ってきたドアの方に進んでゆく。

「エインさん!」

 出ていくエインを引き留めるように声を掛けたエレーサの顔は悲しそうであり、不安そうであった。

「ちゃんとしたご飯、食べてます?」

「……あぁ、食べてるよ」

 周りから見れば、旅立つ子供とそれを不安そうに見送る母親のようにも見えるそれは、どこか歪なものであった。

 組合から出ると太陽は先ほどよりも高い位置に出ており、人の数も増えていた。

 依頼を探しに向かうもの、冒険に旅立つものなど。

 そんな人として夢を抱いて冒険に行く彼ら彼女らが、エインからはまぶしく、そしておいしそうに見えた。

「まずは、腹ごしらえでもするかな」


「だけんど、結局何も食べれなかったんですかい」

「……まぁな」

 冒険者組合を出たエインは屋台か酒場で食べ物を買っていく予定であったのだが朝が早かったのもあり、どこの店もまだ開いてはおらず腹ごしらえどころか何も食べることができないでいた。屋台が開くのを待とうにも、乗合馬車が先に出てしまうため結局空腹のまま出かける羽目になってしまった。

「町を出てからこの数十分ずーと腹ぁなってますもんね」

「すまないな」

 ケタケタと高笑いを上げる御者の男と、一緒に乗り合わせた親子たちにもくすくすと笑われる始末である。

「いいでさぁべつに、笑わしてくれんならね。笑わしてくれた礼としてこいつをやりますわ」

 御者はこちらを振り向くと小さな包みをエインに渡し、中には数切れの干し肉が入っていた。肉の部分は黒く、脂身の部分は茶色くなっており、うま味が凝縮されていることがわかる。市場などでよく見かける冒険者の保存食、一般人からはちょっとしたおやつなどにもなっているらしい。

「助かる」

「おじさんこれあげる!」

 エインに声を掛けたのは目の前に座っている親子の小さい女の子から先ほどよりも少し大きい包みを渡してくれた。

中を開けると酒場でよく食べるパンにレタス、トマト、ベーコンが挟まっており一つのサンドウィッチとして出来上がっていた。

「いいのか?」

「うん!一緒に食べよ」

「娘もこう言ってますのでよろしかったらどうですか?」

「……ではお言葉に甘えて」

 どんな時でも、誰かと共に笑いながらご飯を食べるということはいいことだなと、エインはそう思った。 


 昼食も食べ終わり、少女やその両親たちは食後の眠気に誘われていた。

 エインもまた、馬車の間を駆け抜けていく温かい風に銀髪をなびかせ、肌を撫でられると瞼を閉じそうになってしまう。

「もうすぐエルネ村でさぁ」

「そうか」

 しかし、その心地よい風からエインは確かな違和感を覚えた。

「ん、この臭いは……」

「この林を抜けたら見えますぜぇって」

 林を抜けた先で見えたものは、陽の光に照らされ心地よい風が吹くどこにでもある小さな村ではなく、陽の光に照らされながらも炎でさらに照らされ、黒煙を天高く昇らせている悲劇の村であった。

「急げ、恐らく村が襲われている」

「へ、へい!」 

御者は手綱を強く握りしめると、馬に一つ鞭を打ち速度を上げた。

「どうしたの、おじさん?」

 先ほどまでぐっすり眠っていた少女とその両親もこの騒ぎで目が覚めた。

「嬢ちゃん、パパとママから離れるなよ」

両親はすぐに異変に気づき、少女を抱え込むように一塊となり守る。

「弓か剣は使えるか?」

「いえ、農民なものでそういったものは使ったことが無いです」

「そうか、御者は?」

「いちをクロスボウがありやすんで多少なら」

 村から離れたところで御者と親子を下ろすという選択肢もあるが、ただの火災などではなく、モンスターかあるいは盗賊の類であれば、武器が使えるのが御者だけなら放置しておくのは危険だ。であれば、一緒に行動している方が安全だろうとエインは考え、馬車の屋根へ上り徐々に見えてくる村を見つめる。

「あ!人影が見えますぜ。村人ですかねぇ?」

「いや違う、あれは」

 それはこの世に幾千万といる最も弱い、されど子供並みの知能で冒険者や村人を襲いは犯し、好き放題するモンスター。

「ゴブリンだ」

 村の入り口であろうところにいる十匹前後のそいつらは、ケタケタと笑いながら粗雑な棍棒や石でできた斧などで転がっている村人を痛めつけて遊び、今なお戦っている二人の兵士に襲い掛かかっていた。エインはすぐさま弓を構え連続で三射、三匹のゴブリンの胴体に命中させる。ガァッ!と驚く声と痛みに苦しむ声が一瞬聞こえるが、次の瞬間には馬車から飛び降りたエインが大型のナイフを抜きゴブリンの喉目掛けて襲い掛かり、三匹のゴブリンは一突きされるとバタバタともがくのをやめ静かに地面に転がった。前方にいたゴブリンたちは突然後ろにいた仲間が殺され驚いている隙に戦っていた兵士たちも隙だらけの胴体目掛けて剣を振り下ろす。挟み撃ち状態になったゴブリンどもは瞬く間に全滅した。

 転がっている数人の村人らしき者の傍に寄るが、右腕が無くなっている者やはらわたをぶちまけていたりと息をしている者はいなかった。そんな姿の村人を見てしまうと、エインの口元からはよだれがたれそうになった。

「助かりました。ありがとうございます」

「ジュル、いえこちらこそ。それより村で何があった?」

「実はゴブリンどもがいきなり山から下りてきまして、村の兵士で対処しようとしたのですが、数が多すぎて。我々は逃げる時間を稼ぐためにここで……」

「村人は?」

「この先の教会に逃げ込んでいると思います」

 兵士たちの指を指す方向、村の奥に十字架の飾ってある建物が見えた。

「俺が行ってくる。親子と御者のことを頼む」

「わ、わかりました!」

 おじさん!と少女が声を掛ける頃には、エインはもうその場にはいなかった。

 村の中に入り教会まで一直線で進んでいくが、道中でゴブリンの姿が一匹も見当たらなかった。あるのは焼け崩れた家屋と、村人とゴブリンの死体が幾ばくかだけで生き物の気配はなかった。そのまま奥に進むと、教会の扉の前で二十匹弱のゴブリンが各々の武器を振るい、扉を壊そうとしていた。断定はできないが、村を襲ってきたゴブリンのすべてがここに集まっているのだろう。生きている村人も全員教会の中にいてそれをゴブリンが襲おうとしているのであればエインにとってはとても都合がよかった。生き物の気配は教会のみ、であれば存分に力を使えるというものだ。

「よぉ……ゴブリン」


「くそ、ゴブリンの奴ら」

「扉が持ちません隊長!」

「ぐぅっ耐えろお前ら、せめて村の皆が地下に行けるまで!」

 エインが教会に来る少し前、村の兵士と村人たちは教会の地下にある隠し通路に逃げ込むため、教会内で籠城していた。

「村長の笛の合図までなんとしてもこの扉は守れお前ら!」

「「はい!」」

 笛の合図があれば、ゴブリンを教会の中に誘い込んでから、油壷を投げつけ火を付ける。これであればゴブリンたちは焼け死に、兵士たちは教会の二回から飛び降りて脱出す手筈であった。隊長以外は。

「隊長、やっぱり俺が囮になってゴブリンたちを引き付けておきます。その間に」

「バカ野郎!お前みたいな若輩者なんぞ、囮として時間が稼げるか」

「ですが、隊長が私たちのために犠牲になるなんて……」

 兜を被った男女の新人兵士たちの言うことに隊長は耳を貸すことはなった。実際彼らにはゴブリンの大群相手に敵うほどの力量は無く二、三匹ならまだしも、およそ三十匹のゴブリンの相手は彼らには荷が重すぎる。いくら最弱のモンスターであっても、モンスターはモンスター。人間を殺すことに躊躇の無いものはとても厄介である。

「た、隊長もう!」

「クソ」

 かんぬきの無いちっぽけな扉は壊れかけ、いくら抑えても殺気の籠った悪意は許そうとはしない。だが、そんなものは知らないとさらなる悪意がそれを飲み込んだ。

「なんだ?」

 バンッと大きな音が鳴った瞬間、先ほどまでケタケタと笑い声を上げ人間を殺すのが待ち遠しかったはずのゴブリンたちの声が一瞬にして止んだ。しばらくしてから恐る恐る扉を開くと、そこには上半身と下半身の分かれた三十匹以上のゴブリンの死骸とフードを目深に被った黒い人影が佇んでいた。

「これは、あんたがやったのか?」

「あぁ」

「一撃で、あんた魔術師か?」

「いやただの冒険者だ、これをやったのは俺というよりこの魔術石だ」

 佇んでいた黒い人影、エインは緑色に輝く水晶を隊長に見せた。魔術石は魔石という魔力の込められた水晶に、術をあらかじめ入れておくことでいつでも込められた術を使えるといったものだ。魔石の物や質によって威力なんかも変わってくるが使える回数は一度きりである。

そしてその威力と価値は、教会に向けて広がっている血しぶきがそれを物語っていた。ゴブリンとはいえおよそ三十匹を一撃で屠るほどの威力に隊長は震えた。

「そうか……助かった」

「いやいい、どうせ依頼でゴブリンは退治する予定だったしな」

「そうか」

「村長は生きているか?」

 少し待てと言われた後、隊長は教会の中へ入っていった。一人にされたエインは、今しがた倒したゴブリンたちを見つめ、またしてもよだれを垂らしていた。

しばらくすると中から先ほどの隊長と白髪で杖を突いた中腰の老人が出てきた。

「隊長さんから話は聞きました。村を救ってくださってありがとうございます」

「あぁ、だがまだ村の中に生き残りがいるかもしれない。見てくるからもうしばらく教会にいてくれ。その後で色々と聞かせてくれ」

 そういうとエインはまた村へと戻っていった。村の入り口付近にいるだろう御者と親子と兵士たちも連れてこなければいけない。

「なんとか助かりましたね」

「そうだな、運がよかったよ俺たちは」

 若い男の兵士と隊長は、教会の扉の前に転がっているゴブリンを見つめて安堵していた。あの冒険者が来なかったら今転がっているのは自分たちだったかもしれない。そんなしたくもない想像が頭の中をぐるぐると駆け巡る。

「とりあえず死体を一か所に固めておこう。手伝ってくれ」

「了解です」

 若い男の兵士と隊長は死体集め、若い女の兵士は教会の中で怯えている村人たちを見るなど、各々のすべきことをしていた。ゴブリンたちの死体を集めている最中、若い男の兵士は奇妙なものを見つけた。

「なんだこれ、骨?」

 教会の建物の隅っこに隠すように、肉片のこべりついた赤い骨がいくつか落ちていた。まるで先ほどまで獣か何かが貪っていたかのように血が滴っていた。


エインが改めて村の中を見てみるも、やはり村人もゴブリンも生き残っている者は誰もいなかった。村の入り口いる御者と親子と兵士の無事も確認し、被害の後処理などしているといつの間にか日は沈んでいた。

 お礼も兼ねてとのことでサンドウィッチの少女の親子と、村長の両方から「「今晩は家でゆっくりしていってください」」と言われたが、色々と話を聞かなければいけないというものあり、村長のところにエインは泊まることになった。サンドウィッチの少女とその親子はどうやらこの村に帰省しに来ていたらしく、無事祖父と祖母にも会え、村長の家に行く直前「ありがとおじさん!」と村の入り口で言いそびれた言葉を伝えた。


「それで、何があったんだ?」

 夕食も食べ終わると、エインはさっそく事のあらましについて村長から聞いた。

「一か月ほど前からこの近くでゴブリンたちが住処を作り、村の家畜や作物を盗んでいくようになったのが始まりです。村の兵士たち数人ではその被害のすべてを防ぐのは難しく、若い娘までもが攫われるようになったんです」

「それで冒険者組合に来て依頼を出したってわけか」

「はい、ですが依頼を出して村に帰ってきた直後に山からゴブリンの大群が一斉に降りてくるのを猟師の一人が目撃して兵士と対応したのですが」

撃退することはできず村になだれ込んできたといったあらましのようだった。兵士たちも村の自衛団だそうで、実践の経験は少なく実際に兵士としての経験があるのは隊長だけであり、村がこうなってしまったことにも頷けた。

「猟師にも話を聞きたいんだが今どこにいる?」

「怪我を負ってましたので自宅で休んでいると思います」

「連れて行ってくれ」

 その後エインは村長に連れられ、猟師の家に行った。

 猟師は頭と腕に包帯が巻かれている状態だったが命に別状はなった。

 しかし、ベットの上で体を蹲り小刻みに体が震えている状態であり、エインは猟師の傍により椅子に腰かけた。

「何を見た?」 

 猟師はエインに一瞥した。

「く、黒い……羽の生えた……ば、化物」

「どこにいた?」

「山の……崖の……洞窟」

 エインは椅子から立ち上がり「ありがとう」だけを言って部屋を出た。

「村長、この辺りの崖で洞窟がある場所を知っているか?」

「あぁそれなら、ここから見える一番高い山の中腹辺りにそれらしい洞窟があったはずです。正確な場所までは知らないんですが」

 猟師の家の窓から見える三つの山の内の一つ、月明かりでもよく見える大きな山が見えた。

「それで十分だ、今から少し見てくる。」

「今からですか!もう夜ですし山に入られるのは危険です。昼間も戦われていたので体を休ませないと」

「大丈夫だ、気にするな」

 そういうとエインは猟師の家を出て闇に消えた。


 森に入ると月明かりの光は木々に阻まれ差し込んでは来なかった。永遠と続くような暗闇をエインは迷うことなく進んだ。道なき道、茂みや雑草の中だとしても歩みを止めることは無く突き進んだ。そうして進んだ先に、一つの洞窟を見つけた。洞窟の入り口にはゴブリンの死体が散乱しており、頭部が無い物や手足が無いものなど千差万別だが、皆共通して食いちぎられたような噛み跡があった。

洞窟の中に入ると床や壁には肉片が散らばっており、血の匂いと恐らく暮らしていたであろうゴブリンたちの糞尿の匂いが鼻についた。歩みを進み最奥にたどり着いた時、死体の肉やら骨やらが転がる大きな広間にエインが待ち望んだものがそこにいた。

「いいにおいを辿ったのは正解だったな」

 雪のような白い体に細長い手足、体をすべて覆い隠せそうなほど大きく黒い翼。目や鼻、口といったパーツは無く、がりがりにやせ細った人間のようなそれは、すすり泣くような声でゴブリンを食べていた。エインに気づき、食べていたゴブリンを壁へと投げつけると口元を大きく曲げて笑みを浮かべた。

「おなか、すいた、ごはん、ちょうだい」

 それは立ち上がるとエインの二倍ほどの身長になり、口が無いのにも関わらず語り掛けてくる。

「奇遇だな、俺も腹が減っていてな。飯が欲しいんだ」

「ごはん、ごはん、ごはん」

「だから、食わせてくれねぇか?エランド、いやもうディフェクトか」

 手をかざしてきたディフェクトは、空中に四本の灰色の槍を展開させエインに向かって放った。

 直撃と同時に大量の砂煙が舞い、広間の半分ほどが見えなくなってしまった。依然として口元に笑みを浮かべながらすすり泣くディフェクトは槍を放ったエインの方に歩みを進め、砂煙に手をかざしたその時、右腕が一瞬の風と共に切り落とされた。

「あれ、いたい、て、て、いたい」

 笑みが徐々に消えていくディフェクトの目の前に、一本の触手が砂煙の中から現れ腕を拾い、また砂煙へと消えていく。

「やはりお前たちの肉は格別に旨いな」

 砂煙が徐々に晴れていくと、そこには右腕から触手の生えたエインが、ディフェクトの腕を喰らっていた。肘の部分から徐々に食べ進め、骨を噛み砕く。

「前菜としては、まぁまぁだな」

「あ、あぁぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 自身の腕が食われているところを呆然と見ていたディフェクトは我に返り、先ほどの倍の槍を展開させた。槍の先端は先ほどよりも大きく鋭くなり、柄は太くなっている。

「本気か、腕のおかげで空腹は無くなったからな。俺も、多少本気を出してやる」

 ディフェクトが左手を掲げると、八本の灰色の槍がエインに放たれる。

「ふんっ」

 しかし、たった一本の触手はそれらを全て薙ぎ払い、地に落とす。洞窟の中で明かりが無くともエインは獣人並みに夜目が利く。それに動体視力も良く、数十本ならまだしも、八本の槍程度自在に操る触手ではたきおとすのに苦労はしなかった。

「どうした、これが本気か?」

 ディフェクトが再び攻撃を仕掛けようと槍を展開しようとした時には、触手によって広間の端まで飛ばされていた。肋骨は何本か折れ、腹の肉も少し抉られていた。

「ゴブリンの時とは違い、手加減したはずなんだがな。まぁ欠陥品相手ならこんなものか」

 昼間、教会でゴブリンを一掃したのがこの触手であった。隊長に見せた魔術石は偽物では無く本物だが、エインは使っていなかった。使っていたとしてもあの数のゴブリンを一掃できるほどの力はエインの持つ魔術石にはない。

 だが、大体の人間には魔術石で倒したと言えば納得する者が多いと知り、嘘をつき誤魔化すために持っていた。過去に「どうやって討伐したんだ!」と問い詰められたことをきっかけにエインは持ち歩くことにしていた。

「さてと」

 一歩近づく。

「いやだ、こないで」

 二歩近づく。

 三歩近づく。

「いたい、いやだ、いやだ、こないで」

 近づくにつれて右腕の触手のみならず、防具の隙間からも触手が無数に現れ、徐々にエインの体を覆っていく。身長もデフェクトと同じほどの大きさになっていき、人の形をしているときには無かった触手の尾、頭部が銀髪から黒いドレットヘアーになり、乱雑に生えそろえられた牙、自前のナイフよりも鋭い爪。

「ガアァァァァァァァァ!」

 上顎と下顎を二つに分けて口を開き、洞窟の中に響き渡る咆哮は、エインを怪物足らしめデフェクトは自分は獲物なのだと思い知る。

 すすり泣き続ける声は届くことなく、一歩一歩近づいてくる怪物を前に、何もできることなどなかった。

 天使の目の前まで来ると、仮面を剥がし首根っこを掴み食べやすい位置にまで持ってくる。

「恨ムナラ、俺ノ娘ヲ……サリアヲ殺シタオ前達、エランドヲ恨メ」

「……ぱぱ……まm」

 最後の言葉を言い終わることはなく、怪物の口の中に消えていった。

 エインは頭を齧り、よく噛み飲み込む。腕もそこそこ旨くはあったがやはり脳のある頭は一味違う。噛めば噛むほどあふれ出す脳髄の味はそんじゃそこらの肉や魚とは比べ物にならなかった。今朝少女がくれたサンドウィッチが泥の塊のように思え、まだ教会でこっそりと味見したゴブリンの肉の方が旨いと感じる。けして不味いというわけではない。

 しかし、エインが人間でなくなってからは、人の頃ほどまともな食事を楽しめなくなっており、はじめは動揺もしたが今では楽しい、至福だとも思えていた。

 いいことか悪いことかで言えば悪いのだろう。

 だが、もうエインにはそんなことは些末なことでしかない。

 骨の一本まで残さず食べ終わると、再び咆哮を上げ幸福と悲哀に満ちた声を洞窟に響かせた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ