3節.刺客
「おらぁっ!」「ほいっ!」「でええぇい!」
次から次へと降り注ぐ木剣の雨。副団長であるロッザに向かって複数人で切り掛かっている。卑怯などではない。この数で、全力で相手することこそ、カタストロフ騎士団のロッザに対しての礼儀なのだ。
一本の、木剣とは言い難い木の棒で多対一を難無くこなすロッザ。
「ほれほれ、足元がお留守だぞ?」
内一人の脛に棒を当て、一気に体勢を崩す。その一つの綻びから、瞬く間に全員がロッザからのきつい一撃をもらうこととなった。
タンクスは、宰相であり実質的なこの国のブレーンであるカラッソと城の書室にて言葉を交わしていた。
「増員!? また勝手な真似をして……っ」
「この国は成長の歩みを止めてはならん。仕方なかろう。なに、徴兵ではなく志願制なのだ。問題はないだろう? ほんの二十人くらいのものだよ」
カラッソはタンクスに無断でカタストロフ騎士団に新しい団員の募集をかけていた。遠征中にすでに書類や対面での審査は終えてあるという。タンクスは、あまりいい顔はしなかった。
「戦果に不服でもおありですか? 正直、若者を戦場に駆り出すのは気が引けるんです……。それこそ“無駄死に”しかねませんよ。我らで事足ります」
カラッソは喉を鳴らし、声を整える。
「何を言っている。不服があろうか。お前達は無敵の”死なずの兵団”だろう? ただし、今のままでは他国の脅威、特にキリフェーレの骨董品には太刀打ち出来るか危うい。なればこそ、僅かでも戦力の増強が必要なのだ」
死なずの兵団。カタストロフ騎士団がそう呼ばれ持ち上げられてからもう随分が経つ。
「死なずの兵団なんて……。ただほんの少しだけ、他より戦死率が低いだけですよ。そんなに胸を張れたものじゃあありません」
「嘘こけ、仕事が面倒なだけだろうこの自信家が」
「ちっ」
タンクスの三文芝居も長年の付き合いであるカラッソには通じない。
「まあ、人望もあり、新人育成を任せられると信じてのことだ。思い切り鍛え上げてくれ。タンクス”団長殿”」
「それで音を上げなければいいですが。素人を一手に引き受けるこっちの身にもなって下さいよ? カラッソ宰相閣下」
幹部が集まるカタストロフ騎士団の為に設けられた城内の会議室。そこは有事の際以外にも、暇を持て余す場所として好んで使われていた。
団長と副団長を除く三人はここに常駐することが多かった。遠征後ということもあり、騎士団全員が丸一日の休みを与えられている。モスケットは書室から運んできた本を読み漁っていた。グーマンドは斧の手入れ。シールズは基本的に戦場以外では眠りについていることが多く、この日も睡眠を取り続けていた。
読書がひと段落つき、眼鏡を取るモスケット。
「ふーっ」
二人は各々の時間を過ごしている。
「……九頭龍は半水生だって言いましたよね?」
静かな時間の流れる一室。モスケットの言葉はよく響いた。
グーマンドは斧を触ったまま。だが、意識はこちらに向けているのが分かる。
「今回遠征に行ったウォンドオは漁業が盛んで海に面している国です」
含みを持たせる言い方をするモスケット。
「考え過ぎではないか? こんなときでもお勉強か」
モスケットは読み終えた本に目を配る。「ん? ああ、これは違いますよ。ただ、ふと気になっただけです」
ウォンドオとの和平は締結した。そんな中で魔獣を差し向けるなどと愚かなことをするだろうか。
「第一、もうウォンドオとは片が付いただろう」
ふとモスケットが窓の方に目を向ける。窓枠にもたれ掛かっていたシールズが人知れず片目を開いていた。
「おおっ。起きてたんですかい、シールズの旦那」
「……我らの国と奴らの面している海は反対方向の筈だ。水辺にいるならウォンドオ本土を横断する必要があるだろう。それとも、魔獣をうまく操作する技術でもあるというのか?」
シールズの尤もな意見に頭を悩ませる。
「……そう、なりますかね。お二人にも聞いてみますか……」
ロッザは団員と共に街を歩いていた。街からは英雄への賛美の声が止まらない。
「ロッザ副団長〜! 一杯どうだい?」「また腕上げたんでねえか?」「和平をありがとう〜!」「カタストロフ騎士団万歳!」
満更でもない様子のロッザ。顔の緩みはいつものことだ。後ろの団員達も陽気に手を振り返している。
黄色い声が聞こえた。ロッザはすぐさま声のした方向に目を向ける。その先には若い女性が何人も集まっていた。
(女……!)
ロッザは女好きだった。こうして何か事を成した時は、決まって朝帰りをする。
(可愛い子がわんさかいる。この通りはあんまし来ないが、新しい“狩場”に最適だな)
「お前ら……どっかでテキトーに飲んどけ」
ロッザは女性達の方を向きながら団員にそう伝える。
「え〜!? 一人でお楽しみですかァ? 俺達も混ぜてくださいよォ」
「だァ〜っ!! しっしっ!」
あの女性達は皆俺のものだと言わんばかりだ。
「独り占めだー!」「横暴だー!」
団員からの不満が飛び交う。こんな風景も、また日常の内の一つであった。
それから七日が経った。
ロッザ達、カタストロフ騎士団にも安息の日々が訪れ、すっかり気の抜けた生活を送っていた。飲み、剣を交え、また飲む。そして時たま街へ繰り出す。城の守備は朝晩の交代制ゆえに仕事外はこうして過ごす者が大半であった。
日が沈み、日中勤務の人間と替わり、警備に努める。ロッザは王の寝室を護衛していた。
「ふあぁ〜」
大きな欠伸をするロッザ。休みとは言えど、連日剣の手合わせを頼まれ、毎日のように飲み、毎日のように女性と遊んでいれば、疲れが取れぬのも無理はない。
(九頭龍……。俺とモスケットの考えが杞憂であればいいんだが……)
このベントメイル城内、王の寝室の出入り口は入り口大扉の1つしか存在しない。通気口なども人の入るようなスペースはもちろん無く、警備もロッザただ一人だけである。
(細かいことを考えるのはタンクス、あいつに任せればいいか。明日も綺麗な子と出会えるといいな。この間の九地区のエマちゃんは嫉妬深い性格してたからなあ、用心しないと)
ロッザが別のことに呆けている中、前方からの人の気配を感じ取った。
同じ団員なら感覚で分かる。王族や関係者、城内の使用人ならば……血の匂いがするのはおかしい。
そもそもこんな時間帯、深夜に出歩く理由が無い。
「……誰だ?」
暗がりの中、蝋燭の灯りに照らされ、足元から徐々にその姿が露になっていく。
「なんとか厳重な城の警備を掻い潜って来たけど、肝心の王の居所は騎士さんたった一人だけ? ここ以外にこっそり入れる所は全く無かった。それでも守りがあなた一人なら安心した。……すぐに仕事も終わりそう」
そこには、黒と金の透けたドレスを着た妖艶な女性が立っていた。
「女……」
傍に差した短剣を引き抜く女。
「降参するなら生かしてあげてもいいわよ? まあ、余計なおしゃべりをしないように口はきけなくさせてもらうけれど」
女の提案をロッザは簡単に断る。
「女の暗殺者か。女ならもっと別の方法で侵入したり、王に近づいたり出来た筈だろ。あんた、美人だし」
「あら嬉しい」
ロッザは左の剣を抜き、話を続ける。
「それでも暗殺者として、それも一人で派遣されるなんてよっぽど信用されてるか、“不測の事態にも対応出来るくらい、腕が立つか”」
お互いの間に沈黙が流れる。
先にそれを破ったのは女の方だった。短剣を巧みに使い、ロッザに激しく斬りかかる。暗がりの闇夜の中、蝋燭の灯りよりも強く、火花が周りを照らす。
(これはっ、中々……!)
あまりの突進力に防戦一方になるロッザ。
「ほらほらどうしたの!? 王様の警備なら、私を殺してみなさいよっ! 女だから手加減してるの? それとも、それが全力!?」
女の短剣はロッザの頬を掠める。二人のあいだに距離が出来る。ロッザの左頬からゆっくりと一本の線が現れ赤い血を滴らせる。
流れた血を舌で舐めとるロッザ。腰の鞘に手を当て、剣を下ろし深呼吸する。閉じた目を開き剣を起こす。
「久々にヒヤヒヤした。……あんた、強いよ」
女は短剣を前方に。もう片方の手も同じくそうする。低く構えたその体勢は防御など考えていない、”ここで決める”つもりの攻撃。女の強い踏み込み。が、先程とは打って変わって“ロッザも同時に前に出る”。
「!?」
お互いの推進力を乗せた激しい剣戟。急所を容赦なく狙う女の剣に対し、狙う所全てが急所だと言わんばかりのロッザの多方向の攻撃。
剣の嵐が止んだのは、女の短剣が宙を舞ってからであった。
尻餅をついた女の首元にロッザは剣を突きつける。
「!」
ロッザは冷たい瞳で女を見下す。
「……ここまでね。安心なさい、増援は来ないわ」
女の口元が僅かに動く。それをロッザは見逃さなかった。
女の口の中に剣を入れる。傷をつけることなく、女の上の歯と下の歯の間に剣が挟まり口を動かせずにいた。
「自決なんてさせない」
ロッザは口を開けるように身振りをする。観念した女は口を大きく開け、口の奥に仕込んだ小指程の大きさの袋を取り出す。唾液に濡れたその小袋の中には毒の粉末が入っていた。
「いいか? どれだけ虐げられても、誰にぞんざいに扱われても! 自分だけは自分を大切にしなくちゃならねえ……! 簡単に命を捨てる選択をするな……!」
自分の命を軽んじている行為にロッザは怒りを露わにした。初めての理由の叱責に女は呆気に取られる。
「……ウォンドオ、でいいんだよな」
女は落ちた短剣を取る様子もなく、正直に答える。
「プロは失敗したときも想定しておくものよ。今回、ベントメイルの王を殺せれば万々歳、そして一気に攻め入る。……つもりではあったけど、失敗すればそれまで。その程度の考えよ。大丈夫、和平を反故にしたりはしないわ」
「九頭龍もお前らの国の仕業か?」
「……ええ」
もはや情報を吐くのに躊躇う様子はない。
「はあ、詳しいことは後から聞くが、どうして死のうとした? 命令か?」
「国に迷惑はかけられない。これが私の忠義」
そう言って目線を外した女の瞳孔は小刻みに揺れていた。それを見逃すロッザではない。
「……違うな。自分でも分かってないのか? あんた震えてるぜ」
「っっ! おめおめと戻っても殺されるだけよ。
なら、ここであなたに殺される方がマシ」
ロッザは剣を納め、しゃがみ込み、女に目線を合わせる。
「なら“ここに残れよ”。顔の良い女は大歓迎だぜ? もちろん尋問もするけどな」
笑顔で微笑みかける相手の騎士に対して動揺を隠せない。
「冗談でしょ?」
「まさか」
自国の王を暗殺しに来た女を、護衛が生かすなんて。聞いたこともない。
女は目の前の男が、自分が今まで出会ってきた人間とは何かが違うことを本能的に感じていた。
「……結局、あなたは腰の二本目を抜くことは無かったわね。女に本気は出せない?」
ロッザは拾った短剣を女の腰の鞘に戻す。
「あー……それもあるが、単にあんたが俺の全力を引き出せなかっただけだ。ただ、あんたレベルの使い手とやるのは久しぶりだったからな。少し、手こずった」
立ち上がり、女に向けて手を差し出す。
「名を聞いてなかったな」
女はロッザの手を取り、体を委ね、立ち上がる。
「リシア。ウォンドオが暗殺者、リシアよ」