第九話 噛み合わない二人 フォルティシモ編
近衛翔は姉も妹も居なかったし、仲の良い女友達も居なかったので、女性の生活必需品についての知識がない。それに仕事とゲームばかりでオシャレに気を遣ったりもしなかったので、昨日すぐにキュウの生活に必要な物を揃えなければいけないことに、気が付かなかったのは仕方ない。
二千ファリスはおよそ二十万の価値がある。それだけあれば生活必需品の他に、好きな服やアクセサリも買えるだろう。キュウの私服を見るのが少し楽しみだ。
フォルティシモはそんなことを考えながら朝食を流し込んだ。今日のレベル上げをやめたのは、キュウの生活用品や服がないという理由だけではない。レベル上げをやめた理由は。
昨日、眠れなかったのだ。
同じ部屋で美少女が、しかも自由にしていい美少女が寝ている状況を前にして、フォルティシモの目は冴えきってしまい、もしかしてキュウが自分のベッドに入り込んで来るんじゃないかとか考えると、一睡もできなかった。ちなみにキュウはとてもよく眠っていた。
朝はキュウが起きる前に部屋を出て、冷水で顔を洗って落ち着けてきたものの、眠気が飛んだわけではない。冒険者として旅をするなら同じ場所で寝るのが普通であり、キュウが慣れるためにも同じ部屋で寝るべきだと思っていたが、慣れていないのは自分だった。
廃人だったフォルティシモは、一日二日程度寝なくてもゲームを続けることができるが、それはクエスト周回や見慣れたモンスター狩りなどの同じことの繰り返しだからできることであって、動きの精細さや判断力の低下は否めない。
まして死んだら終わりの世界に、キュウを連れて行くのだ。失敗することでキュウが死にでもしたら、ショックで塞ぎ込んでしまう。少なくともキュウが安全だと分かるまでは、万全の状態でなければならない。
「それにしても、ソロの不遇っぷりが半端じゃないな」
疲れて眠る場合、今まではログアウトすれば良かったが、これからは野宿になり、交代の見張りなどが必要になってくるだろう。そういう意味でソロは厳しいし、キュウと二人ですら大変なので、信頼できる慣れた仲間とパーティを組みたいところだ。そんな相手はいないが。
今日は露店でも出して金を稼ぐだけに留めておこうと決める。『アクロシア湖』で乱獲したドロップ品を売れば、キュウに渡した金額を補填できるな、とせせこましいことを考えながら冒険者ギルドの近くの市場へ向かって行く。
この市場は、ゲーム時代では最高の人口密度を誇り、プレイヤーと従者でひしめき合っていて、通りかかるだけでラグるとまで言われた場所だ。
理由はゲーム内の商店が揃っていたから、ではなく、高レベル低レベル問わずにプレイヤーたちが出す露店と、それを目当てに買い物に来るプレイヤーだ。あまりに広いこの街で、プレイヤーたちは暗黙の了解でこの場所に露店を集中させていた。もちろん、フォルティシモもここに露店用の従者を毎日出していたし、買い物に来た回数も百回や千回ではない。
フォルティシモはいつも出していた場所に陣取ると、インベントリから大量の湧水石を出した。これが『アクロシア湖』に出現する岩型モンスターウォーターロックのドロップ品になる。【アイテム精製】をすると水という直球の名前のアイテムになり、料理や薬品系のアイテムを精製するための素材として使用できた。
重要なのは水ではなく、水が出る性質だ。
この異世界では、冒険へ行くのに水ほど重要なアイテムは存在しないと言っていい。最初は自分で使うために収集していたし、いくつか売っても大した金にならないと思っていたのだが、その性質と重要性のため需要が非常に高いアイテムだったのだ。
ゲーム時代と同じように、大量に同じアイテムを集めて売り払うことができる。一個一個は安いが大量なら結構な額になり、費用対効果はギルドでクエストを受注するよりも遙かに高い。
どれでも一個五十ファリス、リアルで言うと水十リットル五千程度。目玉が飛び出るようなぼったくり価格だが、飛ぶように売れている。
フォルティシモが市場に姿を見せた瞬間から付いてくる冒険者がいるし、商人の何人かからはあからさまに舌打ちされた。文句があるなら相場操作でも仕掛けてこい。フォルティシモは優越感を感じながら湧水石を売り出す。客が買いたい湧水石を見せて五十ファリスを払う、見せる、払う、見せる、払う、時々お釣り、見せる、払う。
しばらくして単調作業の繰り返しによって眠気が増して来た。
「よう、フォルティシモ、景気が良さそうだな! というより、眠そうだな?」
爽やかな声が聞こえたので顔を上げて声の主を確認すると、ギルドで冒険者登録した際に、フォルティシモをパーティに誘ってきた青年だった。未だに一度もパーティは組んでいないが、顔を見る度にこうして話しかけて来る。
「ちょっと、な」
良い奴っぽいので、奴隷を買ったとか言うと不快に思うかも知れない。話す義理もなければ、奴隷購入は国でも認められている商売なので文句を言われる筋合いもないはずだったが、なんとなく言葉を濁した。
「なんか用か?」
「俺たちにも湧水石を売って欲しい。どれでも五十でいいんだろ?」
青年の後ろには男が三人、女が三人居て、青年を入れれば七人パーティのようだ。
「知り合いだから四十でいいぞ」
「お、助かる」
「ねぇ、どうやってこんなに集めたの?」
話しかけて来た女を見て、キュウのが百倍可愛いから俺の勝ちだ、なんて最高に失礼なことを考えながら答える。
「ウォーターロックを乱獲しただけだ」
「答えたくないってこと?」
お前が聞いたんだろ。俺は答えたぞ。相手がカイルの仲間でなければそう答えただろう。
「フォルティシモの言ってることは本当だと思うぞ」
「え? でもGランクの冒険者なんでしょ?」
「レベルだけなら、Bランクはある。俺はAランクあるんじゃないかって思ってる」
「嘘!?」
「まあ、そのせいで同じランクでパーティが組めなくて、ギルドで浮いてるんだよな?」
パーティを組まないのは、組めないわけではない。ギルドでだって浮いてないはず。
青年のパーティは湧水石をそれぞれ三個ほど買っていく。料金を払う際、青年はフォルティシモへ声を潜めて話しかけて来た。
「お前、相当睨まれてるぞ」
「みたいだな」
「いくらなんでも安すぎるし、大雑把すぎだ。この量ならデカイ商店に一括で買い取って貰ったほうが安全だぞ?」
「………自分で買ってから言うか?」
「パーティの強化はリーダーの務めだからな。まずは自分たち、次は知り合いの順番だ」
「もしかして、法律があるのか?」
ゲーム内の場合、当然ながら独占禁止法など無かったから、いくらでも安くできたし、買い占めだって許された。しかし現実ではそうはいかないだろう。こんな小金稼ぎで法律を犯すつもりはないので、法律違反ならばすぐに店を畳んで逃げなければならない。
「商品を安く売ると犯罪ってことか? そんなものあるわけないだろ」
「いや」
フォルティシモだって法律の専門家ではないので反論はやめておく。とにかく法律違反にならないのなら問題ないが、青年が警告してくるということは、早く全部売ってしまうべきかも知れない。
「わかった。どうせ、在庫は今出してる分で最後だ」
「南区画に王宮からも買い付けに来る水商人が居る。そこなら適正価格で買い取ってくれると思うぞ」
「覚えておこう」
青年たちを見送ると、すぐ傍にキュウが立っていて驚く。しかも、服装が朝のままで荷物を持っている様子もない。
「あ、あの」
「キュウ? まだ買い物してなかったのか?」
これは怒ってはならないことだ。ここはゲームではない。女子の買い物が長いことくらい、フォルティシモだって知っている。
「申し訳ありません。まずは、水を買おうと思って」
「水? 喉でも渇いたか?」
「いえ、冒険に必要な物を考えたのですが、まずは水だと考えました」
「まあ水は重要だな」
話が噛み合っていないようなので、キュウの立場になって少し考えてみる。もしかしたら彼女は、二千ファリスをレベル上げの準備に使えと、言われたと思ったのかも知れない。
「冒険に必要な物は俺が揃えておく。だから、キュウは普段着るための服を買ってこい」
今度は微塵の疑いも無く、服のために金を使えと言った。
「申し訳ありません………。私は、このままでも大丈夫ですので、お金はお返しします」
キュウの心の動きがまったく分からない。さらに考える。ふと閃きがきた。
キュウはフォルティシモと違って真面目な良い子なのだ。働かざる者食うべからず。自分で稼いだお金を自分のために使うのは許せても、他人のお金で好きに買い物ができなかったのだ。従者に必要なアイテムはプレイヤーが用意するのが当たり前過ぎて、キュウを一人の人間として見ていなかったかも知れない。これは猛省しておかなければ、今後の人間関係に大きな失敗をしかねない。
「そうだ。ちょうど良かった。買い物は後にして、キュウに頼みたいことがある」
「わ、私にですか?」
少し明るい表情から、自分の閃きが間違いではなかったと確信する。
「これ、売っておいてくれ」
「湧水石を?」
「客から受け取った金を、ここに入れるだけでいい」
キュウの手を引っ張って、自分が座っていた木の椅子に座らせる。
「店番だ」
「お店番………」
「俺はギルドで依頼を見てくる。その間は任せる」
「はい、頑張りますっ」
前向きそうな肯定で安堵する。ある程度売れたら、店番の駄賃だと言って一緒に買い物へ行こう。考えてみれば、従者の衣装選びなんて楽しいイベントを逃すのは勿体ない。フォルティシモはほんの数十秒前の自分すら顧みず、キュウに着せる服を徹夜でハイテンションになった頭で考え始めた。
ギルドへ行って簡単にランクを上げられそうな依頼はないか探した後、キュウが店番している場所へ戻ると、なんとバケツの中が空っぽになっていた。驚いたので、どうやったのか聞いてみると、フォルティシモが居なくなった途端に百個や二百個を一気に買う人が何人も現れて、キュウは間違えないよう石を数えていたのだと言う。
キュウが可愛いからか、とも思ったが、結局は転売だろう。安い店で買って、高い店で売る。悪いことではないし、ゲームが人生のフォルティシモからすれば、転売は立派な金策という攻略法だ。現実だったら許さないとは口が裂けても言えない。
キュウが売った分のお金は労働報酬だと言って全額キュウに渡すことにした。これならキュウも気兼ねなく生活用品を揃えられるはずだ。
それからキュウと一緒に昼食をとり、目に付いた衣服を売っている店に寄って、「この子に合う服を」と頼んで店員が薦めてきた服に、キュウが文句を言わなければ買う。フォルティシモはキュウが試着している間に、店内に狙いの服がないか探す。これを十軒ほど繰り返した辺りで。
「どこにも売ってないか。王都なのに品揃えが悪いな」
フォルティシモは衣服を売っている商店を渡り歩きながら、思わず毒づいた。その言葉に後ろから付いて来ているキュウがびくっと肩を震わせたが、明らかに店の品揃えに満足がいっていないことが分かる上、買いたい服がキュウの物であることから恐怖というよりは単純に驚いただけのようだ。
今のキュウはシンプルなTシャツにニットのロングワンピース、刺繍の入ったスカーフに真新しい白い靴を着けている。両手で袋をしっかり支えており、その袋の中には他にも買ったばかりの服が入っている。これも可愛いが、買いたいのはこれじゃない。
フォルティシモはご多分に漏れず、メイド服、ゴシックロリータ服、巫女服、チャイナ服と言った服が好きなので、いつか着せてみたいと思っているが、さすがに日常生活で目立つ服装は可哀相だ。だから日常生活にも問題がなくて、フォルティシモの趣味にも合う服が欲しかったのだ。
「あの」
「どうした?」
「私、こんな良い服着たことがありませんでした。それも、まだまだこんなにあります。だから、充分です。ありがとうございます」
純粋に、キュウのために服を探していると思っている目が、とても痛い。
「………今度見つけたら買っておいてやる」
「はい」
ゲーム時代はあんなに種類が売っていたのに、なんで無いのだろうか。着物が欲しかったのに。それを日常生活で着続けることが、どれほど大変かも知らずにフォルティシモの野望は潰えた。
「つうさえ居ればな」
つう、とはフォルティシモの従者の一人で、【裁縫】【調合】【料理】【細工】【合成】のスキルレベルをすべてカンストさせた生産の要の一人だ。彼女が居れば好きな服を作ることができるので残念だ。
たまに後ろを振り返ると、キュウは袋を大事そうに抱えていた。インベントリを使わずにキュウが自分で手に持っているのは、主人に着替えを持ってもらうわけにはいかないと主張されたためであるものの、重そうなのでインベントリに入れるかともう一度問いかけたくなる。
途中、下着を売っている店や薬屋を見つけると、キュウに必要な物を買って来いと言って行かせたので、男には分からない物も揃っていると思いたい。
だがそれは考えても仕方ない。フォルティシモには女性が生活する上で何が必要なのかまったく分からないのだから。フォルティシモにもキュウが遠慮していることは分かっているので、慣れてくれば必要な物を自分から言ってくるだろうと思っている。
「店員に頼んだが、気に入ったのはあったか?」
「………っ、はい、とても」
着物を探すのに必死だったので、忘れていたイベントを消化しておこう。
「今の格好も可愛いが、俺は四軒目の服が好きだな」
ちゃんと見ていたアピールをして好感度アップ。
「………あ、ありがとう、ございます」
キュウはフォルティシモの言葉を聞いて俯いてしまった。恥ずかしがっている様子でもないので、アピールの効果はなし、現実は上手くいかないらしいことを悟った。
「一旦、宿に戻って荷物を置くぞ」
◇
キュウは後悔していた。
本当ならば一軒目で主人から衣服を買って貰うなんて断らなければならなかった。断るべきだったと今でも思う。けれど、見たこともない可愛い服を試着して、それが自分の物になると言われて、不要ですとはどうしても言い出せなかった。次の店では言おう、次の店では言おうとしている内に、十三軒も寄ってしまい、主人はその度に店員が勧めるままにキュウの衣服一式を購入した。
このままでは駄目だ。役に立ちたい。何か、できることはないだろうか。主人がキュウに求めていることは戦闘奴隷だ。けれど、レベル一のキュウが戦闘で役に立てるはずがない。主人と青年冒険者の会話によれば、主人はAランクに迫る強さらしい。ますます、できることなんかなかった。
これなら身体を要求されたほうが気楽だったくらいだ。宿に戻ってからもキュウは必死に考え続けていた。
衣装箪笥は好きに使って良いと言われたので、買って来た服を丁寧に仕舞っていく。木製の衣装箪笥は宿屋の備え付けのものなので豪勢ではなかったが、キュウの家にあったものよりも丈夫に見える。大きさも一人で使うには充分過ぎる大きさで、買って来た服を入れてもまだまだ余裕があった。そこでふと気付く。
「あの、ご主人様」
「なんだ? 足りない物でもあったか?」
主人は暇さえあれば虚空に手を掲げている。
「ご主人様の、服は」
「インベントリに入ってる」
「いえ、その、着た服はどうしているのですか?」
「………捨ててる」
「すてっ!?」
昨日からこの主人がお金に余裕があることは気付いているが、同じ服は二度と着ないなんて勿体ないことをしているとは思わなかった。
「洗濯機もクリーニングもないからな」
また知らない単語だ。たぶん魔法道具だろう。この国で売ってなかったに違いない。
「ああ、言っておくが、俺もそのままでいいとは思ってないぞ。これまでは調査のほうが重要だっただけだ。その内、専用の従者でも」
「やらせてください!」
つい大声が出てしまい、顔が熱くなる。主人も驚いた顔をしている。しかし、洗濯や掃除は本当に多少ながら家でやっていた。嫌々手伝わされただけとは言え、キュウでもできる数少ない仕事だ。
「やりたいのか?」
「はい」
「キュウが負い目を感じているなら、それは見当違いだ。最初に言ったが、俺はキュウに俺のステータスを補助する従者になるのを希望してる」
レベルを上げることを求められているのも分かっている。たぶん、明日から命懸けで戦わなければならないことも。それでもそれは、主人がキュウを買った時点で得た権利だ。暖かい食事やベッド、新品の服やアクセサリを買ってくれるのとは別の話である。
「洗濯とかやってもらおうとは、もらおうとは、おも、思って………」
主人が突然苦しみだした。
「どこか苦しいのでしょうか!?」
「なぁ、この国だと衣服を洗濯するのは奴隷?」
「え? はい、ご主人様の衣服を整えるのも奴隷の役目です」
主人くらいのお金持ちであれば奴隷の役割となるだろう。
「これほどの葛藤に悩まされるとはな。とりあえず、キュウのエプロンを買いに行くぞ」
「それじゃあ」
「似合っている物が見つかったら、洗濯を頼む」
衣服を洗濯する者が見窄らしい格好だと、周囲の評判に影響するのだろうか。しかし、主人は許可してくれた。
「はい、頑張ります」
キュウは安堵の溜息をして、出掛ける準備をした。