第四百三十話 キュウの存在証明 後編
黄金の耳と尻尾、そして虹色の瞳が特徴的な狐人族の少女。外見年齢は十代後半くらいで、背丈はキュウとマリアステラの中間ほど。体型は二人共それほど凹凸のあるタイプではないので、どちらのものか判然としない。衣服はキュウが着ていたものに似ている。
一言で表現すれば、キュウは女神マリアステラと合体した。
これまで聴覚のみで処理していた情報が、同じかそれ以上の勢いで視覚からも入って来る。過去、未来、現在、目の前の光景から宇宙の果てまで百五十億光年の光が脳に多大な負荷を掛ける。
それでもキュウは自分の目的を果たすため、空を歩き出した。
そして盛大にコケた。
これまで空には雲と空気しかないと思っていたのに、世界はこんなに情報で溢れている。この尖った空間情報に頭をぶつけてしまった、おでこが痛い。起き上がるため、時間情報のでっぱりに手を置いて杖代わりにした。それにしても空という概念は、舗装されたアクロシア王都の道に比べて歩きづらい。息をする度に様々な次元情報が肺を通して体内へ入ってきて、気分がさらに悪くなる。
空気は明るくてうるさいし、重力は光と喧嘩して悲鳴をあげていて、闇はそれらを嘲笑って蠢いていた。過去は変わりたくて助けを求めていて、未来は虹色に変化し続けることに飽きて欠伸をする。人々の思考はキラキラと目が痛くなるほどに輝いていた。
キュウはそれらをひとまず置いておいて、転んでしまった最大の理由へ話し掛ける。
「あの、マリアステラ様、歩きます。まず右足を。ああ、ごめんごめん、左足出そうとしちゃった」
自分の身体が自分ではない、とは言うが、本当の意味で自分だけのものではなかった。
『お、い、マリアステラ、てめぇ、何を、しやがった?』
AI主人の声がした。AI主人を構成する魂のアルゴリズムコードのすべてが文字列となって視える。主人はこんなにもキュウを想ってくれている。嬉しいけれど、申し訳ない。キュウがマリアステラと同じくらい強くなれたら、こんなことにならなかったのに。
それでもキュウは自分の手に懐中時計が残っていたことに安堵して、今度は外されないようにしっかりと首から下げる。これで時間が止められたくらいで外れることはないだろう。
「取引の約束を守ったんだよ」
『力の使い方をキュウへ教えてくれって取引だっただろ。お前だけは教えられるから、キュウのためにお前の口車に乗った」
「ご主人様………。一緒になったほうが早いでしょ?」
主人がキュウのことを想ってくれたことと“声”にしてくれて心から感動したのに、マリアステラの冷徹な判断が感情を沈静化させた。
なんだかマリアステラの思考や論理がキュウと重なってくる錯覚に陥る。早くやることをやって分離しなければ、取り返しのつかないことになりそうだった。
この他人の隙間に魂のアルゴリズムを書き込む行為は、危険過ぎる。
「ご主人様、私も、これしかないと、思いました」
『だが、キュウ、これは………』
「み、見た目が変わっただけだ! やれ!」
<時>の神々は、キュウとAI主人の話を邪魔して再び動き出した。このままではキュウの目的を、マリアステラとの合体を了承までして達成しようとした目的を達成できない。
「影隼!」
虚空からかつてキュウがマリアステラに誘拐された際に乗った、漆黒の隼が現れた。
キュウが乗った影隼は、始動と同時に最高速度へ到達する。その後も未来聴と未来視に導かれ、まったく減速せずに直角に曲がり、反転し、慣性も抵抗も無視して縦横無尽に空を駆け巡る。その動きはどんなプレイヤーも捕らえることができない。
未来聴と未来視は、観測した未来を選択し続ける。影隼の物理法則を超える軌道で、ゼロコンマ一パーセントでも回避できる可能性があるのであれば、その未来は確定される。
「なんだあの従魔は!?」
「知らないだろうね。影隼は、次のアップデートで実装される従魔だからね。皆さんが知らないのも仕方がありません。影隼さんは、マリアステラ様が未来から異世界召喚した、空中軌道戦、最強の従魔です」
「次? 未来? ファーアースオンライン最後のアップデートは、もう終わってるはずだ!」
「お前らは魔王様が消えた後のファーアースオンラインでレベリングしたからね。だから神戯に参加した時のご主人様よりも強いです。でも、それが自分たちにも言えるって考えなかった? 自分たちよりも未来のアップデートから、あなたたちを超える者が召喚されると」
「馬鹿な。神戯の主催者も管理者も、全員、今はこの世界に居るはずだ!」
キュウは笑ってしまう。だからこそ魔王様がマリアステラが準備した端末を使って、やらかそうとしているのに。
「さあ、キュウ、始めようか。はい、すぐ、に………あ、くっ」
キュウの頭へ尋常でない痛みが襲い、影隼の背中へ膝を突いてしまう。マリアステラの力がキュウの肉体に馴染んでいくせいか、マリアステラの視覚や知識がキュウを圧倒しているのだ。
宇宙開闢から百三十億年の記憶がキュウの脳をかき乱す。
「うーん、タマはかなり試行して究極の才能を作ってくれたけど、さすがに私とキュウの二人を納めるのは、今のキュウの器じゃ無理だったか。破裂しそう。長時間は無理だね」
気が狂わなかったのは、その痛みの半分以上をマリアステラが肩代わりしてくれたからだろう。
「長時間と、言うか、もう、無理です。なんとか、して、ください。それは困るね。器をもっと大きくしよう。幸いキュウは神戯のプレイヤーだし。らー! らーの信仰、キュウにくれる?」
「我が偉大なる神の御心のままに」
太陽神の祝福。
> 【天狐神】のレベルがアップしました
天狐神
Lv9999
> おめ*とうござい*す!
> 参*者【キュウ】
> あなた*神戯の勝*条件を達成し*した!
> あなたには【最後の審判】を受ける権利が与えられます
> 【最後の審判】ではあなたが神と成るに相応しい存在かどうかが判定されます
> 終末は既に始まっています
キュウは主人やクレシェンドが受けた神の祝福。最果ての黄金竜から主人へ与えられた祝福と同種でありながら、桁外れの密度を持つ光が太陽神ケペルラーアトゥムからキュウへ注がれる。勝利条件を二回達成したせいか、ちょっとメッセージが変だけれど気にしない。
キュウは先ほど、太陽神ケペルラーアトゥムの力を主人に使って貰おうと考えた。しかし今、太陽神ケペルラーアトゥムの力を使うのはキュウだ。
太陽によってすべてを奪われ、絶望のままに神戯を勝利し神へと至った狐の神タマのコピー。主人によってキュウと名付けられた少女が、太陽の力を手に入れるというのは、何かの皮肉だろうか。
だが太陽神の祝福を受けたお陰で、身体が一気に楽になった。
<時>の神々からの攻撃は、影隼が回避し続けてくれている。すべてが終わったら、この子にも御礼を言いたい。
「もう、大丈夫です。やりましょう」
キュウはマリアステラと二人だけの場所で、己の願いと向き合った。
マリアステラにキュウの願いがマリアステラと同じだと聞いて考えたのだ。
キュウの役割は、主人に助けを求めることではない。
ずっと言っていたはずだ。
主人の願いは、キュウの願い。
キュウが主人と初めて出会った日、最初に、求められた。
最強の主人を最強たらしめることを。
“キュウ”はそのために生まれた。
キュウは主人を最強にする。
マリアステラの異世界召喚は、他の神が使っているものと決定的に違う点がある。
それは死亡した人間も異世界召喚しているという点だ。死んだ人間を蘇生して異世界へ移動させた、のとは根本的に違う。
マリアステラは世界記憶の中で見つけた者を自在に異世界召喚可能なのだ。同じ人物の若い頃と年老いた頃を異世界召喚してしまえそうな技術である。
そして同時に、未来の姿を異世界召喚することも可能。
ただの未来ではない。未来のどんな小さな可能性でも、それを見つけることさえできれば、召喚できる。
最強厨が真の最強になった未来を、キュウとマリアステラの全聴と全視が観測さえすれば―――。
黄金と虹に輝く星雲は、召喚陣である。
キュウとマリアステラは一つになることで、聴いて、視て、見つけたのだ。
「さぁ! 私の愛する魔王様! 見せて、視せて、魅せて!」
キュウは、何故か、この勝負は絶対に負けられないと思った。
「ご主人様! 私の、大好きな最強のご主人様! お願いします!」
ありとあらゆる情報の中、可能性のどこかに存在するはずの、最強の神を観測する。