第四十六話 ピアノとの会合 後編
あんまり暗くならないで聞いて欲しいんだが。
ピアノはそう前置きした。そうは言われても死んだと言われたら、良い想像なんかできない。フォルティシモは顔を強張らせて発言には注意しようと心掛けることにした。
「私はVR病、脳神経接続子剥離病ってやつだった」
「タイムアウト」
フォルティシモは制止の言葉を掛けると、ゆっくりとコーヒーを口に含んだ。腕が若干震えていてコーヒーが零れそうになるが、それを気にしている場合ではない。
脳神経接続子剥離病とは自分の意思で身体が動かせなくなる現代の奇病で、脳からの信号が全身に行き渡らなくなると言われている。フォルティシモの知識はネットやテレビで手に入れたものではあるが、知る限りでは原因不明で治療方法もないはずだ。ちなみにVR全盛になっている現代で初めて報告された病だった。
その様子を見ていたピアノは苦笑を見せていたが、複雑な感情を抱いているように見える。
「だから暗くならずに聞けって」
「無茶を言うな」
寝たきり人間、フォルティシモはそんな状態の人間やその家族を描いた創作品や実話はいくつか読んできたものの、実際にそれに関わった人間に出会ったことなど一度も無い。交通事故や殺人によって死んだと言われても驚かないように心構えはしたつもりだったが、これは予想外で動揺してしまった。
「とにかくそうだったんだ」
「なんで、その、ゲームなんてできたんだよ」
「私も医者じゃないから詳しいことは分からない。ただな、VRダイバーは医療現場でも使われてる。脳さえ動いていればダイブできるらしい。それこそ目が見えないとか耳が聞こえないとか、そういう人たちの治療にも使われてるって話だ」
VRダイバーというのは、VR空間へ入るための機器にあたる。昔誰もが使っていたパーソナルコンピュータの拡大発展版のようなものだ。ファーアースオンラインもこれを使ってプレイする。
「私もその一人だ。私はほとんどログアウトしてなかっただろ? あれはさ、ログアウトすると再ログインが大変だったんだ。だから検査の時以外はログアウトしなかった」
だからって戦闘メインのゲームを選ぶか? そう思うが口にすることはできなかった。
「あの日は手術だった。元々、成功率は低い、いやほとんど無いって言われてたんだ」
これ以上聞いても良いものなのか、これはピアノの個人的な事情であってフォルティシモが聞いて良いものか。
いや、そもそも、フォルティシモは、近衛翔は、こういう話が嫌いだ。
「だから、あの日」
「待ってくれ」
ファーアースオンラインの神様には、何度もイライラさせられたし、文句をぶちまけたことも一度や二度ではない。けれども彼らはフォルティシモが最も嫌う世界を作らなかったから、何が起きてもファーアースオンラインにずっと居た。
称賛や尊敬は気分が良くなる。
敵意も嫉妬も苛立つが正面から受けられる。
だけど悲嘆はよくない。
それを楽しめる者の気が知れない。
近衛翔の生きた世界の神様は、本当に屑だ。
「暗くなるなって言っただろ。私は、今、こうして生きてる」
「異世界転生もののテンプレだな」
「だろ? これがどこかの神様が描いたシナリオなら、私が主人公だ」
ピアノは悲惨だった人生を感じさせない笑顔を見せた。それはフォルティシモから見ても魅力的な笑顔だった。
「まず俺、お前を友達だって言っても大丈夫か?」
フォルティシモはピアノを正面から見られず、周囲を自由に動き回る魚たちの動きを目で追っていた。魚に詳しくないが、なかなかに見応えがある。
「この気持ちを誰かに話したのは初めてなんだぞ。親友だ、って言ってくれよ」
「………なら親友。それでお前は、その、死んだらこの世界に居たのか?」
ピアノは少し考えていた。考えていたと言ってもカフェラテを口に含んで飲むくらいの時間。
「やっぱり、お前はフォルティシモだ」
「当たり前なことを言うな」
「なんだろうな。警戒してた自分がバカバカしくなって来た。だから、何があったか聞いてくれ」
「隠す気だったのかよ。俺は約束通り全開にしたってのに」
「私が死んで意識が無くなったと思った瞬間、ファーアースオンラインのキャラクリ直後のマップに居た」
ファーアースオンラインはキャラクターを作成した直後、大空のような場所から始まる。ような場所、というのはそうとしか表現しようがなく、夜空に星が煌めいていて、下を見ても海のようなものが広がっており陸地はなかった。その場所は空中を歩くことができる、なんとも不思議な空間だ。
「そこで女の子に出会ったんだ。女の子、と言っても私よりも少し下、高校生に成り立てくらいに見えた」
「ん? お前何歳なの?」
フォルティシモは邪魔せずに聞こうと思っていたが、すぐに己の衝動に負けた。
「女性に年齢を聞くなよ。フォルティシモは何歳なんだ?」
ピアノも沈んだ空気を払拭したかったのか乗ってくる。
「男性に年齢を聞くなよ」
「おいおい。でも私と同じくらいじゃないのか? そういえばなんでゲームばっかしてるくせにあんな金持ってたんだよ。富豪の不祥の息子か?」
「んな訳ないだろ。俺は―――」
これを告白するのには勇気が必要だった。けれども、ピアノが親友と言ってくれたことを思い出して口にする。
「俺は近衛天翔王光の孫、近衛翔だ」
「誰だ? 失礼だが、近衛天翔王光って実在の人物の名前なんだよな? お前の脳内設定じゃなくて。やばい名前だな」
勇気が必要だったのに盛大な肩透かしを食らう。なんで知らないんだよ、と言いかけて慌てて止める。高校生かその少し下なのであれば、ピアノの年齢は精々二十代前半までだ。彼女は非常に幼い頃から難病と闘っていることになる。そんな相手に常識がない、というような意味の言葉を使うのは控えたかった。いや、相手が友達だからこそ、そういう言葉は使いたくない。
今回は適当に流すことにする。
「まあ、あれだ。祖父と両親の遺産が、多かったんだ」
「金持ちだとは思ってたが、ボンボンだったのか」
「俺にも事情はあるんだぞ」
さすがにピアノのリアル事情を聞いた後に、自らの不幸自慢をする気にはなれない。キュウと言い、ピアノと言い、フォルティシモが深く関わろうとする女性は、どうして近衛翔を遙かに上回る壮絶な人生を歩んでいるのだろうか。
ピアノは少し表情を緩めながら話を続ける。
「とにかく、その女の子に言われたんだ。死んだ私を異世界ファーアースで生き返らせてやるって。私だってまた外歩きたいとか思ってたし、本当はあのまま死ぬのも嫌だったから女の子の誘いに乗った。しかもファーアースオンラインで鍛えたキャラとアイテムを全部付けてくれるって言うしな」
照れ笑いを浮かべながら軽く言うが、その時のピアノの気持ちは察して余り有る。恨んでいただろうし、悔しがっていただろう、およそフォルティシモが感じたことのないほどの感情の奔流が彼女を突き動かしたに違いない。
「そして気が付いたら、この姿とゲーム時代で使っていた装備を付けた状態でユニティバベルの扉の前で立ってた。これが私がファーアースへやって来た経緯だ」
ピアノは満足そうに締めくくった。話が飛んだり止まったりと説明が下手くそだったにも関わらずに満足そうなのは、感情的になってしまいそうな話題を最後まで話せたからかも知れない。
フォルティシモとしてはピアノはずっとフォルティシモに自分のことを話したかったから、何も話せずに別れとなってしまったことを悔いていて、それが奇跡によってこうして話せたことに満足しているのだと思いたい。
少なくともフォルティシモは話が暗すぎる点に目を瞑れば、「リアルで会わないか」と誘おうと思っていた友人が話してくれた事情に感動にも似た気持ちを抱いている。
「さて、信じられそうなら次の話題にってことだったが」
「疑ってはいないぞ」
「私もだ。というか、お前の話なんだよ。何も分からないじゃないか」
「お前もほとんど身の上話だろ。俺と変わらない」
お互いの話を総合すると、フォルティシモは運営からのメールに「はい」をしたら異世界にいました、ピアノは死んだら女の子に異世界で生き返らせてもらいました、となる。
信じる信じない以前に、有益な情報はほとんど無かったように見える。
しかしピアノを生き返らせた女の子が祖父を超えるゲーム主催者のような存在で、ピアノを神様のゲーム“神戯”とやらに参加させたのだとすれば、ピアノにも同じように勝利条件を教えたはず。
「他にも、その女の子と話さなかったのか? 生き返らせてくれる理由とか」
「なんて言うか、私にとっては救いの神みたいな子だから、悪く言いたくないんだが」
ピアノは苦笑と困惑が入り交じったような微妙な表情を見せる。その言葉と表情だけで、女の子について少しは分かるというものだ。
「変な奴だったのか?」
「端的に言うと、そうだな。私も冷静じゃなかったけど、なんで生き返らせてくれるんだ、くらいは聞いたんだ。そしたらなんて答えたと思う?」
「太陽が西から昇ったから」
「いや、お前ほどはぶっ飛んでなかった。コミュ障じゃないからちゃんとコミュニケーションが取れるし、こっちの意図を理解して話は通じる相手だ」
「適当に言っただけだから真に受けるな」
「まあ女の子はな。「楽しいから」って答えたんだ」
「そいつ、ラスボスじゃないか?」
神戯に関して大きな関わりを持っているらしい祖父と女の子。フォルティシモもとい近衛翔の肉親という贔屓目を差し引いても、祖父は理性的で話は通じていた。人間性という感覚的なものがフォルティシモにも理解可能、少なくとも理解できるように話していた相手だったと思う。
しかし、ピアノが会ったという女の子は価値観そのものが違う気がする。
「ラスボスか。女の子を倒したら私はまた死ぬとかか? だとすると、私はラスボスを倒すと共に居なくなる勇者だな。最後の瞬間、これで終わりだ、共に行こうって言って死ぬのか」
「それは嫌だな」
「私だって嫌だ」
二人で苦笑する。
「で、お前は何を隠してるんだ?」
「話す順番を守ってるだけだ。俺も同じような奴と会った。外見は少年だったけどな。外見は。大事な事だから三回言うが外見はだ」
「二回言うよりも大事だってのは分かった」
祖父から聞いた話はフォルティシモにとって非常に重要な話題となる。だからその前に聞いておかなければならないことがある。
「最初の話題はお前が決めたから、次は俺だ」
「私が決めたって、合意だっただろ」
「細かいこと言うな。俺が話したいのは、この異世界で何をしようとしているかだ」
フォルティシモがそう言うとピアノは不思議そうな顔をした。
「何って、私は元の世界でできなかった旅とか、色んな場所を見るとかくらいだが。なんだフォルティシモ、お前世界征服でもしようとか考えてるのか?」
「そんな面倒なことは考えて無い。それよりな、ピアノ、俺は、お前よりも先に会ったプレイヤーが居る」
「本当か。誰だ? いや、その言い方だと知り合いじゃないのか」
「レベル四二五八、覚醒もしてないエンジョイ勢かグラクエもクリアしてない初心者だった。そしてそいつは、何年も前から異世界に来ている男だ」
「………年単位か」
「なんかあるのか?」
「いや、正直に言うと私は死後の世界か、死ぬ直前に今際の国の夢でも見てるんじゃないかって思ってたんだ。だからフォルティシモが居たり、何年も前から居るプレイヤーの話を聞くと、なんだか安心する」
フォルティシモは異世界の現実だとすぐに思ったが、両手槍の男はゲームの中だと考えていた。そしてピアノは死後の世界。色々と感じ方が違うものだ。
「問題は二つある」
「二つもあるのか」
「一つ、そいつはエルフだった。耳も長かった」
「なるほどなぁ」
ピアノはそれを聞いて納得した様子を見せた。フォルティシモが出会ったプレイヤーは自分を含めて三人、この内フォルティシモと両手槍の男はゲームのアバターの姿をしており、ピアノだけが現実のプレイヤーの姿をしている。この事実だけはハッキリさせておきたい。
「お前の立場だと、私はメチャクチャ怪しいな」
「フレア・ツーが居なきゃ二人きりで会うつもりもなかった」
「あいつに感謝だな。それでもう一つの問題は?」
「そいつは俺が殺した」
ピアノから絶句した様子が見て取れる。話によればピアノが異世界へやって来たのは、フォルティシモとまったく同じ日のはずだが、その日から今日までの過ごし方は大きく違うだろう。
ピアノは【拠点】に戻り、フレア・ツーを連れ、他にも仲間を得ていた。仲間たちに慕われている様子は、急に降って湧いた力に酔いしれて好き放題な異世界ライフを過ごしていたとは思えない。
驚くだろうと思ったが、これから話すことはフォルティシモが両手槍の男を殺した事実を隠したまま話すのは難しい。
ピアノに軽蔑されたら嫌だな、という感情が湧いて出てくるので、殊更に固い口調と表情を心掛けている。
「嘘だろ」
「本当だ」
「まさかこの世界に来たプレイヤー同士は敵なのか? 私とお前も殺し合うことになるのか?」
「分からない。だが俺は嫌だと思ってる」
「私も嫌だ」
お互いに少しだけ無言になり、飲み物を口にする。
「お前は、本当にピアノなんだよな? ピアノの性格をトレースしたAIとかじゃなくて」
「そうだ。お前とそのエルフはアバターみたいだけど、私は違う。ちゃんと記憶もある。フレンド依頼は私から出した、当時私しか持っていないと思ってた武器を自慢のつもりで持って歩いてたらお前も持ってたからだ。お前と最初に行ったダンジョンは『コラブス鉱山』、入り口でグレイゴリラ・ディック一体を相手に何もできずに二人共死んだ。第一回PvP大会の決勝でお前が最後に出したのはスキルの多重設定で、同じ多重設定じゃないと防御も回避もできないバグ技だった。それを喰らった私が言った感想は「ふざけんな、そこまでして勝ちたいか」だ。大会後のメンテですぐに修正された。次の大会、お前はこりずに別のバグ技を使い出して、規定が変わっていたことに気付かず一回戦で失格。私が優勝して鬼人族の紅角カラーを手に入れた」
ピアノは自分が本物だと、焦ったように語り出した。
「思い出を語られても、それほど意味ないからな。あとあれはバグ技じゃなくて仕様を最大限に利用した奥義だ。勝つための最善の努力をして何が悪い。クソ運営が」
余談だが、フォルティシモはPvP大会において、失格で敗退した一度以外はすべて優勝している。
咳払いを一つ。
これは昨日考えたピアノへ対する問い掛けだ。
「俺とお前は親友だった、と思いたい。だが、これからもそうであるか分からないのが、異世界だ。だから異世界で何をしようとしているかが重要になる」
過去ではなく未来の話がしたい。若干芝居がかった口調でそんなことを言うと、ピアノは苦笑で応じてくれる。
「けど、二度と会えないはずだった私―――俺たちがまた会えたのは、奇跡だ。だから俺は、またお前と友人になりたいって思った。なって、また、いや今度こそ本当の俺で、仲良くやりたい。それが、俺が異世界でやりたいことだ」
今のピアノにあのイケメンアバターが重なった。