7節.居場所
館を後にしたカタストロフ騎士団は森を抜け、荒野をひたすらに歩いていた。魔物に遭遇すれば連携して追い払う。ここまで、順調に進んでいる。概、予定通りの時間でウォンドオに到着する見込みであった。
夕陽が沈み、空が焼け、赤と青が黒と鮮やかに溶け合い始めた頃。ほどなくして一つの町が現れる。
ここはベントメイルが領土、グランマルリア。人口約一万人の商いの豊かな町だ。
「よし、町の真ん中側まで進んでから、テキトーな宿で休むか」
個人での行動なら体力の続く限り突き進むことは出来る。しかし、集団での行動となると夜目の効かない中、魔物接敵の危険性を孕んだまま進むのは得策ではない。町を出発するのは再度日が昇ってからというのがタンクスの決定であった。
町に入るとそこは活気に満ち溢れていた。町を守るベントメイルの兵達も団の影を捉えるや否や、快く迎える準備をしてくれていた。
王都ボルツァリオンとなんら変わらない歓声を浴びる騎士団。彼らは国の統治下ならどこでだって英雄だ。遠くから馬を走らせ一人の男が現れる。
「これはこれは、タンクス団長殿。話は伺っております。少し早いご到着でしたな」
迎えるは町一帯を任される衛兵隊長のカシオン。
「カシオン。ここは平和そうで安心した」
「当然なれば」
カシオンは騎士団を不思議そうに見渡す。
「む。馬はどうされたのですか?」
「ぴりついた雰囲気の中の再交渉で、馬になんて乗って完全武装でもしていたら余計な警戒をさせてしまうからな。全員歩きだよ」
カシオンは怪訝な面持ちで顎髭を触る。
「なんと。カタストロフ騎士団ともあろう方々が。……馬上にて失礼」
そうこうしている内に、野次馬の町民達がぞろぞろと集まってくる。
「おお、タンクス団長」「ついこの間来たばかりでまたお仕事か?」
カシオンはうっとおしそうに町民達を見る。
「ええい、去れ去れ。お前達には関係のない話よ」
「まあまあ。少し食糧を買い足させてもらってからここを出るとするよ」
相変わらず平民に甘いタンクスにカシオンは大きくため息を吐いた。
「町だー!!!」
ロッザはウライの娼館にいた時より遥かに元気そうに羽を伸ばす。
「まるで水を得た魚ですね、旦那」
モスケットは呑気にはしゃぐ副団長を見てどこか嬉しそうな顔をしていた。
「おーい! 休憩は二時間だからな!」
「は〜い!!」
おちゃらけた様子で気の良い返事をするロッザ。
「ったく……」
タンクスは町内で一番ウォンドオに近い宿に予約を取るべく東へ進む。各自自由行動をすることとなった。
町を散策するロッザ。
活気づいており、平和な町。そして、ベントメイルとウォンドオに挟まれる危険な場所でもある。随分と昔の事にはなるが、この場が戦火に包まれたのは一度や二度ではない。ここ数年は別の場所での戦が多くなり、被害を被ることは無くなった。和平に向けて、町の全員が、ベントメイル本国の民よりも遥かに強い想いを抱いている。
「ロッザ副団長! パイはどうだい? 絶品だよ!」
「貰う!」
「こっちのビールも上等だよ!」
「貰う!!」
「ウチの焼きたての鹿肉も負けてねえぞぉ!」
「貰う!!!」
もはやただの食べ歩きになっていた。
「皆、遠慮なく俺を誘惑してくれ! 金なら落とすぞ!」
町自慢の料理を貪り楽しむロッザはすっかり気を良くしていた。加えて女性からの熱い眼差しと黄色い声も聞こえてくる。
「おほほ!! カワイイ子猫ちゃんがたくさんいるにゃ〜?」
ロッザはハッとした表情で我に帰る。
(い、いかんいかん……! 今回はデカイ仕事だ、蓄えるならまだしも、個人的な事情で体力を消費するわけにはいかん!)
頬を強く抓り、己を律する。
すると、路地裏で蹲っている少年を見つけた。こんなにも素敵な町で子供のあんな姿を見かけてしまったのだ、声をかけずにはいられない。あっという間に両手の品を食べ終え、少年の元へ近寄る。
「どうした? ガキんちょ」
少年は顔を上げ、赤く腫らした眼をロッザに向ける。
「……」
そうして何も言わないままそっぽを向くのであった。
「あぁ!?」
向かれた反対に回り込み顔を覗き込むロッザ。少年はまた反対を向く。ロッザも執拗に追いかける。
「何だよ! 関係ないだろ! ほっといてよ!」
少年は声を荒げた。
「なンだよ……こんないい町で辛気臭え顔の奴がいたら、飯が不味くなるぜ」
むっとした表情でロッザを睨みつける。
「おーこわ。何。何かあったのか?」
「……ミルが居なくなったんだ」
「ミル?」
「猫だよ。僕の飼い猫」
ロッザは自分の予想を大きく下回る答えに面を食らう。
「猫だァ?」
「おじさん、探すの手伝ってよ!」
まるで興味の無い出来事。貴重な自由時間。土地勘も無ければ義理もない。ロッザの頭の中で目まぐるしく損得勘定が回っていく。
たかが、動物一匹。そう断るにはあまりにも、少年の眼は真剣だった。
「おじっ……お兄さんのこと知らないのかな?」
「知らないっ、それより探してくれるの!? くれないの!?」
頭を掻きむしり決意を固める。
「あ゛ー! ……よしっ、さっさと見つけんぞっ」
少年の顔が底抜けに明るくなる。
「うん!」
「ミルってのが猫の名前か? ガキんちょ」
「マーセル」
「あ?」
「ガキんちょじゃない、マーセル」
「……ロッザだ。マーセル、ミルの特徴を教えろ」
残り時間で必ず猫を見つけ出すことを約束し、路地裏を出た。
「家の近くは探したのか?」
「もちろん! 隈なく探したよ! でもどこにも居ないんだ……お昼にいっしょに眠っちゃったときから居なくなっちゃってて……」
牛乳のように白い毛並み、はっきりとした黒く丸い瞳、子供であるマーセルが抱えられるくらいの小柄な体躯、これがミルの特徴だった。
家の周り以外にも散歩ルートを調べる必要がある。
「父ちゃん母ちゃんは?」
「……お仕事。僕の相手をしてくれるのはいっつもミルだけなんだ」
商いの盛んなグランマルリア。自宅が仕事場でない限りは、家を空ける世帯も多い。マーセルも、大切なこの少年時代を飼い猫のミルとともに過ごしたんだろう。寂しい想いをしているに違いない。けれど、だからこそ余計にミルという心の拠り所が大切なのだ。
「とりあえず、いつも散歩したりしてる道を探してみるか」
「……うん」
公園、商店街、農場の近く、あらゆる箇所を手当たり次第探していく。
「おじさんあんまり見ない顔なのにやたら人気だね」
マーセルは行く先々で好印象を持たれているロッザを不思議に思う。ロッザはその場にしゃがみ込み、マーセルに目線を合わせる。
「あのなあ……俺、割と有名人よ? 知らないお前の方が珍しいっての」
「そうなの?」
「そうそう。お国直属のすんごい騎士団、その副団長様なんだから」
ロッザは鼻を高くし、自らの髪を払う。
「ふーん……なんかその長い髪の毛、女の人みたいだよね」
立ち上がったロッザは物憂げな背中をしていた。
「……俺も好きじゃあねえ」
マーセルにはその意味が分からなかった。何故好きでもない髪型でいるのか。不思議で仕方がなかった。
「よしっ、こうなったら地道に聞き込みするしかないなっ」
(残り時間でなんとしてでも猫を見つけ出してやる! じゃねえと寝覚めが悪い!)
ロッザとマーセルは様々な店を回る事にした。同時に、食べ物屋に寄る際はマーセルに強請られる為、聞き込みだけで金を消費することになったのはロッザの予想外だった。
商店街で服を売っていた男性に声をかける。
「見てねえな。第一、そんな猫一匹覚えてねえよ」
書物が並んだ品揃えの良い書店。
「うーん、聞く分には可愛いけど、印象に残ってないなあ。ネズミやらはたまに見るんだけどねえ。あ、もちろんウチじゃないよ!?」
「ネズミと一緒にしないで!」
借り出し・売買を行なっている厩舎。
「猫なんざ知るかよ、ここは厩舎だぞ? 用が無いなら帰った帰った!」
街を歩き周りへとへとの二人。ロッザの視界に一つの武器屋が入ってくる。
「ん? 武器屋か……武器を売ってるような奴が小動物に興味あるとは思えねえが、一応行ってみるか」
手を繋いだままのマーセルはこくりと頷く。淡い期待を胸に店の扉を開く。
そこにずらりと並んだ精巧な武器達が一人の戦士を出迎える。
「おお……!」
受付台を見ると鎧を着た男と若い少女が店主と話していた。ロッザ達が入ってくるのを気づいた二人はすぐに帰ってしまった。お目当ての物が無かったらしい。
「悪いね、またのお越しをっ」
ロッザはすかさず店主に話しかける。
「おっちゃん、ちょっといいか?」
店主は合間なく訪れる客に目を丸くする。
「あいよ。今日は客が多いな」
マーセルは共についてきてはいるが、壁一面の店の武器に気を取られている。
子供のマーセルにこんなところに来た経験は無く、武器を目にする機会と言えば、行き交う町の衛兵の腰にぶら下げる剣くらいのものであった。
「店にずっといる商売者に聞くのもおかしな話だが、今日の昼過ぎ、猫なんて見てねえよな?」
店主は頬杖をついて答える。
「猫ぉ? ……見たなあ」
ロッザとマーセルは瞬時にお互いの顔を見合わせる。
「いつ!? どこで!?」
前のめりに受付台に体を乗せる二人に、店主はたちまち後ろに仰け反らせる。
「と、となりの玩具屋だよ」
「隣ィ?」
ロッザが右手を向くと、店の窓から隣接したもう一件の店が見える。
「荷台に乗せた玩具の中に一匹、猫みてえなのが入ってくのを確かに見たぜ」
「早く行こう! ロッザ!」
マーセルの手に引っ張られるロッザ。その体躯からは想像も出来ない力で体を動かされ、店を出ることを余儀なくされる。
「わかったわかった! おっちゃんありがとな! これ、貰っとけ!」
そう言ってロッザは手持ち最後の所持金の入った袋をそのまま投げた。
玩具屋。木材や金属を用いて子供の喜びそうな人形やからくりを作り、販売している店。町中の子供はもちろん、町外に運び、ベントメイル本国の子供達にも笑顔を届けている大切な商いの1つだ。
「ミル!!」
マーセルが勢いよく店内に入り込む。内装は武器屋と似た部分も多く、受付台には恰幅の良い女性が座っていた。その台の上には一匹の白い猫が乗っており顔を擦り合わせている。
「ん? いらっしゃい」
女性の元へ駆け足で近寄るマーセル。ロッザもその後に続く。
「なんだいそんな形相で」
「ミル!」
マーセルの声を聞くや否やミルは台から降り、主人の胸へ飛び込む。愛猫との再会は無意識に少年の瞳を潤わせた。
「まあ、あんたの飼い猫かい?」
「おばちゃん、この猫はどうして?」ロッザが訊ねる。
女店主は腕を組み体を起こした。
「商品の中に迷い込んでるみたいだったからね、見つけた時は驚いたよ。帰り道は分からなそうだし、首輪を付けてるワケでもなかった。でもあんまりにも可愛くて人懐っこいもんだから、しばらくここで様子見てたのさ。……にしてもあんた、飼い猫なら首輪なり何か一目見てわかるようなものを着けておくべきじゃないのかね」
「ご、ごめんなさい」
ミルを抱えたまま肩を落とすマーセル。
「そんな言わんでやってくれおばちゃん。家で遊び疲れて寝てたところを逃げ出しちまったらしい」
「あらそう」
マーセルはミルを持ち上げ、瞳を見つめる。
「どうして居なくなったりしたんだよぉ……」
ミルは首を思い切り振り自分の前足を舐めている。
「これを大事そうに持ってたのよね」
女店主は受付台の下から一つの玩具を取り出す。それは、予てからマーセルが欲しいと心で思っていた棒馬であった。
「これ……!」
「なるほど、家の外に見える荷馬車からこいつが見えたからお前の為に持って帰ろうとしたわけか……。それ、欲しがってたのか?」
マーセルはゆっくりと首を縦に振る。
「欲しかった……けど、誰にも言ってない……」
ロッザはマーセルの頭に手を置き髪を掻き乱す。その間、ミルはとても満足気な表情をしているように見えた。
(周りに悟られないようちらちらと見ることが多かったんだろうが、これだけ懐いてるミルが、マーセルが意識を度々持っていかれる様子を見落とすわけがない。“棒馬一つに心を奪われ、それすらも家族に言えない”。それほど追い込まれていたのか……いや、共働きの両親を遠慮してのことだろうな。それが余計にミルに心配をかけることになったのか)
「分かるもんなんだよ、一緒に居る時間の長いヤツってのは。よかったな、マーセル」
マーセルはもう一度ミルを強く抱きしめ、はしゃいでいる。
「……あいつ、両親がほとんど家に居なくて遊び相手や面倒を見てくれるのがあの猫だけだったんだと。ああ見えて老猫だぜ」
「んー……商売第一のこの町じゃあんまり珍しいことじゃないけど、あの子は特にって感じなのかね。……それ! 持ってっていいよ! まけたげる!」
気前の良い言葉にマーセルは大喜びの様子だった。
「そんな。いいのか? 代金どころか、猫の面倒を見てくれてた謝礼も払いてえくらいだ」
ロッザは腰の違和感に気づく。先程、有り金全て渡してしまったことを忘れていたのだ。
「! わ、悪い。持ち合わせが無え……」
顔を青くするロッザを見て甲高い声で腹を叩く女店主。
「気にしなさんな! 子供の笑顔は、そんなちゃちなこと帳消しにするってもんだろ?」
太っ腹な女性だ。ロッザは一目見た時からそう思っていた。
「おばちゃんっ……この店、贔屓するよう言っておくぜ」
「そりゃあ、ありがたい。お国の騎士様の力添えなら繁盛が約束されたも同然だっ」
こうしてお騒がせな少年と猫はめでたく再会を果たし、ロッザの休憩時間は終わりを迎えた。
すっかり日が暮れて闇夜が顔を覗かせる。
「マーセル。もう目を離すんじゃないぞ。そして何よりミル。お前もご主人様の為に無理をしても、はぐれたら元も子もないぞ」
マーセルを家に送り届けたロッザ。あと少しで両親も帰ってくるという。ミルを見つけた以上、いつまでもここに居るわけにはいかない。いち早く宿に行き、明日に備える。
明日は夜明けとともに出発する。グランマルリアからウォンドオまでは大きな障害物も無く、平坦な道が続く。警戒を怠らなければ夜襲にも対応出来るため、残り二日は休まずに進むことになっている。
「ロッザ……お仕事頑張ってね」
ミルもか細くも可愛らしい声で同調する。
「ふっ、その棒馬も大事にしろよ?」
騎士の本懐は攻め・守り。つまり血生臭い戦いの世界。だがその少年マーセルは、どんな人間にも分け隔てなく接し、一人の子供にだって全力で力を貸してくれる、そんな等身大の騎士の姿に大きな衝撃を受けた。
一人の男の背中は、少年の生涯に色濃く残ることとなる。
まだ薄暗い中、カタストロフ騎士団の面々は整列し、町を背に東を見つめる。
「残り二日、このまま突っ走るぞー!」
ロッザの一言を皮切りに、国の尊厳を一身に背負った男達は、隣国ウォンドオへ向けて一斉に歩を進め始める。