第七十三話 ギルドマスターの自信
ギルドマスターと一対一の応接室。フォルティシモがギルドマスターと話す時はいつもこの場所に通される。
「すまなかった。目立ちたくないって話だったから、考慮するように言ってはおいたんだが」
「急いでいるのか?」
「騎士と冒険者たちを待たせてるからな」
「明後日でいいと言ったはずなんだが」
フォルティシモが職員たちに言った明後日という日時は、明日はアクロシアに来るピアノと会う用事があるため提示しただけで他意はまったくない。この辺りは、クエストを後日に回すような気持ちだった。
「最強の冒険者を相手にするんだから、こっちも誠意を見せないとな」
ギルドマスターは苦笑しながらも嬉しいことを言ってくれる。
「大方、また強いのが出現したから俺に倒して欲しいってところか」
「話が早くて助かる。本当は今日にでも出て欲しいんだが」
「悪いが明日は外せない用事がある」
「明日? ああ、エルディンか。そりゃそっち優先だな」
ギルドマスターも明日のことを知っているようで、忘れていたと言いながら己の頭を叩いていた。
「客を待たせる必要もなかっただろうに」
「言ったろ。お前を特別扱いしてるぞ、ってアピールをしたかった。それに個人的には助けられてるからな」
相手が客を待たせているのに自分を優先される経験など無かったので、なんだかそわそわする。そんな態度は最強の男に相応しくないので、出さないよう努めて我慢が必要だった。
「気が早いかも知れないが、討伐隊を編成するとしたらどうなる?」
「ん? すれば良いんじゃないのか?」
「いや、すまん、言葉が足りなかった。フォルティシモ、お前を中心に討伐隊を編成したら、そのメンバーがどうなるのか聞きたかった」
パーティ強制クエスト、フォルティシモ的クソ仕様である。
「お断りだ。その中でキュウに色目を使う奴が出たら、二度と冒険をできなくするぞ」
「女冒険者だけなら良いのか?」
「話を聞こう」
以前から思っていたがこのギルドマスターはやり手だ。的確にフォルティシモを見抜いてくる。考えてみればラナリアが読心術の使い手かと思うほどなので、上に立つ者にとっては必須スキルなのかも知れない。フォルティシモには永久に手に入れることのできないスキルだろう。
「ははっ、悩む程度にはお前も女好きと分かって、少し安心したぞ」
「俺も男だからな。まずは顔写真入りのリストを出してくれ」
「ねぇよ。レベルも何も気にしないってことは、討伐隊はお前一人で十分なんだな? 相当な強敵でもか?」
「ここでなんでリストが無いんだよと激昂すると思ったのなら間違いだったな。俺は冷静だ」
「すまん。本当に無いから諦めてくれ。まあ、連れて行きたいメンバーが居るなら、事前に言ってくれればギルドから指名という形は取れるが」
そう言われると、丁度良いタイミングかも知れない。
フォルティシモは今朝キュウから聞かされたフィーナがカイルにパーティに誘われたという話を受けて、フィーナとカイルを誘い野良パーティを作ってクエストをやろうと思っていた。
加えてフィーナの容姿と胸を思い出して、本人が良さそうならカイルには悪いがキュウの仲間として勧誘も有りだとも考えていたのだ。
クエストの内容は決めていなかった、というよりもゲームと違って一定のクエストがあるわけではないので、ギルドに行ってみないとどんな依頼書が張り出されているのか分からないのだ。
そんな中でギルドマスターからの依頼であれば明後日という日時指定もできるし、場合によってはラナリアも参加できるかも知れない。
とりあえず手続きだけ頼んでおくことにした。
◇
フォルティシモを見送り、ガルバロスはギルバートや騎士たちを待たせている場所へ戻るため廊下を歩いていた。普段自宅よりもギルドに居る時間が長く廊下も目を瞑って歩けるような慣れ親しんだ場所だが、今は廊下にまで座り込んだ冒険者たちでひしめき合っており、フォルティシモとの話を盗み聞きしようとしている冒険者だって一人や二人ではない。ガルバロス個人としてはそういう積極的な姿勢は嫌いではないので、度が過ぎない限りは見て見ぬ振りするつもりだ。
ガルバロスとて、いくらレベルが高いとは言え一人の冒険者をここまで特別扱いするつもりはなかった。ガルバロスが現役時代であれば強い冒険者とのコネクションを作るのに躍起になったけれど、今のガルバロスはアクロシア冒険者ギルドのギルドマスターであり、仕事振りで評価することはあっても他のことで優劣を付けるべきではない。
それが分かっていてもガルバロスがフォルティシモを優遇しているのは、実のところアクロシアの王女であるラナリアに【隷従】を掛けているからというのが大きい。現王デイヴィッド・オブ・デア・プファルツ・アクロシアも悪い王ではないし、王子ウイリアムも年齢の割には聡明と言って良い。しかし、ガルバロスから見てラナリアはずば抜けている。隠すことでもないが、ガルバロスはラナリア派だ。
先日の事態でラナリアの人気は更に高まり、派閥はかつて無いほど盛り上がっている。その中でフォルティシモとの関係をガルバロスに打ち明けたラナリアに、当初は失望にも似た感情を抱かなかったと言えば嘘になる。
しかし、今となっては彼女の先見に脱帽するしかない。それと言うのもあのエルディンの王を僭称するヴォーダンが現れたことを皮切りに、大陸各地で今まででは考えられない巨大なモノが動き出したのだ。
まずはつい先日まで最も近い問題だったエルディンを襲ったという巨大なドラゴン。正確な証言ではないが、遠方から確認しただけでも山のように大きく、とてつもない破壊をもたらすブレスを持っている。もしもアクロシアにもやって来るとすれば、史上最悪の厄災となっただろう。
次に、南の冒険者たちに目撃された鬼。血のように紅い角を持ち、砂漠の遺跡を守るレベル二〇〇〇を越える魔物スフィンクスを討伐したという。スフィンクスは拳を受けて宙を舞い、冒険者たちは怖くなって逃げ出したので詳細は分かっていない。
南東にある天を貫く謎の塔の扉が突然開き、中から現れた魔物に近くのキャンプの人員が虐殺された。商人たちの話から推測すれば、初めて発見される魔物。鋼鉄の身体を持ち、魔技も魔術も通用しないのだと言う。
他にも積乱雲の合間から大地が見えて、光ったと思ったら凶悪な魔物が空から落ちてきたという眉唾な話。間抜けな魔物が雷に打たれて死んだという見解だが、持ち込まれた魔物の死体を見聞したところ自然の雷程度で死ぬようなものではなく、あのベンヌを超えるだろう力があったと考えられている。
北の国からの目撃情報では、大陸で最も高い山に天使が舞い降りたなどの証言もある。こちらは北の国で大規模な調査団が結成されるため、その結果如何ではアクロシアにも応援要請があるかも知れない。
そして、今回の“魔王”だ。
ラナリアがフォルティシモというレベル九九九九、それ以上は強くなれないとまで言う規格外の力を持つ冒険者をアクロシアに留まらせることに成功しなければ、これらの問題を解決する糸口はおろか、ベッドに入って震えて眠ることしかできなかったはずだ。
すべての事柄を彼一人に対処させるのには無理があるだろうが、アクロシア国内に対処できる人物が居るという事実が、そしてその人物がある程度こちらの話を聞いてくれる味方であることがガルバロスの心労をとても軽くしてくれる。
会議室へ戻ると、そこは静かになっていた。ギルバートとそのパーティメンバーの合計九人、冒険者登録して一年も経っていない新米二人、王国騎士が三人、ギルド職員が二人。ガルバロスは一人残らず顔と名前を知る者たちだ。
人数が人数なので、飾り気はないが大人数が座れる会議室を使用している。
事件は昨夜に起きたものだ。ギルバートは新米冒険者の面倒を積極的に見ている得難い冒険者であり、依頼で西のキャンプへ向かっていた。その途中でカイル、デニス、エイダという、かつてギルバートが面倒を見たことのある冒険者の姿を見つけて、新米たちに近い冒険者歴である彼らを誘ったのだと言う。
そこまではよくある話だったが、問題は夜になってからだった。カイルたちには一人の同行者がおり、その少女もギルバートたちに付いて来た。しかし、少女の姿をした何者かは、夜になってギルバートの仲間と新米冒険者四人を殺害、生き残った新米冒険者マウロの話ではいきなり襲われたという。マウロの傷も決して浅いものでは無く、今も病院で治療を受けている。
その少女は冒険者ギルドにおいてギルドカードを作成しており、彼女は自分の荷物を持たずに去って行った。カイルのパーティが回収したギルドカードに書かれた情報を見て騒然となった。
氏名:アルティマ・ワン
レベル:9999
種族:九尾狐
クラス:魔王
ガルバロスでさえ偽造を疑ってしまったほどだ。すぐに王宮へ報告し、ギルバートたちは情報統制のためにギルド内に軟禁状態にさせて貰った。ギルバートは古参でガルバロスの現役時代を含めれば三十年以上の付き合いもあり、その扱いには文句は言わなかったのだが、カイルという冒険者は違った。
カイルは魔王を連れ出した本人であるにも拘わらず、少女は魔王なんてものではない、ギルバートの仲間と新米を殺害したのはマウロだと主張し始めたのだ。
これにはギルバートが怒りだし、ガルバロスや騎士たちが見ている前で言い争いになり、終いにはギルバートが手を挙げた。
フォルティシモの来訪はそんな時に報され、落ち着くためにも一度休憩にしたわけだ。今はそのカイルの姿がない。
「カイルはどうした?」
「寝かせました。正気な状態じゃない」
ガルバロスの質問にギルバートが答える。カイルの仲間のデニスとエイダが隅に座って俯いていることから、うっすらと事情を察する。
「【隷従】を受けたんじゃないですかね?」
「冷静でないのは認めるが、操られているとは考えにくいな」
ガルバロスは近場の椅子に座る。
「討伐隊の準備をする。もう一度、可能な限りの特徴を話してくれ。特に目の前で戦闘を見ていた二人には詳しく教えて欲しいな」
「反対です。勝てる相手じゃない」
「その通りです。大規模な避難の準備をしておくべきでしょう」
ギルド職員と騎士が常識的な判断をする。二人の判断は正しい。
「俺たちはやらせて貰う。ドミトリーを殺されたまま引き下がれるか。ガルバロスさん、俺たちを討伐隊に参加させてくれ」
「お前らの意思は汲んでやりたい。が、難しいと思ってくれ」
「どうしてだ! 俺たちだけでやらせてくれと言ってるわけじゃない! 討伐隊の作戦には従う!」
とても信じられる様子ではないギルバートの態度に、普段の彼を知っているギルド職員からは驚きの声が、騎士たちからは呆れたような侮蔑が漏れる。それも仕方ない。
「ギルバートも落ち着け。うちの職員が怖がるだろ」
らしくない、とは言わない。ギルバートは元々激情家だ。年齢が高くなって多少落ち着いてきたものの、根っこの部分は変わっていない。長年連れ添った仲間を殺されて冷静でいられるようならば、とっくに王国騎士に志願しているだろう。
「どうして、という理由だが。確実に勝てる冒険者に依頼をするからだ。討伐隊に参加できるのは、その冒険者の意向が反映される」
「な、何を言ってるんだ、ガルバロスさん?」
ギルバートだけでなく、その仲間たちやギルド職員たちからも訝しむような視線が集まる。常識的に考えてレベル九九九九の魔王相手に戦える者など存在しない。冒険者や騎士を含めたアクロシアの全戦力を結集したところで、蹴散らされるのがオチだ。
ガルバロスだって正気だとは思えない。レベル九九九九の魔王が現れたのに、落ち着いているのだ。
「魔王を討伐するのは勇者の仕事だ。このアクロシアに居る最強の勇者が魔王を討伐してくれる。何も心配することなく、吉報を待てばいい」
ガルバロスは驚く冒険者、ギルド職員、騎士たちを前にして不敵に笑った。