第九十五話 狐の出会った二人
キュウが目を覚ました時、揺れる床と見慣れぬ天井が目に入り、木製の床と揺れの感覚からすると馬車の中だった。しかし、不思議なことに馬車特有の馬の蹄が地を蹴る音や車輪が地面を転がる音が聞こえて来ない。
どうなっているのか状況を把握しようと、床に寝転がったまま周囲を見回す。
「あ、気が付きましたかぁ?」
御者台で二頭の馬に似た生物の手綱を握っている少女から声を掛けられた。綺麗な薄桃色の髪が見える。
「やはり、アルじゃないな」
「あー、やっぱりそうですかぁ」
背後から声を掛けられて振り向くと、とてつもない美人が居た。ラナリアの王族の気品を兼ね備えた美人でも、シャルロットの凛とした美貌でもない。人ではなく神話の時代に神が作った人形が動いているかの如き美しさだ。
目の覚めるような美人を実際に目にしたキュウは、思わず息を呑んでしまう。
「セフェ、ヒッポグリフを旋回させてくれ。右六十、三秒後、左四十」
美女が唐突に言葉を紡ぐ。
「いきますよぉ」
キュウの身体が慣性によって壁に押し付けられる。天烏の時には感じられなかった乗り物の慣性に、どうしたら良いか分からず手足をバタつかせる。
神話の美女に見られていることに気付いて、恥ずかしくて顔が熱くなった。
この馬車は屋根有りの前後が開いているタイプで、前はセフェと呼ばれた少女と馬車を引っ張っている謎の生物しか見えない。後ろを確認すると、爆音と共に木々をなぎ倒す炎が見えた。
とりあえず馬車ごと空中疾走している点には目を瞑り、何かに追い掛けられていることは理解した。
「この子起きましたしぃ、やり合いますかぁ?」
「この世界について分かるまでは無しだ。後々まずい相手の可能性もある」
「障壁の消耗率から見るとぉ、エンさんなら楽勝で勝てると思いますけどねぇ」
「言っただろ。戦うなら殺さないことが前提だ」
「それはぁ、難しいかもですねぇ」
二人の話を聞いていたキュウは分かった。否、話を聞く前から、彼女たち二人が自分の味方だと理解できていた。
キュウと同じ主人を戴く存在だと。確信と言える感情が胸の奥から湧いて来る。この人は同属だと無条件で理解できる感覚。二人がキュウを助けてくれたのは、きっとこれと同じ感情に突き動かされたからだ。
自分の家族に売られたキュウにとって、その感情は戸惑うものであったけれど、不快では無い。
しかしこのままだと、キュウのせいで主人の大切な従者が窮地に陥ってしまう。
客観的に見れば、それは仕方が無いことではある。キュウの能力というのは、とても彼女たちの力になれるものではない。主人が信頼する二人は、キュウよりも頭が良く、キュウよりも強くて、キュウよりもずっと長く主人を支えてきた。
それでもキュウの責任において、伝えるべき言葉くらいはあるはずだ。
「エンシェントさん、セフェールさん、ご主人様―――フォルティシモ様ならば、私たちの安全のため、どんな方法も是として頂けると思います。だから………」
エンシェントの瞳がキュウをじっと見つめていた。彼女の心音は一欠片の乱れもなく、その瞳はキュウの内心をすべて見透かしているようだった。
「エンシェントさん、あなたの力で、どうにか、ならないでしょうか?」
主人の気持ちを代弁したと胸を張って言える。
その言葉にエンシェント―――主人に最も古くから仕える従者の一人は答えてくれた。
「核撃を使う。セフェ、タイミングを合わせろ」
「はぁ、それは合わせますけどぉ。確実に消し飛ばしちゃいますよぉ?」
「交戦するなら、一瞬で片を付ける」
その後に見た光景は、信じられないものだった。
正しく消滅した一帯。たぶん周囲には岩や木々があったのだと思うのだけれど、一つ残らず塵になっていた。
「えげつないですねぇ」
砂漠と化した一帯へ向けて、セフェールが漏らす。
馬車は止まりキュウ、エンシェント、セフェールの三人はその砂漠に向かって立っている。エンシェントは感慨も無さそうに、キュウへ視線を向けていた。
「あ、あの」
「お前も、我らが主、カケル=コノエの従者でいいんだな?」
「………え?」
聞いたことの無い名前に驚きを覚える。キュウと同じ主人だと確信しているのに、違う名前が出て来たから驚くなというほうが無理だ。
「さっきフォルティシモと言っていた者と同一人物だ」
「は、はい、ご主人様のお名前です………」
「カケル=コノエ、いや近衛翔は我らが馬鹿主フォルティシモの本名だ」
「フォルさんは馬鹿は馬鹿でも、頭の悪いって意味じゃないですからねぇ」
「セフェ、この異世界においての感覚が真実か判断できない。主を知るこの子が味方がどうか判断するのに、主の本名を知っていれば手っ取り早いと考えただけだ。この名は【解析】に表示されないからな」
「本、名?」
「ああ、気にしないでくださいねぇ。エンさん、ツンデレなんでぇ、実はめちゃくちゃフォルさんを心配してるんですよぉ」
セフェールはキュウの耳を摘まんだ。摘まむと言っても、マッサージか何かをするようにぐにぐにと触られた。視界いっぱいに広がったセフェールの容姿は、どこか主人に似ている。
「この耳、この尻尾、この顔でぇ、まさかフォルさんの従者じゃないとは思っていませんよぉ」
「は、はぁ」
「だから落ち込まないでくださいねぇ。エンさんもぉ、何か言っておいた方が後々の関係が良好ですよぉ?」
「探るような言動は悪かった。主は敵が多いから警戒していた。すまない」
主人の従者を騙る偽者と疑われたことにショックを受けたと思われたようだけれど、まさか主人の本名を知らなかったことに落ち込んだとは言い出せない。
「あの、ご主人様なら、アクロシアの宿に泊まっています。昨日もアルさん、アルティマ・ワンさんと私も一緒に宿に泊まりました」
「本当か? いや、お前じゃなくて、アルが一緒だったのか?」
「まさか、アルがフォルさんを探し当てるなんて意外ですねぇ」
「あ、いえ、探し当てるというよりは、騒ぎを起こしていたので、ご主人様に止めに入って頂いたという感じで」
ちなみにこの過程を最古参の二人に言ってしまったことを知ったアルティマに、凄い勢いで文句を言われたため、言わなければ良かったと後悔したのはまた別の話である。
「それで主は、いつもそこに寝泊まりしているのか?」
「い、いつもでは、ないですけど、数日分の宿代は払っていました」
「本来なら、信用できるはずもない情報なのに、不思議と信じてしまうな」
「わ、私にもそんな感覚があります」
神話の美女エンシェントが苦笑を見せる。その表情も絵画になりそうだ。
キュウたちを襲って来た者たちに見つからないように、大きく迂回してアクロシア王都へ戻ることになった。
その間に、馬車の中でキュウが主人と会ってから今日までのことを聞かれる。奴隷として買われたこと、レベルを上げて貰っていること、ラナリアとの出会い、ピアノとの再会、黄金竜との戦い、そして魔王討伐の依頼を受けてアルティマを見つけたこと。
改めて振り返ると、平凡以下のまま終わるはずだったキュウの人生は、主人と出会った時から絵本の主人公にでもなったかのようだ。
「王女様を奴隷にしちゃったんですかぁ。やりたい放題ですねぇ」
「ファーアースオンラインとは別の世界であることは、いつ知ったんだ?」
「私は、分かりません。つい昨日、ご主人様が言っていて、初めて知りました」
「私たちは法則の違いから歴史まで調べて、ようやく辿り着いた答えでしたがぁ、フォルさんは大分早い段階で気付いてたみたいですねぇ」
キュウは主人と出会った時点で、遠くから来たためこの国の常識に疎いことをフォローするように言われていた。そう考えると、主人はキュウに出会う前に気付いていたことになる。
「そういえば、神様のゲーム、神戯がどうって話をしていました」
「神様のゲーム? セフェ、何か心当たりはあるか?」
「無いですねぇ」
「なら会った時に聞いてみるとしよう」
昨日の夜に、主人から従者たちの紹介の時に詳しい事情を話してくれるという約束をしたので、きっとその時に聞けるはずだ。
「ところでぇ」
馬車の手綱を握っているセフェールが、くるりと身体を半身にして顔をキュウへ向けた。彼女はここまでの話に相槌は入れていても、しっかり前を見て馬のような生物を操っていたのに、突然顔を向けられたので驚いてしまう。
「は、はひ」
「奴隷ということでしたがぁ、いやらしいこともさせられてるんですかぁ?」
「………え?」
「セフェ、お前は何を」
「フォルさんとエッチしましたかぁ?」
「し、してませんっ」
「お前も答えなくていい」
セフェールはエンシェントに身体を掴まれて、文句を言いながら前を向いた。
その後、エンシェントやセフェールの身体をじろじろ見てしまい、セフェールに笑われてエンシェントに怒られたのは、仕方が無いことなので許して欲しかった。エンシェントは当然として、セフェールもキュウよりも女性らしい体型をしていて羨ましかったのだ。




