ゴンドリエーラ
「それでは皆様改めまして、当ゴンドラをご利用いただきありがとうございます。私、カンパニュラ所属のゴンドリエーラ、カイヤと申します。しばしの間、皆様に素敵なひと時をお送りできますよう務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」
パチパチパチパチ。
私達はゴンドラの後部に立って船を操縦しているカイヤさんに拍手を送る。
カイヤさんは白を基調とし、青い刺繍が施された綺麗な衣装に身を包んだ女性。くるぶし辺りまである長いスカートが風にたなびき、美しさと一緒に優雅さも感じられる。そしてカイヤさんの腰辺りまで伸びている淡い青色の髪は、綺麗な衣装をより映えて見せている。
「ゴンドリエーラ?」
ハルルが首を傾げている。
「ゴンドリエーラとは、ゴンドラを操る船頭の事を言います。女性はゴンドリエーラ。男性はゴンドリエーレと呼ばれております」
「えっと、ゴンドリエーラ? って結構な人数いらっしゃるんですね? 力とか凄く必要そうなのに。男の人ばっかりなんじゃって思ってたんですけど」
「昔はそうだったみたいですよ? えっと、お名前をお聞きしても?」
「瑪瑙です」
「メノウさんですね。ゴンドラ乗りと言えば、男の仕事だと言われていた時代があったそうです。力や体力もそうですが、操船技術もかなりのレベルが必要とされていましたから。今はなろうと思えば、男女問わずになれる職業になっていますよ。力も然程必要ではなくなり、操船技術もゴンドラが操縦しやすくなったことで、昔より安心安全に運航できるようになっています」
「……! もしかして、このゴンドラは魔導具なんですか?」
ルーリがカイヤさんの話で何かに気づいたようで、より一層目を輝かせていた。
「その通りです」
カイヤさんは漕いでいたオールを水面から引き抜いて私達に見せる。そこには、青色に輝く宝石のようなものが埋め込まれていて、金色の魔法陣がまるで装飾のように施されていた。
「オールとゴンドラ。この二つがセットになって、水流の操作を容易にしているのです。これのおかげで、ゴンドリエーラは今では女性の憧れの職業の上位に君臨するようになりました」
それからカイヤさんはこの街にまつわる色々な事、建物や歴史、ミュセットの街を形作っている様々をそれはもう淀みなく、まるで詩でも詠っているかのように朗々と話してくれた。
元々ミュセットは漁業だけで栄えていた街だったそうだ。
時代が進むと船も進化を重ねていき、やがて遠洋まで出られるようにもなり、より一層漁業が盛んになっていった。
だが、船の進化が齎したものはそれだけではなかった。
他国、それも今まで隣国を介してしか関わってこなかった国々との直接貿易が始まり、それだけにはとどまらず、海を越えた別の大陸との交易もどんどんと増えていった。
多様な人種、多様な価値観が次々に流れ込んでいき、ミュセットは漁業だけではなく、交易都市として大きくなっていった。
そうしてミュセットはフラストハルン王国の玄関口として大きく発展し、建物も白色に統一された美しい街へと変わって行く。
当然、他所から訪れた人々や価値観は、大きな問題を起こすことも度々あった。
それらを乗り越えて、ここミュセットはフラストハルン王国の重要都市の一つとなったのだそうだ。
「ご清聴ありがとうございました」
深くお辞儀をするカイヤさんに、思わず拍手を送る。
私達は、カイヤさんの歌うような語りに聞き惚れてしまっていた。
「皆さんは、この街にどのような理由でお越しになられたのですか? 差支えが無ければお教えいただいてもよろしいでしょうか?」
「ガラク皇国へ渡ろうと思っておるのじゃよ。妾達はオルケストゥーラ王国を目指しておるのでな」
「そう……ですか。ガラクへ……」
サフィーアが言ったガラク皇国と言う言葉に、カイヤさんの表情が硬くなる。
「その様子じゃと、海竜の問題はまだ解決しておらんのじゃな?」
「ご存知でしたか……。どうも先日の大嵐が原因で、海竜の群れが流れ着いたんじゃないかと言うお話でして」
「倒せないの?」
「海に生息する魔物の討伐は、よほどのことが無い限りできない事が多いですから。足場は船だけ。海中への攻撃は魔法ですらあまり届きません。水中での行動なんて人には無理ですからね」
「じゃあこのままいなくなるまで放置なの?」
「私が聞く限りでは、そういう対処しかできないと聞いています。ただ、元々海竜は温かい海域に住む魔物なのだそうで、静青の頃が深まる頃にはいなくなるんじゃないかと予想されていますが……」
ミュセットにいる海洋学者が言うには、偶然に偶然が重なった結果、海竜がこの海域に長く居ついているそうだ。
烈赤の頃……日本で言う所の夏が始まる直前に起こった大嵐は、この海域近くを通りかかっていた海竜達を押し流してしまった。ここ周辺の海域の水温はあまり高くはないのだが、丁度烈赤の頃が始まって海水温が上がりだしていたところに、海産資源が豊富なこの海域に偶然に流れ着いてしまった。
そういった背景があって、海竜が長く居ついていると考えられているらしい。
「カイヤさんお詳しいですね? どうしてそんな事をご存知なんですか?」
リステルがカイヤさんの事情の詳しさに驚いている。
「もちろん、この街での出来事ということも大いに関係はあるのですが、ゴンドラにお乗せしたお客様と何がきっかけでお話が盛り上がるかはわかりませんからね。色々な情報を知っておくのは、ゴンドラ乗りとしては当然の事なんです。現に皆さんとこうしてお話が出来ているわけですし」
「「「「「おー」」」」」
私達はまた思わず拍手する。
こういう人をプロフェッショナルと言うのだろうか?
「恐れ入ります」
少し頬を染めて照れ笑いを浮かべるカイヤさん。
「皆さんはどこで海竜の情報を?」
「私達はアピートの街の冒険者ギルドで。ミュセットまでの道のりの情報を集めてたら、ギルドの人が海竜が出現していて、船が運行できてないって言われて」
「皆さん、冒険者だったんですか?!」
「ん! ハルル達冒険者! ハルモニカ王国から来たよ!」
「……! そうでしたか。てっきり大きな商会のお嬢様か、貴族のご令嬢なのかと」
「あはは。本当にただの冒険者ですよ」
「それにしても、ガラク皇国へすぐに行けるとは思ってなかったけど、この様子だと時間かかりそうね」
ガラク皇国からの船が寄港しているかとか、出航日時や手続きの兼ね合いで時間がかかる事は覚悟をしていたのだけれど、それとは別に解決不可能な問題が立ちはだかってしまっている。
「とりあえず冒険者ギルドへ行って、討伐の予定とか諸々の話を聞いてみないとね。カイヤさんの話から考えて、何も進展してなさそうだけど」
「そう……ですね。最新の情報がどうなっているのかは、やはり冒険者ギルドで聞くのが一番ですね。こうしている間にも事態が進んでいる可能性もある訳ですし」
「あ、カイヤさん。新鮮なお魚って手に入ったりしますか? 船が出てないんだったら、漁ができてないでしょうし」
「朝一に売られるお魚はかなり減っていますね。ただ、無いわけではないです。船が出られないと言っても、港の近くでの漁はできているらしいんです。ただそれも、襲われる可能性があると言ってほとんどの人は漁に出ていないんです。だからその分酷く値が吊り上げられているんですが……」
「あー。まあ手に入るんだったら市を見てみるのはありかなー? 久しぶりにお魚を使った料理が作れると思ったんだけどなー」
「瑪瑙お姉ちゃんの作ったお魚料理食べてみたい!」
「市にいっても一般の方はあまりいいお魚は手に入らないかもしれませんね。料理を提供するお店が大体買い漁っている状態だそうで」
「そうなんですね。私も瑪瑙からお魚料理教わりたかったわ」
「ご自身で釣る、という事は出来ますが」
「あ、釣り! 忘れてた! 釣りができるポイントとかってあるんですか?」
「はい、勿論ありますよ! 砂浜から岩場、今は海竜のせいでほとんどの人が利用を避けていますが筏もあります。普段なら船宿もあるのですが、どこも休業中ですね」
「筏って木を縛って作った船の事よね? それで釣りに出るの? 危なくない?」
「あ、筏もあるんだ」
「瑪瑙、お前さんは何か知っておるのか?」
「うん。私は使ったこと無いんだけどね」
筏。
ぱっと思いつくのは、切った丸太とかを蔓なんかで縛って作る船のことだと思う。ここで言っているのはその筏じゃなくて、海底にロープなどで流されないように固定された水上建造物で、養殖用に用いられたり、釣り場として用いられたりするものの事。
日本でも筏釣りをやっている場所がいくつかあったはず。私は動画でしか見たこと無いんだけど。
「メノウさんはこの街のご出身……ではないですよね? ハルモニア王国からいらしたと仰ってましたし。よく筏釣りの事をご存知ですね?」
「あっあはははは……。その、たまたまミュセットから来たっていう冒険者に話を聞いて……だったかな?」
「なるほど、そうでしたか。人との縁とは、どこでどう繋がるか想像もできませんね」
「それは……本当にそうですね」
嬉しそうに笑顔を浮かべるカイヤさんのそんな言葉に、私は思わずリステルとルーリに視線を向ける。
いろんな縁が繋がって繋がって、私は今ここにいる。
どうしてこの世界に私が放り出される羽目になったのか未だにわからない。もしかすると、誰でも良かっただけなのかもしれない。
でも、この二人がいてくれたおかげで私は今ここにいるんだ。
「瑪瑙。お魚料理ってどんなものを作りたいの?」
「んー。ここで手に入るお魚がわからないからなー。カイヤさん、今ミュセットではどんなお魚が釣れるんですか?」
「そうですねー……。今は烈赤の頃から恵黄の頃に変わって行く時期ですからねー。釣りやすい魚で言えば、アジにサヨリあたりでしょうか? 大きくなったタチウオなんかも釣れたりしますね」
「あ、アジが釣れるのかー。タチウオもいいなー」
「瑪瑙お姉ちゃん。そのお魚だとどんな料理になるの?」
「うーんとね。アジは煮ても焼いても美味しいからね。フライにしても美味しいし、大きいアジだとお刺身にして食べるのもいいかもね」
「おさしみ?」
「生で食べるんだよ! お魚が苦手な人でもお刺身は食べられるって人は多いの」
「あの、メノウさん。アジを生で……ですか?」
カイヤさんが、信じられないといった表情を浮かべて私を見ている。
「……あれ?! お魚って生食しないんですか? ここって新鮮なお魚が手に入るんですよね?」
「手に入りますけど、生で食べたりは……。ガラク皇国から来た方がそんな食べ方をすると聞いたことはあるんですが……」
うっ。
まさか港街で魚の生食をしていないなんて思っていなかった。
でも、生で食べられるお魚はお刺身でぜひとも食べたい。だって今の私には醤油っていう素晴らしい調味料があるんだから!
「タ、タチウオが手に入るんだったらムニエルでも美味しいし、アクアパッツァにしてもいいなー」
「瑪瑙よ。タチウオとやらはさしみとやらにはしないのかのう?」
「……話逸らそうとしたのに」
私はサフィーアに頬をプクっと膨らませて拗ねてみる。
「おっと。まあお前さんが言うからには生で食べても問題ないのじゃろう? だとするとじゃ。食べてみたくなるのが人の性というものじゃよ」
「もう。えっとね、タチウオもお刺身で食べられるよ。と言うか、釣った魚をお刺身で食べるのは釣り人の特権だからねー。まあ当然リスクが無いわけじゃないよ?」
腸炎ビブリオやヒスタミン中毒、寄生虫のアニサキスは自分で釣ったお魚をお刺身で食べるときには避けて通れない問題だ。
釣って直ぐに内臓を取り除いて血抜きしてしっかり冷やす。
捌く時は真水でしっかり洗う。
開いたときにアニサキスがいないか目視で確認。
熟成を考えずに新鮮なうちにすぐに食べる。
これらを気をつけることで、リスクを少なくすることができる。
「メノウさん、おさしみとは美味しいのですか?」
「そうですね。お魚の楽しみ方の一つだと思います。煮る焼くとはまた違った味が楽しめるはずですよ?」
信じられないという顔をしていたカイヤさんも、私の話で少し興味がわいたようだった。
ゴンドラは優雅に進む。
水の綺麗な青と建物の白とのコントラストが生み出す美しい景観は、それはもう幻想的で、それまでお魚の事で騒いでいた私達は、まるで物語の一ページに登場するような光景に言葉を失っていた。
「皆さん、間もなく冒険者ギルド前へ到着しますよ!」
時間はあっという間に過ぎ、気が付けば私達の乗っているゴンドラの周りに、同じように人を乗せたゴンドラが並走していた。
「お疲れ様でした。一人ずつお降ろしいたしますので、それまで座ってお待ちください」
「「「「「はーい」」」」」
ゴンドラから降りた私達はカイヤさんに銀貨五枚を渡したあと、金貨一枚をチップとして渡す。一瞬カイヤさんの視線が手に乗せられた金貨と私達を行き来する。
「ありがとうございます! あの、皆さんがよろしければミュセットにご滞在の間の移動手段に、私を指名していただけませんでしょうか?」
「指名制なんてあるんですか?」
「はい! 観光案内はもちろんですが、釣りのお世話もさせて頂きますよ」
「それはありがたいですね! お願いしようよみんな!」
カイヤさんからの思わぬ提案に、リステルは嬉しそうに私達の方を見る。
「釣りのポイントとかわからない以前に、釣り道具を探さなくちゃいけないから……あ、それ以前に泊まる宿!」
「宿屋でしたらご案内できますよ! 今は海竜が原因でミュセットに来る人が少なくなっているので、宿屋はどこでも空いていると思います。皆さんがギルドからお戻りになられたら、ご案内をさせて頂きますがどうでしょうか?」
「「「「「よろしくお願いしまーす!」」」」」
すぐに私達はカイヤさんを指名するにあたっての説明や、私達が泊りたい宿のグレードの話をした。
「冒険者ギルドからいい話が聞けると良いですね。それでは、皆様のお帰りをここでお待ちしております」
――――…………。
カイヤさんに見送られて冒険者ギルドへと入った私達は……ほとんど時間がかからずにカイヤさんの所まで戻ってくることになった。
「そのご様子ですと、あまりいい情報は聞けなかった……という感じですか」
再びゴンドラに乗り込んだ私達は、カイヤさんに冒険者ギルドでのあらましを話した。
と言っても、さっきゴンドラに乗っている時にカイヤさんが言っていたことほぼそのままの事をギルドの人からも聞くことになったわけで……。
「と言うわけで、さっきカイヤさんに話してもらったこととほとんど同じことを言われてしまいました」
「そうでしたか。皆さんはこれからどうなされるのですか?」
カイヤさんの言葉に、私達はお互いに視線を合わせて少しの合間考える。
「うーん。とりあえずはゆっくり休もうよ。ここまでほぼ一直線で来たんだしさ。ゆっくり休めば、何かいい考えも浮かぶかもしれないし」
「そうね。ここまで色々あったし、少しくらいゆっくりしましょう」
リステルがぐーっと伸びをする姿を、ルーリが横で優しく微笑みながら見ている。
「うん。まだまだ旅は続くんだし、ここで焦っても仕方ないもんね」
「ガラク皇国の情報を集める時間もできるというものじゃ」
「お魚いっぱい食べたい!」
「それでは、まずは宿のある地区までご案内いたしますね」
カイヤさんの掛け声と共にゴンドラは再び進みだし、ミュセットの街の水路をすいすいと通り抜けていく。
「もう間もなく宿屋がある地区に到着いたします」
「――!!」
ゴンドラの停留所に到着してすぐに私達は、横を通り過ぎた人の姿にくぎ付けになってしまった。
私達と同じようにゴンドラから降りたその人物は、人の耳に位置する場所には何もなく、頭頂部近くに二つの尖った黒い毛で覆われた耳、いわゆる猫耳が生えていた。当然腰のあたりからは長くしなやかな尻尾がのび、先端は真上を向いてゆらゆらと揺れている。
「あれは……たぶん……違うのよね?」
良く見てみると通りには、その猫耳と尻尾がある人以外にも、背中からグレーの羽が生えた人や、狸のような丸くて太い尻尾が生えている人が歩いていた。
「皆さんは亜人の方を見られるのは初めてですか?」
「えっと……はい」
一瞬ルフェナとメラーナの事が頭をよぎったけれど、どう話していいかわからないので頷くことにした。
「元々この周辺の国家群には、あまり亜人が存在していなかったそうなんです。いても宝石族ぐらいでしょうか? ただ、彼女達はあまり自分達の街から出ることがないらしいのと、見た目が人間の子供の女の子と変わらないので、気づかない人も多いそうです」
そこでカイヤさんは偶然だろうか? サフィーアにチラッと視線を向けていた。
「じゃあ亜人って珍しい種族ってわけじゃないんですね?」
「そうですね。カルタナーカ連邦とサンテトゥール王国には亜人……さっきの方ですと、獣の特徴を持った種族の事を獣人と言うそうなんですが、沢山いらっしゃいますよ。ガラクにもですね。ミュセットはカルタナーカとサンテトゥールの中継地点になっていまして、獣人の方もよくミュセットにはいらっしゃるんです」
「ミュセットには? 他の街には行かないのかのう?」
「移動される方は滅多にいないですね。差別……みたいなものはあまり無いんですが、物珍しいからか衆目を集めてしまう事が多く、そのせいで居心地が悪いという方がほとんどなんだそうです」
言われてみれば確かにルフェナはずっとフードを被っていたし、メラーナもずっと周りから視線を集めていたっけ。
「私、獣人って珍しい種族なんだってずっと思ってた」
「妾も見たことが無かったからのう。さっきみたいにじっと見てしまうのは、確かに失礼じゃったな」
リステルがそう言うと、サフィーアがうんうんと頷いている。
「少なくないって言うのは知っていたけれど、やっぱり見ちゃうわね」
「もふもふ……」
ハルルが狸みたいな尻尾を熱い視線で見つめて、手をワキワキさせていた。
……私もその気持ちはわかる。触ってみたい。
「あ、あははは……」
私達の言動に、カイヤさんは苦笑していたのだった。




