死の恐怖
黒い津波を何とか無事に撃滅し、私達は戦った場所を離れる。
流石に死屍累々の場所では気が休まらないからね。
それにしても、警戒はしていたけど、あんな簡単に意識を奪われるなんて思わなかった。
ルーリがサフィーアを援護に向かわせてくれていなかったら、どうなっていたんだろう。
そう考えるとルーリとサフィーアには感謝だね。
もちろん他のみんなにもだけど。
「瑪瑙お姉ちゃん大丈夫?」
そう言って、手をぎゅっと握ってくれたのは、ハルルだった。
心配そうに、私の顔を覗き込んでくる。
この子は私が落ち込んだりすると、すぐに声をかけてくれる。
まだ十歳なのに、よく気が付く子だね。
「しばらく手を繋いでもらってていい?」
「ん!」
ハルルの前で強がっても、すぐにバレちゃうからね。
ここは素直にハルルに甘えておこう。
「フルールに戻ったら、いっぱい美味しいご飯作ってあげるからね?」
「瑪瑙お姉ちゃん。無理しちゃダメだよ?」
「ハルルがこうして心配してくれてるから、もう大丈夫だよ」
「全然大丈夫に見えないよ……」
ハルルがぽそっとつぶやいた。
それにしても、何だか落ち着かない。
地に足がついてないと言うか、ソワソワする。
こんなことで、落ち込んでる暇はないんだよ、私。
元の世界に帰るために、私は頑張らないとダメなんだ。
今以上にもっと頑張らなくちゃ……。
「この辺りで野営し直そうか」
シルヴァさんがみんなに言う。
どうやら私はずっと考え込んでしまっていたようだ。
どれだけ歩いたのかさっぱりわからなかった。
「じゃあ、ささっと食事の準備しちゃいますね」
私がそう言って焚き火の準備を始めると、
「瑪瑙。休まなくて大丈夫? 凄く疲れた顔してるよ?」
リステルが心配そうに私を見る。
「確かにちょっと疲れたかも? でも、それ以上に今は気分転換したいんだー。ハルルもお腹すいてるでしょ?」
「すいてる」
繋いだ手に、ぎゅっと力を入れたハルルが言う。
「ほら――」
ほらね?
って言い切る前に、ハルルが私に抱きついてきた。
「でも、瑪瑙お姉ちゃん辛そうだから、ハルル保存食でいいよ?」
「だーめ。私もお腹すいてるもん! 食事の最中に襲われたんだから、みんなもそうだよね?」
『……』
私の言葉に、誰も返事を返してくれなかった。
「……メノウ。包丁を持ってみろ」
「?? わかりました」
シルヴァさんが私の目をじっと見て言った。
私は空間収納から包丁とジャガイモを取り出して、皮を剥こうとした。
「あれ? なんで??」
右手に持った包丁が、カタカタと震えている。
さっきまで手なんて震えてなかったはずなんだけど、これじゃあ野菜を切るどころじゃない。
「お嬢様。私達で警戒をしておきますので、メノウを少し休ませてあげてください。今は気が立っていて、自覚していないようですから」
「わかったコルト。悪いけどお願いするね。ルーリとサフィーアもこっち来て!」
「わかったわ」
「わかったのじゃ」
「メノウちゃーん? 食事の準備はー、私とアミールでやっておくからー、みんなと少しゆっくりして心を落ち着かせるといいわー。包丁はしまっておきなさーい」
カルハさんが、私の手からジャガイモを取り上げて言う。
「ありがとうございます……」
包丁を空間収納にしまい、包丁を持っていた手をぐーぱーぐーぱーする。
おかしいな?
ずっと手が震えたままだ。
「瑪瑙。テント出してもらっていい?」
「うん。ちょっと待ってね。よいしょっと」
空間収納からテントを取り出し、リステルに渡す。
「私も設営手伝うよ」
私がそう言うと、
「私とリステルでするから、瑪瑙は座って休んでて?」
ルーリにそう言われてしまった。
「メノウよ。お前さんはこっちに来るのじゃ」
そう言って、みんなの邪魔にならない位置に座っているサフィーアが手招きをしている。
私はサフィーアの隣に腰を下ろす。
すると、サフィーアが立ち上がり、私の頬に両手を添えて、おでこ同士をあわせた。
前にも感じた、心の中を見られるような居心地の悪い感じが私を襲う。
「サフィーア?」
「ちょっとじっとしておれ。……ふむ。だいぶ心が荒ぶっておるのう」
「前よりも悪くなってるってこと?」
「いや、そうではない。今の所、魔法とペンダントでちゃんと抑えられているぞ」
んー?
みんな私の事を心配してくれてるのはわかるんだけど、そんなに私辛そうに見えるのかな?
「私、そんなに辛そうな顔してる?」
「やはり自覚が無いようじゃな。ずっとうつむいて顔をしかめたままじゃぞ?」
「えっ、嘘」
慌てて頬っぺたに手を当て、ムニムニとマッサージする。
「どう瑪瑙? 落ち着いた?」
そう言って、テントの設営を終えたリステルとルーリがこっちに寄って来る。
「顔が強張ってるって言われたけど、自分では良くわからないんだよね」
「それだけじゃないんだけどね。んー。瑪瑙ちょっとごめんね?」
リステルが正面に座り、おもむろに私を抱き寄せた。
「リステル?」
「いいから。ちょっと目を閉じて、深呼吸してみて?」
いきなりぎゅっと抱きしめられて戸惑いつつも、言われた通りにする。
すー、はー。
何度か深呼吸を繰り返していると、体が軽くなった気がした。
「あーちょっと楽……か……も……っ!」
そう言った瞬間、巨大で真っ赤な狼の姿がフラッシュバックした。
「はっ……はっ……はっ……」
体全体が震えだし、冷汗が大量に吹き出す。
呼吸もままならなくなり、酷く息苦しく感じて、必死に浅い呼吸を繰り返した。
心臓が破裂するんじゃないかと言う程、早く強く鼓動が鳴る。
そうだ。
私はもう少しで、死ぬところだったんだ……。
なんで気が付かなかったんだろう。
この世界は、簡単に人が死ぬ。
その中に、私が含まれる可能性は、当然あるんだ。
何がどうなっていたんだろうだ。
そんな悠長な状態じゃなかった。
死ぬ寸前だったじゃない。
私は完全に、死の恐怖に飲み込まれてしまった。
震えがおさまらない手を必死にリステルの背中に回し、しがみつく。
怖かった。
怖くてたまらなかった。
「ずっと瑪瑙の様子、おかしかったんだよ? 手、震えてるのも気づいてなかったみたいだし。それに、死んでたかもしれないのに、変に元気だったから」
そう言って、優しく背中を撫でてくれる。
「私も、死にそうになったことって何回かあるの。その時は、コルト達と一緒にいたから生き残れたけど。その後は、今の瑪瑙みたいに震えて動けなくなったよ? 瑪瑙はきっと、無意識に堪えちゃったんだね」
必死に何かを話そうとしたけど、頭が恐怖に支配されて何も考えられず、口で浅い呼吸を繰り返すしかできなかった。
そんな私を背中から抱きしめてくれるルーリ。
「ごめんなさい。私達の力不足のせいで、瑪瑙に辛い思いばかりさせてるわね……」
そんなことは無いって否定したいんだけど、息をするのが精一杯で言葉がだせない。
首を横に振ることしかできなかった。
「私も今の瑪瑙みたいになったことがあるの。私の場合は涙もポロポロ流してたよ……」
そう言って、抱きしめる力を強めるリステル。
何とか酷く浅い呼吸を抑えるように、無理やり大きく息を吸ってはいてを繰り返す。
大丈夫。
私はまだ生きてる。
そう何とか自分に言い聞かせる。
「瑪瑙? 目を閉じて、体の力も抜いて、私に身を任せて? ほら、腕もだらーんとおろして」
リステルの優しい声が、私の頭の中にしみ込むように聞こえた。
目を閉じて、言われた通りにする。
背中に回していた手もおろし、何もかもを放棄するように、リステルに全体重を預ける。
すると、呼吸が少しずつ楽になってきた。
「落ち着いてきた?」
後ろからルーリの声も聞こえる。
すーはー。
深呼吸を何度か繰り返す。
手の震えはおさまっていないし、鼓動もまだまだ早いけど、
「うん。少し、楽になったよ……。ありがとう」
喋るくらいはできるようになった。
私が喋ると、ぎゅーっとさっきよりも強く抱きしめられた。
「ちょっと二人とも痛いよー」
少し笑いながら言う。
二人の体から伝わってくる温かさに、少しずつ心にも余裕が戻ってきた。
「ねぇリステル? リステルが今の私みたいになった時に、コルトさん達が同じようにしてくれたの?」
目は開かず、全身の力を抜いて、リステルにもたれかかったまま話す。
「そうだよ。あの時は、怖くて冒険者なんて辞めたいって、グズったなぁ。まぁ首都にいても、碌なことにはならなかったと思うから、私には家を出るって選択肢しかなかったんだけどね」
苦笑交じりの声が聞こえる。
「リステルの強さで、死にそうになるなんて想像もつかないわ」
ルーリが言う。
「私だって、駆け出しの頃はあったんだよ? 正直、瑪瑙が凄すぎるだけ」
そう言って、私をあやす様にその当時の事を話してくれた。
――リステル視点――
十三歳を迎え、コルト先生達と本格的に冒険者としての活動を開始した私。
首都周辺は、魔物も滅多に出ない安全な場所だったので、南へ旅をすることになった。
目的の場所は「ルーボア」と言う、首都から南下し、徒歩でおおよそ四日かかる街。
ルーボアの街は、西側に隣接する形で「ラングレーゼの森」と呼ばれる森林地帯が広がっている。
ここは小型の魔物が多く、群れを作っても少数と言う、駆け出しの冒険者が経験を積むのに丁度いい場所と言われている。
勿論、絶対安全と言うわけではない。
注意しなくてはいけない魔物は当然存在する。
コルト先生達に連れられて、ラングレーゼの森へとやってきた私は、順調に経験を積んでいた。
「コルト先生。今みたいな感じで大丈夫ですか?」
私の周りには、膝丈くらいある大きさの大口鼠の死体が五体ほど転がっている。
「そうですね。初動も問題は無かったです。大口鼠は大して強くありませんが、すばしっこい魔物です。今の様に、初手を魔法で遠距離から攻撃して数を減らし、囲まれないようにするのが魔法剣士の定石になります」
概ね満足そうにコルト先生は頷く。
「そうだな。贅沢を言えば、今みたいに余裕がある場合は、魔物の傷を少なく綺麗に殺せると良いって所か」
大口鼠の死体の傷を確認しながらシルヴァ先生が言う。
「それも徐々に慣れていけばいいわー。実力はあるからー、しっかり経験を積んでいきましょー?」
のほほーんと笑顔で話すカルハ先生。
「冒険者ギルドで、周辺情報の取得に、ルーボア近辺に出没する魔物の種類や特徴、相対した時の対処法もちゃんと調べていましたね。教えた事はちゃんと覚えているみたいで安心です」
先生達からのお褒めの言葉に、少し気分が良くなる。
私が魔物と戦っている間、先生達は遠巻きに見ているだけ。
危なくなったら助けてくれるとは言ってくれているけど、戦うのは私一人。
ある程度経験を積んだら、私は家を出て、冒険者として、一人で旅をすることになっている。
理由は……あまり思い出したくない。
「そう言えば、ルーボアの冒険者ギルドで鉤爪熊が近場に出没しているって話を聞きましたけど、鉤爪熊って強いんですか?」
何でも、そのせいで新米の冒険者パーティーのいくつかが、大怪我をして戻って来たらしい。
「大口鼠とは比べ物にならないな。体は物凄く大きい癖に俊敏で、更に体毛が意外に固くて頑丈だ。下手な攻撃じゃびくともしないぞ? 弱い魔法なら、直撃しても平然と襲い掛かってくる。凶暴で厄介な魔物だな」
大口鼠を空間収納にしまいながら、シルヴァ先生が説明をしてくれる。
「鉤爪熊の名前の通り、鋭い爪を持っていて、皮の鎧程度なら、いとも簡単に切り裂いてしまう程、攻撃が危険なのも特徴ですね」
「頭も意外と良くてー、不意を突いてくることもあるからー、要注意ねー」
周囲を警戒しつつも、先生達は私に丁寧に教えてくれる。
それからも私は戦闘を続け、大した問題も起こらず、夕暮れ時を迎えた。
森の中にいるから、薄っすらと茜色の光が、木々の間から見える程度だけど。
今から野営の準備。
私は一人旅をすることになっているので、野宿を覚える必要はないんだけど、覚えておいて損はないと言われたので、野宿をすることになっている。
カルハ先生が、焚き火と食事の準備をしている間に、私と二人の先生でテントの設営をする。
「クリスお嬢様は、カルハみたいに料理を覚えないんですか?」
テントを組み立てていると、ふいにコルト先生からそんなことを聞かれる。
「別に必要ないかなーって思ってます。街にいる間は外食ですませますし、街から街への移動の時は、保存食で十分ですしね」
「確かにそうなんだが、美味い食事は活力になるぞ?」
言ってることはわかるんだけどね。
「そう言う先生二人だって、カルハ先生に食事の準備任せっきりじゃないですか」
「カルハの料理は美味いからな。あいつが準備をしている間は、テントを組み立てたり、周囲を警戒するのが私達の役割なんだよ」
「この役割分担が当たり前になってしまっているので、今から料理を覚えるのは、少々面倒ですね」
苦笑いをして言う先生二人。
「私が好きでやってるから良いのよー」
カルハ先生が、話を聞いていたのか笑って答えている。
そうして、二日程が過ぎた。
私の訓練も順調に進み、今日は夜の見張りをすることになった。
まだまだ経験不足だから、コルト先生も一緒に見張ってくれている。
「クリスお嬢様。今の所順調に進んでいますが、何か質問などありませんか?」
焚き火を真ん中に、向かい側に座っているコルト先生が話しかけてくる。
「私は、いつか家に戻れる日が来るのでしょうか? お父様も大叔父様も大嫌いですが、お母様だけは心配ですし、ずっとお母様に会えないのは寂しいです……」
少し下を向いて話す。
「それは……。私からは何も言えませんね。ただ、クオーラ様の身元については、安全でしょう」
「どうしてです?」
「王族には、クリスお嬢様の事件の真相を知っている者が大勢います。もちろん、政務に携わっている貴族の中にもいます。ペントランド卿が良い例ですね。あの方は今回の事に、非常に不快感を感じているそうです。ここでクオーラ様に何かあった場合、国王様もクリスお嬢様の御父上であるカルセード様にも、大きな批判が行くことになるでしょう。そう言うことを、あのお二人は酷く嫌がるお方ですからね。下手に手を出すことは無いでしょう」
「そうなんですね。私じゃなく、お父様が出て行けばいいのに……」
あんまり人の悪口なんて言いたくないけど、私を今の状況に追いやった人間だ。
ついついイライラがつのって、口が悪くなってしまう。
「クリスお嬢様のお気持ちは、理解しています。ですが、あのままグラツィオーソ家に残っていても、縁談の話はきっと山ほど来ますよ? グラツィオーソもれっきとした王族の血筋なのです。婚約もお役目の一つなんですから。男嫌いのクリスお嬢様は、次々やって来る男性に耐えられますか? 婚約は?」
コルト先生の言ってることは正しいと思う。
頭ではわかっているんだけど、体が拒絶するんだ。
コルト先生は婚約までで止めてくれたけど、婚約の後は子供だ。
それを考えかけただけで、吐き気がする。
「耐えられません。あれから何人か会いに来た男性がいますけど、我慢できなくて魔法で吹き飛ばしてしまいました……」
「クオーラ様から聞きましたよ。男性が近寄ろうとした瞬間吹き飛んだと」
うつむく私に、苦笑交じりで話すコルト先生。
はぁっと私がため息をついた時だった。
ガサガサ。
「ギギッ」
少し離れた所の茂みが揺れる音と、
「今のは大口鼠の鳴き声?」
コルト先生が警戒感を露わにして言う。
「私、見てきます! 大口鼠程度ならすぐに倒せるでしょう」
私は音がした茂みに走って向かう。
「お嬢様っ! 危険です! 戻ってきなさい!」
後ろからコルト先生が叫んでいるのを、無視して走る。
少し憂さ晴らしがしたかった。
嫌なことを沢山思い出したせいだ。
イライラしていたこともあって、私は重要なことを忘れていた。
大口鼠は昼は活発に活動するが、夜は木の洞などで、固まって大人しくしていることを。
私が走って近づいたことに気づいたのか、大口鼠が茂みから何匹か飛び出してきた。
私は剣を鞘から抜き、左手を前にかざす。
「ギィッ!」
「ウィンドカッター!」
私の方に正面から向かってくる内の二匹を、旋風の刃で真っ二つにする。
続けて右方向から飛びかかって来る一匹を、下から斬り上げる。
そのままの勢いで右足を軸に右回転し、背中から襲ってくる一匹の顔面を横に一閃する。
そして、流れる様に一歩大きく踏み出し、もう一匹の目を貫く。
これで五匹。
大口鼠は大体が四~五匹の小規模な群れしか作らない。
いてもせいぜい後二~三匹だろう。
ところが、茂みからどんどん飛び出してくる。
ここで異常を感じて、コルト先生のいる所へ戻れば良かったんだけど、虫の居所が悪かったことと、大口鼠が大して強くないことが、私に冷静な判断をすることを妨げた。
囲まれないように立ち回り、次々と斬り、突き倒していく。
「ふっ!」
剣を両手持ちし、右上段から斜めに剣を振り下ろす。
「ギッ!」
飛びかかろうとした一匹を斬り裂く。
結構な数を倒したと思ったけど、まだ数匹はいる。
次っ!
そう思った瞬間、大口鼠は一斉に逃げ出してしまった。
「あれ?」
ポカンとした時、そいつは現れた。
「グオォォォォッ」
私より少し大きく、鋭利な爪を持ち、真っ黒な毛皮の魔物。
鉤爪熊が。
鉤爪熊は、大口鼠を上回るスピードで接近し、飛び上がってその鋭利な爪を振りかざす。
「っ!! 速いっ!!」
咄嗟に左へ転がる様に避ける。
私の後ろにあった木が、ドゴォォォっと凄い音立てて、斬り倒されてしまった。
そんなに太い木ではなかったけど、それでも簡単に切れるような太さじゃない。
流石のこれには、背筋が冷たくなった。
先生達の所まで逃げるか?
とも思ったけど、鉤爪熊はこちらをじっと見据えてゆっくりにじり寄ってくる。
私は剣を構え、相対することにした。
正面は爪での攻撃が来るので危険。
なら!
左手をかざしながら、右へ回り込む。
「ウィンドアロー!」
かざした手から、疾風の矢を次々と放つ。
「グガァッ!」
よし、頑丈って聞いていたから、貫通力があるウィンドアローを使ったけど、鉤爪熊にもちゃんと効果がある。
怯んだ隙を狙って近づき、左腹部を真横に斬り裂くが、体毛に阻まれて刃が通らなかった。
「なっ?!」
すぐさま後方に飛び退く。
ヒュゴウと物凄い風切り音が鳴り、寸前まで私がいた場所に、真っ黒な腕が振るわれていた。
「風よ、鋭き風よ! 我が剣に集え! 何者をも切り裂く刃となせ! エンチャントウィンド!」
私は飛び退きながら詠唱し、刀身が薄緑に輝き風を纏う。
これで斬れなかったらマズイ……。
鉤爪熊が右手を大きく振りかぶるのを見て、スッとバックステップ。
振り下ろされた右手に向かって一歩踏み出し、上段から斬りつける。
今度は体毛で防がれることなく、右腕はドサッと落ちた。
よし、これなら通る!
素早く右足を横薙ぎに斬り飛ばし、背中を下段から飛び上がりながら斬り上げる。
飛び上がった頂点に達したところで、両手で剣を握り、右から左へ首を一閃する。
剣は背骨を過ぎた所あたりで止まってしまったが、背中を蹴り飛ばし、私は後方へ距離をとる。
「はぁ……はぁ……」
首は落とせなかったけど、十分致命傷のはずだ。
剣を構えながら警戒する。
鉤爪熊はゆっくりと崩れ落ちて、ピクリとも動かなくなった。
ゆっくりと乱れた呼吸を整える。
それにしても、難敵だった。
「鉤爪熊って初めて見たけど、そこまで大きいかなー?」
シルヴァ先生が物凄く大きいって私に言ってたけど、こいつは私より頭一つ大きいぐらいだった。
そんなことを考えていると、悪寒が走った。
後ろを振り返ると、黒い巨大な塊がこちらに向かって突っ込んできた。
咄嗟に右方向へ飛びのくも、大きすぎて躱しきれなかった。
「ぐっ!」
私はいとも容易く弾き飛ばされ、地面を転がる。
あまりの痛みに、呼吸がままならない。
動くこともできなかった。
私を弾き飛ばした黒い塊は、悠然と私の前まで歩み寄り、立ち上がる。
鉤爪熊だった。
さっき倒した鉤爪熊とは大きさが二倍ほど違う。
さっきのは子供かっ!
「グオォォォォォッ!」
鉤爪熊が咆哮を上げた瞬間、私は恐怖で身動きすらできなくなってしまった。
助からないと思った。
死ぬと思った。
鉤爪熊が腕を振り上げる。
お母様の笑顔が、私の頭の中に浮かび上がった。
「お母様っ!」
腕は容赦なく振り下ろされたと思った瞬間だった。
その腕は宙を舞っていた。
「まったく……。後でお説教です。クリスお嬢様」
「コルト先生!」
「お話は後です」
そう言うや否や、目にもとまらぬ速さで、鉤爪熊のもう片方の手を斬り落とし、片足も斬り飛ばしていた。
バランスを崩して、コルト先生に向かって倒れてきた鉤爪熊の首をめがけて、すれ違いざまに剣を振る。
巨大な頭が、あっけなく刎ね飛ばされて宙を舞う。
ズシンと音を立てて倒れ、鉤爪熊はピクリとも動かなくなった。
「クリスお嬢様、大丈夫ですか?」
うつ伏せになって倒れている私を、コルト先生が起こそうとしてくれた。
「痛っ!」
左肩を触られて、激痛が走る。
「ん? ちょっと我慢してくださいね」
私を起こし、体を触診している。
「折れてはいないようですが、ヒビが入っているかもしれませんね」
「うっ、ううっ。うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」
ホッとしたのか、私は我慢できなくなって、コルト先生に抱きつき、泣き出してしまった。
「コルトーーー! 死っ死ぬかと思ったーーー! 怖かったよーーーっ!」
ボロボロと自分の中で我慢していたものが崩れていく。
「もうヤダ! 何で私がこんな目に合わないとダメなの?! ホントは家だって出たくないっ! お父様がいなくなればいいじゃない! 私何もしてない! 私悪い事なんてしてないのにっ! 死ぬと思った! 死ぬと思った!! もうダメだと思った!!! もうこんな怖い事嫌っ!!」
泣き叫ぶ私を、思い切り抱きしめるコルト。
「……クリスお嬢様、申し訳ありません。王家のことは私達には、何もできません……」
「コルトは私の事なんてどうでもいいって思ってるの?」
「そんなわけないじゃないですかっ!! どれだけ私達がお嬢様の事を大切と思っているんですかっ!!」
「じゃあどうして? さっきのも見てたんでしょう? 直撃してたら私死んでたかもしれないんだよ……?」
「ええ。ちゃんと見てました。普段のクリスお嬢様だったら、あれぐらいはちゃんと避けられたはずですよ? それに、あの程度の突進では、人は殺せません。それがわかってたから、助けに入らなかったんです」
頭を撫でながら、私をなだめるようにコルトは言う。
「コルト。やっぱり親子だったぞ。少し離れたところにでかいのと小さいのが一頭ずついた」
「ちゃんと倒しておいたわー。そっちはー……。大丈夫じゃないみたいねー?」
シルヴァとカルハが、どこからかやって来る。
「家を出ることを考えたのは、クオーラ様とクリスお嬢様じゃないですか」
コルトが喋ったことから、何の話をしていたのか、見当がついたらしいシルヴァが、
「今グラツィオーソ家に戻っても、味方はクオーラ様しかいないんだ。クリス様。王家の奴らは事情を知っていても、クリス様を避けている」
「王家で魔法が使えるのはー、クリスちゃんだけだからねー。私達もー、王家の人間は薄情だと思うわよー?」
カルハはバッサリ言い捨てる。
「私は……。死んじゃったほうが良かったのかなぁ? うぅっ」
私の心は、死の恐怖と、虚しさが混ざってグシャグシャになってしまった。
震える手で、必死にコルトに抱きついていたけど、力なくだらんと、離してしまった。
「そんなこと思わないでください。少なくとも、クオーラ様と私達は、そんなこと望んでいません! クリスお嬢様が小さなころから、私達は一緒だったんです」
コルトがそう言うと、後ろから、シルヴァとカルハにも抱きしめられた。
「そのまま目を閉じて、体の力を抜いて、私に身を任せてください。腕もだらーんとおろしたままでいいですから」
コルトに言われた通りにする。
「とても辛いですよね。正直、私達も悔しいです。クリスお嬢様がこんなに辛い思いをしているのに、私達ができることと言えば、戦い方を教えることだけです。ですが、グラツィオーソ家に残るとしても、戦い方は知っておいた方がいいと私は考えています。お嬢様は剣の才能も、魔法の才能もある。誰も手が出せない程に、強くなっておいた方がいいんです」
「あんな所にいるより、外に出た方がいいと、クリス様も思ったから、こうやって冒険者として経験を積んでいるんじゃないのか?」
「お願いだから死んだ方がいいなんてー、思わないで欲しいわー。私達はー、クリスちゃんのことが大好きなのよー」
目を瞑って聞いているけど、みんな涙声になっていた。
実際、王家の中で私と言う存在は、微妙な立場になってしまっていた。
人を殺しかけてしまった。
それも、政務に携わっている重鎮の親族をだ。
事件が事件だけに、大っぴらにはされていないけど、その事件のあらましは多くの者が知ってしまっている。
そして、その事件の後から、あからさまに私は忌避されている。
殺してなんかいないのに、私を人殺しと陰口を叩く者もいる。
それでも、婚約をしようとする、気持ちの悪い男は何人かいたけど。
お母様と話し合った。
家を出ることを切り出したのは私だ。
お母様は反対してくれたけど、私がいることで、お母様の立場も悪くなる。
それだけは避けたかった。
どこかに身を隠すという話にもなった。
ただ、人目を忍んで生きるというのは、嫌だった。
私は、別に悪い事なんてしていない。
堂々と生きていたい。
そこで、私は冒険者になることを決意した。
もちろんお母様には猛反対された。
どうせなら自由に生きてみたい。
旅をしながら、世界を見て回りたい。
そう言ってお母様を説得した。
いっぱい条件は付けられたけどね。
コルト達にしっかり冒険者としての基本を叩きこんでもらう事。
旅する場所は、ハルモニカ王国内にすること。
こんな風に、他にも色々と。
コルト達に抱きしめられて伝わってくる温もりを感じながら、そんなことを思い出していた。
自分で決意したはずなのに、心がぽっきりと折れてしまいそうになっていた。
でも、思い出す。
あそこにいても、私に良い事なんて一つもない。
悪いことだらけだ。
頑張らなくちゃ……。
でも今は……。
「ごめんなさい。怖くて挫けちゃいそうでした。また明日から頑張りますから、今はもうちょっと、このまま先生達の温もりを感じさせてください……」
そう言うと、私を抱きしめる力が強くなった。
温かくて気持ちがいい。
「クリスお嬢様。先生って呼ぶのやめませんか? いつの間にか先生って呼ばれるようになりましたけど、子供の頃みたいに呼び捨てにしてください」
「コルト? 私まだ子供だよ? 十三歳。成人まであと二年あるもん」
「言われてみればそうだったな。とっくに成人したような気がしてたな」
「クリスちゃんは真面目だからねー。でもー、後二年で成人なのねー」
「きっとお祝いなんてできないのでしょうね。大事な教え子の成人を祝えないのは、寂しい事ですね……」
「……さて、そろそろ撤収準備するぞ。ゆっくりしたいところだが、ルーボアに戻って、クリス様の怪我の具合の確認と、鉤爪熊のことを冒険者ギルドに早く伝えておいた方がいいだろう」
シルヴァがそう話をする。
私はゆっくり目を開き、強く抱きしめてくれている三人を見る。
「私も、コルト達みたいな仲の良い友達ができるかな?」
「あら? 私達じゃー不満なのー?」
カルハが口を尖らせて拗ねたように言う。
「だって三人は私の先生だもん。友達って感じじゃないよ!」
「そうですね。いつかきっと、素敵な出会いがありますよ」
コルトがそう言って、もうちょっとだけ抱きしめてもらって、私達はルーボアに帰還するのだった。




