未亡人なんて呼ばれていますが実は恋したこともないので、王子様につかまえられてしまいました。(後編)
「……ウィルフレッド王子殿下?」
「うん」
「………王子殿下?」
「うん」
「……でも、ウィルよね?私の小さなウィル」
「うん」
にっこー。
私を抱きしめたままの美青年は、太陽より眩しい満面の笑みで、私の質問に全てイエスと答えます。
ど、どういうことでしょう。全く理解が追い付かないのですが……。
混乱の極みにあったので、私は抱擁を解くことも忘れ、王家の方々のみ身に付けているという紋章を彼が身に付けていることにも全く気が付きませんでした。
青くなったり赤くなったり大忙しの父の背後に、悲鳴を聞きつけた母と兄も登場し、やはり「ぎゃあああー!」と同じように青くなるのを見て、私は、あははと、乾いた笑いを零しました。
その後、ウィル…じゃないのですよね、――ウィルフレッド王子殿下は、私と話がしたいと人払いをされました。
我が家の小さな応接室に、ものすごくご機嫌な彼と二人きり。向かい合って。
お茶でも淹れていなければ、この異常事態に、とても平静が保てそうにありません。
彼は、私がやっすい茶葉で淹れた紅茶も、ありがとうと丁寧に礼を述べて、美味しそうに口をつけてくれます。
その顔が昔と一緒だったので、私はようやく少しだけ冷静さを取り戻しました。
彼の向かいに腰かけて、誰もいないのをいいことに、じっと見つめます。
さらさらと音を立てて落ちるような金糸の髪。
海より深い青の瞳。
通った鼻筋、薄い唇。
口元の小さなほくろまで…やはり彼は、私の小さなウィルです。
…ああでも、浮き出した喉仏だとか。節の目立つ大きな手だとか。
会えなかった五年間ぶん、彼は男らしく、立派に成長していました。
「……ウィルフレッド王子殿下…?」
全てを理解した私が再び名を呼ぶと、彼は少し寂しそうな顔で笑いました。
「…ウィルでいいんだ、アルマ。僕は、ずっと君だけのウィルだったよ」
「……私、全く知りませんでした。どこかの裕福な商家の子かなって…。あんなに身軽に、お供もつけずに貧民街にきていたから…」
「アルマに会いたかったからね。…身分を告げなかったのは、申し訳なかったと思ってる。言い出せなかったんだ。」
そう、恐らく、彼の身分を知っていたら、私はあんなふうに気軽に彼と会うことはなかったでしょう。
読んだ本の感想だとか、野良猫にこっそりごはんをあげていることや、学院で学んだこととか、離れて暮らす家族のこととか――他愛ない話をたくさん、たくさん、出来たのは、彼がただの“ウィル”だったからです。
私はもう、認めるしかありませんでした。
彼がこの国を統べる王家の第一王子で、次期王位継承者であること。
優しい彼が幾ら私を友人として大切に思い、こうしてわざわざ会いに来てくれたのだとしても――もう友だちにはなれないのだということ。
わたしのウィルは、優しく頼もしい小さな友人は、私だけの綺麗な思い出の中にそっと仕舞っておかなければならないのだということ。
早く、臣下の礼をとらなければ。
会いに来てくださったことへの感謝と、臣下としてこの国の民として、これからもこの辺境の地で、微力ながら国に尽くすつもりだということ。
伝えなくてはならないのに――じわっと、涙が浮かんできます。
なにこれ、なにこれ。
焦る私に、それよりも焦った顔で立ち上がったウィルフレッド殿下が、がちゃん、とカップを置いて、堪らないとでもいうようにまた私を――抱きしめました。
「な、なにを…!」
腕を突っ張って彼を引きはがそうとする私の抵抗など何のことはないように、彼はいっそう抱く腕に力を籠めます。
ぎゅうぎゅう、くっついたところから速すぎる動悸が伝わってしまいそうで、焦った私の目から涙の粒がぽろんとひとつ落ちました。
「…アルマ。泣かないで。君が泣くと、僕も悲しくなる。」
『アルマ、泣かないで。アルマが泣くと、僕も悲しくなるよ』
……十二歳のウィルの声が聞こえた気がしました。
まったく一緒のことを、全く一緒の困り顔で言うから、ふふっと、泣きながら笑ってしまいます。
あの時と、同じように。
「…アルマ」
「……今だけ、ウィルと、お呼びすることをお許し頂けますか?」
彼が頷くのを確認して、私は抱き着いたままだった彼の体をさらにぎゅうぎゅう抱きしめました。
もう、私たちの体はひとつになってしまったようにぴったりくっついて、頭上で「…うっ」という小さな悲鳴が上がって体が硬直していますが、お構いなしです。
目の前の立派な青年は、私の力ごときで骨が折れてしまうような体格ではなくなったのですから。
「……ウィル…会いたかったです。」
「僕もだよ、アルマ。ずっと、会いたかった。」
「ふふ…素直なのは全く変わらないのですね。
…その後、学院は無事卒業されたのですか?」
「そう、アルマと約束したからね。
真面目に通って、最優秀生徒にも選ばれたんだよ。」
あのちっぽけな約束をちゃんと守って有言実行で立派な成績を収めたという彼の顔を、ぱっと見上げます。
「すごいです!ウィル…おめでとうございます。」
「ありがとう。…ねえアルマ、僕が最優秀生徒に選ばれたら憧れてくれるって言ったの、憶えてる?
僕、頑張ったでしょう?アルマから見て、かっこいい?」
うんうん頷きながら、私だけじゃなく国中の数え切れないくらいの女の子が憧れる“かっこいい王子様”を、私はとても誇らしい気持ちでみつめました。
…この目に、焼き付けておくために。
一国民との小さな友情を大切にしてわざわざ会いに来てくださった王子殿下のことを、誇らしい思い出にするために。
……けれど次の瞬間、耳を疑うような台詞が、記憶より数段低い美声で紡がれるのに、私は目を見張りました。
「僕のお嫁さんになってもいいなって思うくらい、かっこいいと思う?」
…
……
……えーーーと。
いつまでも解けない抱擁の中、何も言えずに固まる私――の背後から、「えええええええ~~~~!!!!」という大絶叫が響き渡り、私はぶんっと振り返りました。
するとそこには、入り口で立ち聞きをしていたのであろう家族たちが。
お客様との会話を盗み聞きするなんて、なんていう失礼を……
…って、今そこじゃなくて。
「…え、ええと…?」
「…まあ、急がないから、まだいいんだ。
アルマには、僕がもう十二歳のままじゃないってことをこれからゆっくりわかってもらわないといけないし、僕は絶対に諦めないしね。
学院も卒業したことだし、これで思う存分、アルマを口説ける。」
ま、まったく、展開についていけません…!
が、なんだか嬉しそうなウィルのたくらみ顔が、やっぱり可愛くて、…そしてなんだかちょっと色っぽく見えて、何故か頬が熱くなってきてしまいました。
あ、暑いのかな…!?
頬をごしごし擦る私の手首を掴んで、ウィルの顔が近づいて――
ちゅっと、頬に触れる熱。
「大好きだよ、アルマ。昔からずっと。」
…申し訳ないことですが、どうやらそこで気を失った私は、その先の記憶が全くないのですけれども――。
私とウィルがその後どうなったか、それはまた、別の機会にお話しいたしますね。
お読みいただきありがとうございました。
ひっそり文章を書き続けてきましたが、こうして投稿させて頂くのは初めてのことで、わからないことばかりでしたがとても楽しく書けました。
どなたかおひとりでも、面白かったなと思っていただけたら、これ以上ない幸いです。
今後も、自分の好きなものを好きなように書いていきたいと思います。
またお会いできる日を楽しみに。