第六十五話 ラナリアの決意
アクロシア王族の私室、住むだけならば機能性が著しく悪いとしか思えない調度品に囲まれて、ラナリアは目を覚ました。
今日の目覚めはとても気分が良い。昨日、城へ戻ってきてからラナリアとシャルロットのレベルを見せつけて、普段は待機用に作られた隣の小部屋で待ち構えている兵士たちを全員閉め出して、ゆっくりと一人で休めた。
ラナリアのレベルはアクロシア王城で最も高くなり、その生命力はフォルティシモという神話を体現する存在の管理下にある。ピアノの話ではキュウやラナリアの生命力がある程度まで減ると、フォルティシモはすぐにそれに気が付けるようになっているのだと言う。そしてフォルティシモは自分の“もの”に手を出されるのが大嫌いだ。
ラナリアの気分としては、自分を襲えるものなら襲ってみろ、と叫んでしまいたくなるくらい高揚していた。
自分が無敵になったかのような錯覚に苦笑しながら、ベッドから身を起こして呼び鈴を鳴らす。現れるのはラナリアが信頼するシャルロットだ。ラナリアの護衛を務められるのは、実力的に彼女しか居なくなった。それもまたラナリアにとって思い通りで面白い。
「しっかり休まないとダメよ?」
「陛下が納得しないでしょう」
今やレベル四桁のアクロシア最強の騎士となった彼女を、ラナリアの父親であるアクロシア王は自分の護衛に使いたいだろう。それをしないのは、彼女が大切な愛娘の腹心であり護衛だからだ。
「昼間に休ませて頂くことにします」
「あなたにとっても、人生観が変わるほどの数日間だったでしょうから、ゆっくり休みなさい」
「はっ、お心遣い感謝します」
いつも心は憂鬱に表情は笑みを浮かべて歩いていた廊下が、今は心から楽しいものになっていた。あと残り少ない日数でラナリアは王族としての権利を放棄し、この場所に足を踏み入れることはなくなるかも知れない。多少の哀愁はあるものの、フォルティシモと一緒に行くことで体験できる世界の輝きからすればそれは些細な問題だった。
けれどもフォルティシモが王になりたいと言ってくれれば、哀愁すら感じる必要もなくなって、もっともっと楽しいことになりそうなのが残念だとは思う。
食堂へ入ったところ、先に席に着いている者の姿があった。ラナリアが食事を取るこの場所を同じように使える人間は、アクロシアには三人しか居ない。その内の二人、アクロシア王である父と弟のウイリアムの姿だった。
二人はすぐに食べられるように工夫された食事を急いで口に運んでいたが、ラナリアの姿を見ると手を止めた。
「姉上! お元気になられたようですね!」
「ええ、もう大丈夫」
メイドが椅子を引いたので、ラナリアは席に着く。長方形の長いテーブルの上座に父、その右にウイリアム、左にラナリアという席順になった。これはそのまま王族としての格付けである。
「ご心労をお掛けして申し訳ありません。お父様」
「元気そうだな」
父は事情を察しているためラナリアの言う“心労”が伝えたい意味で伝わっているはずで、だから父は嬉しいような悲しいような寂しいような、様々な感情が交じり合った言葉を返してきた。
「ラナリア、少し話がある。ウイリアム、席を外しなさい」
「お父様、エルディンの件でしたら僕が説明を」
「それだけではない。ラナリアの将来に関する話だ」
見るからに気落ちしたウイリアムをフォローするためにラナリアは口を開く。
「エルディンで何か動きがあったの?」
「はい! 実はエルディンは既に壊滅状況にあり、姉上が解放したエルフたちが難民を受け入れて欲しいと嘆願しています。しかし、エルディンに住んでいた者たちの誰が【隷従】を受けていたのか判断ができず、難航しているのです。ですから、姉上に」
解放したのはフォルティシモだし、レベルが三倍以上まで上がったとは言えラナリアに【隷従】を解放する術はない。ラナリアは家族に見せる用の微妙に困ったような表情を作る。
「あ! ごめんなさい、姉上、お父様」
ラナリアも父も、そしてここには居ない母も【隷従】を受けた経験がある。それを思い出してウイリアムは謝った。その後、ウイリアムは退席し、メイドたちも室外に待機させたことで、ラナリアと父が二人きりで向き合う形になる。
「【隷従】を防ぐ手段はあるのか?」
「私からは尋ねませんでしたので、分かりかねます」
「気にもしない、か」
「それどころではありませんでした、という感じです」
もう父と娘の会話でいい。ラナリアが少し惚けると、父が普段は絶対に見せない苦笑をした。
「それだけレベルが上がればな」
奴隷屋を呼び寄せて説明をさせたところ、【隷従】を成功させるには最低限の条件として、レベルが二倍必要であることが分かっている。奴隷屋で【隷従】を掛けるには、レベルリセットを行った上で相手が動かないことや触れる距離まで近づくことなど条件が追加された。
しかし、それらは考える意味はない。ヴォーダンは目の前の相手に光を当てるだけで【隷従】を行っていたし、フォルティシモに至っては、アクロシア王城の王の間では爆発のような光で全員を解放していた。
少々次元の違うフォルティシモを思うと、ラナリアの体温は少し高くなる。
「それでお話とは? 【隷従】のことに関してであれば、後日に詳しく聞いて参りますが」
「それはそれで、頼んでおきたいな」
「承知しました」
「まずウイリアムが言った件にするか」
「今の私を国政に関わらせてもよろしいのですか?」
フォルティシモという、アクロシアからすれば得体の知れない冒険者から【隷従】を受けているラナリアが、政治の世界で大きな権力を持つのは問題がある。そのくらいは誰でも分かることで、だからこそラナリアは信頼できる何人かにはその状況を伝えてある。
「ウイリアムは、良い王になれる素質がある」
「そうです。お父様に勝るとも劣らない王となるでしょう」
「平時であれば、ウイリアムを王として大いに期待し、お前は好きなようにやらせようと考えただろう。娘としてお前は親の心労も考えないお転婆だが、王としてのお前は優秀過ぎて任せられん」
「ご冗談を」
「見える、というのは自己の利益を追求する者たちにとって、邪魔なことこの上ない。居ない方が良いと思われるよりは、好きにさせることがお前の幸せになるだろうと考えていた」
ラナリアの脳裏に、あの超高レベルのピアノという女性にすら避けられていたことが過ぎった。しかし、すぐにフォルティシモとキュウの態度を思い出し、記憶が感情を揺さぶるのを止めた。
本来、心の機微を察されるのは恐怖なのだ。あの二人は、それを撥ね除けられる強者だ。思い出すだけで愉快な気持ちが湧いてくる。
「しかしな、状況が変わってきている」
「エルディンとの戦いは近日中に終結宣言を出せると思われますが」
「ウイリアムの話を聞いて、お前はまったく驚いていなかったな」
「はい。知っておりましたので。ただ、知ったのは偶然です。昨日はフォルティシモ様の意向でトーラスブルスに滞在しまして、偶々エルディンの手勢がトーラスブルスへも手を伸ばした結果です」
「………知っただけ、か?」
「それを言われると弱りますね。実は、アクロシアとしてトーラスブルスへ助勢いたしました。そしてエルディンの捕虜、もちろん解放済みの者たちを、アクロシアへ護送するよう手配しました。今日はそのことをご説明しようと思っていたのです」
トーラスブルスを侵攻したエルディンのエルフたちの多くは、表向きラナリアがピアノに頼んでアクロシアまで連行する形を取った。トーラスブルスとしては納得できない結果かも知れないが、あの黄金のドラゴンとそれを撃退してしまう彼を見てしまえば、何も言えないだろう。
「お前は、レベル上げをしていたのではないのか」
「それもしておりましたからこそのレベルです。レベルを上げ、トーラスブルスを救い、エルフたちを屈服させ、神話を拝見させて頂きました。強いて言うのであれば、フォルティシモ様を常識で測らない方がよろしいかと」
こんな話は父親の前以外では決してできないだろう。ラナリアが気でも狂ったと思われるのがオチだ。それでも口にしてしまったのは、父親の前ということとあの時の興奮が蘇ってしまったからだった。
「エルディンの、亡命者たちが来るのか。どちらにしても、そんなことは簡単には………」
「フォルティシモ様のご友人に会いまして、彼の者はエルフたちを救済するために動いています。レベルはあのヴォーダンを遙かに越えるフォルティシモ様と同じ九九九九、私の見立てでは誠実で約束を遵守する方であり、こちらが誠意を見せれば応えてくれます。エルディンの問題が解決するまでの間であれば、私たちを守ってくれるでしょう」
「ラナリア………」
ラナリアの言っている意味が分からない父ではないだろう。驚く顔の父を見ながら、ラナリアは微笑んでみせる。
「大勢ですので移動に時間は掛かりますが、先遣は強力な移動魔術を用いて数日後にいらっしゃいます。その時は私からご紹介しますのでご準備を。ああ、お祖父様の助力も借りていますので、そこはご理解ください」
今、アクロシア王国ひいては父にフォルティシモへ干渉して欲しくない。
フォルティシモはアクロシアに特別を感じていないし、アクロシアからフォルティシモに出せるものなど名誉以外に何もない。
そんな状況で国として召し抱えようとしても、馬鹿な貴族がキュウへ手を出そうとして敵対する未来しか見えない。もしもキュウに手出しをしようものならば、フォルティシモはアクロシアを滅ぼすまで止まらないだろう。
それではラナリアがフォルティシモの特別になれない。唯一ではなくてもいい。けれど特別だと思って欲しい。だってラナリアは、そのくらい彼に恋い焦がれてしまったのだから。




