第四百二十七話 死中救活 前編
異世界ファーアースに最後の審判は下される。
神々はNPCもモンスターも等しく消し去っていく。
千年の時間続いた神戯が終わろうとしていた。
◇
キュウはトッキーの指差した方向アクロシア大陸で、絶望的な戦いが始まったのを聞き取った。
偉大なる時の男神と、その配下や同盟の神々。彼らはプレイヤーとしては、未来のアップデートで鍛えたアバターを操り、存在としては神戯参加者など問題にならない神そのものである。
キュウはキュウたちとオウコーの間で道を塞ぐ存在、偉大なる時の男神トッキーを倒さなければならない。迷っている場合でも、恐れている場合でもない。そうしなければキュウの大切なものが、何もかも消えてしまう。
「神域・爆裂!」
キュウは自分の放てる最強攻撃魔術をトッキーへ向けて放つ。先ほど覚えたばかりの、AI主人と共に敵を一方的に攻撃するハメ技である。この強大な神に通用するとしたら、これしかないだろう。
しかし魔術は、発動さえしなかった。
「どうして………?」
キュウはAI主人に問いかけようとして、自分の胸元に懐中時計がないことに気が付く。
「超聴覚で対象を決定し、AIフォルさんがコードを適宜書き換える、か。ゲームの頃だったら、無敵だったかもなぁ」
キュウが胸に下げていたはずの懐中時計は、空中に浮かぶトッキーの手に握られていた。
キュウは状況の理解が追いつかず、馬鹿みたいに目と口を開いてトッキーを見る。懐中時計に刻まれたAI主人からも驚きの感情が伝わってきた。
「おいおい、こんなんで驚いてるの? マリアなら当然のように見えただろうに、何も聞こえなかったかい?」
トッキーは懐中時計の針を勝手に動かして、時計の時刻を狂わせる。
「時の止まった世界の音。君の耳には聞こえなかったか」
キュウはその事実を告げられて、全身が凍りついたかと錯覚した。光も音も熱もない世界の記憶が蘇ったのかも知れない。
『時間停止、だと?』
「そうさ。吸血鬼にだってできるんだから、偉大なる時の男神って呼ばれる俺にだってそのくらいはね」
『なんだそれ、【時間魔術】? どうやってMMOに実装したんだ? 【重力魔術】を実装するのとは訳が違うだろ!』
「ははは、誰かが時間停止している間、ワールド全体が止まるとか? それ超クソゲーじゃん。今のはもちろん、俺の権能だぜ」
トッキーはAI主人の入った懐中時計の針を、グルグルと回して弄び続けていた。
『それもふざけんなよ。どんな才能の延長なら、時間が停止する? もっと科学を研究しろ。そんなの、お前だけ次元が違うぞ』
「それはまあ、伊達に<時>の派閥を率いてないってことで納得しない?」
『する訳ないだろ』
これでは戦いにさえならない。時間が停止している間に、心臓にナイフを一突きされたら終わりだ。今だってキュウの胸元から懐中時計を奪われただけで済んだけれど、トッキーがその気だったらキュウは既に死んでいただろう。
キュウはトッキーの気まぐれで生かされた、のだろうか。いや違う。トッキーは本気だ。少なくとも全力で彼の目的を達成しようとしている。だからこの状況で手心を加える意味などない。時間停止を使ってキュウを殺さなかったのには理由がある。
『いいか、キュウ、時間を無制限に停止できるなら、最初から全部トッキー一人でやれば良かった。それをせず、こうして攻撃にも使って来ないのは理由がある。神戯はゲームだ、ゲームには攻略法が必ずある。仕様を理解し、トライアンドエラーで挑め』
AI主人も同じ結論に至っていて安堵した。
「フォルさん、なんか遺言みたいじゃね?」
『トッキーに命を握られてる状況だからな』
トッキーは笑いながら、今度は懐中時計の紐を掴んでぶんぶんと振り回した。
それからキュウたちから視線を外し、上空のオウコーへ声を掛ける。
「オウさーん、まだー? とっとと『マリアの世界』への穴を開けておくれー。世界さえもハッキングした男なんだろー」
「それならファーアースに来てから、ずっとやっておるわ。そのせいで、モフモフを儂のものにし損ねた」
キュウと戦ったオウコーは、主人や神々さえも認める天才近衛天翔王光にしては弱いと感じていた。それは近衛天翔王光はその才能の大部分を、『マリアステラの世界』への侵略ルート開拓に使っていたからに違いない。
オウコーが道を開いた時、<星>と<時>、神々の戦争が始まるのだろう。
トッキーにはこの話をキュウたちに伝える意味はないのに、あえてキュウたちの目の前で話しているのは、どのような意図があるのだろうか。
「愚か、な。我が偉大なる神へ唾を吐きかけようと言うのか」
それは天烏の背中に乗せていた太陽神ケペルラーアトゥムの言葉である。彼女は傷付いた身体を押さえながら立ち上がり、オウコーとトッキーを睨み付けた。
「おそよう、ラーちゃん、目が覚めたかい。オウさんにやられた傷はどう?」
「ようやく目覚めたようじゃな、太陽の神。お前が気を失っていては意味がない。気が付いた時にはすべてが終わっていた、などでは我慢できんからな」
すぐにオウコーとトッキーの関心が太陽神ケペルラーアトゥムへ移る。
「最悪だ。我が偉大なる神への暴挙を聞かされたのだからな」
「そっか。可哀想だ。でもラーちゃんは、マリアを持ち上げ過ぎだぜ。実際、マリアの傍若無人が許されてたのは、ラーちゃんの献身があったからだ。俺ら神々の中だって太陽神を墜とすのは困難だから」
太陽神ケペルラーアトゥムは無敵だった。本体が姿を見せるだけで、およそすべての動植物は消滅する。数々の神話で語られるように圧倒的な信仰を持ち、オウコーさえも諦めるしかなかった。
そんな無敵の太陽は、今ここに存在しない。
「クロノイグニス、あなたが、直接、手を出せば良かっただろう?」
「いやだよ、俺だって火傷しちゃうぜ」
太陽神ケペルラーアトゥムから偉大なる時の男神トッキーへの挑発とも思える言動。トッキーは笑って受け流していたけれど、どこか違和感を覚える対応だった。
それでもキュウはその違和感を排除して、話題が途切れた瞬間を狙い神々の会話に口を挟んだ。
「ケペルラーアトゥム様、何か、私には聞こえないものが、見えますか?」
「今の私では、近衛天翔王光に勝てない。私と天使、遊戯盤に生きる者、お前たち全員の力を最大限に使っても、近衛天翔王光には及ばない」
目を覚ました太陽神ケペルラーアトゥムは、キュウたちと同盟を結んだとしても近衛天翔王光を破ることはできないと断言した。
それに対してAI主人が苦言を呈する。
『随分と簡単に諦めるんだな』
「簡単ではない。千年前に恐れていたことが、現実になろうとしているのだ」
『千年前ね。そんなに時間があったなら、もっと真面目に止めようとしろよ』
「私からオウコーへの干渉は、我が偉大なる神に止められていた」
『あのクソ女神め』
キュウは状況を冷静に観察しようと努める。絶望的な状況だけれど、希望がない訳ではない。
キュウには太陽神ケペルラーアトゥムが目を覚ましたことで、一つの案が浮かんでいた。
「もう、私たち以上に力を持つ方へ頼るしかありません」
キュウがここまで来て信じる人は、ただ一人しかいない。
「我が偉大なる神に助力を求めようと言うのか? それも無駄だ。我が偉大なる神は、この件に関して、近衛天翔王光を支持しておられる」
『なんで自分たちを殺しに来る側の味方なんだ。頂点が売国奴って終わりすぎだろ』
「我が偉大なる神の御心だ」
『お前らは、どうしてそこまで盲目的に従える? 俺の創った従者たちを見習え。みんな、俺が間違ってたらちゃんと指摘してくれるぞ。いいか、本当の信頼関係っていうのは決して一方的じゃない、互いを思いやった上で正し合えるんだ』
「我が偉大なる神に思って貰おうなど不敬である」
AI主人と太陽神ケペルラーアトゥムのやりとりは、神とそれを信仰する者の関係を示しているようだった。
「マリアステラ様のお考えは分かりません。でも私の言う方法は、マリアステラ様に救いを願うことではありません」
キュウはトッキーを、正確にはトッキーの手に奪われてしまった懐中時計を注視する。
「………懐中時計のご主人様の縁を辿って、ご主人様を召喚します」
里長タマはキュウが近衛翔を召喚するには、縁が足りないと言っていた。
だがAI主人は近衛翔の魂のアルゴリズムが刻まれた存在である。これ以上に主人と縁深いものはないだろう。
そして主人が召喚できたとしても力が足りない問題があった。主人の力は近衛天翔王光に奪われてしまったからだ。特に信仰心エネルギーや神戯のレベルは残らずオウコーに奪われてしまっていて、主人をそのまま召喚しても戦うための力がない。
けどここに、神戯の管理者にして膨大な信仰心エネルギーを持つ太陽神ケペルラーアトゥムがいる。
アーサーと勝利の女神ヴィカヴィクトリアがやったように、主人が太陽神ケペルラーアトゥムのエネルギーを使えるようになれば、きっと誰にも負けないはず。
キュウの宣言に最初に反応したのは、トッキーだった。
「いいね。やってみなよ。待っててあげるから」
トッキーはニヤッと笑みを見せて、懐中時計をキュウへ投げて寄越した。キュウは慌てて懐中時計をキャッチする。
最強の主人が太陽の信仰心エネルギーを使う。これ以上ない案のはずなのに、キュウの胸の内に不安が渦巻いていた。