第九十一話 魔王来城
フォルティシモは、キュウに話を聞いたエンシェントとセフェールの二人がすぐにでも宿へ戻ってくるだろうと思い、アルティマと一緒にアクロシアのいつもの宿へ戻ってきた。
宿の主人に誰かが訪ねて来なかったか確認して誰も来なかったことを聞くと、チップをかなり多めに渡して、フォルティシモを誰かが訪ねて来た場合は最優先で報せてくれるように頼んだ。
食事は宿の食堂で作ったものを部屋に運んで貰って済ませ、トイレでも部屋を空けないようにアルティマと交代にした。万が一、部屋番号を以前のものを言っていた時のため、アルティマが来る前にキュウと二人で宿泊していた部屋も追加料金を払って取った。
しかし一向にキュウが宿へ戻って来る気配がなかった。一度は落ち着いた気持ちが、再び焦燥感に包まれる。
これまで空いている時間はスキルのコード設定をいじったり、キュウの育成計画をメモ帳に記したりしていたが、今はそんな気分にはなれず頻繁にマップを開いては閉じるの繰り返しだ。
フォルティシモのマップには宿に最も近い関所も映らないため苛立ちが募る。マップレーダーの範囲の狭さは【魔王】クラスの欠点の一つだ。
「主殿ぉ」
アルティマが目を伏せて人差し指をぐりぐりと合わせながら話しかけて来て、ようやく日付が変わっていることに気が付いた。
「妾が、周辺を探して来たいと思うのじゃ………。その、妾が目を離した、せいなのじゃ」
アルティマの耳と尻尾を萎れさせる姿はキュウと似ているようで違う。キュウが耳も尻尾もだらんと下向きなのに対して、アルティマは両耳を縮めながらも立ててぴくぴくと左右に動こうとしている。
「………いや、その必要はない。それにアルのせいじゃない。【拠点】へ戻るのを大人しく待って、買い物も俺が一緒に行けば良かったんだ。俺の責任だ。俺も異世界を舐めていた」
「ち、違うのじゃ。これがエンであれば、主殿の意向を完璧に為したはずなのじゃ。キュウの護衛を言い渡され、妾はそれを完遂できなかった」
アルティマが己をエンシェントと比較する行為は、無意味だと思う。最古参の三人はリアルワールドで使っている超高性能AIを従者としてログインさせているのだ。はっきり言って、彼女たち三人はほとんどの人類を超える知性体だろう。
「アル」
「主殿?」
「俺はな。運営―――神から、異世界に来るとあらゆる制限が無くなり、更に成長できると言われた」
アルティマはフォルティシモを紅い瞳で見つめている。
「きっと、俺も今まで以上になれるし、アルも今まで以上になれる。これからも俺を支えてくれ」
「主殿………」
アルティマは拳を振り上げると力強く宣言して見せた。
「そうなのじゃ! 妾はもっともっと強くなって、主殿の力になってみせよう!」
「ああ、頼むぞ」
翌朝、一睡もせずに待っていたがキュウは未だに帰って来ない。
まだキュウが戻って来る可能性はあると思い、アルティマを宿に残し、フォルティシモはアクロシア王城へ向かっていた。
ひたすらに待ち焦がれる徹夜を越えたフォルティシモの頭は、もはや冷静とは程遠い。どれだけステータスが上がったところで、睡眠で重要なのは身体を休める以上に心を休めることなのだ。
アクロシアを制圧してでも騎士団と冒険者たちを集めて、キュウを探し出す。邪魔するプレイヤーが現れたら、この場で滅殺する。フォルティシモの目的はキュウだけだ。
ファーアースオンラインでは幾度も訪れたアクロシア王城正面の巨大な門扉。彫刻や石像で飾り付けこそされていないが、左右の円筒形の塔に囲まれた分厚い門は、閉じれば頑健な盾となってくれることだろう。今の門は開け放たれていて、馬車が通行人の行き来する姿が目に留まる。
「き、貴様っ、止まれ!」
「う、動くな!」
王城の門扉を守っていた兵士が、フォルティシモを見つけると大声を上げた。王城に来訪していた人々が一斉にフォルティシモを見つめている。
視界の情報ウィンドウにはラナリアのマーカーが表示されているマップがあるので、城の中に居ることは分かっている。
「いいから、黙ってラナリアに報せろ」
フォルティシモはできるだけ感情を抑えて口にした言葉だったが、守衛の兵士は白目を向いて気絶した。槍を落とし鎧を着た大の男の体重が倒れる音は思いの外大きく、フォルティシモは顔を顰める。それを見ていた者たちから、悲鳴が上がった。
約束はしていなかったがちゃんと正面の扉から入って来たし、防具はキュウと同じレベル一〇〇〇くらいの適正装備、武器を抜いていることもなければ、天烏やアルティマのような目立つ容姿の者も連れていない。徹夜明けで焦燥感に包まれたフォルティシモは、たぶん冷静だ。
それなのに、守衛が気絶して悲鳴が上がるのが解せない。
王城を護衛している騎士たちが集まって来た。彼らはフォルティシモを一目見ると恐れの感情を瞳に宿しながら、震える剣でフォルティシモを取り囲んでいた。上司と思しき男は息を荒くし、フォルティシモを睨んでいる。
「ラナリアを出せ」
「魔王め! アクロシアは、我々が守る!」
騎士たちの表情は、まるでこれから決死の戦いに挑むような決意が見て取れる。相対しているのがフォルティシモ自身でなければ、何があったのか気になって聞いてみたかも知れない。
人の顔と名前を覚えるのが苦手なフォルティシモには、取り囲んでいる騎士たちに見覚えはない。彼らに大人しく従えば余計なトラブルを回避できると思われたが、今はそんな些事に関わるつもりはない。
さすがに皆殺しはまずいのでどうしようか迷っていた時、見知った声が聞こえた。
「け、剣を降ろせ貴様らっ!」
ラナリアが信頼している直属の護衛であるシャルロットが、かなり焦った様子で割り込んで来た。
「この方はラナリア様のお客人だ!!」
「しゃ、シャルロット様!? しかし、このような邪悪な魔力を放つ者が!?」
この世界に来てから魔力というものを何度か探ってみたが、フォルティシモにはうまく感じることはできなかったし、ましてその大小や性質を把握など分かるはずもない。
しかしアルティマの紅いエフェクトの巨大さと色に驚かれているところを見ると、それは【解析】以上の精度を持っている気がする。そもそも邪悪な魔力を発しているなんて初めて言われたので、思わず自分の手を見つめる。綺麗な手があるだけだった。
シャルロットが怯えた様子でフォルティシモを見つめる。
「ふぉ、フォルティシモ様、大変失礼を致しました。話を通じていなかったのは、すべて私の不徳の致すところであり」
シャルロットが床に跪いて、現状を詫びる。
「いや、突然来た俺も悪かった。急いでいてな」
メールで「今から行く」くらいは言うべきだった。
「はっ、ラナリア様の元へすぐにご案内いたします」
以前にキュウと一緒に宮廷料理をご馳走になった後にラナリアと話をした部屋に通され、五分もしない内にラナリアが現れた。額に冷や汗を掻いていて、優雅とは言えない足取りで部屋に入ってくる。
「フォルティシモ様は、私を困らせることを楽しんでおいでですか?」
「そんなわけないだろ。キュウのことだ」
ラナリアが困った様子を見せていたので、事情を聞いてやりたい気持ちはなくはない。キュウが見つかったら、少しくらいラナリアのために動くことも考えてやるつもりはある。
ラナリアは髪の毛や宝石の付いたアクセサリの位置を、しきりに直していた。
「キュウさんは、エンシェントさんとセフェールさんという、強力な従者が保護しているというお話だったのでは?」
「俺の予想ではすぐにキュウを連れて来ると思ったが、未だにマップに映らない」
「キュウさんや私の位置を、フォルティシモ様は把握できるというお話でしたね」
従者の位置がフォルティシモの情報ウィンドウに表示されるマップに映ることは、キュウにもラナリアにも話してある。
「キュウを探すために、王国の力を使いたい」
「………」
「難しいか?」
「フォルティシモ様。大変お恥ずかしい話ですが、それは逆効果となります」
「なんでだ?」
「アクロシア王国へキュウさんの重要性を喧伝するのは、こちらの弱点を晒す悪手になるかと」
ラナリアの手が震えているのが見て取れたので、ラナリアも不本意なことを口にしていることが理解できる。
「………そうか。無理を言って悪かった」
フォルティシモは早々に席を立った。ラナリアが難しいなら、別の手段を考えるまでだ。
「お、お待ち下さい! すぐに手を打ちますので」
「ラナリア、お前はたぶん俺よりも頭が良い。けどな、金でも頭でも地位でも結局は大切なものを守れない。守れるのは力だ」
フォルティシモは、思わず言ってしまった言葉を取り消すために咳払いをした。
「あー、いや、俺は今すぐキュウが目の前に居ないと安心できないんだ。だから俺は何も考えずに、キュウのために全力で走る」
「………私が同じ状況であれば、同じように走って頂けますか?」
「当然だろ」
「私の力は、不要でしょうか?」
「お前の力は、別の時に使う」
ラナリアは一度目を伏せて、見たことのない優しい笑顔を見せた。
「あなた様だけです。私をこんなに、もどかしくさせるのは」
そしていつもの笑顔に戻った。
「ふふっ、私はフォルティシモ様が事態を解決するまで、ピアノ様のお側に居るように致します。ですので私のことはご心配なさらず、キュウさんをお願いいたします」
シャルロットに送られながら、王城の玄関まで歩いて行く。騎士や貴族たちは、シャルロットとフォルティシモも見ると驚いたような顔になって道を開けるか、来た道を戻っていった。
奇異の視線に晒されるのはいつものことだったが、今だけは足を止める。
「フォルティシモ様?」
> 【隠蔽】に成功しました。
情報ウィンドウのログを見つけたためだ。