第四十八話 主人の御技を知る 中編
国土の多くを海に置いてるだけあって、トーラスブルス全体で見れば浜辺は非常に広くて多いものの、近場ということであれば限られる。加えてフレアという人物は巨体の鬼人族なので目立つため、あっさりと姿を見つけることができた。
彼は人のほとんど居ない浜辺で上半身裸で、演舞のような動きを繰り返していた。彼が拳を突き出す度に空気が震える。キュウたち以外の人たちはその様子に圧倒されているようで、控え目に言ってとても目立っていた。
フレアの行為は、キュウが主人に言われて素振りをするのと一緒だ。彼はあれだけ強いのにスキルレベルを上げているのだ。
「さて覚悟はよろしいですか、キュウさん?」
「はい………」
キュウは口から心臓が飛び出しそうなくらい緊張しているけれど、ラナリアは真逆で実に楽しそうで口許に笑みまで浮かべていた。
フレアは近づいて来たキュウたちに気が付いたようで、演舞を中止して荷物からタオルをとって身体を拭き律儀に服を着てからキュウたちの元までやって来た。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
ラナリアが挨拶したので、キュウも釣られて挨拶をする。
「うむ、お疲れ様だ。アル殿、先日は挨拶もできなかったこと、許して欲しい。あの場は主殿たちの再会を邪魔するべきではないと判断した」
フレアは丁寧とは言えないもののキュウへ向けてお辞儀をしていて、見るからに旧知の間柄といった態度だった。
「っ」
それに対してキュウは何も言うことができなくなる。
「アル、という方がフォルティシモ様たちのパーティメンバーだったのですね」
「ラナリア殿だったか。それはどういう意味だ?」
「この方はキュウさんです」
「確かにキュウ、と紹介されていたが」
フレアはキュウを凝視し、続いて驚いた顔をした。
「なるほど、瞳の色が違う。アル殿にしては大人しいと思っていた。主たちに配慮したのかとも思っていたが、別人だったのだな」
「は………い」
「すまなかった。フォルティシモ様が連れた狐人族はアル殿しか居なかったゆえ、キュウ殿はアル殿だと思い込んでしまっていた」
今度は直立不動の姿勢を取った後、腰を折る丁寧なお辞儀を見せた。これが自分に向けられたものでなければ、外見とのギャップに大いに違和感を感じたことだろう。
「い、え、全然、気にして、いませんので」
「キュウさん?」
ラナリアは不思議そうな顔をしてから、半身でキュウを庇うように一歩前へ出た。キュウはその気遣いに安堵する。キュウは冷静にフレアとやりとりできる状態ではない。
「フレアさん、お互いの主が旧交を深めているようですので、私たちも少し友好を温めませんか?」
「ああ、構わない。しかし俺はこの通り口は上手くない。不快な物言いをしてしまうかも知れないが、それは許して欲しい」
フレアは外見に似合わず思った以上に柔らかな態度で答えると、浜辺に置いてあった荷物を手に持った。フレアの体格から見れば小さなバッグであり、ポーションを数個入れたら一杯になってしまうようなものだった。しかもぺちゃんこで、中に何も入っていないように見える。
きっと主人と同じインベントリという物品を虚空へ仕舞えるスキルを使えるのだ。そしてフレアが使えるということは、アルという主人の従者―――狐人族の本当の従者も同じように使える。
フレアに連れられて、彼が演舞をしていた場所のすぐ傍にあるカフェに入る。テラス席は正四角形の小さなテーブルを真っ白な椅子とパラソルが囲んでいた。ちょうど浜辺を見渡せるようになっていて、海から吹く風が心地良く、落ち込んだ気持ちを少しだけ癒やしてくれる。
フレアが人数分の飲み物を注文してくれた。キュウは慌ててお金を渡そうとしたが、それはフレアに止められたので飲み物は彼の奢りだ。
主人に食事の面倒を見て貰うのはすっかり慣れてしまったが、こうして知り合いに奢られるとそれだけで恐縮してしまう。奢られ慣れているというのは変な話だが、ラナリアが平然と受け入れてくれたので気持ち的に助けられる。
「鬼人族とは凶暴とお聞きしておりましたが、フレアさんはとても紳士的です。やはり風聞は当てになりませんね」
「いや、それは当たっている。俺はあくまで主殿によって創造された存在であるがゆえ、種の本能を持っていないだけだ。他の鬼人族に俺と同じ対応を期待すると痛い目を見るだろう」
キュウはその言葉を聞いて耳をピクリと動かした。ラナリアも表情までは見えないが、驚いている様子が聞き取れる。
「ピアノ様に、創造された?」
声を出したのはキュウとラナリアの背後に控えていたシャルロットだった。彼女はずっと影に徹していたが、それができないほどに無視できない言葉だったのだろう。
シャルロットの言葉を受けて、ラナリアが一瞬だけ振り返る。その視線に何が含まれていたのかは分からないが、シャルロットは身を小さくした気配が分かった。
「ラナリアとシャルロットだったか? お前たち二人はフォルティシモ様の従者ではないのか?」
フレアはラナリアとシャルロットを警戒したのか、わずかに力を込めたようだった。
「それは」
「違います。ラナリアさんは、私と同じご主人様の従者です」
「そうなのか?」
「はい。こちらのシャルロットは私の護衛でありますが、私はフォルティシモ様の従者をさせて頂いております」
フレアが力を抜くのが分かる。
キュウでなくては聞き取れないほど小さな声で「キュウさん、ありがとうございます」とラナリアのお礼が聞こえた。
「私はアクロシアの出身ではありますが、フォルティシモ様にお世話になりたくて私から従者にして貰えるようお願い申し上げたのです」
「アクロシアの出身、“こちら”の出身ということか」
分かっていたことではあるが、フレアはフォルティシモやピアノと同じ故郷の出身者なのだろう。
いやそれはこの場では些事だった。
主人と出会ってからずっと覆され続けた常識の中でも、特大のものが目の前にある気がする。
彼は言ったのだ。
「創造された、ってどういう意味でしょうか?」
「まさかキュウ殿は、フォルティシモ様に創造された従者ではないのか?」
驚いた顔でキュウを見つめるフレアに対して、首を縦に振って答えた。
「それは、何と言うか。それでその容姿なのか」
「創造された、というのは文字通りの意味なのですか? フォルティシモ様やピアノ様は神の如き御技を用いて、フレアさんやアルさんという方のような者を創り出されたと?」
「お前たちのようなこの大陸の者には、少々想像しがたいかも知れないが、その通りだ。我々は主殿たちによって創造された存在。この心と身体、想いの一片に至るまで主殿に望まれた存在だ」
フレアは信じられない内容を誇るように、あっさりと肯定した。
人間を産み出す力。
それは正しく神の力だ。
「っ、そのような力、が」
フレアが肯定したことに、ラナリアでも動揺を隠しきれず言葉を詰まらせた上に声が震えていた。このフレアのような強者を生み出せるなど、ラナリアの立場を考えれば看過できるものではないだろう。
けれどもキュウも負けないくらいの衝撃を、それこそ自分の立っている場所が分からなくなって、よろめいてしまうくらいには大きな衝撃を受けていた。
だってそれは、キュウの主人はキュウなど全く必要でなく、フレアのような強い従者を生み出せるということなのだ。主人に望まれて、主人のために努力しようとしたことが無意味だったような感覚に襲われて、キュウは頭が真っ白になってしまった。