第八話 噛み合わない二人 キュウ編
フォルティシモによって“キュウ”と名付けられた狐人の少女は、目を開けると自分が暖かいベッドで寝ていることに気が付いた。
昨日、奴隷屋の商品だったキュウは、とうとうご主人様に買われたのだ。
キュウには将来に対する希望も願いもなければ、果たしたい復讐や怒りもない。
魔物に家族が殺されて天涯孤独となり奴隷商人に捕まったとか、戦争で侵略された他国から連れられてきたとか、狐人という種族に価値があるからとか、そんなまるで物語の登場人物になれそうな話はどれもない。不要だったから食い扶持を減らすために親に売られ、奴隷としてすべての権利を奪われた。【隷従】の効果は絶対で、掛けられた瞬間は歩くことすら自分の意思ではできない人形になったし、奴隷商のところでの生活は感情を出すことも許されなかった。もうキュウには自由などないだろう。主人に「死ね」と命令されれば死ななければならない。無価値と判断されれば、死ぬ。
家族の中からキュウが選ばれて売られた事実から分かるように、キュウは家族のためにお金になる学問や技術、スキルは何一つ持っていなかった。唯一の取り柄と言われたのは、容姿が平均以上に整っていることで、だからこそ奴隷商はそれなりの金額でキュウを買い取り、そのお金は家族が生活するための大きな資金となっただろう。
奴隷となったキュウの使い道は言うまでもなく愛玩奴隷で、容姿が衰えた頃か主人が飽きたら処分される人生となるはずだった。
しかし、彼女を買った主人はキュウに別のことを要求した。色々と説明はしてくれたが、要約するとレベルを上げろと言ってきたのだ。しかもレベル三〇〇〇を目指せという。
王国騎士たちが幼い頃から訓練をし続けて、ようやく三〇〇。何をどうすれば、才能のないキュウがそこまでレベルを上げられるのだろうか。からかわれているのかと思ったが、そんな様子もない。疑問に思ったが、聞いたら主人の言葉に疑念を抱いたかに見える上、自分がレベルを上げられない役立たずと言ってしまうようで怖くて聞けなかった。
昨日は言われるがままにベッドに入って寝ることになった。夜になったら何かされるのかと怯えていたが、主人も隣のベッドに横になり、それ以降キュウへ話しかけてくることもなかった。
目が覚めてから外を見るととっくに日が昇っていた。
やってしまった、顔から血が引いていく。久々に自分の意思で動き、美味しい食事をして、暖かいベッドで眠れたので眠りすぎてしまったのだ。キュウは飛び出すようにベッドから起きると、隣のベッドを見る。
主人はすでにベッドから出ている。主人が活動しているのに、呑気にベッドで寝ている奴隷なんて聞いたことがない。そんな奴隷は不要だと見捨てられるならばまだ幸せで、そのまま殺されても文句は言えないのだ。
部屋には昨日主人の部屋に散らばっていた大量のアイテムが入っている大きな袋が置いてあるだけで、主人の姿はない。キュウの行動は【隷従】によって主人が決めることができるが、主人はキュウの行動を何一つ縛っていない。このまま逃げ出すことだってできてしまうことに、試されているのかもしれないと思う。
それは余計な心配だ。逃げられるとしても、キュウには帰る場所はない。呆然と立ち尽くしていると、部屋のドアが開いて主人が戻ってきた。
「ああ、起きたか。おはよう」
「申し訳ありません!」
床に突っ伏して思い切り頭を下げる。主人は何も言わない。
「何か壊したか?」
「いえ、何も」
「まさか、寝てたことを謝ったのか?」
「はい」
頭を下げているので主人の表情は分からないが、溜息が聞こえた。
「確かに、俺は時間を守らない奴は嫌いだ。その言い訳を「寝てた」とか言う奴はもっとな。だが、昨日俺とキュウは時間に関して約束をしたか?」
「していません。ですが、私は奴隷です」
「それ関係あんのか? まあ俺より早く起きようとしてるならやめとけ。自慢だが俺はショートスリーパーな上、朝に強い」
ショートスリーパーという単語は分からないが、文脈からしてこの主人は遅寝早起きということなのだろう。
「いや。そんなこと言っても意味ないな。とりあえず、頭を上げて目を見て話せ」
「はい」
顔を上げて主人の表情をうかがったが、主人はまったく怒っていなかったので安堵する。すると、主人は空中に手を入れた。インベントリという物品を虚空に格納するスキルを持っているらしく、価値のある魔法道具やお金はそこに入ってるらしい。こんな便利なスキルは見たことがないので、すごいレアなスキルに違いないと思っている。
主人がインベントリから取り出したのは、手の平サイズの円形の道具だった。
「刻限の懐中時計だ。ギミックが目覚まし時計として使える」
精巧な意匠で作られた懐中時計を主人は見せてきた。
本体は金、鎖は銀だろうか。文字盤には宝石のような物が嵌められているし、魔力を感じることから魔法道具らしい。一体値段がいくらするのだろうか、キュウには想像すらできない。これ一つだけでキュウの買取金額の倍はするかと思える魔法道具だ。
「ほら」
主人は鎖を持ったまま、キュウの目の前に出す。光に照らされて時計がキラキラと輝いている。主人が何をしたいのかが分からない。褒めればいいのだろうか。
しかし、素直に高そうな時計だと言うと怒られるかも知れない。だからと言って、キュウには魔法道具の知識も芸術や宝石に関する知識もない。
「き、綺麗な時計ですね」
「そうだな。デザイナーは良い仕事した。俺も見た目が気に入ってるアイテムだな」
「ご主人様のお気に入りの魔法道具を見せて頂き、ありがとうございます」
良かった。無難な返答ができた。そう思って心の底から安堵した。
「目覚ましに使えよ」
「なんで!?」
すぐに口を押さえた。でも許して欲しい。だって、意味が分からない。
「起きられないんだろ?」
「いえ、それは私が悪いことで」
「お前が悪いと思うなら、その解決方法を一緒に考えるのが仲、じゃなくて………あー、主人だろう?」
「そ、それにしても、こんな高価な物をお貸し頂いて、もし何かあったら!」
「いや、やるし」
「やる?」
「だから、やる。キュウにあげる。キュウの所有物にしていい。これで通じるか?」
なんなのだろうか、この人。たぶん自分は、凄い変な顔をしていたと思う。
「ほら」
受け取ろうとした瞬間に「本気で触って良いと思ったのか!」と罵倒されて殴られる覚悟をして、手を出す。その時計がキュウの手の中に収まると、主人は時計から手を放した。
「使い方を教えてやるから覚えろよ」
「はい」
そう。これは奴隷としての務めを果たすために必要だから、主人はキュウに渡したのだ。それ以外に理由なんか考えられなかった。
これは主人から仕事のために渡されたものだから、懐中時計を無くしたら大変だ。キュウはそう考えて常に首から提げることした。これなら落とすことはない。
「朝は宿の食堂でいいか?」
「ご主人様の食べたいものが、私の食べたいものです」
主人は何か言いたそうな顔をしていたが、キュウにそれを察することができない。そもそも奴隷として買われたら、まともな食事をできるとは思っていなかったのに、主人と食事を一緒に一日三食食べろ言われている。故郷の里でだってそんなに食べていない。
けれども昨日の話で合点がいった。主人はキュウに戦闘奴隷と同じことを求めている。だから栄養補給を毎日三回しろ、という命令だ。いざという時に戦えなければ、奴隷としての役割を果たせない。昨日のハンバーグは美味しかった。あんなに美味しいお肉は初めて食べたかも知れない。あれはきっと、これから頑張るようにという主人なりのもてなしだ。昨日いっぱい食べたのでもう三食くらい食べなくても何とかなる。
と今朝までは思っていた。
パンにお肉や野菜が入ったクリームシチュー、果物、卵、牛乳がキュウの前に並んでいる。ちらっと見ると目の前に座っている主人の前にも同じメニューが並んでいた。
主人はまた虚空に手を掲げながら食事をしており、キュウのことを見ていない。つまり、これは間違いなくキュウのためのメニューで、主人がこちらを見ていないということは、食べる寸前にひっくり返されたり奪われることもないものだ。
昨日の夜にあれだけ食べたのに、朝からこんなに食べられるか心配になってしまう。食べきれなかったら怒られるかも知れない、と昨日の自分からは信じられない心配が湧く。おずおずと食べ始める。
「【ソードマン】の解放条件が同じかどうか、確認しとくべきだったな」
主人は何かスキルを使いながら食事をしているらしく、なかなか食事が進まない。先に食べ終わってしまったことで、なんだか自分が卑しくなった気持ちになる。
「あの」
「ん? 足りないなら、なんか頼んで良いぞ」
「いえ、ご主人様の料理が冷めます」
「………あー、そうだな」
主人はスキルを使うのを止めて、食事に集中する。手持ち無沙汰でその様子を眺める。主人が視線に気付いたのか、キュウのことを見つめ返して来た。緊張で身体が強張る。
「キュウ、服は?」
「ご主人様からお貸し頂いた魔法道具は部屋に置いてあります」
キュウが身につけているのは、奴隷商のところで来ていた無地の服だ。
「これは決してセクハラじゃないんだが」
セクハラってなんだろうと思うが、否定しているということは前置きであって重要な単語でないはずだ。
「下着は?」
「着けています」
「換えは?」
持っていないけれど、里でも何枚も持っていたわけではない。時間をもらって水場で洗濯しようと思っている。主人はまた虚空に手を掲げると、キュウの前に現金を置いた。
「今日はレベル上げはやめだ。二千ファリスやるから、生活に必要なものを揃えてこい」
「そんな、私なら」
「必要なものくらいあるだろ?」
「ですが」
まだ何の役にも立っていないのに、この主人はキュウに次々に与えてくる。【隷従】によって主人の命令は絶対なのに、こうしてくれる行動の理由が分からない。
「集中してレベル上げするには準備が必要だ」
「はい」
そうだ。このくらいを気にしていたら、きっとレベル三〇〇〇になんて成れないのだ。
「それでは、すぐに出掛けて来ます」
「ああ。昼食の時間には部屋に居ろ。食べたい物があったら考えておいてくれ」
太らないかな、と生まれて初めて心配した。
キュウが渡された二千ファリスというのは、キュウの家族が一月は余裕で暮らしていける金額で、大金と言えるほどではないが少額とは言えない額だ。これを使えば、着てみたかった可愛い服や装飾品だって買えるけれど、主人からは生活に必要な物を揃えろと言われている。そうすると服や下着、小物を揃えるだけなれば高すぎる金額が渡されたことになる。つまりこれは冒険に必要な物を買って来いという意味だと考えられる。
キュウは冒険者ギルドの傍の市場へ向かった。この市場のメインターゲットはもちろん冒険者たちで、屈強そうな冒険者たちがアイテムを品定めし、店員や露天商たちが大声で客引きをしている。雑然とした雰囲気で入るのが怖かったが、勇気を出して足を踏み入れた。
キュウは冒険者になろうと思ったことはないものの、ポーションを始めとした魔法薬や見た目からは想像できない特殊な効果を持つ魔法道具の価値が高いことは常識として知っている。それらは、その値段の価値があるほどに冒険者たちの役に立つのだ。
キュウが最初に探そうとしたのは湧水石という大量の水が湧き出てくる魔法道具で、長期の旅には必須と言える魔法道具だ。売っている店はすぐに見つかった。というよりも、多くの店で扱っており、大きさも値段もマチマチだったのだ。
「みんな、どうやって大きさ決めてるんだろう………」
キュウは耳に感覚を集中する。
「ポーション安いよ! セットならさらに割引だ!」
「できたてほやほやの武器各種! 見ていきな!」
「盾の修復を頼む」
「あれ? フィーナ、帽子新しくしたの?」
「白紙のスペルスクロールをくれ」
「いやいや、井戸や水場で使ってる湧水石は抱えられるくらい大きいんだ」
若い男性の声が、誰かに湧水石の説明をしている。
「でも馬車とか使えば水くらいいくらでも持って行けるのでは?」
「あとはカイルが抱えるとか」
「勘弁してくれ。それに、大きいのは持ち運びの問題あるけど、純粋に高いんだよ。湧水石は生活のために国が提供してくれてるけど、歴とした魔法道具なんだ。個人で大きい物を買おうとしたら、大赤字確実になる」
キュウは危なかったと安堵の溜息を漏らす。二千ファリス全額は使わずとも、大事な物だから千ファリス程度の大きさを考えていた。
「この小指の先くらいの大きさで、十リットルの水が出る。俺たち冒険者なら二日前後賄える量だ」
ここでようやく自分が重要なことを、主人から聞いていないことに気付く。何日分準備すればいいのかを聞いていないため、どの大きさの湧水石を購入すればいいのか分からないのだ。
「高いんじゃないの? 元取れるの?」
「俺だって普段の冒険に使おうって言うつもりはないよ。けど、俺たちが遭難したり怪我して動けなくなった時、この魔法道具の有無は生存率に直結する。多少高くても、持ってるだけで価値がある」
確かに。
「確かに」
見知らぬ誰かと同じ感心をしながら、何日分の準備をするのではなく、もしもの時の備えとして購入する物だと知った。主人はもう持っているだろうから、これはキュウが自分用に買うべき魔法道具だ。自分が主人の言いつけを守れそうなことに、少しの満足感を覚える。
「でも、今すぐ買う必要ある? まだそんな遠くまで行かないし」
「実はメチャクチャ安値で大量に流してる奴が居てな。たぶん、来週には文句言われて店を畳むか値段を上げるはずだから、今がチャンスだ」
そんな店があるなら、自分もそこで買おう。キュウは声の主の方向へ歩き出す。
「よう、フォルティシモ、景気が良さそうだな! というより、眠そうだな?」
「………………え?」
キュウの主人は目の前にバケツをいくつも置き、主に冒険者を相手に湧水石を売っていた。バケツの中にはまだまだ湧水石が入っていて、「どれでも一個五十ファリス」という恐ろしい看板を掲げていた。