第九十二話 ヒヌマイトトンボ
王城に現れて、王女ラナリアを訪ねて来た怪しい男に対して、【解析】スキルを使おうという気持ちは理解できる。フォルティシモだって、身分証明書としてギルドカードの提示を求められると考えていたのだ。
しかし、帰り際に使うのが怪しい。フォルティシモは【解析】を広範囲へ打ち込んだ。
「識域・分析」
ヒヌマイトトンボ
BLv:9999+
CLv:9999
HP :12,581,128
MP :1,546,296
SP :4,862,444
STR:2,125,685
DEX:1,685,955
VIT:2,586,994
INT:198,354
AGI:1,555,681
MAG:268,396
ファーアースオンラインの頃を考えるとそこそこ高レベルプレイヤーだ。ある程度の課金かプレイ時間を費やさなければ、ここまで到達することはできなかっただろう。装備と【拠点】の補正、【従者】の補助を含めれば、ピアノの従者のステータスを超えている可能性もある。フォルティシモの従者は超えていないが。
遠巻きに見ていた貴族たちの中から、一見して若い男が歩み寄ってきた。
身長は高くてすらっとしたモデル体型、乙女ゲームの王子様キャラかと見紛うサラサラの金髪碧眼、表情は柔らかでもフォルティシモから決して視線を逸らしていない。
「イトトンボ=ヒヌマと申します。初めまして」
すっと出して来た手をフォルティシモは見つめるだけで応対はしない。
「フォルティシモ様、彼は」
「シャルロット護衛隊長、説明は不要ですよ。彼も、私も、よく理解していますから」
確かに相対的に見て高レベルプレイヤーでも、フォルティシモからすれば十把一絡げの特出することのないレベルだ。こんな奴に関わっているよりも、キュウを探しに行くことのが何千倍も大切だ。
「どうですか? 少しお話をしませんか? 余人を交えずに」
「今忙しい」
断られるとは思っていなかったのか、ヒヌマイトトンボは驚いた顔をした。
「い、忙しいですか? 罠を警戒しているのであれば、今回は私の独断ですから、本当に一人ですよ」
「いいか? 俺は今忙しい。話は後で聞いてやるから、後にしろ」
「なんか、想像していた人と違うな」
小さく呟いたつもりだろうけれど、フォルティシモにもちゃんと聞こえている。
「フォルティシモ様」
シャルロットが耳打ちしてくる。
「もしも、彼らがキュウ様を攫った勢力であった場合、ここで彼を無視するのはリスクが高いです。ここはピアノ様を交えた場を設けて、ヒヌマ卿の話を聞くのが得策かと具申致します」
キュウを連れているのはエンシェントとセフェールであることは、ほぼ確定であっても、ゼロではない可能性を無視はできないと思い、フォルティシモはシャルロットの提案を考えてみる。ただしピアノを待つつもりはない。
「分かった。話を聞いてやるから付いて来い」
フォルティシモがヒヌマを連れて来た場所は、王城に最も近い公園だった。貴族たちが様々な目的で歩くために作られたこの場所は、周囲に話が聞こえないようにそこそこの広さがあり、銅像が飾られている広場は視界を遮る障害物がほとんどなくて見晴らしが良い。日が高い時間帯でも人の姿はまばらだ。ベンチを始めとした座れるオブジェクトもいくつか設置されていて、その中の一つにフォルティシモは腰掛けた。
随伴を申し出たシャルロットにはラナリアの所へ戻るように言ってある。戦闘になった場合にシャルロットを守りながら戦うのが難しいからだ。
ヒヌマイトトンボは座らないつもりなのか、フォルティシモは彼を見上げる体勢だ。
「で?」
「あなたがカイルですか?」
「はぁ?」
予想外の言葉に思わず間抜けな声で聞き返してしまった。こちらは移動系と防御系のスキルを準備していたのに、今の瞬間に攻撃されたら一撃貰ってしまっただろう。まあステータス的にダメージは入らなかっただろうけれど、油断していた自分に活を入れて気を引き締める。
「………違うのですね。それでは、あなたはプレイヤーと従者のどちらでしょうか?」
ヒヌマイトトンボの放った【解析】への【隠蔽】は成功しているため、フォルティシモの名前すら分からなかったはずだ。
「俺はフォルティシモだ。お前のアバターはヒヌマイトトンボで良いんだな?」
「ええ。その言い方からすると、プレイヤーですね。それもかなり高レベルだ」
フォルティシモの気のせいでなければ、ヒヌマイトトンボとの距離がわずかだけ開いた感覚があった。
「そうだ」
「あの、殺気は放たないでくださいませんか?」
殺気を感じ取るなんて、こいつのリアルは殺し屋か何かだったのだろうかと不思議に思う。改めて観察しても絵に描いたような若年貴族で、何か特別なものを感じない。
「見つかったからサシでやり合おうじゃなかったのか」
「私はあなたの名前も知らなかったのですが。あなたの感覚では、いきなりそういう話になるのですね」
近づいて来るプレイヤーの九割は、フォルティシモをPKするのが目的だったためである。
「城にいらっしゃるピアノという女性とカイルという冒険者はお知り合いですか?」
先ほどからカイルが話題にあがる理由が分からない。カイルはどう考えても低レベルだし、プレイヤーでも従者でもない、この異世界の住人だ。
それでも問われているのが知り合いであるか否かであるため、答えは肯定になる。
「そうだが」
「つまり、あなたたちも私たちと同じ考えなのですね。私たちも志を同じくするプレイヤーたちで協力関係を結んでいます」
シャルロットの進言も馬鹿にできない。冷静に話を聞いてみるものである。ヒヌマイトトンボはチームの一員らしい。言葉でうまく誘導すれば、ヒヌマイトトンボたちの勢力の人数くらいは分かるかも知れない。
「マウロも仲間か?」
「ええ。マウロには困っていますが」
「人数は?」
「三人だけではない、とだけ申しておきます」
「目的は?」
「あなたたちの目的を話して頂けるのであれば、こちらもお話しましょう」
ラナリアを同席させるべきだったと後悔した。自分がコミュニケーション能力に絶望的な欠陥があることくらい、これまで生きて来て十二分に理解している。とりあえずこの場は誤魔化すことにした。
「つまり、俺たちの敵になりたいのか?」
フォルティシモがヒヌマイトトンボを睨み付けるたが、彼はわずかに眉を動かしただけだ。
「どうでしょう。私たちと協力をしませんか? あなたがどこまで神から聞き出したかは分かりませんけれども、元の世界へ戻るためには、協力したほうが都合が良いですよ」
口を滑らせたのか「元の世界へ戻る」という言葉で、ヒヌマイトトンボたちの目的が推察された。彼は異世界から元の世界へ戻るために帰るために行動している。
つまりそれは元の世界への帰還を望んでいないフォルティシモとは相容れない。
「お前が帰りたいなら、勝手に帰るんだな。俺には興味がない」
この場でこいつを倒してしまうという選択肢もある。しかし、それをすればこいつの仲間たちを引っ張り出す機会を失ってしまう。
それに何の小細工もせずに、フォルティシモの前に直接現れたヒヌマイトトンボは見逃しても良いと思っている。その点は、どんな理由であれキュウを襲ったマウロというプレイヤーとは違う。フォルティシモは最強の己に正面から挑む者には寛容だ。
「興味がないって、それだけの力を得たなら、あなたにもあったでしょう? 元の世界に残して来た人や、地位や、財産や………家族が」
「待ってる人間なんか、居ない」
「そうですか。でも私たちは必ず元の世界へ戻ります。そのためなら、この国だって利用しますから」
フォルティシモはヒヌマイトトンボとそれ以上は話したくなくて、彼を残して公園から出た。
ヒヌマイトトンボというプレイヤーの言葉に、熱い怒りとは違う苛立ちを感じている。今更、近衛翔の両親が鬼籍に入っていることなど指摘されても何も感じないはずなのに、何故か心がざわついていた。
早くキュウに会いたい。
そう考えた時、フォルティシモは使うまいと思っていた手段を使うことを決意した。情報ウィンドウからフレンドリストをタップし、そこに二つだけ表示されている名前の片方にメッセージを送る。