第四百七十五話 ある新聞記者の直感
AIやVR技術が極度に発達した現代リアルワールドでは、多くの職業がAIに奪われてしまった。二〇〇〇年代前半からその傾向は顕著となり、現在の第三次産業の主役はAIとなっている。
そんな中で新聞記者という職業は未だに健在だった。
もちろん記事を書くという意味では、すべてAIに任せてしまう記者がほとんどだ。しかし取材は人がその場へ行くことが多く、AIに任せられない職業となっている。
それでも発行されるのは電子データがほとんどであり、今や紙の新聞を発行するのは一部の好事家向けだ。
そんな現状に不満を抱く、大学卒業したばかりの新入社員がいた。
彼女は国内でも有数の大学を卒業したにも関わらず、現代でも紙の新聞を発行する中小企業へ就職を決めた。
名前を文屋一心。平均身長からすればかなり小柄な体躯で、私服で歩いていたら子供に間違えられそうだった。この国に多い黒髪で、ボーイッシュな短い髪型をしている。つり目や八重歯が体型を伴って生意気な猫を連想させるせいか、男性受けはしない。
そんな一心は都内の雑居ビルの一室で、紙の原稿を前にうんうんと唸っている編集長の頭に向かって、自社が発行している新聞紙を投げつけた。
「なんですか、これはあああぁぁぁーーー!?」
「文屋くん、紙は大切なものだ。人に向かって投げるのは如何なものかと思うよ」
「どうなってるんですか、編集長! 私の書いた『大豪邸で謎の爆発。疑惑の天才』の記事が、まったく掲載されていないじゃないですか!?」
六十を過ぎて頭に白髪が交じるようになった編集長は、一心が投げた新聞紙を拾い上げて綺麗に折りたたむ。
「君の書いた記事って、近衛天翔王光が邪悪な儀式で悪魔を呼び出そうとしていたって内容でしょ?」
近衛天翔王光。現代リアルワールドで義務教育を受ければ、知らない者の居ない名前である。AI技術を何世代も進化させ、人の脳を解析した天才。誰もが使っているサポートAIも、近衛天翔王光こそが開発者であり、まさしく現代に生きる偉人だ。
そんな数学や物理学の申し子のような天才が、晩年に悪魔崇拝に嵌まって爆発事故まで起こしたという記事はゴシップとしては面白い。
「近衛天翔王光氏の邸宅が爆発したのは事実だよ。同業者もこぞって記事を書いたしね。でもあの事故、警察がガス漏れの爆発事故だって公式発表してるし、その証拠に近衛天翔王光も直後に入院している。ネットに流れた記事や学習データを参照しても、何の疑惑もない。近衛天翔王光の後妻、アルビノの美人若妻に関する記事が事件関連では最も閲覧数を稼いでるくらいだ」
一心が編集長のデスクを叩いた。
「それは嘘です! 政府のプロパガンダに踊らされてます! 現代ではネットワークから知識を得るから、ネットワークに流れた情報が正しいと誤認するんです! データの歴史は改ざんとの戦いです。神様のようにデータを完璧に改ざんできる国家プロジェクトがあれば、私たちが知らされる情報は都合の良いものばかりになります! 本物は、この目で、この紙で、伝えてこそ、だと思いませんか!?」
編集長は頭を抱える。編集長たちの親やその上の世代では、ゴシップ記事で他人のことをオモシロおかしく書くのが流行だった。
しかし現代では法律が厳しくなり、AIによる監視体制は世界を席巻している。個人に対して根も葉もない噂話を書けばあっという間に訴訟問題。
加えて相手の近衛天翔王光は大富豪で、超強力な弁護団が付いている。こんな紙の新聞を未だに発行しているような会社は、一瞬にして潰されてしまうだろう。
「仮にインターネット上に流れるありとあらゆるデータを改ざんできる、国家組織か秘密警察が居たとしよう。どうして死人も出ていない、一人の富豪が巻き込まれた自宅での爆発事故を改ざんする? 誰の利益になる? 保険会社か?」
「そ、それは、あ、悪魔を本当に召喚できたんですよ!」
「今日はもう帰って良いぞ」
「ああ! すいません! 冗談、冗談です!」
編集長に諭された一心は、渋々と言った様子で自分の席に戻る。
言ってしまえば、大富豪がガス事故で怪我をしただけのネタである。優秀なAIが管理する現代で、ガス漏れ事故が発生するのは珍しいけれど、ゼロという訳ではない。どれほどAIが優秀でも、センサー類が劣化していたらどうしようもないからだ。すっぱ抜くとしたら、センサーの製作会社か点検会社の落ち度だろう。
歴史的偉人が事故で負傷したニュースは世間を駆け巡ったけれど、数日もすれば忘れられるものでしかなかった。犯人もおらず、偉人が死んだのでもないニュースなんて、ニュースになるほうが平和な証拠である。
「でも、絶対におかしいんですよ!」
だから一心の言葉は単なる強がりに過ぎなかった。
「そう言って、先週ずっと取材してただろ。で、公式発表以上の事実は何も出て来なかった」
「ちがいますー! 近衛天翔王光の知り合いと連絡が取れなかったんです! 海外に移住したり、取材一切拒否だったり、失踪していたり………」
一心は再び立ち上がって、己の取材メモを編集長へ突き付けた。
紙のメモは珍しい。現代ではサポートAIがメモを取ってくれるし、わざわざ自分でメモを取る者が居たとしてもスマホなどのネットワークに繋がったコンピュータを使う。
「あのな。俺は一週間、お前のその勘で取材して良いって言った。だが、これ以上は駄目だ。取材をしてもお前が勘で感じた真実を見つけられなかっただろう? ベテランの記者だって、そうそう大きなネタは見つけられねぇもんだ。ましてお前はまだ新人だ。まずは地に足をつけて、取材の仕方と記事の書き方を学んでいってくれ」
「ぐ、ぐぬぬぬ」
一心がペンを強く握り締めて歯ぎしりをした。
「でも、絶対に特ダネがあるんです!」
何故、そこまで確信できるのか。
それは溢れんばかりの記者としての勘である。
一心は今年、大学を卒業したばかりの新人記者だけれど、記者としての才能はナンバーワンだという自負があった。
ちなみに根拠はなにもない。
他の誰でも無く、自らを信じるから自信である。
新人のやる気に水を差すのも良くないと思ったのか、編集長が大きな溜息を吐いた。
「しゃぁねぇな。今週までだ。今週中に特ダネを持って来い。ただし、できなかったらスッパリと諦めて、別の取材に取り組むって約束しろ!」
「分かりました! 一面を開けて待っていてください!」
急いで取材道具を鞄に詰めた一心は、雑居ビルの駐車場へ駆けて、自分の自動車へ乗り込んだ。
「ネリー、遠出するから車出して。あと野宿に必要なものを手配しておいて」
一心が呼んだネリーとは、一心のサポートAIの名前だった。一心が物心付く前に両親から与えられたサポートAIネリーは、二十四時間三百六十五日、常に一心を優先してサポートしてくれる。
『ピュア、編集長の言うことも尤もよ。どれだけネットを巡回しても、知り合いに学習データの共有を頼んでも、現場検証をした警察官のサポートAIにまで話を聞いたけれど、近衛天翔王光宅のそれは単なる事故だったでしょ』
「私の勘が違うって言ってるの!」
普通のサポートAIであれば、勘などという不確かなものに対して、それよりも社会人としての責任を説くべき場面である。
しかし一心のサポートAIネリーは違う。
『仕方ないわね。ピュアがそこまで言うなら、追ってみましょう。ピュアの勘は三十パーセントくらいは当たるからね』
「え? 三十パーセントしか当たってない? ホントに!?」
『ピュアの行動はすべて記録してるから、間違いないわ。ピュアの勘は三十一パーセント当たってる。だから調べに行きましょう』
「び、微妙っ」
物心付く前から付き合いのあるサポートAIは、主人を主人以上に理解する。
そしてその想いを後押ししながら、問題が起きないように見守り、時には軌道修正し、全力で支援するのだ。
「けど、ビビッと来たの。絶対、何か、あるはず!」
一心がネリーの運転で道路を走る。ちなみに一心自身は運転免許を持っていないので、運転席に座る意味はない。
これから行くのは、近衛天翔王光の娘が暮らしていたという家で、一言で表せばド田舎だった。現代の発展に完全に取り残された地域。大容量高速通信ができないのは仕方がないとして、サテライトリンク通信でさえ全く通じない、まるで秘境か地下世界かという場所である。
それでも近衛天翔王光のご令嬢が、誘拐事件で死亡するまで過ごしていたというのだから、何かしらの意味があるはずだ。
一心は高速道路を走りながら、何となく対向車を見ていた。現代の高速道路は時速数百キロで進むAI制御の自動車なので、対向車なんてほとんど捕らえることができない。
しかし一瞬の光景も見逃さない記者としての本能と才能が、動体視力を極限まで活性化させて、それを見た。
「何、今の人、彼女に獣の耳と尻尾を付けさせてドライブって、引く」
『人の趣味はそれぞれよ』
「少なくとも、相手にだけ付けさせてる時点で、クズ男でしょ」
一心は対向車線を走っていただけの男性に対して、少し理不尽な苛立ちをぶつける。
それは自信満々に編集長へ語ったこの取材が、無駄足になることが怖かったからだった。
一心の記者としての勘は、何かがあると言っている。
しかし頭の冷静な部分が、こんなことをしているなら、近衛天翔王光を甲斐甲斐しく見舞う美人若妻に突撃したほうが、多くの人に記事を読んで貰えると考えてしまう。
後妻である美人若妻と事件で唯一生き残った孫、どちらが近衛天翔王光の遺産を相続するのか、いかにも大衆が好みそうな話である。美人若妻と孫が争う姿をシャッターに収められれば、発行部数十倍は固い。
『ピュア、付いたわよ』
「ありがと、ネリー」
『いえいえ、どういたしまして』
ネリーの運転する一心の自動車は、いつの間にか目的の場所へ到着していた。
一心は自動車から降りて、田舎と言うには不自然な一画を見る。
中央の屋敷や庭園は、珍しいものではない。現代でも続く地主や地元の名家となれば、この程度の屋敷と庭園を持っていることもある。
しかしその一画が不自然なのは、屋敷と庭園以外の場所にあった。
周囲にここら一帯でも目を引く広大な農地が広がっている。種類も様々で、米や小麦、野菜や果物など、一つの家族が食べる物に困らないどころか売るほどあるのは間違いない。
それらはすべてロボティクスによって管理されていた。ロボットたちが農作業のすべてを行う、現代でも技術的には可能とされながらも、費用を考えれば赤字なので行われない、農業の完全オートメーション化。
近衛天翔王光の娘家族は、自給自足ならぬロボ給ロボ足で暮らしていたのだろう。
そしてこのロボットたちは、主が死んだ後もせっせと仕事を続けているに違いない。
おそらく近衛天翔王光が、娘夫婦をマスコミから逃がすために用意した費用度外視の農地。
ただでさえ進んでいたAI技術へ革命を起こした天才、他にも様々な偉業を成し遂げ、多くの特許を持つ大富豪。それなのにいくつもの慈善事業を行っていて、特に公園や博物館を土地ごと買い上げて保存する事業は有名だ。他にも多くの絵画や芸術作品を収集し、未来へ残す事業もしている。
嫉妬の声は数あれど、紛れもない人格者。完璧すぎる天才。それが近衛天翔王光だった。
その天才のスキャンダル、悪魔崇拝と爆発事故。
ジャーナリストとしての勘がうずく。
『登記情報だと、ほとんどがクレシェンドって名前に辿り着くけど』
「偽名ね。愛娘が徐々に強くなって欲しいって言う近衛天翔王光の願いでしょう。このことから分かるのは、近衛天翔王光は親馬鹿ってことね。私の勘がそう言ってる」
しばらくの間、屋敷を遠くから観察していたけれど、そこで動くのは農業ロボばかりで、それ以外の物を見つけることができなかった。
やはり自分の直感は三十パーセントしか当たらないのだろうか。統計学は偉大なのかもしれないと思った時である。
「何あれ」
一心は近衛天翔王光の娘の屋敷を遠くから見つめていた。その屋敷の中で動いているのはほとんどがロボットで、注目するべき相手はいないはずだった。
「ぬいぐるみ?」
一心の視線の先にあったのは、ぬいぐるみ。ゲームの公式グッズか何かなのか、デフォルメされたドラゴンのぬいぐるみである。
ドラゴンのぬいぐるみがぷかぷかと浮かびながら、屋敷の門から出て来たのだ。
一心は全身に電流が走ったかのように錯覚し、ドラゴンのぬいぐるみへ向かって一直線に駆け出した。
浮かんでいること自体は、それほど不思議ではない。ヘリウムなどを使って物体を浮かせる技術は、風船や気球など身近なところにある。近衛天翔王光が娘のために浮かぶぬいぐるみを作ったのだと考えれば、充分に有り得る光景だった。
しかし一心はまったく別の感想を直感した。
あのドラゴンのぬいぐるみは、何か未知の技術で浮いている。
それを確かめるべく近付いた一心の現実は、物理法則も、世界も、常識も、反転することになる。