第五十話 オープンチャット
キュウたちがカフェを出ると、フレアが同行してくれるのだと言う。
「アル殿でないのなら、お前たちのレベルは【隠蔽】や【偽装】は掛かっていないのだろう。念のために護衛に就こう」
「ふふ、監視か人質ですか?」
「単なる善意だ。俺は邪魔せんから自由にトーラスブルスを回ると良い」
キュウはトーラスブルスの美しい街並みを楽しめるような気持ちにはなれなかった。本音を言えば今すぐ主人のところへ駆けて行って、縋り付いてしまいたい気分だ。それはラナリアも同様のようだった。
「しかし、私たちはもう観光を楽しむ気持ちにはなれません。むしろ、フレアさんからもっと詳しく話を聞きたいくらいです。こんな公共の場では話せない内容を」
「まだ何か聞きたいことがあるのか?」
「それはもう。聞けるだけのことは聞いておきたい気持ちで一杯です」
「しかしだな」
「先ほどの言葉を訂正させて頂きます。実は、キュウさんと私はフォルティシモ様に気に入られたいのです。だから少しでもフォルティシモ様のことを知れれば、それに勝る幸運はありません」
これもラナリアの言う通りなのだけれど、何か意味合いが違う気がする。
「フォルティシモ様の趣味嗜好か。だとしたら、従者たちだろうな」
「はい。フォルティシモ様がその神の御力で創造されたという最強の従者の方々について、是非ともお聞かせ願えないでしょうか?」
キュウだってその話は聞きたい。けれど聞きたくない。相反する二つの感情がせめぎ合う。
トーラスブルスの街を歩きながら、前を行くラナリアとフレアを見つめる。二人は気が付いていないかも知れないが、絶世の美少女ラナリアと、体格と角によって大きな存在感を示している二人は道行く人の視線を欲しいがままにしていた
いや二人はそれに気が付いている。気が付いていながらも、それらを当然のこととして受け止めているのだ。
その自信に満ちあふれた姿に尊敬すら抱く。
キュウが自分の矮小さが嫌になり、二人の話から耳を逸らそうかどうか迷っていた時だ。
それでも気になるから耳に神経を集中させていたし、耳を逸らすならやはり耳を使う必要があったから、二重の意味でキュウの耳は力を集めていた。
だからなのか、どこからともなく聞こえるはずのない声を拾った。
> お願いだ! 誰か! このオープンチャットが聞こえているなら! 誰か助けてくれ!
「………え?」
キュウが立ち止まったせいで、ラナリア、シャルロット、フレアも一緒に立ち止まる。
キュウは周囲をキョロキョロと見回す。声の質は、まるで直ぐ傍に相手がいる気がしたからだ。しかし周囲を見回しても助けを求めて居るような誰かの姿はない。
それにキュウの耳に届く声は、どこか変だった。声が聞こえるのとは違った何かのような気がする。
> サーチに引っ掛かった!? 君! 僕の声が聞こえているんだろう!?
「あ、あの、聞こえては、います」
「キュウさん、どうしたんですか?」
「音声チャットだろう。キュウ殿、フォルティシモ様からではないか?」
> 応えてくれないのか!? 緊急事態なんだ! 話だけでも聞いてくれ!
「あの、えっと」
キュウの耳に届く声からは必死さが滲み出ている。
声の主が助けを求めているのは、何となく分かる。けれどもキュウには聞くことしかできない。こちらの言葉を届ける方法がないのだ。
「誰かは分かりません、けど、オープンチャットが、聞こえているかって」
「………何? オープンチャットで呼び掛けているプレイヤーが居るのか? いや、俺には聞こえていないぞ。キュウ殿には聞こえるのか?」
「オープンチャットって、何ですか?」
> もう駄目だ。誰かは分からないが、君に頼む! 彼女を救ってくれ! オープンポータル!
キュウ、ラナリア、シャルロット、フレアの立っていた場所の中央付近に、青白い光が現れた。
光は直径三メートル程度の楕円形で、見ていて眩しさに目が眩むようなものではない。
「【転移】のポータルだ! 俺の後ろに隠れろ!」
突然隠れろと言われても、キュウは咄嗟に行動できるはずもない。キュウは驚き戸惑ってその場に立ち尽くしていた。シャルロットだけがラナリアの手を引いて、フレアの背後に回っている。
青白い光の中から、何かの物体が現れた。
それはおそらく人影だった。おそらくというのは、四肢がもがれて全身が炎で焼かれたかのように炭化していたからだ。
事前に謎の声から救ってくれと言われていなかったら、死体だと思ったことだろう。
フレアがすぐに人影へ近付く。
「これは、何かに襲われてここへ逃げてきたのか。だが助からんな」
「いくつも質問したいことがあるのですが、キュウさんが誰と話していたのかとか、今の光は何なのかとか、しかし今は彼女の容体ですね。助からないのですか? フレアさんであれば何かあるのでは?」
「俺はデュアルクラスも前衛だ。フォルティシモ様か、フォルティシモ様の従者でも回復能力に秀でた者であれば助けられる。だが今から呼んでいたのでは間に合わん」
フレアが諦めていたせいか、ラナリアとシャルロットも特に異論を挟まなかった。それほどに突如として青白い光の中から現れた重傷者の容態は悪いものだったからだ。
キュウは、自分のポーチに主人が入れてくれた薬を思い出す。
エリクシール。それが主人が入れてくれた薬の名前だ。
あのアクロシア王国がエルディンに襲われた日、キュウは主人から渡された黄色のポーションをカイルという冒険者へ使った。そのことは、主人は褒めてくれたので自分の判断が間違っていなかったと嬉しかった。
しかしその後、主人から黄色のポーションを超えるエリクシールという薬を持ち歩くように言われたのには、どう応えたら良いのか分からなかった。
エリクシールは“かきんあいてむ”で、絶大な治癒効果を持っているらしい。
これを使えば、目の前の重傷者を癒やせるかも知れない。
しかし、あの日と状況が異なる。キュウが黄色のポーションを使ったのは主人の友人であるカイルだったので、使ったことに後悔どころか、主人の友人を救ったのだと胸を張れた。
それに対して今は違う。
主人ともキュウとも無関係の誰か。
その人に対して、キュウの持っている薬を使えば救えるかも知れない。いやキュウの持っている薬、ではない。主人の大切な薬だ。
> あとは頼む! それと、彼女には決して僕の元に戻らないよう―――やはりアイテム制作者を優先的に攻撃するのか
キュウの耳に必死な声が届く。
どうすれば良いのか、何が正解なのか。
ラナリアに聞くか。彼女は選択してくれるだろう。しかしそれは、まるでラナリアに責任を押し付けているかのようだ。
ふと閃いた。まずフレアにエリクシールの価値を聞く。凄いとは言え薬は薬だ。刻限の懐中時計やあの腕輪に比べたら大した物ではなくて、意外と価値が低いかも知れない。
「あ、あの、これ、ご主人様から預かっているのですが」
ポーチから取り出したのは、キュウの手の平で掴める大きさの硝子の瓶だ。星を思わせる幾何学模様が入っていて、これだけでも飾っておきたいくらい綺麗である。
「エリクシールか。しかし、それはこの世界では手に入らん物だ。勝手に使って許されるのか?」
聞くんじゃなかった。迷いが大きくなるだけだった。
ラナリアとフレアは、キュウの表情をじっと見つめている。エリクシールという解決策を見せてしまったせいで、選択するのがキュウになってしまったのだ。
「あ、う」
喉の奥から言葉にならない変な音が出る。
ラナリアの心臓が少し大きな音を立てたのが聞こえた。キュウの態度を見かねた彼女は、キュウの代わりに責任を負ってくれようとしている。それは主人の意向を無視する行動のため、彼女自身へ緊張を強いることになって鼓動を大きくしたのだろう。
「キュウさん」
「つ、使ってください!」
ラナリアが何かを言う前に、キュウは選んだ。
キュウは自分で選択できる。この“自由”は主人がくれたものだ。