第四十四話 トーラスブルス到着
フォルティシモはピアノとの約束を明日早朝に取り付けたため、前日はトーラスブルスに宿泊しようと日が落ちてからアクロシアの宿を出発した。
ラナリアにも連絡していたが、彼女は止むに止まれぬ事情によって集合場所に現れない可能性が高いと思っている。気持ちとしてはせっかく美人の姫様を手に入れたのだから連れ回したいものの、現実的に考えれば姫様を勝手に連れ回すのは問題になる。
フォルティシモはこの異世界に対して好き勝手行おうと決めたばかりである。だからこそ異世界の状況を気にせずにラナリアを好きにしようとは思っているのだが、キュウの存在を考えるとそうはいかない。
何せラナリアはキュウの友達だ。友達に酷い扱いをしている人間を好きになれる者はいないだろう。
「何か?」
そんなフォルティシモの気遣いを無視して、一秒も遅れることなく集合場所に現れたラナリア。
ラナリアの格好は『修練の迷宮』へ向かった時とは違い、多少ながらも着飾ったものになっていた。天烏に乗って風に晒されると理解しているためか、頭や胸元に装飾品の類いは付けていないし、髪はしっかりと留めてある。しかし衣服は、明らかに冒険者の着るそれとは一線を画す生地とデザインのものだった。同道しているシャルロットの表情は渋いものだが。
「すっかり日が暮れてしまいましたね。天烏さんは、夜間でも問題ないのですか?」
ファーアースオンラインには朝昼夜の概念があったけれど、時間帯によって天烏の速度が鈍ったり方向音痴になったりすることはなかったので大丈夫なはずだ。
「夜でも大丈夫だ。それよりお前、よくまた来れたな?」
「フォルティシモ様とのお約束ですので、守るために全身全霊を掛けさせて頂きました」
「無理しなくて良いって言ったはずだっただろ。アクロシアに戻ったら王女行方不明とか誘拐とか言われないだろうな」
「安心してください。お父様に話を通していますので」
釈然としないものはあるが今から追い返すつもりもないので、さっさとトーラスブルスへ向かおうと天烏を出す。派手な登場はせずゆっくりと空中から現れた天烏は、小さな声で鳴いて挨拶をした。
ラナリアはトーラスブルスを水上国家と称していた。フォルティシモが生きていたリアルの国でも水の都や水上都市と呼ばれる場所は数多くあり、湖の上であったり海面上昇の影響であったり、そう呼ばれている理由は様々だ。このトーラスブルスは国土の四分の一が海の上にあり、水上国家と言うよりは海上国家と言う表現の方がしっくり来る。かつて大陸を襲った伝染病から逃れるために海の上で生活を始めたのが起源で、今では観光による外貨獲得目的に整備・拡張されている。
という設定だった。
実際には、最高の観光名所をシミュレートするという壮大な目標を立てた開発チームが、デザイナーや外部の専門家とやり合った死闘の“跡地”であるらしい。開発会社の正体が神様だとすれば、意外と馬鹿に出来ない目標だったのかも知れない。
月の光に照らされ松明やランプの光が水面に揺らめく都市を上空から眺めると、なんとも幻想的な光景だと柄にもなくわずかな感動を覚える。
キュウはどうだろうかと視線をやると、ちょうど目が合った。はにかんだ笑顔を見せるので、可愛すぎて抱きしめたい衝動を我慢するのが大変だ。
「すごい綺麗です」
「そうだな。用事が済んだら一緒に街を見て回るか。俺も久しぶりだからな」
「はい、是非ご一緒させて頂きたいです」
さらりとデートに誘うことに成功し、気分が良くなったお陰で夜景が更に綺麗に見える。
ラナリアとシャルロットの様子も窺ってみる。
「この街を夜に空から見られるとは思いもしませんでした」
ラナリアは素直に感動しているようだった。彼女は対人コミュニケーションを心得ており、話をする時は必ずと言って良いほど相手と目を合わせて話すのだが、今は街並みを見たままこちらを振り向かない。
シャルロットは無言で表情を強張らせている。キュウかラナリアが同じ表情をしていたら何か問題があったのか聞くところでも、フォルティシモとシャルロットの関係はあくまでラナリアを挟んだものでしかないので、ラナリアが気にしていないということは、フォルティシモが口を出すことではないだろう。
天烏を近場に降ろし、残りは徒歩で向かう。
アクロシアのように巨大な壁に囲まれていたらどうしようかと思ったが、観光で外貨を稼いでいるという設定のお陰か街は開かれたものだった。ただ、街から離れたところに物見台のようなものが無数に設置されていたので、モンスターなどを警戒している様子は窺える。
石造りの道路はコンクリートの道路ほどではないが歩きやすく舗装されており、短い間隔で設置された街灯と店の明かりのお陰で歩くのに困ることはない。夜でも街は静かになることはなく、ビアガーデンのような飲み屋で騒いでいる者たちも居れば、弾き語りとそれを聞く聴衆も居た。
「ところでフォルティシモ様、何故こんな夜中に? 天烏さんの速度であれば、明日の朝でも良かったのではないでしょうか?」
「大した理由じゃない。ここの夜景は綺麗だから、キュウとラナリアに夜景を見せたかっただけだ」
「それはとても嬉しいですね。フォルティシモ様、素晴らしい夜景をありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」
ラナリアは言葉通り嬉しそうに笑顔を見せ、キュウも慌てた様子でお礼を口にした。ただの言い訳だったのでフォルティシモとしてはばつが悪い。
こういう街なので夜中に彼女たちを連れて来たら、そのまま良い雰囲気になるのではないかと期待していた。そのための事前準備も欠かしていない。ギルドにトーラスブルスの良いホテルを尋ねてあり、そこの最上級スイートルームを押さえてある。
最近のフォルティシモは報酬の高い討伐依頼を優先的にこなしている。それもあって懐具合にはかなりの余裕ができており、金銭的にも問題はない。
ムードを盛り上げるための演出としてわざわざ夜中にトーラスブルスへ出発したお陰で、キュウとラナリアは美しい夜景を前に心を奪われ、気分は高まったようだった。
「トーラスブルスに入った瞬間、ピアノ様に襲われたら私たちはどちらへ逃げればよろしいでしょうか?」
いきなり現実に引き戻されて、フォルティシモの気分が急降下する。
「ああ、まあ、その時は天烏を出すから、それに乗れ。いや、それだと天烏ごと撃墜されるだけだな」
フォルティシモはインベントリからアイテムを取り出した。
フォルティシモの手の平に収まる程度の小さなアンティーク鍵。飾り部分がタマネギの断面図のような形をしていて不思議に思っていたが、サンダーソニアという花を象っているらしい。
「キュウ、ラナリア、もしもどうしようもない事態に陥ったらこれを使ってみろ。効果があるかも分からない最後の手段だが」
「これは?」
これは望郷の鍵という所謂帰還アイテムだ。ゲームによって呼び名や効果は違ってくるが、ファーアースオンラインでは使うことで自分の【拠点】に一瞬にして移動できる。もちろんフォルティシモも使ってみたが、フォルティシモの【拠点】に未到達扱いになっていて発動しなかった。
普段から高価なアイテムを使う事を遠慮している節のあるキュウなので、テレポートアイテムだと言えば最後まで使わないかも知れない。
「危機から脱せる可能性がある。どうせ今の俺には使えないから、遠慮せずに使え」
「はい。ありがとうございます」
「感謝いたします」
キュウとラナリアがフォルティシモから受け取った望郷の鍵を大事そうに懐へ仕舞う。シャルロットへも渡そうとしたところ、彼女は首を振って遠慮した。その時は、望郷の鍵を使う時間を一秒でも長く稼いでくれるという意思表示だ。
「ちなみに味方であれば、ピアノ様たちとパーティを組みますか?」
「パーティ?」
「ピアノ様が味方であれば、パーティを組みますか? フォルティシモ様をリーダーとしてパーティメンバーに加えますか、と尋ねるべきでしょうか」
昔はピアノとは何度もパーティを組んだ。けれどもこの異世界へやって来る直前は、ほとんど組んで居なかったから自称ピアノが本物で、そのピアノとずっと行動を共にするという選択肢が抜け落ちていた。
「む、向こう次第だな」
少し考えてみて、答えは保留にした。それは心の何処かで、またあいつとパーティを組めると思ったからかも知れない。【魔王】の特性があるので、実際にパーティを組む訳にはいかないだろう点には目を逸らして。