珍珍のひみつ
中華料理店『珍珍』は医食同源を掲げた人気店である。
美味しくて元気にもなれるということで、今日も店内は賑わっていた。
「結局、カラダなのよね……」
あたしの向かいの席で、美沙が悔しそうに呟いた。
「元気はカラダが源なんだわ。私達は結局カラダに支配されているのよ」
ハァ……とため息をつく美沙の、細っちぃカラダを見ながら、あたしは答えた。
「そんなカッチカチなお腹して、そんなこと言わないでよ」
「あんたみたいに元々細っちくないのよ、私は。努力してるんだから」
そう返して来た美沙を見ながら、高校時代の彼女のかわいかった笑顔が脳裏に蘇る。
食べやすいあんマンみたいな笑顔の、健康的なむっちりした、かわいい女の子だった。
「美沙はじゅうぶん美しいと思うよ?」
一応言ってみる。
「それ以上美しくなってどうすんの?」
顔も昔と違う。こんなに鼻が高くなかった。目もこんなに切れてはなかった。こんな美人オーラなんか放ってなかった。もっとフツーの女の子だった。
「足りないのよ、まだ」
鶏肉の中華サラダをおちょぼ口に運びながら、美沙が言う。
「もっと美しくならないと、彼が振り向いてくれないの」
「いや……。もう、じゅうぶんこれ、ファッション雑誌の1ページみたいだから」
本当に本心からそう見えていた。美しい人間というよりは美しいサイボーグに近くはあるが。これでもダメということは、トップモデルにでもなりたいわけか。
でもあたしは美沙の気持ちを尊重する。あたしにはわからない境地に彼女はいるのだ。あたしが『昔の美沙のほうが好きだった』なんて言っても、彼女には何の意味もないのだ。あたしは彼女の大好きな『ダイチくん』ではないのだから。
「あんたって本当によく食べるわよね……」
鶏の唐揚げ一皿を1人で片付けたあたしをじっとりとみながら、美沙が言った。
「しかもそんなオイリーなものを……。それでなんでそんな太らないの?」
「ううん? 最近、お腹がぽっこり出て来たよ?」
「それで気にしないの?」
「気にしてなくはないけど……ダイエットめんどくさくて……」
あたしはキャベツまで全部平らげると、たはっと笑った。
「美味しいものを楽しんで食べるのも心の健康に繋がらない? それに、この店の料理はカラダにいいもの入ってるらしいし」
「清い心は引き締まったカラダに宿るのよ」
美沙の目が怖い。
「あんたもダイエット頑張りなさい。そのぽこっとしたお腹を引っ込めれば『めんどくさい』なんて口にするダラけた精神も引き締まるはずよ」
「らじゃ!」
一応口では了解しといて言う通りにしないあたしのダラけた精神。
「いくら内面を磨いたって、オトコが見るのは結局カラダだからね」
美沙がなんだか病んだことを言い出した。
「でも、そのカラダを磨けば精神も磨かれるはずでしょ? 元気はカラダからなんだったら、あたしはもっとカラダを磨かないと。あたしがいつもこんなイライラモヤモヤしてるのは、まだまだカラダの磨きようが足りないからなんだわ」
すると美沙の後ろから近づいて来ていた背の低いおじさんが、声を発したのだった。
「お嬢さん」
「えっ?」
驚いて振り向いた美沙がそのおじさんを見る。
にっこりジャムおじさんみたいな笑顔を浮かべた、真っ白な厨房服に身を包んだ、つまりはジャムおじさんみたいなおじさんだ。
にっこり会釈をすると、おじさんは温かい声で美沙に名乗った。
「わたし、この店の店長の珍アルよ」
語尾に本当に『〜アル』をつける中国人を初めて見た。
美沙は無言で珍さんをじっと見ながら、彼の言葉を聞いている。なぜこのおじさんは自分に声をかけたのか、という風だ。珍さんは丁寧に、それは丁寧に、無礼なことを言った。
「あなたの心は汚れているアル。私の料理で綺麗にしてほしいアルかないか?」
「よっ……汚れて……いる!?」
呆然とした声を美沙が出す。
「ウチの料理にはカラダにいいもの入ってる。それは心にも、とってもぉ〜……、いいものアル!」
そう言うと、手に持っていた料理のお皿を差し出した。
「これが当店が繁盛してるところの『珍珍のひみつ』。ウチの料理にはすべてこれが使ってアルね」
「それ……は……?」
あたしはつい、食いついた。
「何? その、赤黒いグロテスクなものは!?」
「これは中国の火の神『祝融』の……」
珍さんは真顔で言った。
「ちんちんアル」
「げええっ!?」
あたしは吐きそうになった。
「この唐揚げにも!? そんなモノが入ってたの!?」
「嘘よ。そんなファンタジーな食材あるわけないでしょ」
美沙が軽くいなす。
「いきなり何? お客様を捕まえて心が汚れてるなんて……。この店潰すわよ?」
「フフフ。試しにこれを食してみなさいアルよ」
珍さんが赤黒いなんとかの神様のちんちんを美沙に近づける。
「すべての料理にこれを少量ずつ使ってあるアル。これをダイレクトに食べたらぁ〜……? それはもう、それはもう……」
「どうなるのよ?」
「カラダに火がついて、悪いものをすべて燃やしてくれるアルね! 一気にカラダは理想の体型に、心もスッキリ雑念から解放されるアル!」
「本当に……?」
美沙が手を伸ばした。食べてみる気だ!
「やっ……、やめなよ」
あたしは忠告した。忠告したからね?
お皿の上に乗った、巨大なたらこみたいな形の、食べ物の色ではない赤黒さのそれを、美沙はスライスしてあるのを1枚取ると、大きく口を開け、上からぶら下げて、少しだけ躊躇した後、ぽとりと入れた。
何も起こらなかった。
しばらくは、何も起こらなかった。
「ウッ……!?」
ドクン、という漫画の書き文字みたいなのが美沙の胸のあたりに見えた気がした。
「アアッ……!?」
珍さんがニヤリと笑う。
「ギャアアアアアッ!」
美沙が喉元をかきむしる。
他のお客さん達が一斉にこっちを見た。
あたしは自分のバッグを取り上げて、意味もなく防御姿勢を取った。
美沙の形が変わって行く。懐かしい形になって行く。みるみるむっちり膨らんで、火がついたような苦しみが終わると、あたしの前にいたのは食べやすいあんマンみたいな顔をした、昔の美沙だった。
「そこから始めるアルよ」
珍さんが説教を始めた。
「それが貴女の本来の姿アル。整形もサナダムシもすべてリセットされたアルよ。そのままの姿で綺麗におなりなさい。っていうかそれ、じゅうぶん、私の好みアル。お嬢さん、どうか私の息子の嫁に……」
「何してくれてんのーーーッ!!!」
美沙が珍さんを全体重の乗った張り手で吹っ飛ばした。
「いくらかかったと思ってんのーーーッ!? ああ……、こんな姿じゃダイチくんに会いに行けない……!」
確かにさっきまでの美沙のほうがビューティーだった。でもあたしはそんな美沙を見ながら、なんだかほっとしていた。なんだかフルサトに帰って来たような。
「戻してよ!」
美沙が珍さんの襟を掴んで揺さぶってる。
「戻せ! 出来ないなら損害賠償請求する! ……ウッ?」
ぱたりと美沙がその場に倒れた。
他のお客さん達は映画でも観るように傍観してる。
「美沙っ……!?」
助け起こそうとするあたしに珍さんが言った。
「ウフフ……。きっとお嬢さんは、ウチの常連になってくれるアル」
元通りのむっちり地味娘に戻った美沙は、ダイチくんと付き合いはじめた。
最初はびっくりされたらしいが、明るい笑顔がほっとすると言ってもらえたらしい。
「なんか私、ギリギリに必死すぎて怖がられてたらしいんだけどぉ〜、『前よりかわいくなった』って言われちゃった! キャハ!」
「よかったねぇ」
「『美沙の手料理は美味しい』って言ってくれるんだよぉ〜」
「ウフフ」
いつの間にか美沙の後ろに立っていた珍さんが言った。
「美沙ちゃんの手料理だってことにしてるアルか? ウチのテイクアウト弁当なのに……」
「どーせ私は心が汚れてますもーんっ」
「いつもご来店ありがとうございますアル。お礼にウチの料理の作り方、盗んで行っていいアルよ」
「よーしっ! 盗んで本当に自分で作れるようになっちゃる!」
美沙は明るくなった。
元気はカラダからだってのは本当なんだろうけど、今までの美沙は健康的に細いように見えて、本来の自分の体型からはかけ離れてたんだ。
本来のむっちり体型に戻ったけれど、『珍珍』の常連客になって、いつもここの料理を食べてるぶん、健康的なレベルを維持してる。
あたしもこのお店の常連客になってしまった。あのなんとかのちんちんが入ってるのを知ってしまっても、やっぱりここの料理は美味しいし、何よりこのぽっこりと出たお腹を引っ込めねばだから。
中華料理店『珍珍』は医食同源を掲げた人気店である。
美味しくて元気にもなれるということで、今日も店内は賑わっていた。