第四百四十四話 vs偉大なる時の男神 後編
フォルティシモは初めてトッキーを殴ったな、という思いを得た。トッキーの頬に突き刺さった右の拳から、強い衝撃が伝わって来る。
トッキーは初めて出会った時からフォルティシモに友好的で、VRMMOファーアースオンラインのベータテスト時代からのフレンドだったから、戦うなんてことはなかった。
狩り場が被ったら話し合いで融通し合ったし、イベントやクエストでは協力し合ったことも多い。
多人数が必要なクエストの時はトッキーに頼んで人数を用意して貰った。レアアイテムを交換条件にされたが、大勢から嫌われているフォルティシモが人数を集められたのはトッキーのお陰だ。
戦闘力が無関係な人数必須なイベントでは、トッキーのパーティーに所属させて貰ったこともある。他のパーティーメンバーはフォルティシモを見ただけで睨み付けて来たが、トッキーが取り持ってくれた。
お互いのプレイスタイルは正反対だから、仲良くできているのだと思っていた。
しかしトッキーは、フォルティシモを嫌っていた。
フォルティシモはこの思いの正体を、寂しさだと理解する。
「トッキー、俺はお前とも友人だと思ってた」
「無駄な努力乙とか言っておいてそれ? いや、そうじゃねぇよね!? え!? 何が起こったの!? 俺、神の力で、フォルさんを攻撃したんだけど!?」
フォルティシモの右ストレートを受けたトッキーは叫んでいた。トッキーの頬にはフォルティシモの拳がハッキリと刻まれている。
「そうなのか? 何かしようとしているようだから、先制攻撃を仕掛けたんだが」
「前から言おうと思ってたけど、相手の攻撃をHPと防御力で受けながら攻撃するのは、先制攻撃って言わねぇから。だからそうじゃねぇよ!」
トッキーがフォルティシモを見つめるその視線には、驚愕と―――恐怖があった。
「まさ、か、フォルさん、真神に生まれ変わった? オウさんにアカウント奪取されて真神に転生したって言うのか!? 冗談だろ。人間がっ!?」
「アカウント作り直しか。言われて見ると、その通りだ。最強神フォルティシモは、さっき生まれて、新しい世界ファーアースオンライン・バージョン・フォルティシモを創世した」
偉大なる星の女神マリアステラは、全視の能力を持ち、哲学的な観測者として事象への干渉が可能らしい。
偉大なる時の男神トッキーは、おそらく四次元空間において何らかの力を自由に行使できるのだろう。
そして“偉大なる最強の神”フォルティシモは、ただ最強である。
最強という概念が神として形を持った存在、それが最強神フォルティシモだ。
概念として最強なので、フォルティシモを倒すという行為は成立しない。
それが“始まり”が創った神儀をキュウステラと一緒に完全攻略し、誰よりも先にフォルティシモが辿り着いた最強神。
「は? ふざけんなよ? そんなの、許されない。世界のバグだ。そんなもん許したら、世界は、めちゃくちゃになるだろ」
トッキーは頭を振る。
「いや待て、これはフォルさんお得意の自称最強論だ。真なる神に至ったのが事実だとすれば、何らかの干渉によって防御したんだな。もしくはこのファーアースオンライン・バージョン・フォルティシモの物理法則に、【時間】が含まれている可能性もある」
フォルティシモが答えないでいると、何かに思い至ったのか声を張り上げた。
「そうか。この『最強の世界』はAIのように自己学習をして成長するんだな。解析、攻略したものを、己のシステムへ取り込む最強厨な世界。それもフォルさんを最強にするって間違った方向で物理法則を書き換える。そうだろう、フォルさん!?」
フォルティシモはトッキーに対して、遙か天上から見下ろすように笑みを作った。
「フォルティシモは最強だ。だからフォルティシモを倒すことはできない。まだフォルティシモが最強だと理解できないか?」
「最強だから最強ですって、幼い子供でももう少し論理的じゃね?」
「PKするぞ。じゃなくて、トッキー、俺はお前が好きだったから、本気で相手をしてやる」
「フォルさんの本気か。ちょっと怖いな」
「<時>の奴らが、今まで神様たちの世界で虐げられてきたのは、分かった………いや本当は、俺には関係ないから良く分からないが、そうなんだろうとは思った」
「やべぇ、本気って言った次の瞬間からフォルさん節だわ」
フォルティシモの価値観では理解できないのに同情するよりは、分からないと正直に言ったほうが真摯に向き合っている。
「いいか、一度しか言わないから良く聞け」
フォルティシモはできるだけ真剣な表情を作ってトッキーを指差した。
トッキーはフォルティシモのことをよく分かっているようで、表情を見ただけで茶化したり文句を言って来なかった。
「<時>の連中は、ファーアースオンラインのベータの頃から、もう顔見知り同士だ。一緒に運営に文句を言ったり、イベントやショップを盛り上げたり、アップデートでマップやボスの情報共有なんかもした」
フォルティシモはたしかに<時>のプレイヤーたちの名前を覚えていない。
けれど何も思っていない訳ではない。
「何かと俺に突っかかってきたり、【拠点攻防戦】を挑まれたり、PK合戦も良い思い出だ。掲示板の工作も、晒しも、迷惑メッセージも、ムカつくがお前らがファーアースオンラインを真剣にプレイしていたからだろう。実を言うと雑魚共から嫉妬されることに、ちょっと気分良くなったりもした」
そしてフォルティシモは次の話題へ移る時、胸の内に少しのわだかまりを感じる。それでも続きを口にした。
「あの事件について、俺は一生許せない。それは変わらない。だが、お前らとプレイしたファーアースオンラインは、楽しかった。最強厨な俺がいても、止めずに全力でやり続けてくれたお前らのこと、俺は、嫌いじゃない」
その時、トッキーの顔に浮かんだ感情は何だったのか、フォルティシモには分からない。
「………なぁ、フォルさん、分かるか? 悲劇が嫌いって言ってたけど、今、フォルさんは<時>の神々の命と、それを信仰して来た大勢の人の想いを、殺してるんだぜ?」
トッキーは天を仰ぎ、今までとはまったく違った落ち着いた声色でフォルティシモへ語り掛ける。
「後者は、最強のフォルティシモを信じられなかっただけだ。クソ信仰だな」
「ひでぇ」
「前者はまだ決定していない」
「何考えてんのか知らないけど、強さじゃすべては解決しねーよ?」
「最強なら話は別だ」
フォルティシモは手の平を上へ向けて、トッキーへ差し出した。
「トッキー、俺の事情を脇に置いて、手を差し伸べてやる。この最強のフォルティシモへ付け」
これはフォルティシモが先ほどトッキーに対し「止まれないのか」と問いたのとは、似ているようで根本的に意味の違う言葉である。
フォルティシモはトッキーがこの差し出した手を取れば、トッキーと<時>の神々たちを助けると言ったのだ。
「うーん、超上から目線。フォルさん、俺からも良い?」
「なんだ?」
「俺は今から全力でフォルさんに抵抗する。偉大なる時の男神なんて言われている俺の全力に勝てたら、フォルさんの最強をさらに証明できる」
フォルティシモは最強神まで至った。トッキーと戦っても百パーセントフォルティシモが勝つ。
キュウとマリアステラが可能性の世界を探し回っても、フォルティシモが勝つ以外の可能性はない。最初から決まり切った戦いだ。
「俺が負けたら、<時>のみんなを頼む。みんなフォルさんのこと、めちゃくちゃ嫌ってるけど、たぶん、フォルさんと同じように楽しかったと思う」
それでもトッキーは戦う。最強神フォルティシモと偉大なる時の男神クロノイグニスが戦うこと、そのものに意味があるからだろう。
「それを頼むな。俺に付けば目の前の危機だけは助けてやるってだけだ。将来まで責任を持てる訳ないだろ。俺はキュウくらい可愛くないと、責任を持って救うつもりはない」
「まあそうだよなー」
トッキーはインベントリから大型のナイフを二本取りだして、両手に装備した。
「でも、フォルさん、変わったな」
「男子三日会わざればなんて言うつもりはないが、異世界に送られたら、誰でも変わるだろ」
「俺はそれでも変わらないのが、フォルさんだと思ってた」
フォルティシモはそれに反論しなかった。フォルティシモが変わった理由は、異世界に来たからではないから。
何よりも大きな出会いとなったキュウ、一生共に居るはずだったエンシェントが消えた事実、一度は失われた従者たち、再会し本音で語れた親友ピアノ、異世界を必死に生きているカイルやフィーナたち、AIにも負けないラナリア、神戯によって産まれたエルミアとテディベア、同じ祖父の血筋のルナーリス。
もしも。
神戯ファーアースが開催されず、フォルティシモがVRMMOファーアースオンラインをプレイすることなく、異世界ファーアースに召喚されなかったら、当然、これらの出会いは無かった。
それに<時>の神々は、あくまで神戯ファーアースをマリアステラたちに開催させただけ。オリンピックを開催し、そのせいで誰かが死んだとしても、主催者や参加者を恨むのはお門違いだと思っている。
「別に、変わってない。フォルティシモは最強のままだ」
「今のフォルさんは、嫌いじゃねーよ?」
二本のナイフを構え、戦闘態勢を取ったトッキーは、これまでで最も穏やかな表情を見せた。それから空へ向かって話し掛ける。
「オウさーん、ごめん、俺たち、フォルさんに勝てねーや。オウさんの孫、ほとんどの点ではオウさんの遙か格下なんだけど、一つだけ、最強って意味不明な点だけ、まじで本物で、それで真神へ至ったみたいだ。俺たちはここまでだ。俺はオウさんの願いが叶うことを願っている」
二柱の偉大なる神がアクロシア大陸の空で向かい合う。
二人はそれ以上の言葉を語らず、距離とタイミングを計る。
トッキーが空を蹴る。時を超えた速度による一撃。トッキーという神の力と想いが込められた攻撃。
フォルティシモは真・魔王剣を構え、全力で迎え撃った。
「最強・乃剣!」
トッキーは『最強の世界』の法則に従って、セーブポイントへ戻っていく。再び向かって来ることもできるだろうけれど、トッキーの表情からその可能性はないと断言できた。
むしろトッキーは、VRMMOファーアースオンラインの頃と同じように、他の<時>の神々へ対して、これ以上フォルティシモの邪魔をしないように説得してくれるだろう。