第四百三十五話 FEO・VFF フィーナ編
<青翼の弓とオモダカ>のフィーナは、一年程前の『ブルスラの森』で死ぬはずだった。
当時のフィーナは大氾濫で父親を失い、それでも聖マリア教の職務を全うする母親を見て、教義へ疑問を抱いていた。
実は聖マリア教の教典には、『自由』や『楽』が多く語られていて、『奉仕』や『救済』の概念はほとんど出て来ない。出て来たとしても、どこかこじつけのような説法となることがほとんどで、誰かが書き足した言葉としか思えなかった。
聖マリア教の高位聖職者たちは、人々への奉仕の末に命を落とした父親を褒め称え、彼は救済されると言った。
神は不平等だ。
強くなければ、この過酷な世界では生きていけない。だから『ブルスラの森』で、教義も、冒険者も、魔物も、信念も、何もかもを吹き飛ばすような絶対的な力と出会った時。
フィーナはこの世界で誰よりも先に、それこそキュウよりも先に、最強を信仰していた。
生まれた時から、生まれる前から両親が信仰していた宗教を捨てて、新しい世界へ飛び込むのには大きな勇気が必要だったけれど、フィーナにはそれを思うだけの確信があった。
最強の力が、この悲劇に塗れた世界を変えてくれる。
> ようこそ! ファーアースオンライン・バージョン・フォルティシモへ!
フィーナは大氾濫の中に現れた神々の一人に殺された。
仲間や幼馴染みを殺されても、己に宿った【蘇生】の力さえあれば助けられる。だから自分だけでも何とか生き延びようとしたけれど、圧倒的な力を持つプレイヤーの前では逃げることさえ叶わなかった。
フィーナはあの日と同じように、フォルティシモへ託した。あの日と違うのは、フォルティシモなら何とかしてくれるという確信があることだ。
だが、これはさすがに予想外だった。
フィーナは殺されたと思った瞬間、アクロシア王都にある借家の部屋で目を覚ました。身体は健康そのもので、大氾濫の準備のため、ここ数週間無理をしていた疲れがすっかり抜けている。
しかしそんなことがどうでもよくなるように、目の前に光の窓が浮かんでいた。
> 初めましてプレイヤーフィーナ、私はあなたの冒険のお供をさせて頂くサポート妖精です。まずは私の名前を登録してください
フィーナはすぐにそれが何か思い至る。
「あなたの名前はシルフです。今の状況を教えてください」
> シルフで登録しました。なお私の性格および名称等の各種設定は、情報ウィンドウの【コンフィグ】から自由に設定できます。また開始から二十四時間は無料でサポートしますが、それ以上は従量課金制となりますのでご注意ください
フィーナのサポート妖精シルフはフィーナがプレイヤーという存在に昇華し、神の如き力を使えるようになったのだと教えてくれた。
フィーナだけではない。フォルティシモは、このアクロシア大陸の生きとし生ける人々すべてをプレイヤーにした。
フォルティシモは人類を魔物の脅威から救ったのだ。もう二度と、魔物によって失われる命はない。
これがフォルティシモの力。
フィーナの全身が震えた。彼を思い出して気持ちが溢れる。敬愛と親愛と恋愛が入り交じった感情。キュウの手前、フィーナは自分の感情を抑えていたけれど、これは仕方がないだろう。
フォルティシモは人類には到底達成不可能な目的を達成してみせたのだ。そんな神のような存在が自分とも気さくに話してくれた。たくさん面倒を見てくれた。幼馴染みを救ってくれた。人生を変えるほどの力をくれた。そして危機に陥った時に助けてくれたのだ。
凄いけど、ちょっと不思議な人で、親友の想い人だけど。
> 体温の上昇を確認。体調管理のために身体を休めることを推奨します
「………大丈夫です。これは、ずっと前から自覚していますから」
フィーナが深呼吸をして気持ちを落ち着けていると、音声チャットから声が流れて来た。虚空から声が流れて来るのには、少し驚いた。慣れるまで大変そうだと場違いな感想を抱く。
『みんな、見た!? すぐにギルドへ集まろ! 北門のが良い!?』
『待って、今、あれに対抗する魔術を作ってるから』
情報ウィンドウから聞こえて来たのは、冒険者パーティ<オモダカ>を結成した幼馴染みサリスとノーラの声だった。彼女たちも神々に殺されたはずだったけれど、ファーアースオンライン・バージョン・フォルティシモの物理法則によってセーブポイントへ戻ったのだ。
このシステムを利用してプレイヤーとなった<青翼の弓とオモダカ>が集まれば、今まで以上の力を発揮できる。しかしフィーナが今やるべきなのは、一冒険者としての活動ではないはず。
「私は聖マリア教の大聖堂へ向かいます! まずは情報ウィンドウを、これが祝福だと、できるだけ多くの人へ!」
『分かった。俺たちは冒険者ギルドに寄ってく! フィーナは、今はそっちに集中してくれ!』
多くの人々はプレイヤーや情報ウィンドウが何なのか分からず戸惑うだろう。
フォルティシモやキュウたちが説明をするかも知れない。しかしこのアクロシア大陸に住む人々にとって、彼と彼女たちは天空の国フォルテピアノの王族と認識される。
それでは駄目だ。人々の不信感を払拭できないし、熱心な信者は反感を覚えるだろう。
アクロシア大陸の人々が信じるのは、千年の間大陸を魔物や大氾濫から守り、医療を担い続けていた聖マリア教である。
ならばフィーナは聖マリア教の次代教皇として、新しい教義を広める。
フィーナは急いで鍵盤商会の店舗へ向かい、その中で【転移】スキルを持つ従業員へ声を掛けた。
フィーナは鍵盤商会ではちょっとした有名人だ。フォルティシモが贔屓している冒険者パーティ<青翼の弓とオモダカ>の一員でお得意様というのもある。加えてキュウの友人としての姿が目撃されているとなれば、従業員たちにとってはVIPに違いない。
「サンタ・エズレル神殿へ【転移】のポータルを開ける方はいますか!?」
「私、開けます!」
そう言った従業員の前にも、情報ウィンドウが浮かんでいた。
「お願いします!」
「分かりました。あの、後で会長に私が役に立ったって伝えてくれませんか!?」
こんな時でも己の売り込みを忘れない鍵盤商会従業員の骨太さは、見習うべきかも知れない。
「もちろんです。これから、この大陸はフォルティシモさんたちによって変わるでしょう。きっと、もっと良い世界になります」
フィーナは従業員が開いてくれた青い渦へ飛び込んだ。
もう何度も経験した【転移】により、周囲の風景が突然切り替わり、人っ子一人いないサンタ・エズレル神殿が現れる。
そのまま全力で走り、『神前の間』までやってくる。以前はエンジェルの戦士に邪魔されたけれど、今は誰の姿もない。
『神前の間』は聖マリア教において、女神が降臨して神託を下す場所。
そして『神前の間』では教皇の位にある者が、女神へ語り掛けることができる。フィーナは教皇ではないけれど、それ以上の資格があった。
「母なる星の女神よ! キュウさんの友達のフィーナです! 神託を、使わせて頂きたく参上いたしました!」
> そうきたかぁ。良いよ!
軽い返事がすぐに返ってくる。フィーナの想定通りだった。
フィーナはキュウから女神マリアステラについて聞いている。己の宗教の御神体と直接出会った話なのだから、一言一句漏らさず聞いてしまった。
聖マリア教の千年の教義とキュウからの話を総合すれば、女神マリアステラが望むものが見えて来る。
「シルフ! 女神の神託に私の言葉を流してください!」
> システム接続完了
「アクロシア大陸に生きる皆さん、私は大司教テレーズ=エイレナイオスの娘、聖マリア教、次代、教皇、のフィーナ=エイレナイオスです」
母親の権力を盾にして、自分から次代の教皇になると宣言するのは、かなりの抵抗があった。けれど聞いている人間たちは、それくらい言わなければ納得しない。
フィーナは歴史上、有り得ないほど目まぐるしい急展開を見せる大陸の人々へ語り掛ける。
「皆さんの前に見える、ファーアースオンライン・バージョン・フォルティシモは、神の祝福です!」
あとで何を言われても良い。フィーナは覚悟を決めている。
「聖マリア教は、世界を救う最強の神、フォルティシモを信仰の対象とします!」
これだけで全員が受け入れることはない。しかし、異世界ファーアースで千年の間に信仰されてきた聖マリア教が、お墨付きを与えたのだ。
今、目の前で起きているプレイヤー化、情報ウィンドウ、サポート妖精、インベントリなど、そのすべてがフォルティシモの力で、聖マリア教が認めると。
効果があると信じるしかなくても。
最強の神フォルティシモへの信仰を集めるため、説法をすることがフィーナのやるべきことだ。




