第四百六十九話 最強厨と黄金狐
『浮遊大陸』の飛行高度は約地上一万メートルであり、現代リアルワールドでジェット機が飛ぶ対流圏の上層である。圏界面付近であるこの高度は、雲よりも上に位置していて、地上と同じ天気の変化に左右されることがない。
しかしゲーム的物理法則によって、『浮遊大陸』にも雨や雪が降ることがあった。『浮遊大陸』では地上と同じように呼吸ができて、動植物も同じように育ち、大きな森林地帯があり、火山や温泉まである。
それらは現代リアルワールド物理法則では有り得ないが、異世界物理法則では有り得る。そもそもこれほどの巨大質量の物体が悠然と空を飛行しているので、現代リアルワールド云々は今更だろう。
その日、そんな『浮遊大陸』では珍しく朝靄が掛かっていた。
昨日『浮遊大陸』が温暖な地方を通っていた時に雨が降り、その地方を抜けた後、夜には雨が止んだせいだろう。寒暖差によって靄が掛かり、肌寒さを感じる朝になった。
だからある主人と狐は、並べた敷き布団の中でまどろみながら、目覚めきっていない頭で寒さに身を震わせた。
昨日まで温暖な地方だったため、羽毛布団を薄いものへ変えたのも悪かった。凍えるほどではないにしろ、体感には少し寒い。
その主人と狐は、やはり寝ぼけた頭で考えた。
この部屋には、自分以外にもう一人、大好きな人が寝ている。
その人に近寄れば、温かくなるはずだ。
その人には絶対に嫌われたくないけれど、まだ朝早い。少しだけ相手の布団に潜り込み、密着して暖を取って、起きる時間になる前に離れれば、相手にバレないで済むだろう。何度もやっている、ちょっとした自分だけの楽しみで、これまで一度だってバレたことはない。
眠りと寒さ、好きな人に引っ付く合理的理由に敗北した最強神と天狐神は、お互いの布団へ侵入しようと試みた。
並べられた二つの布団の境目で、フォルティシモとキュウが見つめ合う。
「あああぁぁぁーーー!?」
「きゃあああぁぁぁーーー!?」
フォルティシモは敷き布団から立ち上がり、心臓をバクバクと言わせながら、キュウを見つめる。キュウも冷や汗を掻きながら、尻尾を振り回していた。
「いや、あれだ。悪い、キュウ、寝ぼけてた」
「も、申し訳ありませんっ、ご主人様」
キュウが寝ている間にキュウの尻尾にスリスリしたのは、キュウと出会ってからすぐやったけれど、バレそうになったのは初めてだった。
「きょ、今日はちょっと寒いな」
「そ、そうですね」
すっかり目が覚めてしまった二人は布団へ戻る気にもならず、そのまま起床することにした。
神戯ファーアースへ挑戦していた頃、従者たちは忙しくて【拠点】の屋敷で暮らす者は少なかった。神戯という戦いが終わった今、前以上に屋敷で寝起きする者は減ってしまっている。
それはフォルティシモを嫌っているのではなく、従属神となった従者たちの忙しさが前以上になったためだ。
ダアトやキャロルは更に拡大した鍵盤商会の仕事で世界中を飛び回り、マグナは弟子たちと技術を高め合う研究へ没頭し、アルティマは新しく出来た後輩たちへの指導に付きっきり。
リースロッテは屋敷に居るけれど、フォルティシモの悪いところを引き継いだのか、用事がなければ部屋から一歩も出て来ない準引き籠もりになってしまった。
エンシェントとラナリアは『最強の世界』で内政や外交を始めとした、すべての国家運営を二人中心に行ってくれている。その多忙たるや、どれほど忙しくても、たとえ一分でも毎日屋敷へ戻っていたラナリアが帰らない日があるほどだ。つい先日、そんなラナリアの頼みを聞いて二人きりで食事をしたのは記憶に新しい。
つうとセフェールは、今は『最強の世界』におらず、それぞれの事情で別の世界に居る。そのため【拠点】の掃除や様々な手入れは、すべてキュウがやってくれていた。
ちなみにフォルティシモは、忙しそうな皆に対して「俺ができることがあればやるぞ」と言った。
それに対しての返答は「邪魔だけはするな」「何もしないことが最大の協力なんですけど」「冗談が上手くなったじゃねーですか」だった。
何せフォルティシモ本人へ頼むよりも、最強神フォルティシモの振りをした影法神エンシェントに頼むほうが余程頼りになる。それはフォルティシモ自身も認めているので、大人しくしていた。
フォルティシモは頼りになる家族を持って幸せだ。
天空の王とか、偉大なる神とか、最強神とか、いったい何なのか、ちょっと考えてしまったけれど、皆はこれから神々の世界との関係を築いてくフォルティシモへ気を遣ってくれたのだ。そうに違いない。
つい先日、もっと勉強しろとか、一から鍛え直せとか色々と言われながら襲撃された気がするが気にしない。
その後、フォルティシモとキュウは二人で屋敷のダイニングへ向かい、キュウが入れてくれたコーヒーを飲む。キュウは自分用にホットミルクを入れていた。
キュウのコーヒーを入れる腕前は、マリアステラと合体した後からパラダイムシフトがあったのかと疑うほどに上達していて、ちょうどフォルティシモが飲みたい配合のブレンドで心まで温めてくれる。
「キュウ、今度、コーヒーの神へ挑戦状を叩き付けてみないか?」
「私が入れたいのはご主人様の飲むものです。ですから、ご主人様に美味しいと思って頂ければ、それが一番です」
「………コーヒーコンテストの審査基準を、キュウの入れたものを基準にすれば良いと思った俺は、やっぱり爺さんの血を受け継いでるんだろうな」
「ええっと、そういうものは、ちゃんと豆の味を理解して、挽き方から配合をきちんと研究した方が受賞されるのが良いと思います」
「そうだな」
フォルティシモはキュウの入れてくれたコーヒーを楽しみ、朝一でエンシェントから送られて来たメッセージを確認した。
サポートAIとしての役割もこなしてくれている彼女は、フォルティシモのスケジュール管理もこなしてくれている。だからエンシェントからのメッセージには今日の予定が書き込まれていた。誰それという名前も覚えていない相手との会合とか、何か良く分からない審査会とか、陳述や検討を行うための公聴会とか。
フォルティシモは冷静な判断を以てして、すっと読むのを止めて、エンシェントへメッセージを送る。
「エン、任せた。【アバター変更】を使って俺の姿になって、よろしくやっておいてくれ」
エンシェントから返信が来たようだが、未読とした。フォルティシモは誰よりも最強の相棒を信じている。これこそが絆の力だ。
それからホットミルクをふーふーと冷ましながら飲んでいるキュウへ向かって、今日の予定を提案する。
「今日は予定がないから、遊びに行かないか?」
「え? でも、エンさんが」
「またキュウとデートしたい」
「………ご主人様の望みが私の望みです!」
キュウはちょっと迷った様子を見せたけれど、フォルティシモの気持ちに応えてくれた。
アクロシア王都にフォルティシモとキュウが歩いていた。
文字通りの現人神であるフォルティシモが姿を現せば、大国の首都は大騒動になってしまいそうなものだけれど、そこは【偽装】や【領域制御】を駆使して事なきを得ている。
フォルティシモはキュウと一緒に、かつて神戯ファーアースだった頃に行ったデートコースを回りながら、その違いを体験していく。
まず外せないのが、フォルティシモとキュウが初めて一緒に食事をした店だ。キュウを奴隷として購入した日に訪れて、デートした日にも訪ねた店である。
「さすがに、またパンケーキの蜂蜜大盛りを頼まないくらいは、空気が読めるぞ。キュウは何が食べたい?」
キュウはかつて自分の好物を蜂蜜だと言っていたので、それを覚えていたフォルティシモはデートの時にチップを渡して蜂蜜の大盛りを頼んだ。
しかし、あの時語った“キュウの好物”というのは、あくまでも狐の神タマの好物に過ぎない。キュウはタマのコピーだから、タマの記憶や嗜好で答えたのだ。
蜂蜜はキュウという独立した存在が、好きなものではない。それをキュウの好きなものだと言わない程度のコミュニケーション能力は、フォルティシモにもあった。最強神になってコミュ障を克服したのかも知れないと自画自賛する。
「あ、ありがとうございます。でも、それを頼んでもよろしいでしょうか?」
心の中の自画自賛は即座に撤回した。キュウの好物一つ頼めない最強神フォルティシモは、最強だがコミュ障だ。
「キュウ、【拠点】で食べてるところはほとんど見なかったんだが、そこまで蜂蜜が好きだったのか? 養蜂家を独占して最高品質のものを毎年奉納させたほうが良いか?」
「い、いえ、“私”は、ご主人様と、で、デートの時、初めて食べました。ご主人様が私のことを覚えてくれていて、嬉しくて、本当に嬉しくて美味しかったです。だから、また食べたいなって」
「そうか。分かった。今から【世界制御】で最高の蜂蜜を作るから、ちょっと待っててくれ。蜂蜜あれ―――」
「し、しなくて良いです! しないでください!」
もちろん四分の一程度は冗談だったので、キュウの慌てる姿に笑みを零した。
食事を済ませた後は、メイン通りから少し外れたところにある大きな店へやって来た。元々はクレシェンドが経営していた奴隷商店が入っていたけれど、今では鍵盤商会の店舗が建物ごと改築して入っている。
ここはフォルティシモとキュウが出会った場所で、キュウが産まれた場所だった。
あの時は知らなかったからクレシェンドの店の解体をしたけれど、今思えば奴隷商店は数少ないキュウの生きた記憶である。解体してしまったことへ少しだけ後悔した。クレシェンドの店はVRMMOファーアースオンラインのバックアップにも無いため、元へ戻す方法もない。
「ご主人様、私の故郷は、空の大陸の、ご主人様の屋敷です。帰りたいと想う場所も、そこにしかありません」
「そんなに顔に出てたか?」
「ご主人様は初めて会った時から、困ってる時は分かり易かったです」
フォルティシモはキュウに出会ったばかりの頃を思い出して見る。フォルティシモがどうしようか迷ったりしていると、当時、そこまで黄金の耳が進化していなかったキュウからフォローされた記憶があった。
「なるほど。まあ戦闘中ならまだしも、普段から隠す意味もないからな」
「でも、こんなに凄いご主人様でも困ってるんだなって思ったから、私はちょっとだけ、安心できました」
「キュウを安心させるためにやっていたんだ」
「ありがとうございます、ご主人様」
「………悪い、ちょっとキュウの前で格好付けた」
「ご主人様は格好良いです」
それからフォルティシモとキュウは、まだ二人だけだった頃に訪れた場所を回っていった。
フォルティシモは従者たちを失い独りぼっちになった時で、キュウは奴隷どころかコピーとしてまだ自分そのものが曖昧だった頃。
二人で異世界を戦い抜こうとしていた時に訪れた場所は、懐かしさを感じさせてくれた。
フォルティシモとキュウが一日を楽しんだ後、すっかり日が落ちてから『浮遊大陸』へ帰って来た。
夕食もアクロシア王国で済ませてきたので、キュウが引き籠もりのリースロッテの分の食事を用意する。その間に、フォルティシモは己の従属神へ連絡を入れていた。
「エン、何かあったのか? 今日は戻って来られる予定じゃなかったのか?」
『ああ、そうだな。馬鹿主が今日の予定をすべて放り出さなければな』
「セフェ、そっちの調子はどうだ? 暇な時は戻って来て良いんだぞ」
『そうですねぇ。ぼちぼちやっていますよぉ。まあぁ、フォルさんのぉ、望みならぁ、戻るとしましょうかぁ』
「ダア」
『用事がないなら話し掛けないで貰えます? 集中力って言うのは、戻るまでに時間が掛かるんです。話し掛けるだけで、数時間の作業の邪魔をしてる自覚をしてください』
「マグ、今、何してる? 最近は楽しそうだな」
『ええ、紹介して貰った神々の技術は、すごいですよ。弟子のエイルギャヴァたちと一緒に、私も夢見た、その更に先へ進めそうです』
「アル、あー、なんだ。忙しいか?」
『主殿! 何かあったのか? 妾はいつでも主殿優先なのじゃ! ちょ、お前ら何で邪魔するのじゃ!? 今は主殿と話しているのじゃ!』
「キャロ、なんか、俺、話し掛けても良いか?」
『何をめんどくせーこと言ってやがるんですか? いつものよーに、最強だって言ってふんぞり返ってればいーんじゃねーですか?』
「リース、楽しいなら良いんだが、大丈夫か?」
『フォルがリアルワールドから持ち込んだ、このゲーム機、面白すぎる』
フォルティシモとキュウは夜の帳が下りた『浮遊大陸』で、屋敷の和式庭園を歩いていた。寝る前に一緒に散歩するなんて、まるで夫婦のようである。
フォルティシモの【拠点】に作成された和式庭園は、敷き詰められた石や育てられた植物、透き通る池とそれに掛かる橋、現代リアルワールドでも屈指の美しさを誇る場所が正確に再現されていた。
そこに現代リアルワールドさえも超える情景が広がる。
太陽を反射する月が、高度一万メートルの丸い池に映し出された。
それは世界で最も美しい月の光だ。
太陽の光ではないけれど、月の光が二人に向かって煌めく。
キュウがその池の畔に立ち、フォルティシモを振り返る。
「あの、今日の、ご主人様とのデートは、楽しかったです」
それは、あの日、フォルティシモへ想いをぶつけて来たキュウと重なって見えた。
今になってキュウの気持ちを疑うはずがない。あの日も疑った訳ではないけれど、あの日のキュウは自分そのものが自覚できていなかった。フォルティシモの与えたものがすべてで、フォルティシモを慕うのは当然だったのだ。
しかし今のキュウは違う。
オリジナルを超え、マリアステラへ匹敵するほどに高まった存在だ。
「俺も楽しかった。久しぶりに、キュウと出会ったばかりの頃を思い出せたしな」
キュウが心からの笑顔を浮かべ、月明かりで黄金の耳と尻尾を染め上げる。
フォルティシモは思わずキュウを抱き締めた。キュウはすぐに力を抜いて全身を預けて来る。
「キュウ、ずっと最強のフォルティシモへ付いて来てくれ。俺はフォルティシモを最強にする」
「はい、ご主人様、私の望みはご主人様の望みです。ご主人様を最強にします」
空に浮か月は、綺麗だった。
本作をお読み頂き誠にありがとうございます。この話にて本作『廃課金最強厨が挑む神々の遊戯』は完結とさせて頂きます。
ここまでお付き合い頂いた読者の皆様へ最大限の感謝を致します。
もしよろしければ★★★★★でポイントを入れて頂ければ幸甚の至りです。
どうかよろしくお願いいたします。
今後ですが、不定期でアフターストーリーの投稿を予定しております。
内容はキュウたちが現代リアルワールドへ行く話を書けたら良いな、と考えていますので、ブックマークはそのままでお待ち頂ければ幸いです。
最後にもう一度、ここまでお読み頂いた皆様へ心より御礼申し上げます。
本当にありがとうございました!