18節.ホントの気持ち
常に肉刺だらけ。そんなぼろぼろの掌を見つめ、風に黄昏れる。
マルコは愚直に鍛錬を積んでいた。骨董品は手元には無い。だが、いつか必ず自分が使う。来たる日の為、剣の稽古だけでなく、肉体の強化に重きを置き、力を入れていた。
マルコは、カタストロフ騎士団の面々、特に幹部達と距離を置くようになっていた。仕事は真面目に取り組むが、如何せん骨董品のことが頭によぎるからだ。口数の少なく、あれ以来深く聞いてこないグーマンドにのみ心を開いていた。
今日も兵としての警備に努めている。右手にいた団員のバルドが近づいてくる。
「なあ、マルコ」
「……何ですか」
「お前さ、五賢者の骨董品取り上げられたんだろ?」
マルコにはそれが嫌味にしか聞こえなかった。
「だったら?」
「いやあ、お前が使えることにも驚いたが、団長や副団長よりも強く扱えるんだろ? なのに、何でだ?」
当時、国に残っていたバルド。伝聞だけでは五賢者の骨董品の恐ろしさがうまく伝わっていないようだった。リューヌルやマルコの戦いぶりを見ていないのなら、どれだけ話を誇張しても力の程は想像しづらいだろう。
「骨董品はバルドさんが思ってるよりずっとやばい力ですよ。まさに一騎当千。俺の実力は知ってると思いますが、俺みたいな普通の人間を一朝一夕なんてものじゃなく、一瞬で戦場の英雄にする。それが骨董品です。……でも”上”の方々は、若輩の自分では手に余ると考えたようです」
こんな事は出来れば口にしたくない。沸々と不満や怒りが湧いてくるからだ。
「ふ〜ん。お気の毒だな。ま、精進して一人前の騎士になりゃ、あっちから差し出してくんじゃないか?」
「そんな時間は……っっ」
人生は長くはない。
十八年間努力してきた自分だからこそ分かる。たとえもう十八年研鑽を積んだとしても、多少伸びはするかもしれぬが、結果は目に見えている。生涯をかけても骨董品を手にした時の足元にも及ばないだろう。平均寿命の低い、戦場に出る人間なら尚更だ。
ならば、”扱える”という才能がある以上、それを使わないのは宝の持ち腐れという他にない。国の英雄になる機会をみすみす逃すわけにはいかないのだ。いや、強くなる為には、力を手に入れる為には……時間が惜しい。
「そろそろ抱かれる気になったか?」
真昼間から女性を口説く事しか頭にないロッザ。普段、仕事の後には性欲の強まるロッザだが、ウォンドオ和平とリューヌルとの戦いの後、国に帰ってからは未だ一人の女性も抱かずにいた。
無論、今の彼の本命は、リシアその人だからだ。
「あら、私と寝たかったの? なら、言ってくれればいいのに」
リシアは小慣れた様子で場所を移動しようとする。人目のつかないところを探し始めたのだ。
「……」
ふとロッザの熱い視線に気づく。リシアの顔を凝視している。
「な、何よ……」
暫し考え込み、首を傾げるロッザ。
「……違うっ! 駄目だっ! 俺に惚れてねえ」
ロッザは興が削がれたよう、背を向ける。
「え?」
聞き違いだろうか。リシアは戸惑った。“男の誘いを女が受け入れた”。確かに今、そういう会話をした筈だ。
「いいか!? そういう営みってのはなあ、そこに愛がなけりゃ駄目なんだ! 二人じゃなけりゃ出来ねえ。そんで、お互いの好きって感情があって初めて成立するもんなんだよ!」
初めてだった。初めての見解を耳にした。
「……違うわ。快楽に身を委ね、情欲を吐き捨てる行為でしょ? 子孫繁栄なんて味気ない答えは人間には合わないし」
事実、そう思っていた。愛などという不確かで目に見えないものより、人の三大欲求に結びつけ当て嵌める方が合理的だし納得出来る。
「ふっ、おかしい。私があなたを好きにならなければ一生”出来ない”の? 自分で機会を手放してるじゃない」
ロッザは僅かな動揺も見せず反論する。
「いいんだよ、どうしても駄目な場合は。俺のことを軽い男と思ってるだろうが、俺は俺に惚れた女しか抱かねえ。だから全力でアプローチするんだ。恋愛感情の微塵もねえ”行為”なんて、楽しくも気持ちよくも無えよ」
こうもはっきりと言われてはリシアの反論する気も起きぬというもの。
「……あなたには分からないわよ。私にとっては疎ましい行為であり、生きる為の手段の一つだった。あなたみたいに良い思い出だけじゃないのよ」
そう言ってその場を立ち去ろうとするリシアの手首をロッザが掴む。
「なら俺が教えてやる」
くさい言葉と一蹴するのは簡単。だが、ロッザの表情は真剣そのものだった。
「……言ってれば? ……放して」
リシアは少し不機嫌な様子で自室に戻る。
彼女はカタストロフ騎士団の紅一点として、特別に部屋を与えられていた。それは狭いものではあるが。
リシアは翌朝、城を、町を回ることにした。
(なんなのあいつ……こういうときは気晴らしにこの国を散策するのもいいかも)
改めてこの国について知る必要がある。まずは騎士団の面々からといったところか。
タンクスはいつも忙しそうにしている。声をかける暇もなさそうだ。あったにしても顔から疲れがとれているのを見た事がない。城内で歩いている姿を見かける。しかし、リシアはそのまま先へ向かった。
(まずは……)
「ふっ、ふっ!」
(?)
何やら息を荒くする声が聞こえる。城の中庭で自分より新顔の男が体を鍛えていた。
(裸……。ロッザよりもそういうことが好きなのかしら……)
意を決して声をかける。
「こんにちは。ロッザのお友達さんっ」
艶やかな声が耳に優しく入り込んでくる。
「おァ!? おお、リシア」
逆立ちでしていた腕立てを中止し、傍の布で汗を拭くサンム。
「何故上を脱いでいるの? 一人なのに。それともこれからお相手が来るの?」
真剣な表情でそう訊ねるリシア。
「? 暑ィからだよ」
サンム以上に困惑した様子を見せるリシア。
「?? 暑いから? いざってときに無防備過ぎない?」
あまりに真っ直ぐに質問するその顔に思わず吹き出してしまう。
「がははは! 俺をロッザみたいな年中鎧着込んでるような奴と一緒にすんなよな! あいつは常に武装してるんだろ? でも俺は、身軽な方が戦いやすいし、暑かったら誰でも涼むだろうよ」
理には適っているが、適っていない。鎧の有無は確かに働いている時とそうでない時で違ってもいいだろう。だが、祖国ウォンドオではいついかなる時も、帯剣していなかった兵士は見たことが無い。
今のサンムの近くに槍は無い。一介の騎士(とは言っても傭兵である)がこんなにも無防備で良いのだろうか。
「ま、あなたがそれでいいのなら。けど、汗臭いまま居るのはやめなさいよね」
「へいへい」
(良い女だが、ちと世間知らずなとこがあるんだよなあ)
リシアが去るや否や、サンムは鍛錬を再開し、もう一汗流す。依頼が無く、仕事も無い時でも欠かさず精進に励むのはタンクスやロッザと同じなのだ。
お次は斧の武人を目指すリシア。
回廊を進んだ先、サンムの居た場所とは反対の中庭に面したところ、日の当たる場所にグーマンドは居た。横に、見知らぬ女性を連れて。
(誰かしら、あの女性は……)
「あ〜んっ」
「!」
全身に電気が走る。不埒なことの一切を嫌いそうなあの堅物の男が、女性に食事を口へ運ばせているではないか。
「どお? おいしいっ?」
「ん……美味い」
「顔赤くしちゃって! 可愛い〜!」
見ていられない。グーマンドもそうだが、一番は女性の方だ。今まで人生で会ったことのない種類。溌溂というか快活というか何というか。第一、声をかけられるような雰囲気ではない。
「妹さんかしら……」
「将来の妻だ」
「ふぇっ!?」
後ろからの声に驚き声を上げるリシア。背後には長い黒髪に右目を隠した男が立っていた。あまりの光景に目を奪われていたせいか、全く気配に気づかなかった。
「え、えと……」
「シールズだ。ちゃんと喋るのは初めてだな」
二度目の和平遠征の際、国に残っていた人間。リシアが姿を記憶しているのは、暗殺を謀った自分の処遇の議論の時と、サンムの加入の件でタンクスとロッザが宰相と話している間、会議室で同じ酒を飲んでいた時くらいのもの。
(シールズ。腕の立つ射手で、幹部の一人。まだ知らないことも多いし、ここで会えてよかったと思うべきね)
「あなたは弓の名手よね。グーマンドと同じく寡黙なイメージがあるけど今は何を?」
「少しタンクスに用があってな。ここではなんだ、歩きながらでいいか?」
「……そうね。二人の邪魔しちゃ悪いわ」
そう言ってその場を離れる2人。
「弓兵である俺は、近接があまり得意では無いからな。護衛というよりは高所での見張りのような仕事がメインなんだ。同時に、日々入ってくる魔物や魔獣の情報を逐一報告するのも務めの一つだ」
「なるほど」
近寄り難いと思っていたが、存外話してみれば普通ではないか。リシアはそう思った。
(澄ました男ではあるけど)
そんなシールズの肩には弓、腰には矢筒がぶら下がっている。
「あなたの武器ってもっと大きな弓だったわよね」
「あの大弓は戦の時だけさ。それこそ持ち運び出来ないだろう。
普段はこの一般弓で十分だ」
先程のサンムに比べればいくらかマシか。
リシアはさらに最後の話題としてシールズの全身を観察する。弓を扱う者として、弊害にしか見えない長髪が目についた。
「片目を隠すほどの長い前髪は邪魔にならないの?」
少しだけ驚いた表情を見せるシールズ。暫し沈黙した後、その前髪をかき分ける。
そこには、閉ざされた右目があった。
「!」
「敵の剣が目を掠めてな。失明はもちろん、自然治癒の過程で瞼も繋がり開かなくなった」
「そう……」
自責の念に駆られているリシアに気づく。
「戦場じゃ別に珍しくも無い。ウチが五体満足で帰還する奴が多過ぎるだけだ。まあその分、今回の遠征はかなり驚いたがな」
淡々と言葉を連ねる。
「隻眼で仕事を続けるのも凄いけど、幹部としての立場を維持しているのも見上げたものだわ」
シールズは右目をゆっくりと撫でる。
「幸い、利き目の左が残って戦には事欠かないのさ」
そうこうしている内にタンクスの部屋に到着する。
「それじゃあ、ここで」
「ええ」
次の団員を探すべく、リシアは別れる。シールズの後ろ姿が段々遠くなっていく。
「……仲間思いなのね! 気も効くし、体も張る。何より、遠征から帰ってきたタンクスのアフターケアもしていたようだったし」
以前リシアは、タンクスの部屋で憔悴した彼とシールズが話していたのをすれ違いざまに見ていた。
「……そんなんじゃない。ただの利害の一致、協力関係だ」
(もう、素直じゃないんだから)
カタストロフ騎士団が一枚岩であることを再認識させられるリシアであった。
そういえば、本を扱っている図書室があったとリシアは思い出す。
(確か……)
思った通り、中には一人読書に耽っている男がいた。
「こんにちは」
読んでいた本から目を離し、リシアに目を合わせる。
「お、これはこれは。リシアの姉さん」
「リシアでいいわよ」
モスケットはここにいることが多いと誰かが言っていた。なんでも、本を読み漁るのが趣味だそうで、ウォンドオからの魔獣を討伐するのにも一役買ったとか。
「じゃ遠慮なく。リシア、俺に何か用で?」
モスケットの手元にある本を見つめる。
「ちょっと団の人達と親睦でも深めようかと思って。ほら、あなたが読書家だって聞いたから」
鎧を纏わず、シンボルである大盾も持たないその姿は、まさに勤勉な優男といった風貌で。戦場すら知らないような、どこにでもいる男性のようだった。お世辞にも、幹部と呼ばれるようなロッザをはじめとする猛者達と比肩する実力者には見えない。
「俺は驚くくらい普通ですよ。皆みたいに強烈な個性はありません」
「でも、あなたが居たから九頭龍を仕留めるのもスムーズにいったんじゃない?」
「どうですかね……」
モスケットは丁度、魔物や魔獣に関する書物を読んでいたようだ。
「今も、そうして知識を蓄えてるじゃない。やっぱり本を読むのは役に立つから?」
考えたことはなかった。モスケットは物心つく頃から自然と本を手に取ることが多く、色々なものを吸収するのを好んだ。
知識としてだけでなく、物語や伝記も読んだりした。とりわけ、五賢者の伝説はモスケットが騎士になるのに充分な衝撃を与えた。
「ええ。良いもんですよ、本は。事実を記したものも創作のものも、己の知見を広めてくれます。……すごいですよね、五賢者。今から九百二十三年前に現れた、災厄の化身とも言われる、“竜”。当時、世界のあらゆる地を焦土にしたというその力は、翼の一ひと羽撃きで嵐を起こし、尾の一薙ぎで城を壊し、息の一吐きで数万の兵を帰らぬ者に。そして、”終の火球”と言われるとっておきの攻撃は、国、いや島や大陸の一つを簡単に吹き飛ばしたと言います」
聞いているだけでも悍ましい。今の世界がとてつもなく平和に思える。
「そんな、人間が逆立ちしても勝てないような相手に、特異な能力を持った男女が立ち上がった。”暴君”と戦ったから分かります、彼らは異常だ。本当に人なのかさえ信じ難い。けれど、結果”竜を退けた”と書いてある。そう、伝わっている。紛れもなく英雄。竜にどうやって勝ったのか、その時の国や民の様子は? ……俺では考えも及びませんが、この伝説で俺の男としての本能が刺激され今に至るのかもしれませんっ」
照れ臭そうにそう言うモスケットの顔はまるで童のようだった。
「……随分と昔の話。どこまで真実が伝わっているのか、そもそもそんなことがあったのか。以前は心のどこかで疑わしく思っていたけれど、骨董品を目にしてからは、そうも言ってられなくなったわ」
「でしょ?」
女性の扱いに慣れているのか、不思議と気分の良い時間が流れた。
「あんなリューヌルを見て経験したんだもの、もう九頭龍のような魔獣もへっちゃらなんじゃない?」
「まさか。……知ってます? 九頭龍の上位互換ともいえる、百の首を持つ伝説の魔獣、百頭龍なんてのもこの世には居るみたいですよ」
「嘘」
本は雄弁に教えてくれる。だが、それは全てでは無い。ましてや、たかだかこの一国にある書物だけで、この世界を集約出来るわけもなく。
この世界は———かくも美しく、広大で、未知なる魅力に溢れている。世の不可思議は、竜や五賢者だけではない。
無数の魔物や魔獣をはじめ、同じ名を持つ最高峰の名工達。各地に点在していた錬金術師、その手によって作られし世界を動かす三つの超遺物。怪力無双の白ずくめの集団。人ならざる人型の異種族。伝説の傭兵団に、邪神の住まう地と称される大帝国。
そして、“神”と同一視される謎の光源。
彼らが見ている景色は、ほんの氷山の一角。この世界は、どこまでも理解を超えて存在しているのだ。
そしていずれ、その一つ一つが交わることがあるやもしれぬ。
可能性は、常に変化し続ける———。




