第四百六十四話 狐たちの過去であり未来
それは神戯ファーアースが開催される遙か前のことになる。
<星>の神々が開催した神戯で、黄金の毛並みを持つ狐人族の少女、宇迦は故郷と同胞、尊厳と尻尾を失った。
宇迦は神に到達できるほどの才能を持っていて、その神戯とは別の神戯へ参加し、勝利者となって神へ至った。
玉藻御前と名前を変えた黄金狐は、それでも<星>への復讐を忘れなかった。
しかし神戯を勝利し神へ到達するだけでは、<星>を堕とすことはできない。己を無限の試行回数コピーし、試練を与え続けることで、復讐を成し遂げられる自分を求めた。
そうして生まれた最強の自分に、完膚無きまでに敗北することになるとは知らずに。
『最強の世界』にあるアクロシア大陸東部、狐人族の里。
現代リアルワールドであれば世界遺産に登録されそうな合掌造りの家屋が建ち並び、現代的なコンクリートや街灯など一切ない里。
そこはフォルティシモとアルティマが訪れた時と変わらず、雑草によって荒れ放題だった。
「これを人が住めるように整備するのは大変だろ。狐人族全員連れて『浮遊大陸』へ来い。エルディンやダアが整備している一等地に近い場所を、丸ごと使って良いぞ」
「かかか、好待遇かえ。わて一人であれば、ここで暮らして行こうとも思うが、皆にまで不便を強いることはない。お前が面倒を見てくれるというのであれば、言葉に甘え皆を任せよう」
最強神フォルティシモと狐の神タマ、そしてキュウは、そんな荒れた狐人族の里に立っている。
キュウは狐人族の里が見つかった時には、行く気はないと言ったけれど、今日は同行していた。
あれからキュウ自身の出生が明らかになったのだ。キュウは狐の神タマのコピーで、この世界のどこにもキュウの家族や故郷の友はいない。ここもタマの故郷を模した里であり、キュウにとっては何の関係もない里なのだ。
そんなキュウは雑草によって荒れた狐人族の里を見つめている。
「タマ、その言い方だと、お前だけこの何もない里で暮らすつもりか?」
「わての中に、もう炎はない。わてを見て、分かってしまった。宇迦はわてに成りたかった。太陽への復讐など、本当はどうでも良かったのだ」
狐の神タマは寂しそうに狐人族の里を見ながら、黄金色の尻尾をくるりと回した。
「お前がキュウに成れることは無いだろうが、あれだぞ。お前が望むことは、何とかしてやれるぞ」
「かかか、わてはお前の敵だった。そのわてに、その提案か。わてを抱くかえ? このように汚れた身体でよければ、いくらでも差し出すが」
狐の神タマはキュウの元となり、狐の神と呼ばれるだけあって、その尻尾は魅惑的だった。
しかしフォルティシモはその誘惑を振り払う。キュウステラの尻尾を触った時、キュウの尻尾を触った時ほど興奮しなかったのは本当だ。
フォルティシモはアカシックレコードを覗いた上で断言する。
同じ尻尾でも、誰の尻尾を触っているのかが重要なのだ。
キュウ、狐の神タマ、キュウステラ、この三人が全員同じ黄金のモフモフな尻尾を持っていたとしても、フォルティシモが選ぶのは迷いなくキュウであり、心地良いと感じるのもキュウである。
「俺にはキュウがいるからお前の身体に興味はない。だが、尻尾だけは、いつか、俺が満足するまで触らせて貰おう」
断言しても、行動が伴うとは限らない。
キュウが最高でも、他のモフモフな尻尾を触りたくない訳ではないのだ。
狐人族の里を見つめている狐の神タマが、身を翻してフォルティシモへ視線を移した。
「その程度などいくらでも構わんが、何とかしてやるという具体的な中身は何かえ?」
「トッキーに協力させて、俺とキュウの力を使えば、お前を『お前の過去』へ飛ばせる」
フォルティシモの提案している『過去』とは、人間の主観では過去だけれど、神の主観では過去ではない。
キュウの元となった少女宇迦が奴隷となって売られ、尊厳と尻尾を失う前の『可能性の世界』を創造し、そこへ狐の神タマを転移させるという荒技だ。
フォルティシモがオウコーとの戦いで指摘した世界五分前仮説と言えば良いだろうか。
世界五分前仮説とは、仮にこの世界が五分前にすべての記憶と記録を持って生まれたばかりの世界だったとしても、そこで生きる人間に気付くことはできないという哲学的問いかけだ。
タマが生きるはずだった『過去の世界』を、今から創造する。これから産まれる『過去の世界』へ転移すれば、主観においては並行世界へタイムリープしたのと変わらないだろう。
デーモンたちへ提案したことや、ファーアースオンライン・バージョン・フォルティシモを創造したのと同じだった。
「機械仕掛けの神を自称することはあるかえ。しかし、わてに、今の責任のすべてを放棄して逃げろと言うか?」
「この誰も居ない里で永遠に暮らすのが、責任の取り方か?」
狐の神タマは<星>の派閥に所属しながら、スパイ活動を行い、<時>の神々へ協力していた。
マリアステラのことだから、すべてお見通しだったに違いないけれど、それでも狐の神タマが自分の所属する神々の最大派閥の一つ<星>を裏切っていたことに変わりはない。
「わてだけ、新しく創造される『過去』へ逃げ出すか。わてはわてが利用した者、すべての責任を背負っている。わての復讐、神戯のために利用した人間だけではない。わてが創造した、わてのコピーたち、そのすべてに、贖わなければならない」
「行ってください、タマさん」
「キュウ?」
フォルティシモが説得が難しそうだと思っていると、キュウが口を挟んだ。
フォルティシモから見ると成功した自分と失敗した自分の相性は、良くないように思える。キュウも今日までタマのことを一切口にしなかった。
キュウはまったく視線をぶらさず、狐の神タマと向かい合っている。フォルティシモと出会う前のキュウの過去を知る里長タマに、苦手意識を抱いておどおどしていた当時とは比べものにならない。
「タマさんの責任、私が引き継ぎます。だからタマさんは、『過去の世界』へ行ってください」
「キュウ、お前の記憶は、わての記憶でしかない。それでも、そう言えるか?」
「はい。言えます」
キュウはタマと同じ黄金の耳と尻尾をピンッと立てる。
「タマさん、タマさんが居なかったら、私は産まれることもありませんでした。産まれなかったら、ご主人様の御側にいられないだけでなく、皆さんと出会うこともできなかったです」
狐の神タマの人生がなければ、キュウは居なかった。だったらフォルティシモとしては、狐の神タマの物語もハッピーエンドで終わって欲しい。
フォルティシモとキュウの出会いは、誰かの犠牲の上に成ったものではなく、誰もが幸福になるための道筋だと思いたい。
「わては、あくまでも、わての事情で動いていた。感謝や礼など受け取る立場ではない」
「そうかも知れません。でも、私はそう思いません。それは無償の奉仕以外は、無価値と言っているのと同じではないでしょうか?」
キュウがフォルティシモを見る。
「それに」
キュウは言葉を止めて、大きく息を吸い込んだ。
「終わりよければ全てよし、らしいです」
最強神フォルティシモと狐の神タマは、揃って呆然とキュウを見つめた。
何か色々と解釈が間違っている気がするし、シェイクスピアの戯曲はそう簡単な話ではない。しかし、機械仕掛けの神のような神と宣言したフォルティシモにとって、キュウが更に身近になった気がする言葉だった。仕込みはセフェールだろうか。
「キュウもフォルティシモを分かるようになって来たな」
「え? は、はい! はい? それだったら、嬉しいですっ」
「まったく分かっておらんようだぞ? お前ら本当に上手くいっているのかえ?」
最強神フォルティシモ、狐の神タマ、キュウが穏やかな微笑に包まれる。
「それでもわては、過去へは戻らない」
「タマさん………」
「行くのは、未来かえ」
キュウとタマ、同一人物が両手を包み合う。
「キュウ、今日からお前が狐の神だ。皆を頼んでも良いかえ?」
「はい、任せてください」
「また会おう。それまで、頼む」
「タマさん。その時は、蜂蜜、一緒に食べましょう」
そうして狐の神タマは、己の過去へ旅立った。
「おい、ちょっと待て、尻尾の約束は?」
「ご、ご主人様、私のを使ってください!」
残り五話となります。最後までよろしくお願いいたします。




