第四十九話 主人の御技を知る 後編
珍しい毛色を持つ狐人族の少女が居た。
狐人族がひっそりと暮らす里で生まれ育った、黄金の毛並みと容姿以外に目立つものの無い、言ってしまえばごく普通の狐人の少女だった。山間にある里で、畑を耕して川魚や山菜を採り大物を狩れれば自分たちで食べたり、少し遠くにある街へ売りに行ったりするどこの国に所属しているのかもよく分からないような場所。
狐人族は迫害されているわけでも差別を受けているわけでもなかったが、同様に特別扱いもされていなかった。だからこそ有りがちな天候不順の影響を受けて、少女の家族は食べる物に苦しんだ。それは里全体に及んだ飢饉で、周囲の同じような他種族たちも同じように苦しみ、多くの同胞を失っていた。
自分たちも里全体で食い扶持を減らす以外の方法を見つけられず、せめて命だけは助かる道、またその身を売ることでお金として里や家族のためになる『奴隷制度』を利用することとなる。
里の者の中から、ハッキリ言ってしまえば役に立たない者を奴隷として売り出し、この冬を越すための資金にしようという話。
容姿だけが良く、他には何も持たない少女は真っ先に選ばれた。
少女は泣き喚いた。
これからは畑仕事も真面目にやるし、家の手伝いはするからと言ったけれど、そんな誰にでもできることよりも、少女を売ることによって助かる命が優先された。
これが戦争のためだとか、戦争によって両親を殺されたとか、狐人族の希少価値だとか、そんな理由があれば、少女はまだ頑張れたかも知れない。
戦争を終わらせようと、両親の復讐をしようと、狐人の誇りを取り戻そうと、そんな物語の主人公のような悲劇とそれに立ち向かうくじけぬ心を持って、諦めなかったかも知れない。
けれども現実はそんなことはなくて、少女が売られたのは何年かに一度はあるありふれた飢饉で、両親は申し訳ない顔で少女を送り出すだけで、彼女が住んでいた里の狐人族は食い扶持を減らしたことで今でも同じように生活をしている。
それは簡単なことだ。
少女は、里に、狐人族に、家族にとって、不要なものだった。
故郷を失い、これから更に人としての尊厳や大切なものも失うのだと思っていた時、少女の前に現れた彼は、少女に“キュウ”という名前と新しい居場所をくれて、少女を求めてくれた。
「キュウさん、顔色が悪いようですが」
ラナリアの心配そうな声が耳に届いて、はっと意識を取り戻した。フレアからキュウの主人が“人間を創り出せる”という力を使えると聞かされて、キュウは非常に大きなショックを受けていた。
主人が神様の使いなのではないかと考えたこともあったが、心の奥底ではそうではないと分かっていたし、だからこそキュウのような者にもできることがあると思っていた。
「つまり、フォルティシモ様やピアノ様は、その気になればフレアさんのような者たちの軍団を創り出せるのですか?」
質問したのはラナリアだったが、強い意思を感じられるのは背後に控えるシャルロットだった。彼女は壊れてしまうのではないかというほど強く拳を握り真剣な顔をしていた。
「主殿はそこまではできない。フォルティシモ様の限界は、俺にも分からん。だが強さという意味であれば、少なくともフォルティシモ様の従者たちは、フォルティシモ様抜きでさえどんなチームにも敗北しない最強の従者たちだ」
ラナリアは一瞬だけ唇を曲げていた。それはすぐに元へ戻したが、足を前に出して身を乗り出していたので大きく感情が動いただろうことは見て取れた。対してキュウはフレアの返答で更に気持ちが沈んでしまい、耳も尻尾も垂れ下がっている。
「あら。ピアノ様の不利になるようなことを仰るとは思いませんでした」
「フォルティシモ様に聞けば自明のことだ。隠し立てする意味もなければ口止めもされていない」
キュウとラナリアがフレアに会いに来たのは、そもそもが自分たちの主人に質問し辛いからというのが理由にある。聞こうとしている内容も、フレアに聞くよりは主人に聞いたほうが確実性の高い話を聞けることだろう。
フレアが隠す意味はないのだ。ラナリアはそれを狙って情報を引き出そうとしているらしい。
「ラナリアとやら、俺は言った通り弁は立たない。なので迂遠な言い回しは不要だ。率直に何が聞きたいのだ? フォルティシモ様に聞けば済むことを聞いているのは、何を聞きたいからなのだ?」
「アルさんの印象をお伺いしたかったのです。私たちの先達に当たる方のようですので気になっているのです。こればかりはフォルティシモ様に聞くのと、フレアさんにお尋ねするのは内容が変わると思いまして」
ラナリアはフレアの突き放すような言葉にも全く動じずに、微笑を浮かべる余裕さえ見せて返答した。
「しかし、あまり意味はなさそうですね」
フレアも困ったような顔をしていた。
「そう、だな」
「フォルティシモ様がそのような御力を持っているとは知りませんでした。私たちのあの方への」
「待て待て、俺が意味がないと思ったのはそういう意味ではない」
ラナリアの言葉をフレアが手を挙げて制止する。
「アル殿は戦闘力は高いが、その他はからきしであった。ゆえに、印象を聞かれれば“強い”以外に思い浮かぶものがない。しかし強さだけは確実だ。フォルティシモ様が育てた従者なのだから当然だが」
オーギュストが聞いた話では、基礎能力は主人やその友人であるピアノに次ぐと言うので弱いはずがない。それでもフレアほどの強者からそう表現されると、その強さが本物であることが窺い知れる。
ラナリアは口元に手を当てて、なにやら考えているようで反応はない。
「フレア様、よろしいでしょうか」
「フレアさん、私の護衛のシャルロットからの質問を許してくださいませんか?」
「そこまで畏まられても困る」
余計なことだが、ラナリアはどう見てもフレアに対して畏まっていない。むしろ自分が上の立場であると考えているように思えた。
主人の従者とピアノの従者、一見立場が同じように見えるけれど、力関係は大きく前者に傾いている気がする。
「フレア様、あなた様のような強さを得るには、どのようにしたらよろしいでしょうか」
シャルロットがこうして話に割って入るのは珍しいので、仕える者として関心があるのかも知れない。
フレアはシャルロットを見つめた。シャルロットは真剣であったため、フレアもアルの話をした時の戸惑った顔を引き締める。
「お前はフォルティシモ様の従者ではないと言うことだったな?」
「はい」
「他の者のいずれかの従者でもない」
「はい、私の剣はアクロシア王国―――ラナリア様へ捧げています」
「では無理だ」
にべもない言葉を聞いたシャルロットだけではなく、ラナリアやキュウまで驚いてしまった。
「それは、“創造された存在”ではないから、でしょうか?」
「そうではない。フォルティシモ様は、空中を見つめていたり、何も無い場所へ手をかざして動かしていたりしていないか?」
その行動のジェスチャーをしているつもりなのか、右手を挙げて手を振っている。
キュウは情報ウィンドウというものを使っている主人を思い出す。思えばキュウの主人は出会った頃から一日も欠かさずにその行動をしている。
「あれによって神の力を実行するのだ。そして神の力は我ら従者を創り出すだけではない。その中には俺たち従者の情報がすべて含まれており、あれが無ければスキルを使いこなすこともクラスチェンジも上位クラスへのクラスアップも覚醒もできん」
出会った時、主人は意味の分からない数字をキュウへ見せた。あれこそがキュウの情報なのだ。そしてキュウが知らない内に次々に使えるようになっている魔術と魔技、主人はいつも神の力を使ってキュウを強化してくれていた。覚醒というのは分からないが、上位クラスへはレベル三〇〇〇あたりを目処にクラスチェンジすると言われている。
現金なもので、主人がキュウのためにしてくれていると知って、嬉しくて思わず尻尾が左右に動く。沈んでいた気持ちのせいで、その事実に縋り付いただけとも言えた。
「し、しかし、フレア様の強さはフレア様の研鑽によるものもあるでしょう。今もこうして鍛えておられます」
「俺からの答えは言った通りだ。俺は俺の強さを錬磨によるもの以上に、主殿から与えられたものだと考えている」
「つまり、例えば騎士は幼少より訓練を重ねるよう教育されますが、どれほど厳しい訓練をしたとしてもフレアさんのような強さは得られないということですか」
シャルロットの様子を見かねたラナリアが口を挟む。
「そうだな。シャルロットという騎士、落ち込む必要はない。この世界はそういう常識で動いているということだ。強くなりたいというのであれば、主殿やフォルティシモ様のような方を探し、“スキル設定”を嘆願するといいだろう。それだけでも劇的に変わるはずだ」
「お心遣い、痛み入ります」
「その際はフォルティシモ様にも相談すると良い。あの方はそれに関しては並ぶ者の居ない天才。我が主殿も多くをフォルティシモ様から習っている」
ラナリアは何とも言えない微妙な表情をした。たぶんキュウも同じような表情をしているはずだ。主人が凄いのだと言われるのは嬉しいけれど、言われれば言われるほど、自分が小さく感じてしまう。