課題
クラネットに戻ってきた私達は、すぐさま冒険者ギルドへ赴き、フラジレットの森で戦った魔物の事と、起こっていた現象についての報告をした。
その時に、持ち帰って来た魔物の死体と卵、マナが溢れ出る大きなペンダントのような物も渡し、これで魔物の討伐依頼は完了となった。
クラネットの冒険者ギルドのギルドマスターは、私達が調査した結果にとても困惑している様子だった。
人為的に引き起こされたと思われるフラジレットの森でのマナの異常。
犯人は誰か? 目的は何なのか? どれだけ考えてもわからない事だけど、ルーリとシルヴァさん、ユークレースさんは必死に仮説を立てて、帰って来てからも話し合っている。
え? 私は何をしているのか?
ユークレースさんのお屋敷のキッチンを借りて、目の前にある大きなお肉の塊をどう調理するかと、思考を巡らせているよ!
ちなみに私の後にはカルハさんと、お屋敷の調理担当で料理長もしているメイドさんのニッケさんが羊皮紙を片手に、私がどんな料理を作るのかと、真剣な表情で見守っている。
目の前に鎮座する大きなお肉の塊は、倒木蛇のお肉。
何グラムかわからないけど、ローストビーフを作った時に買ってきたモモ肉の塊400グラム以上は軽くある。
全体的に白っぽくて、鳥と白身の魚の中間っぽい色合いをしている。
このお肉が結構な量、空間収納の中にもある。
「メノウちゃん。これをどう調理するの―?」
「うーん。まずは小さく切って焼いて味見ですね。お二人は味見しますか?」
「ぜひ!」
ニッケさんが勢いよく返事をする。
「食べた事はあるけど、私も味見してみるわー」
たぶんニッケさんも食べた事はあるんだろうけど、私がすること全てを参考にしようとしているんだと思う。
という事なので、小さく切った三切れを油を敷かずにフライパンに並べ、火にかける。
流石に半生で食べてしまうのは嫌と言うか怖いので、しっかりと火を通す。
「……食感は鶏肉っぽいですね。でも結構水っぽい。後、少し独特の臭みが……。土っぽい臭いと、血生臭ささが……。味はさっぱりしてて淡白ですね。他の爬虫類とか両生類とかのお肉ってみんなこんな感じなのかな?」
モグモグと、焼いたお肉を咀嚼しながら考える。
「この土っぽい臭いは、倒木蛇の特徴ですね。生息している場所で結構変わりますよ」
ニッケさんも味を確かめながら話す。
「きついわけじゃないですけど、食べ慣れてないとこの臭いは気になりますね。あと思ったより水っぽい。噛んだ時に脂じゃなくて水分がじわっと出てくる感じ」
「そうねー。この水っぽさと臭いが苦手って人もいると思うわー」
ふむ。
やっぱりそう言う人もいるのか。
クラネットに到着してすぐに食べた蛇肉の串焼きを思い出す。
あれは香草がふんだんに使われていたし、何より炭火で焼いていたようなので、臭いと一緒に水分も落ちていたんだろうと思う。
私は、魚の半身ぐらいの大きさにお肉を切り分け、塩を振る。
「下味をつけるんですか?」
「いえ、こうしてしばらく置いておくと、水分と一緒に臭みもある程度抜けるんです」
「ほうほう……」
ニッケさんは頷くと、サササっと羊皮紙に私が今話したことを書き込んでいる。
次に鍋に水、塩、鷹の爪、タイム、すりおろしたにんにくを入れて火にかける。
「メノウちゃん、これでスープを作るってわけじゃないのよねー? かなり塩が多いものー」
「はい。今作ってるのはソミュール液と言って、冷ましたこの液体にお肉を漬け込むんです。そうすると、臭みがさらに抜けて、ハーブの香りが移るんですよ」
「そんなものがあるのですね。お嬢様とニグリが言っていた通り、メノウさんはかなりお詳しいみたいですね。勉強になります!」
「あははは。多分塩漬けの物とか作っているお店では、よく似た物が使われていると思いますよ? 入れる香辛料は好みに合わせてどんどん改良してみてください」
「はい!」
塩を振っておいたお肉を見ると、良い感じに水が抜けて、バットに水が溜まっていた。
「あらあらあらー、こんなに水分がぬけるのねー。不思議ー」
振っておいた塩を軽く洗い、火にかけたソミュール液を魔法で冷やして、そこに水気を切ったお肉を漬け込む。
ジップロックがあれば、ソミュール液はもっと少なくて済んだんだけど、そんなものはないのでお鍋にお肉を沈める。
「どれくらい漬け込むのですか?」
「うーん、今回は二時間くらいですかね?」
「じゃあ漬けてる間はどうするのー?」
「別の何かを作りましょうか」
「あ、メノウさん! プリンというお菓子の作り方を教えていただいてもよろしいでしょうか? お金は支払わせていただきますので! どうかよろしくお願いします!」
ニッケさんは深々と頭を下げる。
「そんなお金なんて大げさな。私の知っているレシピならいくらでもお教えしますので、頭を上げてください」
「え、そんな……。いいんですか?」
「もちろん!」
「ありがとうございます!」
漬けている間に私はプリンを作り、他の焼き菓子のレシピもカルハさんとニッケさんに教えた。
さて、そろそろいい時間になったと思うので、ソミュール液に漬けていたお肉を一枚取り出して、一口サイズに切り、今度はオリーブオイルで炒める。
「嘘……。こんなに味って変わるものなのー?」
「丁度いい塩味に、香辛料のいい香りが口に広がって、最初に焼いたお肉と同じ物とは思えません!」
「よしよし。いい塩梅ですね。これで下処理は完了ってことで!」
「メノウちゃん。これで何を作るのー?」
「えっとですね――」
先ず一品目は、ペペロンチーノを作る。
お肉を漬けている間に、タリアテッレを作っておいたのだ。
ペペロンチーノは、シンプルな味付けゆえに素材の味がしっかり楽しめるので、蛇肉の味をしっかり味わえるだろうと思ったから。
芽を取ってスライスしたニンニクと赤唐辛子を、鍋に敷いたオリーブオイルにいれ、火にかけて、油に香りと旨味をしっかりと移らせる。
この時、熱したオリーブオイルに入れてしまうと、ニンニクが焦げて、焦げ臭くなっちゃうので注意。
ニンニクの芽を取ったのも、芽が焦げやすいから。
ニンニクがきつね色になったら、一度ニンニクと唐辛子を取り出す。
ニンニクと唐辛子を取り出したフライパンに、一口サイズに切った蛇肉を入れ炒める。
次に、塩を入れて茹でたタリアテッレを入れ、茹で汁を二回に分けて入れて混ぜる。
この時にしっかり混ぜて、乳化させる。
フライパンの中の汁がなくなったら、黒コショウを振り、取り出しておいたニンニクと唐辛子を乗せて完成。
「およ?」
出来たペペロンチーノをお皿に盛りつけようと後ろを振り返ると、人がすんごい増えてた。
「瑪瑙お姉ちゃん、味見! 味見!」
我らが大食い隊長ハルルちゃんも例にもれずやって来ていたみたいで、私の服の裾をクイクイと引っ張ってくる。
「はいはい。まだ作っている途中なので、各自で取り分けてもらっても良いですか?」
私は既に味見は済ませている。
『はーい』
テーブルにお皿を置くと、一気に賑やかになった。
ちょっと! 料理長の私が食べないと意味ないでしょ! みんな取りすぎ!
お肉♪ お肉♪
あっあっあっ! ハルルちゃん手加減して!
ねーえ! 私のお肉がないじゃない!
……賑やか?
阿鼻叫喚な気がしてきたけど、見なかった事にしよう。
次を作ろう次を。
鍋に、湯剥きして種を取り除いたトマトを入れ、潰しながら火にかけ煮詰める。
「トマトの湯剥きってそう言う風にするのねー。なるほどー」
カルハさんに煮詰めてもらっている間に、私はお肉を賽の目状に切り、中に火が入りすぎないように、表面だけを焼く。
鍋に水、白ワイン、塩を入れて煮立たせる。
そこにカットしたトマト、みじん切りにしたニンニクを入れ、さらに、カルハさんに煮詰めてもらっていたトマトを裏漉しして入れ、そこに焼いたお肉を入れ、煮る。
灰汁を取りつつしばらく煮つけたら、
「蛇肉のトマト煮の完成!」
おお~。
パチパチパチ。
歓声と拍手がキッチンを埋め尽くす。
「騒がしいと思ったら、みんなここにいたのね? メノウさんの邪魔になってないでしょうね?」
やれやれと、あきれ顔でユークレースさんがやって来た。
その後ろには、いつものメンバーも。
「ハルルよ、お前さん姿が見えんと思ったら、ここにおったのじゃな……」
サフィーアを筆頭に、みんな苦笑している。
「すっごく美味しかったよ!」
ふんすふんすと鼻息荒く、嬉しそうに言うハルルちゃん。
「いいなー」
リステルが唇を尖らせて、ハルルの頬を突く。
「トマト煮は少し多く作ったから、みんなも味見してくれると嬉しいな」
私がそう言って、お鍋をテーブルに置く。
すぐさまニッケさんが、今来たメンバーに取り皿を渡した。
「やったー!」
「いただきまーす!」
「美味しい―!」
「お肉が凄いジューシー! 蛇肉って煮ると独特のクセをすごく感じるんだけど、これは信じられない程それが感じられない! 噛んだ時に口に広がる香辛料の香りが、トマトにあってるわ!」
ユークレースさんが美味しそうに食レポをしてくれて、周りの皆が美味しそうな様子を確認できたので、私はほっとしたのだった。
翌日から、私、ルーリ、サフィーアの三人で次の街へ向かうための情報収集を始めた。
情報収集と言っても、冒険者ギルドに行って、周辺の街道の状況や、魔物の出没情報を聞くくらいしかできない。
何せこの世界には、世界地図がない。
街から街へ向かう街道が書いてあるような、そんな地図さえもない。
街内とその近隣周辺をかなり大雑把に書き記した地図があるにはあるが、そんな地図ですら高級品なのだ。
「フラストハルンへ……ですか? すみません、私ではわかりかねます……。私達がわかることは、大体隣街への道のりくらいですから……」
冒険者ギルドの受付でさっそく相談を始めてみたが、これは思ったよりも先行きが怪しい。
受付のお姉さんは、申し訳なさそうに頭を下げた。
これは困ったと、三人頭を悩ませていると、
「ご機嫌よう。何か問題でもありましたか?」
と、やってきたのはクラネットの冒険者ギルドのサブマスターさん。
「こんにちわ。実はですね……」
私達三人はコルトさん達から、三人だけでフラストハルンへの旅程を立てるという課題を出されたことを話した。
「……なるほど。それはまた難しい課題を出されましたね」
「難しいんですか?」
「はい。隣街までの情報は割と手に入るんです。冒険者や商人の行き来がありますからね。遠い所から時間をかけてやってくる人たちもいるので、情報がないわけではないのですが……」
「情報の鮮度が悪くなっているんじゃな?」
「そう言う事です。さらに皆さんがそこへ向かうにも時間がかかってしまいますので、状況がかなり情報と違っているなんてことがほとんどです。そもそも冒険者ギルドの職員でさえ、隣街までの事すらしらない者も多いんです」
街から移動する人はほとんどいないと以前聞いていたけど、ここまで情報を得ることが難しいのかと少し気が重くなる。
と、ふとそこで私は、
「あれ? フラストハルン王国は、ハルモニカ王国の北にあるって事は教えてもらっていたけど、私達はハルモニカのどこへ向かえばいいのかな?」
と、ハルモニカ王国での最終目標地点の事を考えていなかった。
「えーっと、確か、境の街って呼ばれてる所へ向かえば良かったはず。私も流石に名前までは知らないのよ」
「ルーリなら知ってると思ってたんだけど、意外かも?」
顎に手を添えて考えているルーリ。
「知ってたなら最初から教えるわよ? 瑪瑙と出会うまで、フルールを出るなんて思ってもいなかったから、地理はあまり詳しくないの」
「サフィーアは?」
「境の街と言うのは聞いたことがある気がするのう。まぁ妾もタルフリーンやテインハレスしか行き来はせんかったからのう。他の街の事はてんでわからん。知っていたとしても四大都市ぐらいじゃな」
そんな私達のやり取りを聞いていたサブマスターの女性は、何か納得が言ったように掌をポンと合わせた。
「なるほど。皆さんは順番を間違えているようですね。だから行き詰っているんです」
「順番……ですか?」
私は首を傾げたが、
「あ、本当だ! 次の街に行くことばっかり考えていたわ」
と、ルーリは納得したようだった。
サフィーアも私と同じようで、きょとんとしてルーリを見ている。
「瑪瑙、サフィーア。私達が最初にしなくちゃいけない事は、クラネットからどの街を経由して境の街へ行くかを考える事。冒険者ギルドで得られる情報は、大体隣町くらいまでの情報だけ」
うんうんと頷いて聞いていると、
「それはわかったのじゃが、経由する街をどうすればいいかわからんから、困っておるんじゃないのかのう? 冒険者ギルドでもわからんのじゃろう?」
と、サフィーアが疑問を口にするので、
「冒険者の人に聞く? でも、誰が詳しいとか私達はわからないから、手当たり次第に探すのもちょっと大変だよね? 依頼とかって出せるの? でも、それじゃ時間がかかりすぎるから、コルトさん達が求めてる解答とは違う気がするんだよね」
私も出来るだけ自分で考えた事を言葉にする。
「そう言う経路に詳しくないとダメなところがあるのよ」
「どこー?」
「商業ギルド。大きい商会なんかは、国を越えて商いをやっているだろうから、街から街への輸送網をちゃんと整えてるはずよ」
「なるほどのう。商品を届けるにしても、道順じゃとか、どの道が安全じゃとか、把握しておかなくては商いは出来んからのう」
「ただ、問題が……」
急にしょぼんとした顔をするルーリ。
「問題って何?」
「クラネットの冒険者ギルドは、ハルルとユークレースさんがいたし、何より私達はそれなりの結果を依頼の解決と言う形で示せた。だからこうやって親切に対応してもらえてるけど、商業ギルドにはそう言うツテが無いのよ。いきなり行って、情報くださいなって言っても、簡単にはもらえないでしょうね」
「それはそうじゃのう。商いの根幹を担っていることじゃからな。あまり外には出したくはないじゃろうて」
三人でうーんと悩んでいると、
「あのー。皆さんはもう既に商会の方とお知合いのはずなのですが……」
サブマスターさんの言葉に、私達は目が点になった。
「え?! 誰かいたっけ?」
びっくりして私はルーリとサフィーアを交互に見るが、ルーリは考え込んで、サフィーアは目をパチクリしている。
「あはははは……。ユークレースさんですよ。ユークレース・グラーヴェさん。グラーヴェ商会のご息女ですよ?」
少し困ったような笑みを浮かべて、サブマスターさんは教えてくれた。
「あっ!!」
そう言えばそうだった!
「冒険者としての姿しか見たことがなかったから、すっかり忘れていたわ……」
「グラーヴェ商会と言えば、ハルモニカ王国内で有数の商会じゃのう。どうも身近な存在の事になると、考えがいかんようになるのう……」
「ユークレースさん自体は、商会の仕事をしていた訳ではないのであまり詳しくないかもしれませんが、ニグリさんや周りのメイドさんは、元々商会で護衛等をしていた方が多いです。その方達からならお話を聞くことが出来ると思いますよ」
「ありがとうございます! 早速戻って聞いてみたいと思います!」
私達はお礼を言い、すぐにユークレースさんに話を聞きに戻ろうとした。
「あっ! 待ってください!」
慌てた様子で、サブマスターさんは私達を引き留めた。
「境の街は、フィッスルンと言う街です。フィッスルンへは、スカラー街道と言う一番大きな街道を移動するのが一番安全ですよ」
「えっ?! ご存知だったんですか?」
急にそんな事を言われて、私達は戸惑ってしまう。
「申し訳ありません。お教えしようと思ったのですが、課題だと仰られていたので、少し様子見をさせていただきました」
「なるほど。それは仕方ないですね。でも、ユークレースさんの事をどうして教えてくださったんですか?」
「あー……。あれはびっくりしてしまって、つい話してしまいました……」
苦笑して話すサブマスターさん。
「あはははは……」
ちょっと恥ずかしくなった。
「もう答えは見つかったようなので、このままですと、またもう一度ここに来なくてはいけなくなりますので、二度手間になるよりかは良いかなと思いまして」
そう前置きして、サブマスターさんは話してくれた。
私達が次に向かうべき街は、ピコロという街なのだそうだ。
今の所ピコロの街も、そこへ向かうための街道にも、問題は無いという。
「ただ、ギルドの情報網で回って来たことなのですが、魔物が活発化しているという情報が入っています。なんでも、小さな村落がいくつか魔物に襲われたと……」
情報の伝達速度に限界があるために、どうしても届いた情報が古くなっている。
もしかすると深刻化しているかもしれないし、既に解決しているかもしれないことを考えておいて欲しいと、注意された。
それから私達は、ユークレースさんのお屋敷に戻り、早速話を聞くことにした。
「なるほど。それで急いで戻ってきたのね?」
「スカラー街道を行くのは正解ですね。一番大きな街道で、他の街道を行くより安全です」
事情を話すと、ユークレースさんは私達が旅程を立てることの手伝いを快く引き受けてくれた。
「まずあなた達が目指さなくちゃいけない街は、ヴェノーラと言う街よ」
「ヴェノーラ? フィッスルンじゃないんですか?」
冒険者ギルドのサブマスターさんのお話では、フィッスルンが国境沿いの街だったはず。
「ヴェノーラから伸びているスカラー街道は二本あるんですよ。一つは境の街フィッスルンへ向かう道、もう一つは、ハルモニカ国内をぐるっと一周している道に分かれているんです」
ニグリさんは、羊皮紙に簡単な絵を描いて教えてくれている。
「ヴェノーラは四大都市の一つで、芸術の街と呼ばれているわ。フルール程大きな街ではないのだけれど、芸術の街って呼ばれるだけあって、街の景観は圧巻の一言ね」
四大都市の一つかー。
首都のハルモニカ、恵みの街フルール、そして芸術の街ヴェノーラ。
観光することが目的ではないけれど、どんな街なのかは気になる。
「ヴェノーラまではどのくらいかかるんですか?」
「そうねー。乗合馬車で移動するとして、ここからひと月ぐらいかしら?」
「……」
ひと月もかかると聞いて、少し気が遠くなる。
私のいた世界だったら、一か月あればどこへ行けるのだろう?
車、バス、電車、飛行機。
これらを全部使えたなら、日本国内だったら二日三日あれば、端から端へいけるんじゃないだろうか?
国外だって、大抵の所には行けるんじゃないのか?
いや、もうこの世界に来てそれなりに経っている。
街から街への移動が容易でないことぐらいは、重々承知の上。
時間がかかることもわかっていた。
わかっていたはずなんだ。
それでも。
……それでも、気の遠くなるような旅路に、少し、少しだけ、ほんの少しだけ、めげそうになった。
「メノウさん大丈夫? 何だか顔色が悪くなった気がするのだけど?」
「えっ?! あっ!! あ、あはははは。すみません、ちょっと疲れが出たみたいです? そんなに具合が悪いわけじゃないので、大丈夫です。……大丈夫です、はい……」
「そう? まぁメノウさん大活躍だったものね。戦闘に料理にと。ここにいる間は、いくらでも休んでもらって行ってかまわないから、体には気をつけてね?」
「ご心配をおかけしてすみません。でも大丈夫です!」
ぐっと両手を握って、元気なことをアピール。
帰ると約束したことは忘れてないし、破る気も毛頭無い。
それでも、めげてしまいそうになった自分の弱さに、自己嫌悪する。
空元気でも、元気は元気。
めげてうじうじしているよりかは、絶対いいはず。
「あーもしかすると、何処かで足止めを食うかもしれませんね」
「え?!」
何とか気持ちを前向きにできそうと思った矢先に、ニグリさんからひと言。
「あっ! そうね。すっかり忘れていたわ。もう静青の頃だものね。だとすると、かなりの間、動けなくなるかもしれないわね」
静青の頃とは、この世界の冬の事らしい。
ちなみに、穏緑の頃、烈赤の頃、恵黄の頃が、この世界の春夏秋を表す言葉になっている。
「前の静青の頃は、かなり雪が降りました。今年はどうなるか……」
ハルモニカ王国は豪雪地帯というわけではないそうなのだけど、それでもやっぱり北へ向かう程、雪が降り積もりやすいらしい。
「もし雪が降って、乗合馬車が動かなくなった場合ってどうするんですか?」
「雪が解けるまでその街でのんびりするのがいいんじゃないかしら?」
「……雪が……溶ける……まで……」
ユークレースさんの何気ない一言に、私は言葉を無くしてしまう。
「まあでも、安全に旅をするならお嬢様の仰る通りです。静青の頃は、街への往来は控えるのが常識ですから」
「そう……なんですね」
「でも、メノウさんやシルヴァさん、カルハさんがいるのならかなり割高になるだろうけれど、馬車は出してもらえると思うわよ?」
「そうなんですか?!」
「えっええ。静青の頃でも街を移動したい人って少なからずいるから。冒険者しかり、商人しかりね。そんな時に、魔法で雪をどうにかできる魔法使いがいれば、何とかなるの。冒険者ギルドで依頼が出てたりすることがあるし、乗合馬車も、高額になってもいい旨と魔法が使えることを話せば、出してもらえる可能性はあるわね」
さっきまで少し元気がなかった私が、急に勢いよく話に食いついたからか、ユークレースさんはびっくりしながらも話してくれた。
「メノウさんは、風と水の魔法が得意なようですが、そう言えば、火も起こしてましたよね? 料理を作る時の土台も作られてましたし。もしかして四属性使えるんですか?」
「はい、四属性上位上級まで使えます」
「なっ?!」
ニグリさんの質問に答えると、二人は口を開けて驚いたようだ。
「……驚いたわ。そんな魔法使いって存在したのね。シルヴァさんみたいに一属性だけ上位上級っていうのでも凄いのに」
「それだけじゃなくて、治癒魔法も使えますよね。いる所にはいるんですね、こんな凄い人が……」
「ふふっ」
急にユークレースさんが笑い出すと、それにつられるように、ニグリさんも笑みをこぼす。
「あの、何かおかしなことを言いましたか? もしかして信じてもらえていないとか……?」
「ふふふ、ごめんなさい。そうじゃないのよ。ね、ニグリ?」
「そうですね。メノウさんが嘘をついているなんて思ってもいませんよ」
そう言って、二人は頷きあっている。
「いえね? 自分が魔法を使えるからって、態度のでかい人が多いのよ。大した魔法も使えないのに」
「確かにおるのう。中には自分が選ばれた存在だと信じて疑わん奴もおったな」
「いましたねー。ことあるごとに自分は選ばれた人間なんだーって吠えてました」
「そんな格好悪い連中のことを思い出しちゃってね」
ユークレースさんの話に、サフィーアとニグリさんが苦笑しながら頷いている。
「メノウさんは全然そんな人じゃないものね。でも、少しぐらい堂々としてても良いんじゃない?」
「そんな、堂々となんてできませんよ。今も何も知らないこと、わからないことばっかりなんです。今でもホント、いっぱいいっぱいです……」
私はスカートをぎゅっと握り、唇を噛みながら俯いた。
「瑪瑙……」
隣でずっとメモを取っていたルーリが、私の肩をポンポンと叩いて慰めてくれる。
……しまった。
時間の事で少しめげてしまっていたせいで、つい弱音を吐いてしまった。
「すみません、ちょっとナーバスになってしまいました」
私は、テへっと笑ってごまかそうとする。
「いいえ、私達も少し無遠慮に話し過ぎたわ。気を悪くしないでちょうだいね」
「メノウさん。ハルルちゃんは、きっとあなたの力になってくれます。年下を頼るのは抵抗があるかもしれませんが、辛くなる前に話してみてくださいね?」
「はい。でも、言わなくてもハルルは気づいちゃいますからね」
「確かに!」
私が苦笑して言うと、みんな笑いながら頷くのだった。
話しは少し脱線してしまったけど、その後は細々とした注意点を教えてもらい、何とか私達は、コルトさん達から出された課題を達成できそうだった。




