9節.御前試合
辛勝。
結果はどうあれ、正当に代表にした騎士団長が、敵国の一般兵に互角の戦いを強いられたのだ。面子も騎士道も踏み躙られた。これで自国の勝利などと言えようか。
事態はそのまま再試合にもつれ込む事となった。
「ちっ。リシアめ……奴のせいでこんな面倒事に……“オポロイ! 主が出よ!”」
ウォンドオ王の声が広間に響き渡る。すると、秘書官らしき側近の男が一歩、前へ出る。
「これ、何がどうなってるんです?」
初めての遠征。それも重要な和平交渉だと言うのに次から次へと予期せぬ展開が続く。マルコはすっかり参ってしまっていた。
「案ずるな、これも全て当初の予定通りだ。2回戦に持ち込めるかどうかは運頼みだったが……願ったりだ。次は、“思い切りねじ伏せれる”」グーマンドは地面に立てた斧を握りしめる。
オポロイと言われた男は、タンクスやロッザ達が秘書官と疑わない程に戦闘要員にはとても見えない優男であった。
こんな大事な局面でただの秘書官を出すだろうか。
(オポロイ? 聞いたことない名だな。ゴート騎士団長が国一番の手練という話だった気がするが)
「此奴はオポロイ。我が国ウォンドオ一の戦士じゃ」
ウォンドオ王の余裕な表情での説明に、王が男にどれだけの信頼を寄せているかが分かる。
「その方はお強いので? 失礼ですが、顔も名前も存じ上げません」
タンクスの言い分に騎士団も同じ意見だ。少しでも戦果を上げる程の強さを持つなら、戦場で名を聞かぬ筈は無い。
「此奴は白兵戦・歩兵戦の達人でな。故に、戦場には顔を出さず、わしの身辺警護に努めておる」
(それにしても、王の信頼を取るまでに何か武勲を上げるものだが……)
タンクスは渋々オポロイの代表を承諾した。
次はこちらが決める番だ。もう力の誇示は充分。今度は全力で勝ちを取りに行く。タンクスは肩を鳴らし、今まさに剣に手をかけようとしていた。
「なら、“この団一の実力者”で相手しないと失礼ってモンだなあ。この、最強のロッザ様が」自信満々にロッザが前へ出てくる。
聞き捨てならないと言わんばかりにタンクス、そしてグーマンドが声を上げる。
「おい、誰が最強だって?」
「うむ、聞き捨てならんぞ、ロッザ」
負けん気の強い騎士達の中でも特に己の”最強”を信じる三人。マルコは唖然としてその光景を見ていた。
「あ? どう考えても俺が最強だろが」
「笑わせる。俺のパワーに勝る者などいないだろう」
グーマンドは副団長のロッザを相手に全く引く気は無いようだ。
「んなもん俺のスピードの前じゃ役に立たねえよ」
「なら試してみるか?」
「あぁん?」
団員が止める様子は無い。日常茶飯事のようだ。
「なら両方を兼ね備えたバランス型の俺で決まりだな!」
「引っ込んどけ!!」
「なっ……!」
二人に怒鳴られ、膝を立てて座り不貞腐れるタンクスの頭を撫でるモスケット。
「俺……団長だよ?」
ロッザとグーマンドは変わらず睨み合う。
「グーマンドよォ、お前、前に賭けに負けて一文無しだった時に酒代払ってやったよなあ?」
「ぐっ……!」
過去の自分の過ちを悔いながらグーマンドはロッザに戦いの権利を譲る。
代表戦はカタストロフ騎士団副団長ロッザとウォンドオ王の側近オポロイの二人で行うこととなった。
(こんだけ俺の期待を買ったんだ、さぞかし強いんだろうなあ? 頼むから落胆させないでくれよ)
お互いは二十歩ほど離れた距離に立ち、その刻を待つ。もう先程のような心配の必要は無い。ウォンドオ側はゴートが出てきた時と変わらぬ様子だ。このオポロイという男の実力は、皆がゴート同様知っているということになる。
つまり、今度で——決まる。
(国を代表か。俺が勝つと分かっていてもこの緊張感……うん、悪くねえ)
ロッザは左に差さった剣を引き抜く。オポロイも同じくそうした。
(細剣か。アイツも俺と同じ速さ自慢ってわけか?)
ウォンドオ王は二人と交互に見比べる。
「良し……では、始めい!」
より力の入った開始の合図。お互いに動きは見られない。国の命運を掛けた試合は、やけに静かな始まりを迎えた。
じりじりと剣の間合いを詰めていく二人。寸分の油断も感じられない程張り詰めた空気。やがて互いの間合いが触れる。一撃で命を刈り取る剣筋。それは周囲の人間に、音よりも速く交わったようにさえ見えた。
手数は互角。一進一退の攻防が続く。ロッザの加速を増した剣は、オポロイの剣を滑るように受け流される。どれだけ力強く振り抜こうとしても攻撃を捌かれてしまう。
(こいつ……スピード・パワー・テクニックの三すくみだけじゃ測れねえ、生まれながらの”柔”の性質を持つタイプか。こりゃ天性のモンだな。……強え)
ロッザの連撃の隙間を縫って、オポロイの刺突が襲いかかってくる。それを間一髪で躱すロッザ。
(ちっ! ナックルガードが邪魔だな……!)
二人の大きな一撃が、互いに距離をつくる。呼吸すら忘れていた大衆から歓声が上がる。
「……驚いた。大袈裟ではなく、この国で僕と渡り合える人間は居ないんだけどな。もしかして、後ろでメラメラしてる人達も君くらい強いのかい?」
オポロイは興味津々に訊ねる。
「いんや、俺が最強だ」
ロッザの返答に後ろから仲間の野次が聞こえてくるが、気にも留めない。
「よかった。一人なら……なんとかなりそうだ」
挑発するような発言に、ロッザの眉間に皺が寄る。
「んだとぉ〜?」
右腰の剣を引き抜くロッザ。両の手を返し、刃が触れた状態でゆっくりと交差させていく。小さな火花を散らし、やがて交わり終わった頃、前方に突き出された二本の剣はまるで雄々しい猛牛の角を彷彿とさせる圧力を放っていた。
『双角の構え———』
それを見てカタストロフ騎士団の幹部は息を呑む。
「強……敵♪ 滅多に居ない相手、全力でお相手する」またもロッザの軽口が炸裂する。
オポロイは目の前の脅威としてのレベルが一段階も二段階も跳ね上がったのを肌で感じた。
「それは予備じゃないのか。長剣二本で僕の速さについてこれると?」
「全力出しゃあな」
「……面白いね、君」同じく腹を決めたオポロイ。
床で剣を払い、大きな金属音と火花を散らす。体の後ろを弧を描くように大きく回し、頭上やや前方に指揮棒のように持ってくる。左手は体の前に突き出し、相手との距離を測る物差し、そして狙いを定める照準となる。
リシアは驚いていた。ついこの間、騎士団の団員達から魔物や魔獣と戦う時以外に彼が対人で双剣を使って戦うところは殆ど見たことが無いと聞いていたからである。
(あのオポロイって男が戦うのは初めて見たけど、あんなに強かったなんて! ロッザも2本で戦うなんて……どっちが勝つのかしら……)
凄腕の二人の戦い。ゴートとギットンの高水準な戦いをも遥かに超える領域であった。
「おるァッ!!」
「はァッ!!」
動体視力が追いつかない。旋風の如く繰り広げられる斬撃の応酬。一撃一撃が当たれば致命傷は必至の攻撃。両者の間に、命をすり減らすような時間が形成され経過していく。
オポロイの服は切り刻まれ、ロッザの鎧や服もズタズタにされている。お互いがボロボロの極限状態にあった。
「息が上がってるぜ? オポロイ」
「君もだ」
肩の力を抜き構えを解くオポロイ。
「あン? まだ終わってねえぞ」
剣を下ろしたまま周りの兵達を見回す。すっかり熱気に包まれている城内。
「……君のようなのを、好敵手、と言うのだろうね」
戦いの悦びに浸るなど、オポロイには人生で初めての経験であった。依然警戒したままのロッザをよそに再び口を開く。
「魔獣での襲撃・王の暗殺。詫びさせてもらうよ」
「オポロイっ、な、何を……っ」
ウォンドオ王にも動揺がはしる。ロッザは止まったまま様子を見ている。
「僕も計画の決定・実行は後から聞いてね。発案の際には反対したんだが、いかんせん“発案者の口が上手くてね”。加えてあの王だ。後先を考える頭が無いんだよ」
好き勝手に事を話すオポロイ。こんな状況でそれを止められる者はいなかった。
「ふ、不敬だぞ!」
ゴートや兵達は真剣な表情でオポロイから紡ぎ出される言葉を聞く。
「王サマよりはまともな頭持ってるみてえだな。……ならリシアのことはどう説明する? 身寄りの無い女どもを暗殺の道具として育て、死ぬまで酷使するって聞いたぜ? そこに人権は無く、毎夜殺しのことだけを叩き入れられ、冷徹で従順な機械を作る。挙げ句の果てには兵どもの慰み者だと? ——ふざけるなよ」
ロッザはまるで自分のことのように感情的になる。他人が自分の為に怒っている。リシアには不思議な感覚だった。
「ウチがろくでもないことやってるのは知ってる。けど、それでも自分の国だ。家族や友人、仲間がいる。多少の愛国心だってある。……この国に生まれた以上、“この国の為に剣を振るう”のが、戦士としての……僕の役目だ!」
覚悟を決め、オポロイは剣を眼前に立て、ゆっくりと前方に倒し鋒をロッザに向ける。
次の一撃に二人は全ての力を込める。
強い踏み込みのオポロイ。対してロッザは左の一本を思い切り投擲する。回転する剣を、触れる間際で体を半身にして避け、必殺の突きを繰り出す。後手に剣を投げた事で、僅かながらオポロイの剣筋をずらす事に成功したロッザ。剣を削り、火花を散らし、体を近づける。距離を詰めて仕舞えば、突きよりも払い・薙ぎの方が危険性は増す。体を回転、細剣の腹に体を滑らせ、オポロイの首元に刃を突きつける。
「はーっ、はーっ」
「……参った。僕の……ウォンドオの負けだ」
「おおおおおおおおおおおおおおお!!!」周囲から雄叫びが上がる。
こうして、ベントメイルとウォンドオの和平交渉を発端とした代表戦の結果はベントメイル側、カタストロフ騎士団副団長ロッザの勝利という結果で終わることとなった。
ロッザ、オポロイ、共に疲弊しきった状態でその場に崩れ落ちるように倒れる。タンクス、ゴートは互いの代表者に駆け寄り安否を確認する。
「大丈夫か? ロッザ」「余裕のよっちゃんよ……うっ」「馬鹿言え、ギリギリだったろ」
「ふっ、お前が負けてしまっては何も言えないな。いい加減前線に出たらどうだ? “馬に乗る練習なら付き合うぞ”?」「なっ! こんなときによして下さいよ、ゴート騎士団長」
あまりに高水準な戦いに自然と周りには賛美の拍手が起こっていた。
「おいおい、俺の人気はとどまることを知らねえな……」
「言ってろ」
ただ一人、ウォンドオ王を除いては。
「くっ、これで良いのか! ウォンドオは1番で無くてはならん! 彼奴等の思い通りにいって腹立たしく無いのか!?」
オポロイに肩を貸したゴートが進言する。
「やはりあの“道化”の言うことを聞きすぎましたな、王よ。私の苦戦、そして、オポロイが負けてしまってはどうすることも出来ないでしょう。この代表戦を受けて呑んだ条件をまたも反故にするのは騎士道に反します。それに、いかなる王の命令と言えど、今また、彼らに剣を向ける兵は居ないでしょう」
「ぐっ……! 役立たず共め!! こうなれば“奥の手”を使うまでよ……。ベディス! ”あれ”を持ってこい!」
「!!」
何やら、周りが騒がしい。ロッザ達には何が何やらさっぱりの状況であった。ただ一つ、オポロイとゴートの表情を見てどれだけ危険なものが来るか身構えることが出来た。二人の額に、冷や汗が滴っているのが容易に分かる。
王の元へ、兵がやってくる。その手には大きめの箱が二人がかりで抱えられている。ウォンドオ王が眼で指示すると、兵はその箱を開ける。
中にはやけに長く作られた装飾の派手な剣が一振り、厳重に保管されていた。
「まずい……!」
「正気ですか! 王!」
二人の制止の声など届かない。ウォンドオ王は既に正気を失っていた。
「なんなんだよ、お前らのこの焦りようは!?」
ロッザに対し、ゴートは静かに答える。
「あれは———“五賢者の骨董品”だ」
瞬間、カタストロフ騎士団全員に緊張が走る。
伝承の知識。風の噂で聞く程度の信憑性。しかし、昔から伝わるその”逸話”の影響はどんな子供や大人にも深く根付く。そしてその”力”の強大さも。
「ツアイヒの奴め! これを持っていかなかった事だけは褒めてやろう! これこそあの、五賢者の骨董品の一つ!! “剣豪の剣”だ!!!」
王が手にしたそれは、誰もがその伝説の遺物であることを疑わない程に、圧倒的な覇気を放っていた。
「こ、こりゃまずいんでないの? タンクスちゃんよお。最強の俺様も、ちょいとお疲れだぞ……」
「分かってる! 全員で止めれば何とか……ならないのか!?」
タンクスが語気を強めてオポロイに訊ねる。
「知らないよ! その力の程なんて! ただ、全員が分かる通り、あれは本物だっ。恐らく、普通に弓や矢が通用するような代物じゃあないだろう」
その場の視線が一点に降り注がれる。王は剣を掲げ、その刀身を露にする。
———筈だった。
「さあ! 跪け! ……ふんっ!! ……んっ? ふっ! ふっ! ふっ!! ……ふぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!! ……ぬ、抜けぬ……」
ウォンドオ王がどれだけ力を込めようと、剣は鞘から姿を現すことは無かった。
「な、何故だ!!」
(こんな筈では……!)
事態を収束させる奥の手が、効果を発揮しないのでは意味がない。
「多分……“選ばれし者しか使えねえんじゃね”? そりゃあんたみたいなのには無理だろ」
誰でも使えるわけではない。これは衝撃の事実であった。……五賢者の骨董品は、”人を選ぶ”のだ。
ウォンドオ王はあまりの恥をかいた事によりすっかり小さくなってしまった。
「……もういい! 好きにしろ!! 今後、ベントメイルとの国交は、オポロイ! お前に一任する!!」
そう吐き捨てて、ウォンドオ王は自室へ戻ってしまった。
オポロイとゴートの計らいにより、カタストロフ騎士団の面々へもてなしの食物が振舞われた。お互いに敬意を払った者達の宴は夜まで続いた。
今回の件に関しては、事が上手く運べば不問とするというベントメイル王の寛大さから、後日、再度結んだ和平と謝罪の意も込めてウォンドオが大量の謝礼品を渡す約束で手打ちとなった。
「日が昇るのを待たなくていいので?」
「要件が済んだ以上、いち早く国に帰るべきですので。それに、ウォンドオ王もご気分を害されます」
「お固いのよ、コイツは」ロッザがタンクスを指す。
「何だと?」
「何だよ」
オポロイは二人の信頼関係が羨ましくさえ思えた。
「タンクス殿。その……騎士団の人数は結局のところ何人程なのだ?」
ゴートの質問にタンクスは笑って答える。
「ははっ。以前来たときが全員ですよ。今回は三分の一程度を置いてきているだけです。あ、後それからお相手したギットンですが、ウチでも割りと強い方なのでお気になさらずっ」
(割りと、か……。此奴、天然か?)
「まんまとハメられたわけですな」
四人と他の連中は仲良くなった兵達と喋り、時間を潰していた。ふとこちらに向けられた視線に気づくオポロイ。その相手はリシアであった。
(そうか……)
オポロイは二人に会釈をし、リシアの元へ行く。二人はそれを見守る。
「良かったね、自由を許されて。彼らについて行くんだろう?」
「……ええ。多分ベントメイルで暮らすことになるわ。王様が、こっちより随分と理解があるの」
リシアの顔に幸せは感じられなかった。恐らく自分一人が自由の身になるのを引け目に感じているんだろう。それも任務を失敗した身で。
今回、和平は再び締結され、大半のベントメイルの要求をウォンドオが呑む形となった。しかし、リシアを育てたような女暗殺諜報員育成機関の解体や取り止めはまた別の話だ。ウォンドオ王はそこに関しては変えるつもりは無いらしい。
最初から反対していたのはオポロイのみであり、ゴートをはじめとする、ウォンドオの兵はそれを黙認していたのも事実。中には進んで調教や”あそび”に乗り出す者も少なくなかった。
「この国はそう簡単には変わらないよ。悪いけど、君と同じような被害者は後を絶たないだろう。……僕一人の力では国の仕組みを変える事は出来ない。だから諦めてくれ、なんては言わないけど、非人道的行いが罷り通るのがこの世の中。一朝一夕で全ては良くならない」
聴きたくもない。
正論なのかもしれない。これが理解出来ないのは、自分がまともな敎育を受けていないからなのかも。考えればキリがない。
「それでもあなたはやっぱりここに残るのね。ここの戦士として」
「……ああ。……もう、会うことは無いかもね」
皮肉か優しさか。辛かった日々が走馬灯のように駆け巡る。モノのように扱われ、差別され、侮蔑され、迫害される。
唯一“人”として扱われたのは床の相手をしたときくらいのもの。余計に腹立たしかったのは、ぞんざいな態度を取られているにもかかわらず、“生物として対等になれたその時間だけは”、少し気が楽になった時もあったということだ。
けれど、そんな日々も、もう訪れはしない。そんなことは……させない。
「……ええ、この国が———“滅んで無くなるのを願ってるわ”」
リシアはそう言って、オポロイに精一杯の笑顔を向けた。




