第四百八十三話 ある新聞記者と有為転変
文屋一心がルー・タイムズへ戻って来ると、その入り口を塞ぐ数名の黒スーツたちを見掛けることになった。
一心は如何にもな黒スーツの男たちを見て、咄嗟にUFOや宇宙人を世間から隠す謎の組織のエージェントかと口走ったけれど、もちろんそんなはずがない。
「内閣情報調査室だ。ここに機密情報を保存した端末が持ち込まれたと確認した。裁判所より発行された令状に基づき、これより捜査を執行する」
先頭の黒スーツの男が令状を掲げて読み上げを始めた。
内閣情報調査室とは、時の内閣の重要な政策に関する情報の収集と保護をするための国家機関。しかしその実状は、CIAやKGBと同じスパイ機関だ。なおこれは一心の独断と偏見による結論である。
一心はエレベーター側の柱に隠れながら、大きな溜息を吐いた。
「フォルティシモが宇宙人だったら大ニュースだったのに」
『宇宙人なんか“この世”に居ないわよ』
「地球も宇宙の一つ、なんて詭弁を言うつもりはないけど、宇宙のどこかには居るかも知れないよ」
一心がネリーと暢気に会話しているのは、珍しい話ではないからだった。
ルー・タイムズの先輩記者たちは、このVR全盛の時代に紙の新聞を発行しようという偏屈な人間たちである。機密情報を保存した端末を持ち込んだと言われて、一心でさえ数人の先輩記者が咄嗟に脳裏へ浮かんだ。この先輩たちは国家機密の一つや二つ、素知らぬ顔で持ち帰って来ても不思議とは思わない。
そんな編集長や先輩記者たちが、黒スーツの男たちと揉めている。
「はぁ? 内情が何の罪もない一企業を捜索だぁ? いつから警察の真似事をするようになった? あ、俺、警察のOBと仲良いから、違法捜査ならすぐ連絡しちゃうよぉ?」
「その令状、ちゃんと見せてくださいよ。正式な令状請求に基づいて発行されたものですか? もし一文字でも不備があったら、どうします? まさか、内閣総理大臣様が、裁判所と癒着なんてしてませんよねぇ? 支持率落ちちゃいますよ?」
「あー、今ちょっとガス漏れの臭いがしてましてねぇ。確認したいんで、一旦、ビルの外へ出て貰えますぅ? 爆発事故から国民の命を守るのも仕事でしょう?」
先輩記者たちは、どちらがイチャモンを付けているのか分からない態度で黒スーツの男を恫喝し始めた。
どうせ反論している先輩記者の中に、真っ黒な犯人がいるだろう。今の一心は魔王フォルティシモの問題を抱えているので、馬鹿なことをしていないで、早く下手人に告白して貰いたいくらいだ。
「端末は、ドラゴンのぬいぐるみの形をしている。貴様らは何も知らないのか?」
黒スーツの言葉を聞いた先輩記者たちが、一瞬だけ大人しくなった。先輩記者らは無言で視線を合わせている。一心も額から汗が流れるのを感じた。
「あ、ああ、そんな金色のドラゴンのぬいぐるみなんて、知らねぇよ? こ、子供じゃねぇんだから、AI搭載のぬいぐるみなんか誰も持ち込む訳ねぇだろ」
「ど、どどど、ドラゴンのぬいぐるみって、もっとパンダとか白熊とか、可愛い動物をぬいぐるみにするべきだろ。あれじゃデフォルメしても可愛くねぇよ」
「最果ての黄金竜は竜神と熾天使の間に産み落とされた設定だから、単純なドラゴンのぬいぐるみと言われても、見たことがないとしか言えないな」
語るに落ちるとは正にこのことである。先輩記者たちは問い詰めることに慣れていても、問い詰められることには慣れていないのだ。
一心は先輩たちの阿呆っぷりに頭を抱えそうになり、唐突にある可能性へ思い至った。
もしかしたら内閣情報調査室が、現代社会の闇に君臨する悪の魔王フォルティシモを調査しているのかも知れない。そしてその情報の受け渡しのために、あの竜神AIを使ったのではないだろうか。それが何かの手違いでピュアが運び出してしまい、こうして黒スーツの男たちが回収しにやって来た。
『ピュア、引き渡すのが正解だと思うわ。あのドラちゃん、私たちの手には余るものよ。お兄さんの手掛かりも得たし、スマホのデータは抜き出してある。ここらで手を切らないと、取り返しの付かないことになるわ』
「でも竜神様は兄さんと知り合い。なら魔王は私と兄さんが暴く」
一心は柱の陰からルー・タイムズの入り口を窺い続けるが、黒スーツと先輩記者たちのせいで中を見ることができない。
「それに、この特ダネを逃すのは惜しい。これならピューリッツァー賞を取れるのにっ」
それから本音をぶちまけた。
行方不明になった兄騎士王を探したいという家族愛。
奴隷にされている人たちを解放したいというジャーナリストとしての使命感。
記者として大成功して世界中に認められたいという願望。
すべて否定することのできない真実である。むしろ全てを手にしてこそ、天才ジャーナリストと呼べるのではないだろうか。
『あの竜神共、何故、ここに居る?』
「ひっ、ふっ、ふふぅ!?」
一心は突然背後から話し掛けられて、叫びだしそうになる口許を何とか抑える。一心へ声を掛けてきた人物、ではなく物を振り返ると、そこにはドラゴンのぬいぐるみがぷかぷかと浮いていた。
「りゅ、竜神様、応接室に居たのでは?」
『召使いがフォルティシモの下へ行っている間、我も知り合いに………何故、召使いに我の行動を教えねばならん!』
一心は両手で声量を抑えるようにジェスチャーをして、雑居ビルの窓から入って来たらしいドラゴンのぬいぐるみを落ち着ける。
「落ち着いてください、あまり騒ぐと気付かれて―――え? 竜神共? あの内情の人たちのことでしょうか?」
ルー・タイムズの入り口を塞いでいる黒スーツの男たちは、どこからどう見ても人間で、強いて言えばジャーナリストの怨敵である霞ヶ関の人間の雰囲気が感じられる者たちだった。
『ふん。召使いでは、見抜けんか。奴らは竜神だ。人のアバターを使ったところで、隠すことはできん。誇り高き最強の竜神と成った我に比べれば、ゼノフォーブの元で飼われている哀れな竜神共よ』
相変わらず言葉の意味をすべて理解できなかったけれど、一心は何とか理解しようとした。
そして次の質問を後悔することになる。
ただし、それは仕方がないと思う。どんな天才ジャーナリストだって、未来を予測できるはずがない。
「竜神って、もしかして内情のコードネームだったのかな。だったらこのぬいぐるみも、内情のAI? フォルティシモの下へスパイさせていたAIが行方不明になったなら、さすがに返さないとマズイかな」
『何をぶつぶつと言っている、召使い?』
「いいえ! あの人たちが私の先輩方を責めているようなので、竜神様に助けて頂きたいな、なんて思いまして。難しいですよね?」
『良いだろう。我は誇り高き最強の竜神サイだ。尽くした召使いへ、酬いてやる』
ドラゴンのぬいぐるみの口が開いた。
空気が変わった。
絶対にあってはならない何かが。
そこから発射される。
頂より降り注ぐ天光。
黄金のブレスが、内閣情報調査室の黒スーツたちを消滅させた。