第四百七十話 現代リアルワールドの神
かつてこの地で開催された神々の遊戯において、最強の神が誕生した。
二柱の偉大なる神と一人の天才によって催されたそれは、この地で神々と神へ到達し得る人に千年の戦いを繰り広げさせた。その遊戯で誕生した最強の神は、滅び行く世界を再創世し、人々へ死からの解放と恩恵を与えた。最強の神は信仰され、人々は新たな世界を開拓していく真っ最中である。
現在、そんな世界の人々を救った偉大なる最強の神は、表情を強張らせて真剣に迷っていた。
それと言うのも、フォルティシモの目の前に二つの物体があるせいだ。
一つは金色でふさふさで、モフモフな尻尾だ。もう一つは金色でふさふさで、モフモフな尻尾だ。
言葉にすれば同じだが、その二つの尻尾は違う。
キュウ、狐の神タマ、キュウステラの尻尾に対してクオリアの概念の絶対的正しさを経験したフォルティシモからすれば、この二つの尻尾を同じと言うのは冒涜にも等しい。
それでも何が最も違うかと言うと、それぞれの持ち主。キュウの尻尾とアルティマの尻尾である。
とても簡単に言えば、たった今、最強神フォルティシモの目の前に、キュウとアルティマの尻尾が並んでいた。最強神フォルティシモは最強神として、この目の前に並べられた据え膳を味合うべきかどうか悩む。
フォルティシモがこの目の前の尻尾を好き放題にしても、キュウとアルティマの二人は怒らないだろう。しかしその場合、どちらから味わうべきなのか。そして締めをどちらにするべきなのかが問題だ。
「困ったな」
「ご主人様?」
「主殿?」
「なんでもない。続けてくれ」
ここは『浮遊大陸』に新しく作られた狐人族の里だった。地上にあった狐人族の里をそっくりそのまま移設した、百人程度が暮らせる小さな里。草木で荒れ放題だった家屋や田畑は、ゴーレムや従魔を使ってすっかり綺麗になっている。
その里で最も豪華な平屋の一室、障子の扉に綺麗な畳、掛け軸まで掛かっているような和室で、フォルティシモ、キュウ、アルティマが膝をつき合わせている。
神戯ファーアースの最後の戦いの後、狐人族たちは『浮遊大陸』へ移住していた。
そうして移り住んで来た狐人族たちは、単純なNPCではない。狐人族たちは、狐の神タマが特別に作成した“タマが神になる前に暮らしていた里の人々のコピー”なのだ。
そして狐人族たちは自分たちが神戯のNPCであることを自覚し、タマからの仕事をしていたという知識と自我を持っている。
狐の神タマのコピーでありタマの記憶を持つキュウにとっては、幼少期を過ごした隣人くらいに知った仲なのに、無関係な他人でもある。
そんな狐人族の里の実質的な執務は、アルティマが担当している。
「建葉槌さんからは、エルフの皆さんとの取引で少し問題が起きていると聞いています」
「うむ。そうなのじゃ。エルフは主殿に最初に恭順した種族として、狐人族が贔屓されるのが気に入らないと見える。どこでも先輩面したい奴はいるのじゃ」
アルティマはキャロルやリースロッテに対して先輩として接している節があった。フォルティシモの従属神は、ブーメランの投げ方まで主神から引き継いでいるのかも知れない。
「今は大きな問題にはなっていないそうですけど、アルさんから見て、早めに対応したほうが良いでしょうか?」
「ラナリアなら、今の内に仕込みをしておくと思うのじゃ」
「狐人族とエルフ、それぞれの有力者と会談を設けて、何かあればすぐに連絡するルートを作っておくとかでしょうか」
フォルティシモの目の前で、キュウの尻尾がくるりと回った。
フォルティシモの視線はそれを追う。
「妾とキュウが、エルミアとテディベアと共に当事者から話を聞くのも有効だと思うのじゃ。今回の諍いは主殿から見てどっちが上かという不満、ならば妾たち四名が話を聞いたという事実があれば、当事者たちの気持ちも少しは収まると思うのじゃ」
今度はアルティマの尻尾がくるりと回った。
フォルティシモの視線はそれを追う。
フォルティシモはキュウとアルティマを見る。
二人は真面目な表情で、手に持った資料を片手に話し合いを続けている。
フォルティシモは情報ウィンドウを起動し、頼りになるサポートAIへ質問を投げ掛けた。
> エン、キュウとアルが俺を誘ってくる。どうしたら良いと思う?
> 主の勘違いだから大人しくしていろ
フォルティシモは“頼りになるサポートAI”エンシェントの回答に正直な気持ちを返答する。
> 俺が気にしてるのは、キュウとアルティマを比べたい、って意味に取られない方法だ。それぞれを楽しみたいって穏便に伝えるにはどうしたら良いと思う?
> いいか、馬鹿主。もう一度言うが、大人しくしていろ
エンシェントに言われた通り、キュウとアルティマの話し合いを大人しく見守る。そうしている間に、順調に話し合いが進んでいく。
真剣に狐人族の里のことを考えているキュウを見ると、尻尾をどうにかしようとしていた自分が恥ずかしくなってくる。
自分も真面目な思考に没頭しようと考えた時、フォルティシモの情報ウィンドウから通知音が鳴った。それはメッセージを受信したことを報せるものだったので、慣れた動作で右手を振るいメッセージの項目をタップしていく。
そして確認したメッセージの送り主は、現代リアルワールドの神だった。
◇
現代リアルワールドにある高層ビルが立ち並ぶ街。
そこは世界的大企業がいくつも入っているビジネス街で、ビジネスマンたちが昼夜問わず行き来する姿を見ることができた。昼間は世界最高の人口密度を誇ると称されるのは伊達ではなく、VR全盛になった今でも人の姿が絶えることがない。
この区画に三十階以下の建物などなく、それぞれのビルを十階ごとに空中歩道が繋いでいる。そんな一つの意志によって計画的に建造された巨大ビジネス街。
その一等地に建つビルに、金髪で虹色の瞳を持つ美少女と褐色肌の美人が入っていく。
ビルの受付AIは、すぐにデータベースから来訪者を参照し、最高の笑顔で出迎えて案内した。
二人の女性が乗ったエレベーターが行く付く先は、この会社の社長室である。このビルは金髪虹眼の少女が暮らす場所とは異なり、豪華な装飾や様々な芸術品が飾られることなく、AR機器や測定器がそこら中に設置されていた。
金髪虹眼の少女はエレベーターホールから真っ直ぐ進み、大きな両開きの扉を勢いよく開く。
「久しぶり、ぜー!」
挨拶をした先には、大きなデスクとその周囲の壁をビッシリと埋め尽くす基盤剥き出しのコンピュータがあった。それだけではなく、床にも何かの回路が走っていて点滅しているし、天井にもLEDが明滅して何かが埋め込まれているのが分かる。
そして、そんな空間に異質なものが一つ。
黒髪の少女だった。
年齢にして十代前半、黒曜石のような色の髪に、弱々しささえ感じさせる幼い体躯。子供用白衣を身に着けていて、大人用のシステムチェアに膝を立てて座っている。
そして血のように紅く輝く瞳が、金髪虹眼の少女を見つめ返していた。
一見すれば、子供が迷い込んで座り込んでいるようにも思えるけれど、事実は全く違う。
この黒髪紅眼の少女こそ、この会社の最高経営責任者だ。
そして褐色肌の美人が、挨拶をせずに跪いて頭を下げるほどの偉大なる神である。あまりにも偉大なる存在の前では、挨拶のために口を開くことにも許可が必要なのだ。
「まー、吾は多忙だ。アポイントメントを取ってから来てくれ」
黒髪紅眼の少女は金髪虹眼の少女を愛称で呼び、文句を口にした。
受付AIが金髪虹眼の少女を歓迎したにも関わらず、約束を取り付けていなかったという矛盾した反応である。
「友達のところへ遊びに行くのに、いちいちスケジュールの確認とかするの?」
「情報伝達が進歩した今、訪問前に相手の状況を尋ねるのが当然のマナーだ」
「でも私とぜーは友達だから、大丈夫だね」
金髪虹眼の少女が歩いていき、大きなデスクへ腰掛ける。来客マナーからすれば最悪なものだったけれど、黒髪紅眼の少女は無表情のまま何も言わなかった。
「ありがとう。全部終わったよ。まあ、ちょっとの観測外はあったけど、それがまた楽しかった。だから最高の結果だったよ」
「まー、お前が“最強”の神威を誇る強力な神と、お前に匹敵するほどの観測能力を持つ神を、<星>の派閥に引き入れたという情報がある。神々の戦争でも起こすつもりか?」
「いやいや、まさか。私は魔王様のファンであって、キュウはただの友達だよ」
金髪虹眼の少女は右手人差し指を空へ向け、くるくると回した。
「まあ、でも、私が魔王様以外に殺されそうになったら、魔王様もキュウも助けに来てくれるけどね」
金髪虹眼の少女は嗤う。
「そうか。楽しそうで何よりだ。今日の用件は何だ?」
金髪虹眼の少女はデスクから飛び降りて、黒髪紅眼の少女を真横から抱き締めた。さらに金髪虹眼の少女が黒髪紅眼の少女へ頬ずりをする。黒髪紅眼の少女は無表情を崩さなかったけれど、どこか不満気な雰囲気をまとっていた。
「友人として助言に来たんだよ。魔王様がキュウたちを連れて、ここで目茶苦茶やるつもりみたい。だから、頑張ってね。現代リアルワールドの神様」
「お前が敗北した最強の神には興味があるな」
「負けてないけどね」
「<星>を丸ごと救われた上に、お前自身が殺される寸前までいったな」
「すべて計画通りだから」
「もしもの際は、吾に救援を求めたのにか」
「でも要請しなかったよ?」
頬ずりするほどに至近距離だった金髪虹眼の少女と黒髪紅眼の少女は、飛び退き向かい合う。
それぞれの瞳が耀き、虹の光と紅の光が今にも火花を散らそうとした。
それだけで地震が起きたように部屋全体が揺れる。そのまま向かい合えば、このビジネス街に壊滅的な被害が訪れたのは想像に難くない。
「まー、吾が最強の神とやらを滅ぼしても、文句を言うなよ」
「ぜー、できるものならやってみなよ」