第四百六十六話 天才幽棲す
AIが一人一人の人生をサポートするほどに身近になった現代。医療AIの進歩は一般に流通しているものとは比較にならないほど高性能なAIが揃っている。
今や医師と呼べる職業は研究職になってしまい、あらゆる医療技術の学習データを得て世界中で進化し続けるAIが医療の最前線を担っていた。
最先端のロボティクスによる外科手術に留まらず、診断から処方まで世界中でほぼリアルタイムで共有される膨大な学習データによるAI医療は、まさしく革命的だった。
そして医師の仕事が変わっていくのとは逆に、患者と最も密接に関わる看護師不足が叫ばれて久しい。特に多種多様な医療AIや患者のサポートAIと上手く対話ができるSE看護師は世界中で不足気味で、なかなかの高給取りになっていた。
そんな中、ある歳若い女性看護師は、自身の勤める大病院の経営者が入院して来たのを知った。
この大病院は時の総理大臣や海外の重要人物がわざわざやって来るような、現代医療の中でも超最先端の医療を実施している。だから経営者自身が入院してくる可能性も有り得るだろう。
けれどそんなVIPを対応するのは先輩看護師だろうから、自分には関係無い。そんな気楽に構えていたら、そのVIPの担当に指名されてしまった。
「はぁ、最悪」
ハッキリ言って、このVIPの評判は悪い。女性看護師が何故指名されたかと言えば、何人かがVIPの機嫌を損ねてクビになったり、VIPによって休職に追い込まれたためだった。それに対してパワハラやカスハラで訴えようとした人は、連絡が付かなくなっている。
女性看護師は学生時代に必死に勉強し、国内有数の大学に主席合格した。今の医学部は医学知識と情報学知識の両方が必要で、苦労して卒業までにそれぞれの博士号を取得したのだ。
VIPのご機嫌伺いは嫌だったけれど、ここまで努力したものを手放すことはできない。嫌々ながらVIPの病室へ向かった時だ。
病室から誰かが出て来た。
それはまるで、現実世界ではなくファンタジー世界から抜け出して来たような人物だった。
顔が超美形なのは当然として、長身で銀髪、金と銀の虹彩異色症。人ではないかのような圧倒的な存在感を前に、思わず持っていた器具を床へ落としてしまった。
「ええい、早く帰らんか、クソ孫がぁ!」
「せっかく見舞いに来てやったのに、それか爺さん?」
「誰のせいで入院してると思っておる!?」
「やったのはプレスティッシモで、原因を作ったのは爺さんだ。爺さんの自業自得だろ」
女性看護師は、その卓越した頭脳で瞬時に状況を理解した。VIPには孫が居て、その孫がたった今病室から出て来た男性だ。別に頭脳明晰でなくても分かるが気にしない。
つまりこの大病院を経営するVIPの孫が、目の前にいるファンタジー世界からの超イケメンである。
超イケメンは家柄も資産も最高なのだ。さらに入院した祖父を見舞いに来るような性格までイケメンらしい。天は二物を与えず、その諺はどこまで戯れ言なのだろうか。
女性看護師は超イケメンへ声を掛けた。お見舞いに来た家族へ話し掛けるのは基本中の基本である。
「結婚してください」
「誰だ、お前?」
超イケメンは女性看護師を一瞥し、それ以上は興味を失ったように歩いて行く。
歩いて行く先に、女性看護師よりも若いプラチナブロンドの美人と、黒髪の少女、黄金の少女が待っていた。
容姿だけであれば最初のプラチナブロンドの美人が圧倒的で、街を歩くだけで同性でも振り返ってしまいそうだ。業務連絡はないけれど、海外のお姫様が来訪しているのかも知れない。
黒髪の少女はプラチナブロンドの美人のせいで霞んでしまうけれど、一般的にはアイドルでもやっていそうな可愛い系で、超イケメンとの距離が近かった。
そして最後の一人、黄金の少女は、容姿なんて問題にならない。どこか、次元が違う。深淵を覗き込んでしまえば、取り返しが付かなくなりそうな何かを感じた。
「もうよろしいのですか、フォルティシモ様」
「もうちょっとだけ待ってくれないか。私が入院してた病院を、少し見ていたい」
「ご主人様、つうさんからメッセージが届いています」
女性看護師は最高の学歴に、本職の医師にも負けない医学知識と情報知識を持っているけれど、彼女たち三人―――ファンタジー世界の住人には、とても太刀打ちできなかった。
敗北感を覚え、己の人生を否定されたような気持ちになる。
「おい、お前、爺さんの担当なのか?」
そんな背中に超イケメンから声を掛けられた。思わず勢い良く振り向いてしまい、あからさま過ぎたことに顔を赤くする。
「は、はい、近衛天翔王光様の看護を担当しております。ご家族の方でしょうか?」
「孫だ。むかついたら、ぶん殴って良いぞ。俺が許す」
その出来事から数日が経った。
「いやさすがだよ。データによれば、君は幼い頃からこういうことに非常に高い適性を示してる。任せて良かった」
管理能力に全振りしている、前時代の管理職は軽い調子で女性看護師を褒め称える。
対して女性看護師は心の中で悪態を吐いた。今の時代、管理業務はAIに任せたほうが上手くいくし現場の不満も少ないはずだ。海外で発表された論文には、その学術的根拠と実証データがいくつも添えられていたのに、この管理職は目を通していない。
その超VIPを尋ねて来る者は、マニュアル通りにはいかない。マニュアルに加えて、自分のサポートAIから受け取ったクレーマーの学習データ、何千年にも及ぶ世界中の患者とその家族のデータを参照して貰っても対応方法が分からない規格外だった。
女性看護師がどれだけ苦労しているのか、分かってくれる相手は、たぶん「ぶん殴って良いぞ」と言ってくれた、あの超イケメンだけだ。
例えば毎日面会開始時間前から病院の受付で待ち、一番で受付を終わらせて、面会時間が終わるまで一日中VIPの部屋で面倒を見る美人女性がいる。
ディアナというその女性は、甲斐甲斐しくVIPの世話を焼いていた。見るからに年老いた高齢男性を、遺産目当ての後妻が世話している光景でも、この病院では珍しくもない一幕である。
しかしVIPと彼女の関係は、どう見ても老い先短い資産家と遺産目当ての後妻ではない。そもそも超イケメンという最高の後継者がいるので、狙うならそっちだろう。
「オウコー、お見舞いの林檎食べる?」
「いらん。それよりもディアナ、竜神どもはどうなっている? 何の役にも立たなかったぞ」
「じゃあ半分だけ剥くね。私がオウコーの子供を産んで、役に立ったでしょ」
「あのクソ孫にならばまだしも、NPC相手にやられたではないか!」
「ラナちゃんのこと? あの子は特別かも知れない。偉大なる時の男神が産み出した千年間、その中で生まれたNPCの中で、唯一、到達し得るんだと思う」
「ええい、王女だからか容姿もディアナ以上じゃったし、ベッドに連れ込んで泣かせたかったわ。ディアナではなく、あの娘に儂の子を産ませるべきだったか」
ディアナが持っていた果物ナイフが投擲された。VIPの頬を掠める。VIPの顔の皮一枚だけ切る、完璧な投擲だった。
「………ディアナ、何のつもりじゃ?」
「ナースコールナースコール、看護師さん、患者がこれから窓から落ちるので助けに行ってくださいって言わないと」
「何をするつもりじゃ!?」
やはり超VIPはこの病院でも珍しい。
例えばアロハシャツの男性が現れたことがある。
有名な病院とは言えドレスコードがある訳ではないので、アロハシャツだから追い出されることはない。けれど現代人はサポートAIから高度な教育を受けている者がほとんどで、TPOを考えることができる者が一般的だ。
病院にアロハシャツでサンダルなんて服装でお見舞いに来る者はまずいない。だからすぐに噂になった。
「オウさーん、おひさ」
「死ね、男神」
「刺されたって聞いたのに元気そうじゃん」
「クソ孫に手も足も出ずにやられていった貴様らが、よく顔を出せたものじゃな」
「いやぁ、さすがに、あそこまでなのは予想外っしょ」
「貴様らのせいで、姫桐が絶対の神へ到達できなかったこと、永遠に忘れんぞ」
「オウさん、俺はオウさんを愛してる。だから全力でやった。だけど、オウさんの孫はヤバ過ぎる。もう、そういう次元に行ったんだ。だからさ、後は孫の活躍を楽しみに、俺と老後を楽しまね?」
現代において同性婚は認められているものの、やはり富裕層で少数派なのは変わらないため、余計にアロハシャツ男が有名になった。
例えば、必然というべきか、経営者VIPの孫が病院へ顔を出す。
「よう爺さん」
「二度と来るなと言ったじゃろう、クソ孫」
「今日は、爺さんへ恩返しに来た。俺も、爺さんにだけはするかどうか、最後まで迷った。だが、キュウのことを考えた。家族が誰もいないキュウに比べて、俺は、まだ居る。キュウの前で爺さんの話をする時、ちょっと後ろめたい気分になる。だから解消する」
「死ぬほど自分本位なクソ孫じゃな。救いようがないわ」
女性看護師はずっと超VIPの担当だったため、この祖父と孫は何かで争っていたのだと分かっていた。たぶん会社の経営権に違いない。
そして、この超絶イケメンで定期的に祖父の見舞いに来る性格最高な超格好良い孫が勝ったのだ。天才。もう神だ。
「恩返しじゃあ? はん、何を返してくれるのか、楽しみじゃな。愚かで無能なクソ孫が、儂の欲しいものを用意できるとは―――」
「はぁ、お父様は、本当に変わらない」
超絶イケメンの背後から、着物の女性が現れた。
その着物は一目で数千万はする高級なものだと分かり、只者ではないと理解する。それだけではない。あの黄金の少女と同じような、圧倒的な存在感を女性が放っているのだ。
そして何よりもこの超VIP患者が、入院してから最も動揺していた。
「姫桐ぃ!? どうした? 何かあったのか? 何でも言って良いぞ。パパはいつでもお前の味方だ」
心拍数や血圧が、ちょっと危険な数値を示していて、一般的には面会を中止するべきだったけれど、それをしたら女性看護師の首が飛ぶような気がした。
「お見舞いに来たの。本当は来たくなかったけど、翔が代わりに母の日のプレゼントくれるって言うから。ねぇお父様、もう諦めてるけど、私や翔を見守ってくれない?」
「安心しろ。パパはいつでもお前を想っている。儂はお前のためなら、絶対に諦めん。そこのクソ孫がトライアンドエラーを信奉しているそうだが、儂も若い頃は多くの失敗を経験した。だからこそ、ここまで来られた」
「本当のコミュ障って、こういうのを言うんじゃないの?」
着物の女性は心の底から出たと言った溜息を吐き、お見舞いの花束を超VIPへ手渡す。
「おお、姫桐。この花はコールド技術で国宝指定させよう」
「ディアナさんと大人しく待っていたら、また来てあげるから。お父様、私のお願いを聞いて」
「む、むむ、むむむむむむ」
その日から超VIPは、気持ちの悪いくらい機嫌が良くなった。