第四百二十九話 キュウの存在証明 前編
「天烏さんっ!」
キュウは天烏へ<時>の神々から逃走するように頼んだ。
最新アップデートのプレイヤーたちとステータスやスキルの差異を考えたら、生半可な抵抗をしても僅かな時間しか稼げないだろう。けれど唯一、いくらアップデートを重ねても変わらなかった天烏だけは違う。
最速の生物がプレイヤーたちから逃れるために飛ぶ。
「おお、速い速い」
「本当に、何をしに来たのですか!?」
太陽神ケペルラーアトゥムへの攻撃は緩んだけれど、キュウの状況は悪化した。だから女神マリアステラへ向かって、思わず失礼な物言いをしてしまう。
自分でもこんなに強い言葉で他人を批難した記憶はない。狐の神タマの記憶にならあるけれど、キュウとしてはAI主人に見せたくない一面だった。
女神マリアステラが主人や大勢の神々に嫌われる理由が、嫌でも分かるというものだ。
「キュウの救援要請を受けて、助けに来た」
「助かってないです! この状況が視えなかったのですかっ?」
「あははは、キュウ、私は全知全能じゃあないよ。全知全能だったら、どれだけ楽しかったことか。だって全知全能だってことは、無限に何もかもを楽しめる能力も持ってるはずだから。あ、でも、この状況は視えてたけどね」
女神マリアステラはキュウと腕を組みながら、空いた方の腕でクルクルと人差し指を回す。
そうしている間にも、キュウの耳に爆発音が届いた。神々からの攻撃が来る。
「天烏さん!」
キュウを乗せて飛ぶ天烏が右に大きく旋回すると、先ほど飛行していた場所に巨大な爆風が吹き荒れた。更に勢い良く下降。同じように爆発を回避した。そして急激に上昇する。
「閃光・防御!」
キュウが天烏の後方に光の壁を造り出す。しかし何かの魔術攻撃が光の壁を砕いて、天烏の身体を貫いた。空中に天烏の血が噴き出す。
「最大・回復! ごめんなさい! でも、もう少し、頑張ってくださいっ」
回避できなかったことを詫びつつ、準備していた【治癒】ですぐに天烏の傷を癒やす。
「このままだと、あと五分も保たないよ」
「分かっています!」
「そうそう。分かるよね。今のキュウなら」
キュウは思わず手に持った刻限の懐中時計を握り締めた。無意識の内に、主人へ助けを求めている。AI主人であれば、キュウを助けてくれると頼ってしまう。
『おい、マリアステラ、取引を忘れてないだろうな』
「もちろんだよ、魔王様。何度も言うけど、何度も言うから強固になるけど、私と魔王様は、約束を破らない」
女神マリアステラは背後を振り返ると、キュウと組んでいない方の腕を掲げ、<時>の神々を指差した。
女神マリアステラの行動に警戒したため、<時>の神々の動きが止まる。トッキーのような巨大な権能を行使するのかも知れない。例えレベル一だとしても時間停止のような超絶能力であれば、文字通り一瞬にして全員を倒すこともできるだろう。
「あははは、塵芥が追っ掛けてくるなぁ」
「………あの?」
「キュウは知らないだろうけど、こいつらってさ、<時に忘れられた神々>なんだよ。ドラゴンとか、精霊とか、妖怪とか、現代では信仰を失った神々。もう、こいつらは神戯の中でしか生きられない。だから管理する世界も持たず、神戯に参加するため、ファーアースオンラインなんてVRMMOゲームやってたんだ」
虹の瞳が嗤う。
「私の世界が欲しい? 無駄な努力だよ。どうせお前らなんて、あと一億年もしたら消えるでしょ」
キュウは女神マリアステラの言動に息を呑んだ。
「だから私は、お前らの名前、一つも覚えてないし。そこの先頭のお前、なんの神? ワードプロセッサの神とか? そりゃ忘れられても仕方ないんじゃない? 誰も信仰しないよ」
すっかり感情を聞き分けることが多くなったキュウの耳に、<時>の神々たちの怒りが届く。
上下左右四方八方から降り注ぐ神威の怒り。
キュウの耳と天烏の翼は、曲芸じみた回避行動を続ける。幾度かの神業の果て、キュウの耳が行き止まりを聞き取る。
もうダメだった。どれだけ未来と周囲を聞き取っても、ここが終点だった。
死ぬ。生き残る方法はない。本気でそう思った。
天烏の翼が千切れ飛ぶ。天烏は重力に従ってキュウたちを乗せたまま落下した。天烏は残った翼で最後までキュウを守ってくれるようで、真っ白な翼が赤く染まっていく。
「天駆!」
キュウは腕を組んだ女神マリアステラを引っ張って、天烏から離れた。【浮遊】スキルにすべてを注ぎ込む。
<時>の神々の狙いは女神マリアステラだ。もう天烏を逃がすことしかできない。
「困るなぁ」
女神マリアステラがいかにも不満そうに唇を尖らせた。
「キュウは何がしたいの?」
「何が、って」
そもそも女神マリアステラが来なければ、もう少し状況が良かったのだ。質問したいのはこっちだし、恨み節をぶつけたくもなる。
「ねぇキュウ、キュウの望みは何? 私と同じじゃないの?」
キュウと女神マリアステラへ向けて、<時>の神々の最後の攻撃が届く。
黄金の耳を持つ狐と虹の瞳を持つ女神は、アクロシア大陸の空から消滅した。
◇
そこにはキュウとマリアステラしかいなかった。
比喩ではなく、世界にキュウとマリアステラ以外の何もかもがない。
キュウは<時>の神々の殺意に飲まれ、走馬灯を見ているのかも知れない。他人の走馬灯に平気で話し掛けてくるのは、いかにもマリアステラらしかった。
ここには天烏もいない。<時>の神々もいない。AI主人が宿った懐中時計もない。空に浮かんだオウコーもいない。
雲もない。空もない。地もない。音もない。光もない。時間もない。空間もない。
無だ。
世界に存在しているのは、恋人のように腕を組んだ二人だけ。
無の中にキュウとマリアステラだけが居る。
「さて問題。私なら未来の光景、キュウなら未来の音って何?」
いきなり何を言い出すのか、とも思ったけれど、彼女はいつも突然だった。
それでも彼女の質問のお陰で、少しだけ自分の状況を把握できた。これは走馬灯でもないし、まして死後の世界でもない。
「視覚で取得できるのは光の波形であり、聴覚で取得できるのは空気の振動です。だから未来で動いた空気の振動を、耳でキャッチして」
「あははは、酷い不正解。次間違えたら罰ゲームとして、キュウの尻尾の毛をバリカンで剃るよ」
マリアステラはやる。やると言ったらやる。太陽神や<星>の全戦力を以てして、キュウの尻尾の毛を剃ろうとするだろう。
寒々しくなってしまった自分の尻尾を幻視して震えた。
とは言え、質問の答えが欠片も分からない。未来視や未来聴の原理を説明しろと言われても、キュウに分かるはずがない。
「分からないです。だから、剃らないでください」
「本当に分からないの?」
「はい、分からないで………あ、れ?」
キュウの黄金の耳は、たしかに声も聞いている。
だがそれとは別に、どこかの何かを聴いている。
何かではない。
「キュウが聴いてるのは世界記憶、アカシックレコード、年代記なんて呼ばれる記憶媒体の内容だ」
その名称こそ記憶になかったものの、似たものに心当たりがあった。タマは神戯の管理者となる神には、共有記憶が存在すると言っていたのだ。
「そう。神戯では、世界記憶の一部が管理運営する神にアクセス権が付与される。でもキュウはそれに、私と同じように、アクセス権なしに接続できるんだよ」
マリアステラの笑顔だけがある。
「実はそこでさ。私だけじゃ、私が欲しいものを見つけられなかったんだ。私とキュウなら見つけられると思わない? 私たち、欲しいものは同じでしょ?」
キュウはしばらく考えてから答えを出した。
「どうすれば、良いでしょうか?」
「私をキュウという器へ入れる。もっと正確に言えば、タマがやろうとしてたことを私がやる。キュウの体験に沿えば、私の魂のアルゴリズムを、キュウへ上書きする。ああ、私はコピーできるような存在じゃないから、私自身がアルゴリズムコードになって書き込むって感じだけど」
「………………………嫌ですっ!」
キュウは急いで女神マリアステラを引き離そうとしたけれど、彼女と組んだ腕が離れてくれる様子はなかった。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと余ってる部分に入れるから。そうだな、二人で一つのアバターを使ってる感じ。キュウはちょっと二重人格になって、身体が勝手に動くって思えば良いよ」
「あの、何が大丈夫なのでしょうか?」
「終わったらちゃんと分離するし」
◇
「やった、のか?」
<時>の神々の一柱は、星の女神が異世界の空から消滅するのを見届けた。
しかし誰一人として喜ぼうとしなかった。遙か悠久の昔から存在する女神が滅びたのか、それが信じられずお互いに視線を交わして確かめ合う。
やがて視線は二つに集まる。
一つは自分たち<時>を率いているクロノイグニス。もう一つは<星>の大神であるケペルラーアトゥム。
二つの神の態度はすべてを物語っていた。
何も終わっていない。それどころか始まったのだと。
「ほんと、マリアは滅びたほうがみんなのためだろ」
「これが我が偉大なる神の願い」
次の瞬間、星の女神が消滅した場所から黄金と虹の光が吹き出した。
光は徐々に強くなり、渦を描き出す。
光は星雲のような形と成り、周囲を飲み込んでいった。
そして一際輝く中心星に在る、黄金色の毛を持つ狐人族の少女。
その少女は虹色の瞳で<時>の神々を見つめる。
「誰、だ、お前、は?」
「キュウです。私でもあるよ」
全聴の黄金の耳と全視の虹の瞳を持つ狐人族は、美しい尻尾をくるりと回した。