第六十四話 キュウの決意
フォルティシモたちがアクロシアへ戻った頃には、辺りに夜の帳が下りていた。ラナリアとシャルロットは大荷物を抱えながら秘密の通路を使ってアクロシア王城へ帰っていき、フォルティシモとキュウは壁の関所を通って王都へ戻る。
ずっと利用しているアクロシアの宿の、すっかり慣れ親しんだ小さな二人部屋のベッドに腰掛けると、家に戻ってきたという気持ちが湧いてきた。
キュウは二つあるベッドの片方に座って、フォルティシモの言葉を待っている。フォルティシモとキュウは一日に何があったかを雑談するのを日課にすることにしたので、それを待っているのだ。キュウと仲良くなるために話を振ったのが始まりだったが、少しはキュウも楽しみにしてれているのか気になるところである。
普段、フォルティシモの後ろで控えて大人しくしているキュウが、この二人きりの時間はよく話すので楽しみにしてくれているのだと思いたい。
「今日はとんだ苦労だった。ピアノと話すだけのはずだったのにな」
「お怪我はもう大丈夫なのでしょうか?」
黄金竜との戦闘によりフォルティシモのHPは七割まで減ったものの、元々のHPが多いため例え百分の一になろうがキュウの最大HPよりも多い。
確かに感じたことのない痛みは走ったが我慢できるものだったし、動作や思考に問題はなかった。そして何よりも殺される可能性があったにも関わらず、まるで死ぬかも知れないという恐怖を感じなかった。
両手槍の男を殺した時も思ったが、感情が伴っていない。何も感じないのではなく、どこか他人事のように思える。かと思えば、キュウが酷い目に遭ったかも知れないと思った時は何もかも破壊してでもと思うほどに感情が爆発した。
自分が元々そういう人間で、自分が好きなものに対してのみ感情が動くような性格なのか。それとも異世界に来て“フォルティシモ”となったことでそうなったのか。またはただ単純にゲームの感覚が抜けきらないのか。
自分の状況に考えを巡らせていると、沈黙を心配したキュウが焦った様子で耳と尻尾を動かしながら語りかけてくる。
「ど、どこかお加減が悪いようでしたら」
「いや、怪我は大したことない。というかもう塞がってる」
「ご主人様はやっぱり凄かったです」
「黄金竜との戦いか? だが、あれは俺の全力じゃあない。ステータスは半分、そして最強の攻撃をまだ残してる」
まだまだフォルティシモの強さは上がある。後者に関しては、ピアノの連絡があと三秒遅かったら繰り出していただろうが。
「そ、そうなのですかっ!?」
直球で驚いて尊敬の眼差しを向けてくれるキュウを抱きしめて、ベッドに押し倒してしまいたい衝動を我慢するのがなかなかに辛くなってきた。
もう良くないか? なんで我慢してるんだ? ともう一人の自分が語り掛けてくる。しかしそれでキュウに嫌われたらと思うと、もう一人の自分が爆発四散した。
「その」
「どうした、言いにくいことか? 俺よりも強くなりたいって願い以外なら、なんでも言って良いって言っただろ」
それこそ今日見かけた猫が可愛かったとか、そんな雑談だって楽しいはずだ。
「今日、フレアさんと、お話をしました」
「まあ、硬派な感じだっただろ」
異世界のフレアと会話したのは一度きりなので、ゲームの頃のAI設定を思い出しながら答えた。
そこで従者の記憶がどうなっているか確認するべきだと思い至る。もしかしたらフォルティシモを恨んでいる奴が居るかも知れない。フォルティシモは彼女たちを心の底から愛していたが、ゲームであるがゆえに酷い命令を下したことは数知れない。
そしてフォルティシモの従者たちはピアノのそれとはレベルが違う。
従者をボス戦へ連れて行き、トイレのために離席している間にボスが消滅していることだってある。フォルティシモの従者全員と戦うことになれば、最果ての黄金竜以上の強敵だろう。
「はい。大樹のような方でした」
「ああいうのが好みだったりするか?」
「好み、ですか?」
「キュウの好きな男のタイプはフレアみたいなのだったりするのか?」
「いえ?」
キュウの不思議そうな顔を見て、ピアノとの最終決戦をしなくて済むことに安堵する。もしもキュウの好きな男のタイプがフレアだとしたら、奴をNPKするまで止まれなかっただろう。その時こそ、フォルティシモが掲示板で揶揄され続けていた意味を知らしめる。
「そうか。いや、何も心配はしてなかったんだが。キュウが自分からフレアを訪ねるとは思えなくてな」
「ラナリアさんとシャルロットさんと一緒に会いに行きました」
「ああ、その時一緒だったんだな。なるほど。それで、どんな話をしたんだ?」
言い辛そうにしているにも関わらず、この話題を出したのは何かフォルティシモに聞きたいことがあるのだろう。
キュウは視線を泳がせた。出会った当初はキュウがよくやっていた反応だ。
キュウがそれだけ本気で聞きたいと思っている。ならばキュウが聞きやすいように配慮することが、良い主人ひいては良い男というものだろう。
「俺がアクロシアの王都に豪華な屋敷が建つくらいの値段がする、レア素材満載の尻尾専用ブラシを作らない内に白状した方が楽になるぞ」
「え? えっと、それはっ」
目に見えて焦りだしたため、効果があったことに満足する。
「ご主人様の、従者に、狐人族の方が、いらっしゃる、と」
「ああ、居るな」
「アルさん、という方で」
「フレアに聞いたのか?」
正確に言えば名前がちょっと違うが、フォルティシモが狐人族の従者を持っていることは間違いない。
フォルティシモの最強伝説の始まりの従者。異世界に来て失われたかも知れないと失望したもの。しかしもうすぐ取り戻せるものだ。
キュウがこんなことを聞いたのは、つまり自分もあいつと同じくらい強くなれるかどうか気になっているのだろう。キュウは真面目な性格で常日頃からフォルティシモの従者として成長できるのか悩んでいるのは、人の心の機微に疎いフォルティシモでも察している。
ここでフォルティシモが言うべき言葉は、気休めではなく現実的なプランのはずだ。
「まあ安心していいからな。確かにあいつは、俺の近衛にするために戦闘に特化させた。けど、総合的にはそれ以上に育ってる従者は居るし、当時の仕様の穴を付いた従者としては異常な奴も居る。キュウはそいつら全員よりも上になった状態で近衛を務めて貰う予定だ」
「え?」
「あの両手槍の男には感謝してやってもいい点がある。それはキュウでも従者を持てるということだ。つまりキュウに近衛を付ければ、ステータス上は今までの俺の従者の誰よりも上、今の俺よりも上だ。そうすれば俺にとって、キュウは最強の従者になる。だから悩む必要はないからな」
完璧過ぎるフォローに我ながら惚れ惚れする。
「わ、私が、あの黄金の竜を、制したご主人様より?」
「あくまで今の、俺だ」
「は、はい。それは、はい」
「まあ、多くの従者を育てた俺が言うんだから間違いない。キュウは、俺の最強を支える最強の従者になれる」
「ご主人様を支える最強の従者………」
キュウが珍しく拳を強く握ったように感じた。瞳にも強い光が宿っていて、フォルティシモを映している。
「ご主人様」
「なんだ?」
「私は、強くなりたいです」
彼女がこんなに前向きに、強い希望を言ったのはたぶん初めてだと思う。