第五十五話 ピアノvs黄金竜 前編
ピアノはエルディンに居るというプレイヤーと会うのを断った。フォルティシモの前では自分で決めたいなんて格好良い言葉で誤魔化したが、本音を言えば恐ろしくなったからだ。フォルティシモは気付いていないのか、場合によったらそのプレイヤーと戦いになり、“殺す”ことになる。
殺人を犯す。直接的な行為は、フォルティシモがやってくれるだろうけれど、付いていけばピアノはフォルティシモを助けなければならない。殺人を、命を奪う行為を助けるのが怖かった。
フォルティシモと別れたピアノは、自分では決して泊まる気にはなれない高級リゾートホテルの中を探検し、その内装を楽しんでからホテルを後にした。自分の中に生まれた恐ろしい想像を少しでも振り払いたかったからだ。
背後にはずっとフレアが付き従ってくれていて、ピアノが何も言わずとも周囲を警戒してくれている。
ピアノの従者はフォルティシモの従者と違って、主の行動に何それと意見や文句を言ったり、命令を無視して行動することはない。そういうAIを組んだのはピアノだが、こうして現実の人間になると寂しさを感じてしまう。この気持ちをフレアに伝えたところで、フレアはピアノの意向に従うだけだ。
「宿に戻るぞ」
「承知」
ピアノの冒険者パーティが泊まっている宿へ戻る。
ピアノがお金に対してある種の信仰を持っているせいか、ピアノたちのパーティはAランクの冒険者パーティに関わらず節約志向で、値段と安全を天秤に掛けた宿を男女で二部屋だけ取るようにしていた。
しかし折角のトーラスブルスというリゾート地のため、今日だけは少しグレードの高い宿を取り、ピアノがフォルティシモと話している間は好きなように楽しんで貰えるよう、パーティ資金からボーナスを全員に支給した。
副リーダーのルーカスからは渋い顔をされたものの、ピアノのフォルティシモと話がしたいという我が侭でパーティ全員を付き合わせているのだから、当然の配慮である。
宿は五階建てのいかにも旅館と言った風情で、海が見える露天風呂や色取り取りの海産物の食事を売りにしている。あのままフォルティシモに付き合えば、高級リゾートホテルの食事を経験できただろうが、自分だけそれを楽しむのはパーティメンバーに申し訳ない。
「ピアノさん!」
部屋に戻ると、待ち構えていたらしいピアノ以外の唯一の女性メンバーフランソワが飛び出して来た。フォルティシモに紹介したように、ピアノに憧れて冒険者の道を選び【グラディエーター】となった少女だ。元々はアクロシアの貴族の娘で、盗賊に襲われているところをピアノが助けたことで知り合った。
フランソワは全身を戦闘用の装備で固めていて、剣まで腰に下げている。リゾート地の宿でゆっくりしているという雰囲気ではなかった。
「どうした、何があった?」
「マルツィオさんが、エルフの同胞に協力するからパーティを、抜けるって」
マルツィオはエルフの【ハイプリースト】で、パーティでは要の回復役を担ってくれている。冷静沈着な性格のエルフらしいイケメンで、ピアノが仕事でエルディンを訪れた時に同行を申し出てくれた。
エルフの同胞と言われて思い浮かぶのは、つい今し方フォルティシモの従者が助けたエルミアだ。しかしそれもタイミングが合わない。
それにエルミアに協力するだけならば、フランソワが顔が真っ青にして武装までしている理由が説明できない。
「エルフに協力する? それはどういうことか聞いたか?」
「トーラスブルスに、エルフたちが攻めて来てて、自分も、トーラスブルスを攻め落とすからって………っ!」
フォルティシモから聞いたエルディンのエルフたちに【隷従】を掛け、アクロシア王国に対して戦争を起こしたプレイヤー。時期的に言って、マルツィオがピアノのパーティに入った時には、既にそのプレイヤーの奴隷だったに違いない。
だとすれば、エルフたちはアクロシア王国へしたことと同じことをトーラスブルスへ向けてしようとしている。
「行くぞ」
ピアノは宿を飛び出した。
仲間たちは既に集まっていた。マルツィオが全員に話して行ったのか、フランソワが全員を集めてくれたのかは分からないが、ピアノの行動を理解して口を挟まないでくれるのは有り難い。
「出ろ、天烏!」
宿を出て直ぐに従魔を呼び出すと、虚空から紅い目をした真っ白な鳥が現れた。慣れた調子でパーティメンバーたちが乗り込んで行き、全員が乗り込んだのを確認すると天烏を発進させた。
マルツィオは高レベルの移動速度でトーラスブルスの北側にある関所へ向かったと思われる。
否、エルフたちが攻めて来ているというのが本当ならば、北側の関所が既に戦場になっているか、もう占拠されている可能性もある。
天烏を全速力で進ませると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
エルディンのエルフたちがトーラスブルスの兵士たちを惨殺している。その先頭に立っているのは、この異世界ではかなりの高レベルに達したマルツィオだった。回復特化クラスとは言え、レベル一〇〇台がほとんどのトーラスブルスの兵士では相手にもならない。
マルツィオのレベルを上げたのは、ピアノだ。
「止めろ、マルツィオ!」
ピアノは天烏から飛び降りて、マルツィオに対して【峰打】スキルを放つ。マルツィオの身体が糸の切れたように倒れた。
しかしマルツィオ一人を止めたところで、エルフたちによる虐殺は止まらない。彼らはピアノが目に入っていないかのように、目の前のトーラスブルスの兵士を殺していく。
「フォルティシモが解放したのとは、別のエルフたちか!」
ピアノは急いで情報ウィンドウを起動し、彼らを解放するためのスキル設定を作ろうと試みる。
しかしインターネットが使えないため、なかなかコードが作れない。ヘルプやリファレンスはあるが、読み込んでいる時間などあるはずがない。
そもそもアクロシアでフォルティシモが使ったそれは、バグ技か仕様の穴を突いた可能性もある。フォルティシモはそういうのを見つける嗅覚が鋭い。それだけは天才的と言って良く、その被害者筆頭のピアノはよく愚痴っていた。
フォルティシモは知らないだろうけれど、プレイヤーの間ではフォルティシモが作ったスキルのコード設定は“魔王のコード”とまで言われているのだ。
もちろん「強いから」という畏敬の意味ではない。悪魔に魂を売ってまで力を得たい者が使うからだ。
「フレア! 片っ端から止めてくれ!」
フレアと、ピアノのパーティメンバーたちが天烏から降り立つ。
目の前で行われる戦闘のせいで焦ってしまい、単純なスペルミスまで頻発する。
フォルティシモにメッセージを送って、コード設定を送って貰うのが最も早いと気が付いた。フォルティシモに借りを作ってしまうが、今更だろう。ピアノにはファーアースオンラインの頃から返していない借りがいくつもある。
「今、フォルティシモに―――なんだ?」
空が黄金色に染まっていた。
黄金色の空というのは、夕方などにある程度の気象状況が揃った際に見られる現象だと聞く。
大空を染め上げる黄金色。しかしそれは万物を照らす大いなる日の光ではなく、山のような巨体を持つレイドボスモンスター、最果ての黄金竜から放たれる光だった。
「なんでこっちに来んだ!?」
ピアノは空へ向かって大声を上げた。
最果ての黄金竜は、ファーアースオンラインの時には最強級のレイドボスとして有名だった。アップデートによる二段弱体のお陰で、それなりのプレイヤーが倒せるようになったものの、弱体前の状態はピアノの知る限り未だにエンドコンテンツとして多くのプレイヤーの前に立ち塞がっている。ピアノだってソロでは倒せない。
「ピアノ様っ!」
「フレア! 無理矢理で良い! 全員を連れて逃げろ!」
自分でも遂行不可能だろう無茶苦茶な命令を口にしながら、ピアノは戦闘態勢を整えていく。
彼方の空に浮かぶ最果ての黄金竜の顎が光る。
最果ての黄金竜が数多のプレイヤーを消滅させた最強のブレス攻撃【頂きより降り注ぐ天光】だ。