4節.水面下
時は竜暦九百二十三年。
今まさに、ボンダート城は攻め入られている真最中であった。
攻めるはベントメイルから北西に位置する国、キリフェーレ。互いの兵が血を流しながらひしめき合っている。だが、ボンダートの兵は歴戦の猛者。血の気の多いキリフェーレの兵にも臆さず堅実に守りを固める。戦いは平行線を維持していた。
ボンダートは鉱石が良く採れ、採石場としての土地の価値があった。国に属すことを望まず、己が領民だけで戦ってきた。
実力は高く、幾度も守り抜いた城は、いつしか“難攻不落”と言われるまでになった。この日も、力も無く目先の欲だけで土地を貪る輩を追い返すつもりでいた。
その筈だった。
どこからともなく聞こえる風切り音。しかし、馬の駆ける音は無く、人の影も見えず、地平線上にそれらしき音の主を見つけることは出来ずにいた。
「……?」
先遣隊の隊長が辺りを見回す。すると、上空から音が聞こえ、途端に視界が暗くなる。それはまるで、大きい日陰に入ったようだった。
降り注ぐ巨体に先遣隊隊長を含めた数人が潰される。その衝撃に地面はひび割れ、軽い地震のような振動が起こる。圧死。あまりの状況に理解が追いつかなかった。だが、敵は思考を待ってはくれない。
人二人分ほどはある大きさと迫力。全身の奇妙な覇気を感じさせる鎧は、各所に角や棘の意匠が散りばめられており、頭部のその兜はまさに鬼のようだった。
「はっはっはっ! もう我慢ならねえ……遊ばせろよォ?」
「リューヌル様が来たぞおおおおおお!!」「お前らもう終わりだァ! 充分気持ちよくなれたろ!?」
リューヌルの猛攻。まるで埃を払うかのように、紙でも破くように、ぼろ雑巾のように”人が殺されていく”。
「なんだ、なんなんだ! あの化け物は!」
剣や槍は鎧に通らず、矢は振り払う手の風圧に薙ぎ払われる。続いて投石。人に向けることはあれど、”個”を狙うことなど、そうは無い。容赦なくリューヌルを狙い、岩を放ち続ける。
その岩を片手で弾く。拳で砕く。受け止め体を回転させ、威力をそのままに城に返す。
すでに被害は甚大であった。奥の手のである八つの車輪をつけた破城槌を突撃させる。“城を守る自分達が”使うことになるとは思ってもいなかった代物だ。これなら一矢報いるやも、そう信じた。
兵達が全力でぶつけるも、片手で止められる。
「はあ〜ァ……こんなモンかよ! 難攻不落の要塞ってのはァ!!」
ボンダートの兵達がいくら力を入れてもびくともしない。リューヌルは破城槌を上から思い切り下方向に殴りつける。一瞬にして損壊、兵達もちりぢりに吹き飛ばされた。
ボンダートの兵の、すでに半数以上が戦意を失っていた。
「ん……つまんなかったな」
リューヌルは思い切りしゃがみ、力いっぱいの跳躍をする。その高さは城の門をゆうに超え、指揮を取っていた城主であるタンデムの前に着地する。
「あ……あっ……」
「悪いな。この城、貰うぜ」
タンデムは腰の剣を抜き構える。鋒は震えているが、戦意の灯は消えていない。
「これが……骨董品の力か……。し、小国ごときが、ほんの数ヶ月で勢いづいたからと、調子に乗るなよ……! 我々は誉れ高き戦士、最後まで屈さぬ!」
「あっそ」
リューヌルの拳とタンデムの剣が交わる。
「ボンダート、陥落ゥゥゥゥゥゥ!!」
リューヌルの掲げた拳と共に、勝鬨が瞬時に伝わり響く。
「リューヌル様万歳!」「リューヌル様万歳!」「リューヌル様万歳!」
一方、ベントメイルでは、王の暗殺に関しての話し合いが行われていた。
王、カラッソ、騎士団の面々。そして、あろうことか暗殺者本人であるリシアもその場にいた。無論、両の手は縛られている。
「九頭龍すらもウォンドオの仕業だと来たか……」
カラッソは予期せぬ事態に頭を悩ませている。
「次なる手は無いとはいえ、安心出来るわけがない。そもそも、こいつを生かしておくなんて正気か? ロッザ」シールズは冷たい瞳でリシアを見つめる。
ばつの悪い表情のまま目を背けるリシア。
「だってよォ、こいつ本国に返したらすぐに殺されちまうんだぞ? だったらウォンドオを知る為にも情報を引き出した方がいい」
「充分に引き出してから殺す、というわけか?」
ロッザはにやりと笑い指を鳴らす。
「ちっちっち。考えが固いなあシールズ君。彼女に忠誠心は無く、情報を持っている上に実力もある。………“うちの団に入れる”」
どよめきが起こる。リシアですら聞いていない内容だった。流石のタンクスも奔放すぎる提案に、眉間に手を当てる。
「冗談、じゃあないよな」
「おうよ! 丁度新団員も入れるそうじゃねえか、一緒だろ。それに、……べっぴんだし!」
モスケットとグーマンドは思わず笑っていた。
「旦那らしいや」「うむ」
心配からか、カラッソは王の方を向く。
「陛下。このような不遜なる申し出、誠に申し訳ございませんっ。きつく言い聞かせておきますっ」
ロッザはカラッソに対し不満気な態度を示す。
「カラッソさん、俺本気だぜ?」
「やめい、馬鹿者。いいか? この不届き者は国民の前で処刑せねばならん」
「まだ内々の俺らしか知らないんだろう? ならここで止められるだろ。ほら、戦力増強にもなるし、脳筋の俺らに暗殺の繊細な技術は刺激になるぞ〜?」
カラッソとロッザの言い合いの中、王が口を開く。
「——よい——」
ぴたりと二人の口が止まる。
「今、なんと?」
「ロッザ、お前の好きにするがよい。此奴の働きによって、当方は傷一つ負っておらぬ。何を咎める必要があろうか」
「いやしかし……」
「構わぬ。それより、今話し合うはウォンドオとのことである」
ロッザはリシアに小さくピースしてみせる。
「和平を結んだ後に魔獣を仕向け、重ねて暗殺を謀るとは何たることか。目をぎらつかせた他国の仕業にしたいのだろうが、この女を使ったのが間違いだったな」
王の淡々とした声が響く。タンクスが手を上げ進言する。
「魔獣の一件に関してはロッザとモスケットが大方予想していたことでした。……女。リシアと言ったか? ウォンドオは如何にして魔獣をウチに?」
リシアはロッザの目を見て頷いた後、情報を話し始める。
「……単に、“魔物や魔獣を操って向かわせた”だけよ」
信じ難い話だった。
「どうやって? そんなことが出来るのか? まさか追い込み漁のような形でやったわけじゃあないだろう」
タンクスが笑い半分で訊く。
「言葉の通り、生き物を操る術を持った者がいるのよ。ふざけた男でね、ここだけの話、余所者なのよ。突然現れたと思ったらウォンドオに自分を売り込み、力を貸し始めた。正直怪しさ満点だけど、そいつの利用価値の高さはホンモノ」
またも現れる悩みの種。いくつも浮上する問題の数々。ロッザは面倒そうに頭を掻いた。
「っつーことは……やっぱり奴さん、“ヤる気”ってこったろ?」
「やはり姿を見せただけじゃ駄目か……」
タンクスは思い通りに行かない情勢に歯軋りをする。ようやく自分達が長年の小競り合いの一つに終止符を打ったと思ったらこれだ。血を流さずに事を収束させることが出来たと喜んだばかりであったのに。
「それが通用するようなのは弱小国くらいのものだったか。長年争っているだけはある。………舐められているな。まあ、とうとうあちらから大きな火種を撒いたんだ、迎え撃ってやろう」
カラッソの血の気の多い発言にタンクスは動揺する。
「そんなっ」
王が言葉を挟む様子はない。
「もちろん、これだけのことが起きたんだ。前回の遠征のように騎士団全員を向かわせることは出来ない。最低限は国に残ってもらう必要がある。女。ここへはどうやって来た? 我々の整備ルートを知っているならともかく、魔物の山々をくぐり抜けて来たようには見えんが」
リシアは聞きしれない情報に僅かに驚いた顔を見せつつも、冷静に返答する。
「例の魔獣使いに付き添って貰ったのよ」
「何ィ!? おいおい、ならベントメイルまでそいつも来てたってことかよ!」動揺するロッザ。
「私を送り届けてからはすぐに帰ったわ」
信用は出来るのであろうが、魔獣使いの男への警戒は必然と高まる。
「……よし。シールズは国に残り、守りに徹せよ。タンクス・ロッザ・グーマンド・モスケットはウォンドオに迎え。……女もな」カラッソの判断は速かった。
「……なるだけ、血は流さない方法を取らせてもらいますよ。殺すのはいいですが、戦になることは避けたい」タンクスはカラッソに小声でそう伝える。
「あの国の出方次第だ。あちらが最後まで戦うつもりなら、“相応の手段”で対処しろ」
「……」
その無言は承諾を意味していた。
「バルド、ヘッダ、オースーは貰うぞ。最低限そのくらいの面子は欲しい。俺一人では心細いからな」
シールズはタンクスのグラスに酒を注いでいる。
「ああ。そっちも大変だろうが、こっちも必ず吉報を持ち帰る。こんなふざけた状況、一人だって団員を減らしはしないさ」
カタストロフ騎士団会議室。タンクスの表情は依然、疲れが残ったままだ。
「魔獣使いとやらがどれだけ喧嘩っ早いかにもよるが、もし”そう”なったらかなり大変だな」
ロッザの言葉は四人に重くのしかかった。
「……あのウォンドオの王が、ここまで強きで危険な手段に出たのは独断とは考えにくい。その男とやらに唆されたのだろうな」
タンクスは立ち上がりグラスを掲げる。
「出立は二日後! ウォンドオとの交渉は、シンプルな方法で行く!」
翌日早朝からカタストロフ騎士団の半数以上が揃っていた。
城内中庭。目の前には十六人の新兵。四人は怖気付いて逃げてしまったらしい。無理もない、入った初日から訓練、翌日にはウォンドオへ行く可能性があると伝えてあるのだから。
「整列!」
教官の役割を務めるのは副団長であるロッザ。……のはずなのだが、彼は職務放棄し、タンクスが指導するのを横から眺めている。
「ふあぁ〜」
「そこ! 欠伸など退団処分を受けたいのか!」
新兵の不安気な視線とタンクスの眼光がロッザに刺さる。
「ふぁい、すいまふぇん」
(あんのクソ野郎……後でしばき倒してやる)
「ん、こほんっ」
タンクスは改めて新兵に向かい直す。
「今、情勢は目まぐるしく変化している。君達は”死なずの兵団”などと持ち上げられている我々に希望や期待をこめて、声を上げ志願したのであろうが、この団に入ったからとて生き残れるわけではない! 私は極力落とすようなことはしないが、自らの力に自信の無い者は即刻立ち去ることを勧める。戦場では常に仲間が助けてくれはしない! 自分だけが自分を守り抜ける! ……以上、それでも考えの変わらない者は残れ」
実技として木剣を用いての素振り、型、手合わせ。他にもシンプルな身体的能力、鎧を来たままどこまで動けるかなどを幹部の指導の元テストしていく。騎士団団員達は久しぶりにと同じ練習をする者もいれば、傍にて座り談笑に耽る者もいた。
「一! 二! 一! 二!」
(逃げ出す者は居ない、か。その気ならここに来るまでも無く辞退しているということか)
タンクスは厳しい目で一人一人を観察する。同じくモスケットも中庭での練習組を見ていた。そしてタンクスの元へ近寄る。
「いやぁ〜、皆キラキラしてますねえ。活気に満ち溢れてますよ」
「人を殺したことも無ければ仲間を殺されたことも無い者達だ。今回の件で考え直すようなことがあればいつでも退団は受け入れたいと思っている」
「お優しいことで」
タンクスは魔獣・九頭龍と戦って以来、敵国及び自然の脅威の強さを認識し直した。これに加え、魔獣をもものともしない五賢者の骨董品。所持しているキリフェーレなどが攻めて来た場合、こちらの打つ手はあるのだろうか。
グーマンドとシールズは一通りの身体能力を見た八人に、城の周りを走らせていた。もちろん、鎧を来た状態で。
息も絶え絶え、昏倒しかねない新兵達。対して二人は馬上でゆっくりと後を追う。
「速さはどうだっていい。最後まで走り抜け。どんなに遅くても、蟻ほどの速度でも、前に進むのだ」
「はい!!」
気の良い返事が響き渡る。もはや声の出ていないような者もいたが、返事をしようという気概はあった。
「よほどこの団に入りたいのだろうな」
シールズには新兵達の熱量は分かりかねるものがあった。その顔を見てグーマンドがくすりと笑う。
「若い頃は武勲を夢見るもの。こんな時だからこそ、元気のある将来有望な戦士達の力が必要なのだ。懸命なのは大いに結構」
「そういうものか」
二人は新兵の背を見て昔の自分を重ねる。
「もうすぐで水をやる! 残り僅か、最後まで振り絞れ!」
シールズの檄に、新兵は己の棒のようになった脚をひたすらに前へと動かした。
遠巻きに新兵を見るのにも飽きのきたロッザは、中庭の端で低い石の塀の上に腕を組み寝転がっている。
小休憩を許された新兵。その中の一人がロッザの元へ駆け寄る。
「?」
新兵は勢いよく止まり、気を付けの姿勢をとる。
「俺、マルコっていいます! ロッザ副団長! もしお時間あればご指導お願いします!」
あからさまに嫌そうな顔をするロッザ。
(なんて熱量の奴が来たもんだ……)
マルコはキラキラと輝いた瞳でロッザを見つめている。額から流れる汗は宝石のように煌めいていた。
「いやいや俺よかタンクスに」
「団長は先程まで全体の指導をされていました!」
次はお前だと言わんばかりの圧力。この小休憩の間にも練習。生真面目すぎるのが見て取れる。
「俺、ガキの頃から、タンクス団長ロッザ副団長のお二人の活躍を聞いて、騎士に憧れたんです!」
「ん? ってお前、何歳だよ」
「十八になります!」
年齢に衝撃を受けるロッザ。
「わっか……! 俺ももうおっさんになるのかあ」
戦場ばかり女性ばかりを追いかけていたロッザ。故に、若い青年などと接する機会は多くは無かった。あったとしても、歳を聞くようなことにはならない。
「おいくつなんですか?」
「二十六くらいだ」
「くらい?」
「大体だよ! 細けえこたあ覚えてねえよ!」
ふと目をやると、他の団員はくたくたになり、水分補給やら息を整え横になるので精一杯なようだ。
「……休憩はしっかり休めよ」
汗だくのマルコに助言する。なんだか顔も青白くなっているように見える。
「平気です」
「自分で判断するな。時間になったら休憩すんだよ。体からの危険信号をしっかりと受け取れる奴は少ねえ。だから定期的に必ず休んだり栄養を取る時間を設けるんだよ。……命は一つだ。”死んだら助かんねえぞ”」
ロッザの真剣な眼差しに思わず気圧されるマルコ。
「……俺みたいな凡才は、努力がものを言います。他と同じじゃ駄目なんです。他と同じ努力をして、疲れて、多少の成果が見えるくらいで満足していちゃあ駄目なんです! 貴方達のような英雄になる為には……!」
この年齢にしては余程の研鑽を積んできたのだろう。それが嘘でないことは分かる。
「英雄ってお前……そりゃあ、かの五賢者様くらいのモンだろ」
ロッザが鼻で笑う。
「“俺にとっては貴方達です”」
アダムズの語気に考え込むロッザ。
「……あと、十分くらいのもんか」
塀から身を乗り出し、マルコの横を通り過ぎる。意を読み乗れないマルコ。振り返り剣を抜くロッザ。
「いいぜっ。———”真剣”指導だ」