第四百九十二話 ある新聞記者と真実
文屋一心はドラゴンのぬいぐるみを抱えながら、半壊したアパートから飛び出し、素足でアスファルトの上を駆けていく。ごつごつして足の裏が痛いけれど、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
「ネリー、タクシー!」
『大通りへ出て!』
一心が大きな通りへ出ると、タイミング良くAIタクシーが停止する。AIタクシーのドアが開くと共に、滑り込みで乗り込んだ。
『何をする召使い! 奴はまだ生きている!?』
AIタクシーが出発した後、一心に抱えられていたドラゴンのぬいぐるみが腕から飛び出した。
「竜神様、考えてもみてください。今、あのメンインブラックを倒してしまうのは危険です!」
『めんいん? 奴はそんな名前ではないぞ!』
「聞いてください!」
一心は飛び出したドラゴンのぬいぐるみを再び掴み、がっちりとホールドする。
ドラゴンのぬいぐるみは一心の行動に驚いたのか、黄金に光る鱗粉のようなものをキラキラとまき散らし、人間を消滅させる閃光を発射できる口をパカパカと開いたり閉じたりしている。
別の意味で一心の肝を冷やしてくれたけれど、その程度で今の一心は止まらない。
「彼らは内閣情報調査室と言い、竜神様と同じ竜神―――」
『我を誇りを捨てた竜神と同列に語るな!』
「―――申し訳ありません! とにかく、彼らは人間社会に溶け込んでいるのです! この都市では高度な情報ネットワークが築かれています。彼らを殺してしまったら、すぐにフォルティシモ様も情報を得られることでしょう」
フォルティシモの名前を聞いたドラゴンのぬいぐるみは、一心の腕の中で大人しくなる。
黒スーツの翼男や他の者には尊大な態度を崩さないドラゴンのぬいぐるみだったが、魔王フォルティシモだけは格上と認識していた。だからこそ魔王フォルティシモに行動を察知されないように動いているのだ。
『哀れな竜神共とは言え、最低限の誇りはある。我に仲間が殺されたところで、多種族へ泣き付くとは思えん』
「本当にそうでしょうか? すべての竜神の意見は同じでしょうか? 知性体が集合すれば必ず派閥が生まれます。中にはフォルティシモ様へ連絡する者もいるのではないでしょうか?」
そもそもを言い出せば、ドラゴンのぬいぐるみ自身が“竜神だけどフォルティシモの仲間”という立場である。
『先ほど会ったディアナが居るな』
「ディアナ………? 私は取り返しのつかない事態が起きないように竜神様をお止めしたのです」
一心は、万が一にも殺人罪に問われないように、ドラゴンのぬいぐるみに台所用洗剤を投げつけた言い訳を重ねていただけなのに、思いがけずにドラゴンのぬいぐるみが会いに行っていた者の名前を得られてしまった。
そしてその名前は、爆発事故の後に入院している近衛天翔王光を甲斐甲斐しく見舞う、アルビノの美人後妻の名前だ。
ここを単なる偶然だと考えていては、天才記者失格である。
フォルティシモの配下の者が、近衛天翔王光の後妻となり、その遺産を引き継ごうとしている。悪逆非道な魔王フォルティシモは悲劇の孫である近衛翔から遺産を奪うつもりだ。
一心が救わなければならない人物が、また一人増えた。
近衛翔を魔王フォルティシモから救う。
「竜神様、実は竜神様に謝罪しなければならないことがあります」
『ふん! 大地へ頭をこすりつけよ!』
「先に内容を聞いてください」
一心はAIタクシーの後部座席で、隣の座席にドラゴンのぬいぐるみを置き、自分は向かい合って正座をした。
そして大地の代わりにタクシーのシートへ頭をこすりつけた土下座をする。
「私はフォルティシモ様、いえ、フォルティシモの召使いではありません! 竜神様を偽っていたことを謝罪いたします!」
一心は人間やAIならば、取材のために騙し抜く自信がある。しかし先ほど一心の家で見た、ドラゴンのぬいぐるみと黒スーツの翼男の戦い。あの常識外れを見て、嘘を吐き続けるべきとは思わなかった。だから一心は、真正面から誠心誠意の謝罪を口にする。
どのくらいそうしていたのか。しばらくしてドラゴンのぬいぐるみが反応を返して来た。
『………フォルティシモの召使いではないだと? それはそうだろう?』
「え、ええ、そうです」
『召使いは我の誇り高き最強の竜神としての神威へ屈服したのだから、フォルティシモではなく我の召使いだ!』
「いえ、そうではなく。元々フォルティシモの召使いではなかったので、竜神様のお世話を命じられたというのも嘘ということであり」
ドラゴンのぬいぐるみは一心の言葉を遮るように続ける。
『召使いの信仰、我はたしかに受け取り続けている。この我を信仰した、お前は我の初めての信者だ』
その口調は今までにないほどに穏やかなものになっていた。
『召使いは、我を信仰している。それが違うという話でなければ、頭を上げよ』
竜神サイは、はっきり言って敬えるような相手とは思えない。少し付き合っただけで分かる考えの浅さに、かなりの短気、共感力が低く相手を理解しようとしない。上司にするのであれば、最低な部類だろう。
だがそれらはすべて常識の範囲内の話。
文屋一心は、頭を上げた。
「竜神サイ様、私に教えてください。真実を」
「異世界、転移………?」
一心はAIタクシーを走らせながら、同乗者である竜神サイの話を聞いていた。
「つまり、兄は、その“神戯”というものへ参加させられていた、と。神戯の勝利者は、信仰によって集まった何かエネルギーのようなものを自由にする権利を得られる。世界を救ったり、願いを叶えたり、己が神に成ることも可能」
異世界では神様たちのゲームが開催されており、そこへ参加している人々がいる。人々、と表現するのは少し間違っていて、ドラゴンや悪魔、神様自身も参加することもある。そんなゲームなので、希望参加、強制参加はあれど、人はまず生き残れない。
一心が改めて立場を明かし、竜神サイから詳しい話を聞いてみれば包み隠さず話をしてくれた。とは言え、出会ってすぐに教えてくれるように頼んでも、このプライドの塊は決して教えてくれなかったに違いない。
「剣と魔法のファンタジーって、はは、ははは」
目の前でブレス攻撃やドラゴン人間を見ても、ファンタジーやオカルトとは縁遠いジャーナリズムを信仰する身としては、なかなか受け入れがたい話である。一心は速記でメモ帳へ書き込みながらも、指先に力が入るのを止められなかった。
そしてそんな神様たちの遊戯の勝利者こそが、魔王フォルティシモ。
魔王フォルティシモは異世界で大勢の奴隷を使い、己のために奴隷の街で働かせ、遊戯を有利に進め、卑怯な戦術を用いて他の参加者たちを蹴落としていったらしい。
「………竜神サイ様は戦われたのですか?」
竜神サイの話では、魔王フォルティシモは竜神サイが何もしていないのに、突然襲い掛かって来たのだと言う。
竜神サイは、魔王フォルティシモに停戦を呼び掛けたけれど応じて貰えず、そのまま殺されてしまった。時の神の力で蘇生できたものの、その後に何かと働かせられている。
曰く「同盟者として情報交換を行ったが、フォルティシモは役に立たなかった」竜神サイから一方的に搾取した。
曰く「フォルティシモが戦争になったことを泣き付いて来たので、最前線で戦ってやった」考えるまでもなく、彼を兵器のように使ったのだ。
竜神サイは、魔王フォルティシモに騙されている。力で押さえ付けた後、耳心地の良い話をして協力させるなんて洗脳と変わらない。
一心が向かったのは、ネットワーク環境が整っているビジネスホテルだった。テレワーカーやフリーランスがよく利用する施設で、VR世界へ接続するための機器も揃っていて、インフラに依存する作業をする場合は自宅どころかルー・タイムズよりも効率が良い。
監視カメラや周囲の視線に気を配りながら、シングル用の部屋に入る。一息つく間もなく、すぐに備え付けのパソコンとVRダイバーを起動した。
そして持ち歩いていた光子メモリを差し込む。光子メモリの中には、一心が準備していたフォルティシモの悪事の証拠や独自の取材情報、それに加えて解説と社説の記事草稿が入っていた。
作業をしながらも、竜神サイとの話は続ける。
「でも、その話だと竜神サイ様は、魔王フォルティシモと表向きは和解しているのですよね?」
『その通りだ。我はフォルティシモに協力してやっている。不本意ではあるがな』
「不本意なのは分かっています。でも今になって、フォルティシモに隠れて行動している理由は何なんですか?」
『………。召使いに関係ない話だ!』
その時、一心が頼んでいたルームサービスでワインが届けられたので、竜神サイへお酌する。彼が本物の竜神だと分かった今、ご機嫌を取るために一番高いワインを注文してみたのだ。それらの精算は一心のなけなしの口座から引かれることになるだろう。
「私は竜神サイ様のことが、もっと知りたいのです。どうか教えて頂けませんか?」
この言葉には微塵の嘘もない。
さらに一心が貯め込み続けた家族への想いと、天才記者としての信念が乗っている。
今、この瞬間だけは、文屋一心以上に竜神サイを信仰している人間はいない。
すると竜神サイが戸惑ったようだった。一心が差し出したワインと一心の顔を交互に見つめている。
「今はこの程度の奉納酒しか用意できませんが、必ずやもっと良いものを捧げると約束いたします」
『なかなかの信仰だ。これだけあれば、本体を召喚できるかも知れん』
「是非、本当の竜神様にお目にかかりたいと存じます」
『良いだろう召使い。フォルティシモにも伝えていない事実だ』
「録音良いですか?」
一切の不自然さを感じさせない動作でICレコーダーを起動。
『我にとって、ゼノフォーブは生みの親なのだ』
「ああ、なるほど、親なんですね。は、親!?」
VRダイバーを開発し、VR空間を管理運営する世界的企業ヘルメス・トリスメギストス社。そのCEOゼノフォーブフィリアの息子が、この竜神サイなのだと言う。
「CEOも、その、竜神の一人なんですか?」
『そんな訳があるか! そんなことも知らんのか、召使いは! 被造物のくせに、己がどの神に所属しているのかも知らぬとは。無知な召使いを持つと我も苦労する!』
「申し訳ありません!」
『ゼノフォーブは、この世界の神。ここで行われた神戯に勝利し、世界を管理運営しているのだ!』
「え、ええぇぇ!? もうなんか、色々、メモします!」
一心は状況を忘れ、紙の手帳にメモをしていく。
「でも、それとCEOに会いたいって言うのは、どこへ繋がるのでしょうか?」
『フォルティシモだ。フォルティシモは、ゼノフォーブを倒すと宣言した。この世界に起きた悲劇によって生まれたのがフォルティシモで、この世界を破壊してでも目的を達成するとな』
一心の目の前で、竜神サイがデフォルメされた六枚羽をだらりと下げた。
『フォルティシモの力は、誇り高き最強の竜神である今の我さえも凌ぐ。ゼノフォーブではフォルティシモに勝てん』
竜神サイの事情が少しだけ理解できた。
おそらく話はこうだ。
元々魔王フォルティシモを打倒するべく、兄アーサーたちと協力していた竜神サイは、ある時、親であるゼノフォーブフィリアが殺されるのだと知った。表向き魔王フォルティシモへ強力している竜神サイは、親殺しに加担しなければならない。今はまだ、魔王フォルティシモを倒すための力が不足しているからだ。
彼が言うように魔王フォルティシモの力は強大で、竜神サイが陣営に加わったところでゼノフォーブフィリアの死は変わらない。
それでも竜神サイは家族のためにやって来た。異世界で打倒魔王フォルティシモを掲げる仲間たちを裏切ってまで、家族の元へ。だからきっと、兄アーサーもそんな竜神サイへ己のスマホを託したのだ。
しかしゼノフォーブフィリアからすれば、竜神サイは自分を裏切って魔王フォルティシモへ付いた息子。信じられるはずもなく、面会を拒否したのだろう。
「竜神サイ様、大丈夫です。できることはあります。ゼノフォーブフィリアCEOを救いましょう」
『得られる信仰は変わらんが、質が変わったな。これはなんだ?』
「私が魔王フォルティシモを止めて見せます!」
『そうか。これだけの信仰を捧げるならば、多少の………なに!? 召使いがフォルティシモを止める? 人間である召使いに何ができる!?』
竜神サイは一心へ生暖かい息を吐きかけた。
「私の戦い方は、最初から一つです」
一心は竜神サイからの真っ直ぐな視線を受け止めて、強く頷きを返す。
なお、これはすべてが終わった後の話。竜神サイはゼノフォーブフィリアの実の息子ではなかった。それを知った一心がドラゴンのぬいぐるみを叩くことになるのだが、それはまた別の話である。