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1、夢のような婚約 1

 夜会の翌日。参加した貴族たちの起床はとても遅い。

 ティアンも、昼に近い時間に起きて、サリマに支度を手伝ってもらう。

 支度が終わるティアンへ、「ご主人様がサロンに来るよういわれていますよ」と思い出したようにあっさりと言った。


 夜会翌日にサロンに呼び出された理由はひとつしかない。

 早く教えて欲しかった。

 サリマの意地悪を恨みながら、蒼白な顔でティアンはサロンへ急いだ。


 サロンに来ている先客が、レオンじゃないと言い切れない。

 アメリアから聞いた噂に、レオンは気に入った女性の屋敷で婚約の話をした人がこれまでにいたとか。

 レオンがいるなら、婚約の話を受ける前に急ぎ両親を止めなくてはならない。

 婚約を受けるか決めるのは両親で、ティアンは意見は聞いてもらえない。

 それが承知でも、止めなくてはならない。


 ティアンはレオンと婚約したくない。


 昨夜、先に寝てしまった両親を起こすことが躊躇われて、昨夜の出来事を伝えなかった自身を叱咤した。

 サロンの客がレオンで、婚約の話だとして。サロンに通したことも、婚約を受けることも。両親はなにも悪くない。

 ただ申し出られたことを、喜び受けるだけなのだ。



 慌ててサロンに入る。

 礼儀作法をしっかりと忘れずに挨拶をして。


「お父様、お母様! お待ちください!」


 切実な声でサロンにいる先客からの婚約の申し出を断るように、声音で伝える、と。


 ――唖然とした。

 両親の前にいる男性はレオンでなく、正装をしたハロルドが座っていた。

 レオンじゃなくてよかったのだけど――ハロルドがなぜ屋敷に来ているのだろう。


「やあ、ティアン」


 ハロルドは爽やかな笑顔でティアンを迎えた。

 ここがどこだったかを一瞬忘れてしまいそうになる破壊力ある笑顔。

 レオンが来ているとばかり思っていたティアンは、瞬きを数回して、勘違いに恥ずかしくなってサロンの外に飛び出した。

 サロンの外で控えている長年の侍女をみつけると、恨めしく睨んだ。


「サリマ……」


 三歳上の彼女はつんとすまして何事もないかのように控えている。確信犯な侍女をひと睨みしてみせても、動揺もみせない。長年ティアンに仕えてきただけある。

 もう一度、低い声で名前を呼んでみる。


「なんでしょう? お嬢様。お早くサロンにお戻りください」


 あっさりと、サロンに放り込まれた。


「すみません、父様。それと、ハロルド様」


 サロンでは、微妙な空気が流れていた。

 ティアンがサロンを飛び出したせいであるのだけど、当人は気がついていない。


「まあ、突然のことだ。驚いたんだろう?」

「ええ、まぁ。……はい」


 寂しさの滲ませた母と違い、父は額を押さえている。サリマとの会話が漏れていたのかもしれない。


「ティアン」


 ハロルドがティアンを迎えに来て、手を差し伸べられて。貴族の礼儀で自然とその手をとった。

 ハロルドは重ねた手をひいて、ティアンを腕の中に引き込んだ。


「え、ちょっ」


 手の甲に挨拶だとばかり思っていて油断していた。


「ティアン。ようやく僕は覚悟を決めたよ」

「え? なにを、ですか?」

「昨日のこと忘れた? 明日、屋敷に行くと言ったこと」


 唖然とした。

 聞いた。

 聞いたけれど、昔よく彼からされていた、からかいの一つと思って聞き流していた。本当のことだなんて、思ってもいなかった。

 両親を前に、きっちりとした格好のハロルド。

 母の嬉しそうな涙。父の、寂しそうな笑顔。

 ティアンを抱きしめるハロルドの嬉しさ溢れ、愛おしむ笑顔。


「父様、母様。どういうこと?」

「タイタリア侯爵家からの婚約の話を受け入れたのだよ、ティアン」

「……え……えええ!?」


 瞬きを繰り返してしまう。

 本当に婚約をしてくれるなんて、聞いても信じられない。


「ティアン、よろしくね?」


 ハロルドはぎゅ、と背中回した腕に力を込めた。

 からかわれているわけでないと、ようやくゆっくりと自覚した。

 昨日レオンからティアンを救うためだけの、彼を欺くためのその場限りの嘘だと思っていた。



「そんなに驚くことだった?」


 可笑しそうにハロルドが意地悪く笑う。


「ええ、とても」


 両親が出て行ったあとのサロンで、二人は隣り合って座っていた。

 ハロルドの右手はティアンの右手を上から覆いかぶさっていて、左手は腰を引き寄せる。


「その場しのぎだけで、レオンは欺けない。本当にしてしまえば、俺がキミを守る理由になる。夜会でそばにいる理由も、屋敷を訪ねる理由にも。……昨夜の事にも、ね?」


 そうかもしれない。

 ティアンはこれまで、舞踏会や夜会、パーティーのいずれにも男性を伴って出席していない。

 昨日、レオンは突然降って湧いたようなティアンの婚約者を目の前にして、聞いてないという目をしていた。

 レオンは、ティアンに婚約をしている相手がいないことを知っている。


「そうかもしれません。ですが……」


 ハロルド様は他に婚約する方がいるのではないの。

 そう聞く前に、唇を人差し指で押さえられてしまった。


「ティアン、俺じゃダメ?」


 覗き込んでくるハロルドは銀色の髪を揺らして、子供っぽく微笑む。

 あまりにも可愛くて、見惚れていると、ハロルドの顔が近づいてきて――。


「ハロルド。僕いるんだけど? 忘れてないよな?」


 大きな咳払いと共に、ライアンが所在無げにそっぽを向いた。

 頬がひくついている。

 兄は両親と変わるようにして、サロンに来た。


「ああ、いたんだったね?」


 とても残念そうに、ティアンからハロルドが離れていく。

 ライアンは居心地悪そうに、学友を睨んだ。

 あとでいくらでもやっていろ。毒づく。

 片手で赤くなった顔をおおった。

 身内に見られて恥ずかしい。


「ティアン、レオンとなにがあったのか話してくれるよね?」


 ◇


 ラデリート侯爵令息レオンのよくない噂を、ティアンは友人のアメリアから聞いた。


 シーズンごとに、相手の令嬢を取っ替える、女たらしで。

 強気な令嬢は、趣味じゃないらしくあしらって。

 代わりに大人しく、穏和な女性には進んで声をかけては、一緒に会場から消えていく。

 侯爵家という権力を駆使して、断れないことをいいことに、女遊びがひどい。

 とにかく紳士の風上にも置けないひどい男。

 夜会やパーティーで会ったら声をかけられないようにしなさい。あなた、彼の標的(ターゲット)にされそうで危険なのよ。


 アメリアからレオンという令息の悪い噂と、忠告を受けた。

 そのあとで、「あなたにはハロルド様がいるのだから、あの方の毒牙に引っ掛かってはダメよ!」と強く言われた。

 冗談はよして。と笑いあった数日後。


 ティアンはアメリアと今シーズンはじめての夜会に出た。

 アメリアは声をかけられた男性とダンスを踊りに行ってしまい、ティアンは壁際で時間を持て余していた。


「やあ」


 声をかけられて顔を上げると、そこにアメリアから聞いていた噂の青年レオンが胡散臭い笑顔で立っている。


「はじめまして。僕は、キミの弟コンラッドの友人の兄です」


 紳士のように、優しく困惑するティアンに話しかけてきた。

 弟に友人がいるのは知っているけれど、会ったことはなく、友人の名前も知らない。

 アメリアの予感は見事、的中してしまった。

 そのアメリアはいまだ、ダンス中で、助けを呼ぶこともできない。両親は挨拶に行っていて、兄もいない。

 この時を狙ったのかと疑った。

 周りに助けを求めようにも、知り合いがいない。

 どう対処していいかわからず、貴族らしく、スカートをつまんだ。


「フレデリー伯爵家ティアンです」

「ご丁寧に。僕はラデリート侯爵家レオンです」



 レオンはアメリアが言うような酷評なひどい男ではなかった。

 とても紳士的で、ダンスのリードはうまく。会話の話題は尽きなかった。

 頭の片隅によぎる噂は、もはや頭になかった。

 何度か夜会や、舞踏会で会うようになって。……それは今思えば、決まって兄や両親、友人がいないときだった。


 次の犠牲者は彼女か。


 そんな噂がしとやかにされていることに、耳を傾けることなく、彼と会うことが楽しくて。

 いつのまにか周りを固められていたことにも気がつかず。

 たった数回。夜会で顔を合わせて、ダンスをしただけで、昨夜の夜会で周囲に婚約者になる人だと吹聴されてしまった。彼の名誉のためとその場で断ることもできなくて、二人で会場を離れて、改めてお断りをして。はじめて己の愚かさと、凶暴な彼の本性を知った。

 怖くなって逃げ出し、ライアンに助けを求めた。


 ◇


「ティアン……」


 ライアンからあきれた視線が向けられる。

 何故その有名な噂を知らないんだと目で訴えられてしまえば、言い返せない。アメリアから気をつけるようにと言われていて、知らなかった、ですむような話ではなかった。


「ごめんなさい」


 愁傷に謝る。

 人を見る目はあると自負していた。


「……ティアン」


 隣からも呆れた声が。


「どう見たって、噂通りの人にしかみえないけれど、キミにはどう見えたのかな?」


 盛大なため息と共にそう言われて居た堪れなくなる。

 まさにその通りな人だなんて、見抜けなかった。見えてこなかった。……人を見抜く目を、ティアンはもってないのかもしれない。


「すいません」


 謝る言葉以外に出てこない。

 紳士的にみえました、なんて言おうものなら、二人から大きな嘆きと悲しみのこもったため息がこぼれていたことだろう。

 萎縮するばかりで居心地が大変に悪い。


 何度目かの「ごめんなさい」を口にすると。


「ティアンには俺がいる」

「ハロルド様?」

「俺たちもう婚約者だよ? なにがあっても助けるから。俺を頼って」


 幼い頃からいだいていた夢が現実になる。

 その発端がラデリート侯爵令息からティアンを守るための一時的なものだとしても、信じられない。

 ティアンをハロルドが引き寄せた。

 上向かせて、瞳を覗き込む。


「ティアン?」


 無邪気に首を傾げていて、その顔がなんだか可愛らしくて。


「まだ、信じられません。ハロルド様が婚約者?」

「そう。キミの両親は認めてくれた。俺はキミの婚約者だ」


 じわじわと込み上げてくる嬉しさが、胸をいっぱいにする。

 目の前にハロルドがいて。

 ティアンを見つめていて。

 夢みたいで信じられない。



「ラデリート侯爵令息に、周りからじわじわと攻められたなら、こちらもその手を使えばいい。ハロルドがティアンの婚約者として、次の夜会に参加して、周りの目を使うんだ」


 ライアンはそう助言をすると、そそくさとサロンを出て行った。


「ハロルド、節度は守ってくれ」


 忠告を忘れずにしていった。

 兄は王城の宿舎に夕食後戻る予定をしている。まだ、時間はある。サロンにいてもらわなくては困る。


「兄様!」


 ティアンの切な呼び止めを振り切って、兄はサリマだけでなく男性の従者までも共に出ていってしまう。

 はからずもサロンで二人きり。

 途端に落ち着かなくなる。

 そこで、ふと。人肌の温もりを感じた。

 ハロルドはティアンにぴったりとくっついていた。

 腰は当然ながら腕でがっちり掴まれている。

 ふわりとハロルドの香りがして、胸が高鳴った。


「……ティアン、次の夜会はいつ?」

「フォリカス家の夜会です」


 出席する予定の次の夜会は来週にある。


「ああ、こちらも出席の連絡はしてあるから、当日、迎えにくるよ」

「え、は……い……」


 迎えに来てくれるなんて思ってもいない。

 ハロルドはフォリカス家とも交友があったなんて、知らない。


「伯爵と夫人に伝えておこう。楽しみだね」


 嬉しさを笑顔で見せつけられた。

 ティアンの面倒事に巻き込んでしまったというのに、その笑顔は反則だ。

 笑顔が眩しくて直視できない。


 それは、夜会に一緒に出られるから?

 それとも、違う理由?

 頬が熱くなるのを感じる。ティアンをレオンから助けてくれるだけ。一時的な婚約だというのに、どうしたって嬉しい。

 ハロルドの隣を、誰よりも近くで歩けるような関係になることが出会った頃から密かに夢だった。

 婚約はそんなティアンが夢みていた願望を叶えてくれる。


「ハロルド様は……どうして私なんかを助けてくれるのですか」


 話題を無理やり変えた。

 友人の兄の妹。たったそれだけの関係。侯爵家のハロルドに嫁ぎたい令嬢は多い。いまだに特定の女性がいないことが珍しい。

 ハロルドは少し驚いて……ティアンの手を握りしめて。


「困っていたら助けるよ。昔から大切な子なんだ。キミは……可愛いから」

「あの、理由になってません」


 レオンからティアンを助けてくれるためだとしても、その理由が大切で可愛いからで、納得できるわけない。


「……ティアンは、俺と初めて会った日のこと、覚えてる?」

「覚えてるわ」


 ハロルドとはじめて会った日のことは大切な日で、大切な思い出。忘れたくない。

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