第五百四話 許すとは言っていない 前編
現代リアルワールドの時間は巻き戻された。
元へ戻った地球は、世界が魔力なる何かに汚染されていることもなければ、世界中へ最果ての黄金竜が公表されてもいない。今朝、フォルティシモが異世界ファーアースから現代リアルワールドへやって来た時と同じ世界である。少なくとも人間にとっては。
それが違うと認識できるのは、人を超えた存在だけ。そして今、そんな関係者全員がヘルメス・トリスメギストス社の大会議室に集まっている。
関係者全員というのは、まず当然フォルティシモとその従者たち。人数が多いこともあり、最も広いスペースを占有し、我が物顔で場を支配していた。ちなみに大会議室の机の下で、フォルティシモの手がキュウの尻尾へ伸びているのは言うまでもない。
そして険しい表情で議長席に座る現代リアルワールドの神ゼノフォーブフィリア。今のゼノフォーブフィリアは黒髪紅眼の少女で、参加者の何人かが驚いていた。
その周囲にはヘルメス・トリスメギストス社の社員証を首から提げた数名の男女。ゼノフォーブフィリアの従属神らしいが、社員証の肩書きはExecutiveDirector、ManagingDirectorやらPlanningDirectorなど世界的大企業の幹部ばかりである。
そしてマリアステラはダアトの隣に座り、ビル内のコンビニで買ったスイーツやお菓子を持ち込んで一緒に食べている。それに付き従う太陽神ケペルラーアトゥムは立ったまま周囲を威圧していた。
マリアステラとは対角線に座るトッキーは、これまたビル内のカフェでテイクアウトしたカップをすすっている。たった一人で余裕があるのではなく、すべてを諦めた表情だった。
そして特殊な権能に覚醒したことで事件をややこしくした文屋一心は、大会議室のドアに最も近い椅子に座っていた。全身で恐縮している様子なのに、右手だけが激しく動いて何かをメモしている。
さらにフォルティシモが見たことのない黒スーツ数名も同席。黒スーツは代表者一人だけが椅子に座り、残りはその背後と壁際に立っている。
最後に会議室の隅で正座させられているアーサーと勝利の女神ヴィカヴィクトリア。もちろん床だ。
「まだ始まらないのか。俺は待ち合わせ時間の五分前に相手が来なかったら、苛立つ主義だって言っただろ」
「私は魔王様の主義を知ってるけど、知らない人も居るからなー」
「開始時間を決めていた訳でもないし、吾も吾が一分で稼ぐ金額を考えるが、其方にだけは言われたくない」
「なんでだ?」
「其方、吾を延々と八時間以上待たせただろう」
フォルティシモは現代リアルワールドへ来た直後、キュウとのドライブから始まりコンサートなどを楽しんだ。しかしそれは時間が巻き戻ったためにノーカンである。
仮に、もし仮に、フォルティシモが逆に待たされた立場だったら、時間が巻き戻ったからと言ってフォルティシモが待たされた事実は変わらないと根に持っただろう。
だからさすがにゼノフォーブフィリアに悪いと思って、後は任せることにした。
「だが、これで全員が揃った。始めるぞ」
ゼノフォーブフィリアが宣言すると、すぐに室内の一人がいきり立つ。
「ゼノフォーブフィリア! あーくんは何も悪くない! あーくんの………」
勝利の女神ヴィカヴィクトリアはいつものように叫び出し、その視界へマリアステラを入れた。すると勝利の女神ヴィカヴィクトリアは下を向き、そのまま大人しく正座へ戻る。勝利の女神ヴィカヴィクトリアは太陽神ケペルラーアトゥムにも怯えていたので、その主神マリアステラは見ることもできないらしい。
「見られただけで、相手を黙らせる、か。良いな。最強のフォルティシモを見ただけで、黙らせたい」
「それは強さというより評判だよ。まあでも、魔王様のイカれっぷりを知ったら、誰も勝手に口を開こうとは思わないかもね」
「あ、あの、私も、そっちで床で正座というか、土下座したほうが良いでしょうか?」
文屋一心は兄が床に座らされているのが気になるのか、フォルティシモの顔色を窺いながら問い掛けて来る。
「お前には用事があるから椅子に座ってて良いぞ」
「ひいっ」
「なんだ、その反応?」
フォルティシモは優しくそのままで良いと言ったにも関わらず、文屋一心が恐怖に身を竦ませていた。
助けてやったんだから惚れろ、とまでは言うつもりはないが、というか惚れられても困るだけだが、怖がられるのは釈然としない。
「色々と言いたいことはある。ともかく其方たちに一秒でも早く現代リアルワールドから出て行って欲しいんだがな」
ゼノフォーブフィリアが溜息交じりで放った言葉は、フォルティシモとマリアステラへ向けられたものである。
彼女の気持ちも分かるので、フォルティシモも真摯な返答を心掛けた。
「俺がリアルワールドを救った一番の目的は、キュウとのデートのためだ。出て行くどころか、これから何度も来るし、長期滞在もする」
「私も、ぜーの世界のゲームが最高に楽しいからね。楽しさはすべてに優先する。そして私は、そんなぜーが大好きだよ。いつでも遊びに来るからね」
「だから追放するなら、マリアステラだけだ」
「そうそう、って酷い! あははは」
ゼノフォーブフィリアはフォルティシモとマリアステラのやりとりを聞いて何の反応も示さなかった。出て行けと言ったところで、フォルティシモとマリアステラが出て行くとは最初から思っていなかっただろう。
「それに俺は、俺の世界にリアルワールドの技術を流入させたい。特に科学や医療分野だ」
「それならサイを暴走させておいた方が、都合が良かったのではないか?」
「一番はキュウとのデートのためだって言ってるだろ。リアルワールドを保ちつつ、俺の要望に応えてくれ」
フォルティシモの無茶振りにゼノフォーブフィリアは腕を組み、隣の社員兼従属神と何かを話した。
フォルティシモも負けないように、その間にエンシェントやダアトに今後の確認を取っておく。
「自由な交流とはいかないが、安全保障条約を軸とした管理された交易であれば、考慮しよう」
「条約か。なら後でエンやラナリアと話してくれ」
フォルティシモは一秒も迷わず従者たちへ任せることにした。
「安全保障条約と表現したが、実際は其方が神と戦う話になる」
「大丈夫だ。エンかラナリアと話してくれ」
「吾自身は敵対勢力のようなものはない。しかしまーとの関係のせいで、思いがけない勢力と交戦する場合もある」
「エンかラナリアと話してくれ」
「壊れたか?」
この場で余計なことを言って後で何か言われるよりは、最初からすべて任せてしまう。これが信頼である。フォルティシモほど従属神を信頼している神は居ないはずだ。
「よし。なら、アーサー妹の処遇について話したい」
「もっと重要な議題がいくらでもあるが、話したいなら先にするか。どうやら其方よりも、其方の配下と議論したほうが有意義そうだ」
「ぜーも魔王様の扱いが分かって来たね」
フォルティシモに話を向けられた文屋一心は再びビクリと身体を震わせ、それでも口を開いた。
「私のことの前に、質問させてください」
「何かあるなら良いぞ」
「ありがとうございます。ゼノフォーブフィリアCEOは女性だったのですか!? いつもの男性の姿は!? 変装にしても背丈が大分違いますよね!? ヘルメス・トリスメギストス社の経営者さえ、女性蔑視に晒されているのでしょうか!? だから性別変更で、男女平等なVR世界を作成されたのでしょうか!? その辺りのお話を、是非ともルー・タイムズから、私の記事で、真実をお届けしませんか!?」
「お前、心臓に毛が生えているのか?」
「はっ」
文屋一心は咳払いをした。右手でメモ帳に書き込む動作は止めないで。
「文屋一心についての処遇だが、吾の世界に則って対応する。ここまで深く関わってしまったのなら、やるしかない」
不都合な人間を何ら彼の形で消す。それは現代リアルワールドの国家でも当たり前に行われていて、敵対組織の幹部や国内政治犯が殺害されたニュースなど枚挙に暇がない。
ゼノフォーブフィリアだって現代リアルワールドを守るため、外敵の一人や二人を殺したことがあるだろう。
「ひっ、そんな!?」
「殺すなら、俺にくれ」
「性奴隷にされるくらいなら殺してください! でも死ぬ前に、この魔王を告発する記事を! 異世界や神様は駄目でも、近衛翔という実在の人物が人身売買をしていたって記事ならオッケーなんですよね!?」
「アーサー思い出すからしないって言ってんだろ。お前の能力が有用そうだからだ」
「私の記事を褒めても、私のペンは止まりませんよ!」
「誰も記事は褒めてない」
「私の記事のどこが悪いんですか!?」
文屋一心はフォルティシモが地球破壊をする前に、アーサーと一緒に別の世界へ避難した。そのため彼女の時間は戻っていない。
戻っていないはずなのに、あの都心上空の出来事は何だったのかってくらい、文屋一心の精神は元へ戻っていた。サイやアーサーによってかき乱されて混乱の極みにあったものが、時間の経過によって冷静さを取り戻したのだろう。
そしてすべてを有りの侭に受け入れて、どうやって記事にするか考えている。
最強厨にも通じる強烈な精神性へ、フォルティシモはちょっとだけ感心した。
「そもそも吾も殺しはしない。記憶操作アルゴリズムを使い、今回のことを脳の記憶から削除するだけだ」
「知り得た情報を奪う!? 知恵の実を食べたアダムでさえ記憶剥奪じゃなくて楽園追放で済んだんですよ! せっかく真実を知れた! ようやく、アサ兄を見つけて、どうして私たち家族が、バラバラになってしまったのか、その理由が分かったのに!」
「それで満足しているのならば、今のまま解放する選択肢もあった。だが吾には分かる。其方のような人間は、目的を達成するためならば止まらない。有名になっても、世界を変革しても、神へ到達しても、その先へ行こうとするだろう」
フォルティシモは文屋一心の主張にちょっと同感しそうになっていたら、ゼノフォーブフィリアの言葉に驚きを覚えた。
ゼノフォーブフィリアは現代リアルワールドに神や魔法を干渉させず、徹底的に排除しようとしているのだと考えていた。
しかし今の物言いは、違う視点を感じさせる。ゼノフォーブフィリアはそれらを完全に排除していない。考えてみればマリアステラや近衛天翔王光、トッキーの策略とは言え、神戯ファーアースのベータ版とも言えるVRMMOファーアースオンラインを稼働させていたのだ。
ゼノフォーブフィリアは神や魔法を認めつつ、それでもそれらを無くすことで、現代リアルワールドへ何かを求めている。
「ゼノフォーブ」
フォルティシモは初めて、ゼノフォーブフィリアの黒髪紅眼の少女をゼノフォーブと呼んだ。
「どうしたフォルティシモ?」
「俺は最強のフォルティシモだ」
「もう少しで良いから、吾にも分かり易い文脈を意識してくれないか? 名前を呼ばれ、その後、自分が最強だと言われた吾の気持ちを考えてくれ」
「だが俺は、お前の世界で生まれ、クソみたいな世界で育った近衛翔でもある」
ゼノフォーブフィリアがじっとフォルティシモを見つめ返して来る。
「ちょっと二人きりで、腹を割って話さないか?」