第七十五話 ガラフォン
ピアノはフォルティシモの前の椅子に座った。座り方が地味に男っぽくなっているのは、ファーアースオンラインの頃の影響だろう。
「シャルロット、ピアノ様にもお飲み物を」
「かしこまりました」
「ああ、おかまいなく」
シャルロットが部屋を出て行くのを確認してから、ラナリアが口を開く。
「ピアノ様、何か問題は起きましたか?」
「いえ、大きな問題は起きて無いんですが、こう、あれだけの人から頼られるのが、疲れました」
「素晴らしいですね。暴動の一つでも起きて到着が遅れる可能性もあると思っていましたが、これもすべてピアノ様のご人徳でしょう」
ついさっき、むしろ暴動をして欲しいようなことを言っていたにも関わらず、舌の根も乾かぬ内によく言うものである。このあたりは、ラナリアは正に政治家と言った雰囲気だ。
「そんな気力も残っていない、という感じです」
「なるほど、それも仕方がないかも知れません」
「お前だけ来たみたいだが、エルフの代表団はあとどのくらいで着くんだ?」
「バフ掛け直したし、あと一、二時間くらいだろうな。着いたらすぐに交渉のテーブルに付く準備もして貰ってる」
「休ませなくていいのか?」
「そんな場合じゃないだろ。それに、どちらかと言うとアクロシアに、その、捕まってるエルフのが地位が高いというか、決定権があるみたいで、そっちに任せたいって感じが強いんだ」
ピアノが連れてきたエルフたちは言ってしまえば難民の集団である。異世界に国際法などがあるのかは知らないが、どう考えても命や人権を尊重する制度が整えられているとは思えない。アクロシア国内ですら【隷従】によって奴隷政策を採っていたくらいだ。
「交渉テーブルにピアノ様もご一緒しますか?」
「は!? 私にはとてもできません」
「そうでしょうか。意外と向いているように見受けられますけれど」
「まさか。私はフォルティシモと違って、こんな状況でも冷静でいられる胆力はないです」
「冷静に見てるわけじゃない」
異世界に来てから焦ったり、無様を晒したことは一度や二度ではない。フォルティシモの言葉に対してピアノが肩をすくめてラナリアが笑ったので何だか釈然としない。
すぐその後にシャルロットがピアノの飲み物を持ってきたため、反論する機会を失ってしまった。
「フォルティシモ、これ頼まれてたのだ」
ピアノがインベントリから片手で持てるサイズのタブレット端末を二つ取り出した。鏡のように顔を反射している黒い液晶画面、裏には有名メーカーのロゴが入っている取り立てて特徴のないものだ。白と黒の二色を選んだのはピアノらしい。
これはファンタジー世界観をぶち壊す【エンジニア】クラスが精製可能な現代系のアイテムの一つで、ゲーム内でもリアルと同じようにインターネットにアクセスしたりメールのチェックができる、ゲームの時は情報ウィンドウがあるため何の役にも立たないものだった。おまけに電力や電波を魔力で補っているという設定を忠実に再現しており、電源を入れているだけでMPが減っていく仕様になっている。
そんな使えないアイテムの代表格だったが、一部でも情報ウィンドウの項目が表示できるのであれば、キュウやラナリアとメッセージのやりとりができるかも知れないと思ったのだ。フォルティシモはまだ【拠点】に戻っていないので、ピアノに頼んで精製して貰った。
「液晶型かよ。投射型なかったのか?」
液晶型の端末は一昔前は主流だったものの、最近は持っている人をほとんど見かけない。何十年も同じ型でデザインが進化していないことから、ガラフォンなどと揶揄されている。
「投射型はMPの消費が多いぞ」
「そうなのか。まあ使えるならどっちでも良い。トレードしてくれ」
フォルティシモもインベントリに手を入れると修練の襷を出し、ピアノの持っているタブレット端末と交換する。
ゲーム時代の価値を考えれば遙かにフォルティシモのが不利な取引だったが、今すぐ欲しいという需要を考えれば悪い取引ではない。
「これほど高レベルのお二人が物々交換をしているのは、何か違和感がありますね。いえ逆でしょうか。お金に換算できないからこその物々交換となるのですね」
「使うのはキュウとお前なんだからな」
「私ですか?」
「あら私たち用ということは、本日頂けるというプレゼントはそちらですか?」
目の前の白と黒の端末を手に取ると黒をキュウに、白をラナリアへ渡す。それから情報ウィンドウを開き、メッセージ機能から従者を選択。キュウとラナリアへ『テスト』というメッセージを送った。
するとキュウとラナリアが手に持っていた端末が音を鳴らす。キュウは驚いて耳を立てて、ラナリアも取り落としそうになっていた。
「少し魔力が減った感覚があります。これは、魔力でフォルティシモ様の御力の一旦………いえ、遠方に居ても文字のやりとりができるということでしょうか」
ラナリアは液晶画面に表示された文字をフォルティシモに見せてくれる。待機画面の通知領域にフォルティシモが送った『テスト』が見て取れた。
「文字、音声、映像の遣り取りができる。他にも機能はあるが、キュウや、特にラナリアと連絡するのが面倒だったのを改善したかったのが理由だから、他はどうでも良い。これならすぐに連絡できる。使い方は今から教える」
「は、はい」
「これはどの程度の距離まで使用可能なのでしょう? フォルティシモ様の配下とならずとも使えるのでしょうか? 私とキュウさんでは会話できるのですか? この魔法道具があれば誰とでも連絡できるのでしょうか?」
キュウは連絡と言われてもほとんど一緒に居るため、フォルティシモへの連絡手段として使うことはまずない。本人もいつ使えばいいのか困っている様子だ。フォルティシモもそれは分かっており、キュウ用にも作って貰ったのはラナリアにあげてキュウにあげないのはキュウの印象が良くないと思ったからで、端的に言えばキュウへのポイント稼ぎである。
対してラナリアは連絡できることが便利だと思う以上の反応を見せた。見れば背後のシャルロットも真剣な眼差しで端末を見ている。
「距離は、無限なんじゃないのか? 俺の従者でなくても使えるし、ピアノやキュウともやりとりできるはずだが、シャルロットが使った場合は送信先どうなるんだ………?」
一つも確実なことを言えなかったためにピアノに助けを求める。ピアノは「私が知るか」という態度を全身から発しており、湯気を出しているコーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れて悠々と飲んでいた。
「フォルティシモ様もご存知でないのでしょうか?」
「面白い挑発だが、こんなもん調べる物好きはいなかったからな」
「挑発のつもりは全くなかったのですが。キュウさんと協力して、こちらの魔法道具の機能を調査してもよろしいでしょうか? もちろん結果はあまさずフォルティシモ様へ報告いたします」
「ああ、まあ、キュウが良いならいいぞ」
フォルティシモからすれば連絡以外に使えない印象だが、ラナリアが見れば別の感想になるかも知れない。
「有用だったら【拠点】さえ見つかれば、かなりの数を用意できるぞ」
「かなりの数とはどの程度でしょうか?」
「すぐなら一万くらいだろうな。もっと必要なら少し時間が掛かる」
「大陸の戦争に革命を起こす準備をしてもよろしいでしょうか?」
「論理を何段飛ばしたらそうなる?」
端末の操作方法を教えると、キュウとラナリアはあっと言う間に覚えていく。ラナリアはそんな気はしていたが、キュウもすぐに覚えていくのでなんだか意外に感じた。