23節.山猿
あれから落ち着かない。
サンムの心は揺れ動いていた。マルコはそのまま行方が分からなくなり、手配書を出された。依然、情報は無い。
雑踏でごった返す街の中。
見た目は特に統一した鎧を来ているわけでも無いカタストロフ騎士団。入ったことをどこで聞き及んだのか、行き交う皆が好意的な顔を見せ、声をかけてくる。頼んでもいないのに売り物のお裾すそ分けなどと。笑顔で満ち溢れているこの国に、不安の影を落としているのは、この自分なのに。
目的も無く歩いていると、上から自分を呼ぶ声が聞こえる。
「おーい!」
声の主は、旧友の副団長であった。
「ここ、いいだろ?」
大型の酒屋。三階建てのバルコニーにて二人は酒を飲み交わす。
「一望、ってわけにはいかないが、中々に良い眺めなんだ。名スポットなんだぜ」
ロッザの言う通り、街の平坦な部分ならある程度見通せるこの場所は、とても良いものであった。
街の喜怒哀楽を一目で眺めることが出来る。普段戦いに身を置いてる人間には見落としがちな光景だと思った。殺伐とした中で、視野は狭まり、視線は下を向いていたかもしれない。
だがロッザは気づいた。この素晴らしい光景に目を向けることが出来ていたのだ。
(これが、俺とこいつの違い、か……)
戦士でありながら、道端の幸せに気づける。そんな男なんだろう。彼は。
「……一つ聞いていいか?」
サンムはロッザにそう訊ねる。
「ん? お、分かったぞ。やっぱり短槍から長槍に戻すんだ! お前より上の使い手なんて想像出来ないもんな〜!」
「……茶化すなよ」
微笑み、呟くサンム。
「……おう」
いつものお調子者の空気では無かった。
「お前はさ、今のこの国について、どう思う?」
突然核心をついてくるかのような質問。暫し考え、ロッザは淡々と答えた。
「随分雑な質問だな。……“どう思う”の定義が良く分からねえが、俺は好きだぜ。この国。国民性も好きだし、治安も良い。王様は優秀だし、何より仲間がいる。いや、家族かな」
国に何の疑問も抱いていないのだろうか。いや、それよりもこれはそれを踏まえた上で尚、この国を愛している顔だ。
「難しいことを考えてるんだな。悩み事か?」軽口で笑い飛ばすロッザ。
予想とは裏腹に、黙ったままのサンムに調子を狂わされる。
「タンクスも、同じことを言うんだろうな……」
寂しげな表情でそう呟くサンムを見兼ねてロッザが口を開く。
「お前は豪快で気持ちの良い奴だけどさ、意外と気を遣い過ぎるところがある。例えば、自分の疲れより場の盛り上がりを優先したりさ。自分で気づいてるかは知らねえがな。……自分の本当にやりたい事をやれよ。何か迷ってることや引っかかってることがあるなら、それは本当にやりたい事じゃねえ。本当にやりたい事をやってる時の自分ってのは“無敵”なんだぜ」
どうしようもなく眩しく見えた。並べられた言葉にはまさに一切の迷いが無く、心からの考えだと理解出来た。
見知った友人の顔はそこには無く、自分よりも遥かに成長した一人の男が立っていた。幾度も死線を乗り越えた。それはお互い同じ筈。なのに何故こうも、違ってしまったのか。
ロッザは何も言わず、追加注文した酒をサンムの前に差し出す。
「酔え」
「は?」
突拍子も無い発言に思わず面を食らうサンム。ロッザはそのまま器をぐいと押し付ける。
「酔った後ってのは本心が出るだろ? 酔いに酔って、その後、最後まで頭ん中に残ってるモンが、お前の心からのやりたい事ってヤツだ」
阿呆らしい。そう一蹴することが出来る意見でも、一介の騎士が言葉にするとそれなりの説得力が出る。何より、ロッザを知っている自分が一番納得出来る。
言われるがまま、酒を一気飲みする。
「んっんっ……ぷはあっ!」
いつもと同じ酒の筈なのに、やけに“強く”感じた。
(酒で自分に気づかされるなんて、いい大人として恥ずかしいな。ましてや年下にこうも諭されるなど)
「ついでだ、後もう一つ。……お前は、あれからどうやって今の地位に?」
ロッザは表情をやや強張らせた後、静かに語り始めた。
「……少し長くなるぞ」
「おちおちムースカジの骨董品も調べられん……!」
カラッソの不満を漏らす声が城内に響いていた。
翌日。サンムは騎士団の面々に会った。
タンクスに会った。ロッザに会った。
グーマンドに会った。モスケットに会った。シールズにあった。
バルドに会った。ヘッダに会った。オースーに会った。バミューダに会った。トンディに会った。団の全員に会った。
カラッソを始めとする、城内の人間にも、なるだけ多くに会った。
騎士も、貴族も、役人も、平民も、皆が“前を向いていた”。素晴らしい国だと思った。
その中で、自分は違った。そして、あの教団の彼らも違った。だから志を認め、手を貸した。
間違いだった。
今は、はっきり分かる。リシアやロッザの言葉に感化されたのか。
傭兵。こんな仕事をしているからか、気分が優れないのが普通だと思っていた。自分の生の為に、人を殺す生業。死ぬまで、この心の曇りは晴れないと思っていた。
羨ましかった。
久しぶりに会った二人の旧友は、あの頃とは違い、いい顔をしていた。自分が泥水を啜っていた時も、楽しく華々しい日々を送っていたに違いない。
でも真実は違った。自分と同じ、いやそれよりも遥かに辛い思いを乗り越えていた。
イーセンで生まれ、ベントメイルへ。そこで二人に出会った。別れた後は、再びイーセンに戻って傭兵を始めた。取り柄は腕っ節だけだった。これしか知らなかったから。故に、人を斬った。
恐らく、死ぬまでこの仕事で食っていくのだろうと思っていた。大きな不自由も無かったからだ。だが、こうしてベントメイルに戻って分かった。自分の人生を豊かに出来るのは自分だけだと。判断を誤れば、“それなりの人生”で終わってしまう。それどころか、一つの判断ミスが、今のような大きな過ちになることも。
考えた。胸を張れる人生を。
考えた。自分が生きた証を残せるかを。
何度も何度も考えた。友に恥じぬ男であれるかを。
ならば、やるべき事は一つ。
槍を———手に取れ。
深夜。マールーテン教団は準備を整え、教会を出た。
理念に賛同した同胞を従え、一級品の武器を手に、ボルツァリオン王城へと向かう。人目のつかない裏路地から城へ通ずる広場へ。
イクシオを先頭にした一団はその歩みを止める。何故ならば、目の前に立ちはだかる一人の影が見えたからだ。
「ん? なんだ?」
フードで顔を隠した黒衣のマントに身を包んだ男。
「邪魔だぞ、そこをどけ」
教団の一人、リオットが言う。影は黙ったままだった。意に介さないように歩を進める。が、それを遮るように影は右手を横に広げた。
「殺されたいのか? 尊い“同志”よ。国民は皆、我々の同志。だが邪魔をするなら別だぞ?」
リオットは睨みを効かせる。不審に感じるイクシオはそのまま動きを止め、全員の歩みを制していた。影がゆっくりとフードを取る。
「サンム……! 何の真似です……?」
「この状況で言葉が必要なのかい?」
イクシオ達を煽るように嘲るサンム。
「……裏切る気ですか」
ざわつく同胞達。イクシオはサンムとの対話を試みる。
「気が変わってね」
「我々の悲願がわかる筈でしょう! あなたは“奴等”に阿らぬ人間だと信用していたのですよ!?」
反論の余地は無い。賛同し、手を貸したのも事実。彼らの言い分は尤もだった。
「……済まない。だから、俺のことは俺でケジメをつける。俺より後ろに行きたい奴は、俺を殺していけ」
サンムの意思は固く、退くような様子は見られなかった。ゆっくりと短槍を露わにする。
「殺すなどと大仰な言葉を口にして……そんな大それたこと、貴方には出来ないっ。それこそ、我々を止めるのは死者を出したくないからなんでしょう? ならば矛盾している」
はっ、と笑うサンム。
「俺は傭兵だぞ? 憎まれ役には慣れてる。……お前らの行うことで生じる不利益の大きい方についた。ただそれだけのことだ」
もはや論争は意味を為さないだろう。
「……喪に服した山猿め……。いくら貴方とて、我ら五十人を相手にするつもりですか? それに我らの“力”は知っていましょう」
強い輝きを放つ剣を月光に翳すイクシオ。
「お前らがいくら優れた武器を持っていようと、カタストロフ騎士団の精鋭二十人を相手するよりはマシだ。それと、人間てーのは今際の時にゃ驚くべき力を発揮するらしいぜ?」
イクシオの額に青筋が浮かび上がる。
「ふんっ。貴方がそんな命知らずの阿呆だったとは。仕方ありません……死んで悔いなさい!」
イクシオの合図により全員がサンムに襲いかかる。
「お生憎様っ、“死んだらその先は……無ェよ”!!」
サンムは力の限り、短槍を振るった。
事が始まり、やや時間が経過した後のち、騒ぎの音から近くの兵が見つけ、すぐさま城へ連絡をした。カタストロフ騎士団が現場へ着くころには、日が昇ろうとしていた。
薄い橙色の組積造の街並みに、数十人の死体が転がっている。ただ一人、立ち尽くすのは、マールーテン教団代表であるイクシオだけであった。
「ひっ、ひっ……」
ロッザは辺りを見渡し、倒れているサンムを見つけ、駆け寄る。
「サンム!!」
走ってきたロッザに抱きかかえられるサンム。騎士団員達もそれに続く。
国に叛旗を翻した教団の、イクシオを除く全員を殺し尽くしていた。血に塗れた現場。それは、何も教団の人間達だけのものではない。
「何があった!?」
タンクスの問いにサンムが答えるより早く、グーマンドが口を開いた。
「その格好……お前だったのか……。城の人間を殺していたのは」
グーマンドの発言に団は、皆一様に吃驚を隠せない。確かに、サンムの出立ちは、グーマンドの報告に会った、“あの夜”交戦した黒い外套の男の外見と一致していた。
「剣を見まごうたのは、その短い槍の穂先か」
サンムはグーマンドを一瞥する。その奥にはリシアも佇んでいるのが見えた。
「お前、なんでこんな事……っ」ロッザは他の団員に比べ、落ち着いている様に見えた。
サンムはゆっくりと口を開く。
「……悪いな。面倒ごとを持ち込んじまって」
静かに紡がれるその言葉。並べる程に、口から血を滴らせる。
「お前らと過ごして、お前に言われて気づいた。自分に納得していないことに。溜飲が下がった……朝日が澄んで見えるぜ」
流れ出る血を止めることは出来ない。体温が下がっていくのを肌で感じるロッザ。
「バカ野郎……こんなんでケジメをつけたつもりか? ふざけんなよ! 俺やタンクスやお前は! こんなところで終わっていいタマじゃねえだろ……」
眉間に皺を寄せるロッザ。それがサンムには辛く苦しい表情に映った。
「んな顔すんなよ……。俺はさ、気づけたんだぜ? 僥倖だろ。……悪いが、後のことは頼むぜ。ロッザ、タンクス。それに、騎士団の皆。ありがとな。……こんな大罪人でも、偶には思い出してくれよな」
共に過ごした日々。
あの日々が偽りでも、純然たる事実であることは変わらない。彼は、団に光を挿してくれた。それは皆が理解している。
腕の中で滲み、冷たくなった。
やがて、握られていた掌から、槍の落ちる音が響いた。




