第四百二十五話 最後の審判 前編
本日、小説家になろうがメンテナンスだったため、
更新時間がいつもより遅れております。
戦場にVRMMOファーアースオンラインのプレイヤーが現れる少し前、フィーナの母親であるテレーズは、大氾濫が始まってから最前線で奮闘を続けていた。もちろん最前線と言っても、戦場の最前線ではなく医療の最前線である。
「負傷者を一カ所へ集めなさい! 範囲魔術で一斉に癒やします!」
「お待ち下さい! それ以上は大司教の魔力が保ちません! それに、範囲魔術の効果は低く、そんなことよりも温存を!」
聖マリア教は大陸で唯一医療を担う組織であり、大氾濫では各地へ神官を派遣する。【治癒】の魔術を使えるのは、母なる星の女神の祝福を受けた【プリースト】のクラス系列だけであり、それが母なる星の女神を御神体とする聖マリア教が大陸最大の宗教となった理由である。
しかし神官たちの魔力は無限ではない。津波のように魔物が湧いて出て来る災害、大氾濫ではどうしても命の選択を迫られる。
十年前の大氾濫では、テレーズの魔力は各地の王族や将軍に万が一があった時のため温存された。今だからこそ言えるけれど、その判断が一概に間違っていたとは言えないだろう。テレーズの魔力が残っていたからこそ助けられた命はある。一人の命ではなく、大勢を指揮する者の命だ。他を見捨てることで、千人を万人を助けたのが十年前のテレーズだった。
その見捨てた中に夫が入っていたのは、娘との関係を悪化させた要因となる。父親を失った娘は冒険者となり、聖マリア教で約束された道を閉ざした。
テレーズは十年前のことは後悔していない。夫を見捨てて娘を救ったことを。もし後悔があるとすれば、今の娘を信じてやれなかったことだろう。
「エリアヒール・エクステンド」
【治癒】魔術を使った後、持ち歩いていた鞄から取り出した黄色の液体を飲み干した。黄色の液体に最初は忌避感を覚えたものの、この大氾濫中に何度も飲み干している内に慣れてしまった。
全身の魔力が戻って来るのが分かる。天空の王フォルティシモだけが持つ、超効果の魔法薬カキンアイテムの力は絶大だった。続けて範囲に効果のある【治癒】魔術を使い続ける。
テレーズはフォルティシモ陛下と再会した時、フィーナの母親だということで特別扱いされた。おそらくフォルティシモ陛下は、彼の母親に対して何らかの負い目がある。その代償行為として、過剰にテレーズへ優遇措置を執ってくれたのだ。
誰にも露見しないように秘密裏にレベル上げをしてくれたし、装備も鍛冶神マグナ謹製の魔法武具を渡された。大氾濫の直前には、大量の魔法薬カキンアイテムを送られたほどだ。
そのお陰で、テレーズは十年前とは一つか二つの桁外れの人々の命を救っていた。しかしレベルを上げて、一般には流通していない魔法武具に身を包み、超効能の薬を服用できても、疲労と眠気だけはどうにもならない。
大氾濫が始まってから、もうすぐ二日となる。二日間、不眠不休で負傷者を癒やし続けたテレーズは限界に達しつつあった。
案外、あの最強の力を持つフォルティシモ陛下が仲間を募り、国家に協力を求めるのは、睡眠や食事のせいなのかも知れない。そんなことを考えつつ、一時間だけ仮眠を取ろうと決意して戦時病棟となっているアクロシア王国の教会を出た。
アクロシア王国の教会の横には、三メートルほどの大きな岩が置かれている。邪魔なので撤去しようとしたのだけれど、母なる星の女神がこの岩を“モアイ”と呼んだという逸話があり残された。この世で唯一、女神によって名前を付けられた岩だ。
「そういえば、フォルティシモ陛下がモアイを知っていた、と言っていたけど」
最近テレーズは母娘で食事をする機会があり、その席でフィーナとキュウ王后陛下の話になったことがある。
フィーナとキュウ王后陛下が立場を超えた友情を育んでいたことは情報部から得ていたし、直接会ったことでキュウ王后陛下の人となりが好ましいものだと知っており、止める理由もなかったので笑顔で娘の話を聞いていた。
だからフォルティシモ陛下とキュウ王后陛下が逢瀬の際に、アクロシア王都にある聖マリア教神殿の広場まで来てその岩を見に来た話には、やはりモアイ岩が特別なのかと思ったものだ。
―――アクロシアに初めて来た時が、この広場でな
フォルティシモ陛下は、そう言ったらしい。冒険者ギルドや各国の情報、そして娘の話によれば、フォルティシモ陛下が初めて現れたのは『ブルスラの森』に間違いない。
それなのに、何故ここが初めてだと言ったのか。
「おお、美人さん。その装い、マリアの信者? どう俺に改宗しない? 今なら永遠の命と永遠の若さを付けちゃうよ」
そんなことを考えていた時、テレーズは何かに声を掛けられた。何かが何なのかは分からない。
何故ならテレーズは、その何かの姿を見る前に、跪いて頭を地面にこすりつけていたからだ。
偉大なる神の前では、許可なく話してはならない。許可なく音を出してはならない。許可なく動いてはならない。身に染み付いた教義があるはずなのに、大司教と呼ばれる地位まで登り詰めたテレーズが、身体の震えを止められなかった。
「ああ、そんなに畏まらないでよ。俺、いや俺たちは、ちょっとこの広場を使わせて欲しいだけだからさ。すぐに出発するよ」
教会横のモアイの広場には、次々と人の気配が現れる。
「ようやく<星>を喰らう日が来たか」
「へぇ、トッキーさん、ここがファーアースっすか」
「俺、この戦いが終わったら、プレちゃんに告白するんだ」
「フラれる確率、単発ガチャでMが出るのと同等とみた」
「成功率があることに驚きだわ」
「浮き足立つな。本番はこれからだぞ」
「まずはファーアースで大活躍、俺たち英雄、信仰対象」
「韻を踏んでるつもりなら、下手すぎて引く」
「おい、クロノイグニス様、準備万端だぜ」
次々に現れる人々が口にする内容は分からない。どんな集団なのかも不明だ。
共通するのは、一人一人がアクロシア王国の騎士以上の強大な魔力を持っていることと、その中の少なくない者たちが、人間を萎縮させる神のプレッシャーを放っていることだった。
「はーい、みんな、第二陣の邪魔になるから移動しようか」
ああ、この男神たちは、聖マリア教の大司教テレーズの前で、その意志を明確にした。
「マリアステラを倒すのは俺たちだ」
聖マリア教で信仰される母なる星の女神を殺すと。
◇
キュウが空の先へ上がった後も、ピアノたちは世界を焼き尽くす巨神への攻撃を続けていた。攻略がパターン化してしまえば、誰かがミスをしない限りどんな強大なモンスターでも倒すことができる。
何度目かのループで泥の巨人のHPを四分の一まで削った時、それらは戦場に現れた。
戦場を囲むようにして現れたのは空を飛ぶ従魔の群れで、その一匹一匹に人影が乗っている。
デーモンやエンジェルたちは、突如現れた謎の集団に戸惑いを隠せずにいたけれど、ピアノとアルティマには彼らの大部分に見覚えがあった。
「トッキーのチームメンバー、だと?」
「<エインヘルヤル>共も居るのじゃ!?」
その謎の集団の多くは、VRMMOファーアースオンラインで見覚えのあるプレイヤーだった。
それもかなりの課金をし、相当なプレイ時間を誇り、情報収集も欠かさず、集団を形成して勢力を作ったVRMMOファーアースオンラインのトップ層のプレイヤーたちだ。
すぐにオープンチャットに音声が流れる。
『なんだよ、ピアさん、俺の誘いは断ったのに、マリアの誘いには答えたのかよー! ぜってぇマリアのが性格悪いのにさぁ』
ピアノに話し掛けて来たのは、VRMMOファーアースオンラインで最大チームのリーダートッキーだった。プレイヤーの中にトッキーを知らない者などおらず、運営にも口利きできるほど顔が広いと噂されていた。
ピアノはVRMMOファーアースオンラインの頃、トッキーにチームに誘われたことがあった。しかしその頃のピアノは、誰とも深く関わる気がなかったので断った経緯がある。
「トッキー、お前、神様だったのか?」
『そうだよ。でもマリアみたいに、何でも思い通りになると思ってる性悪とは違うぜ。みんなの願いを聞き入れる、民主的な神様だ』
「………私を現実から救ってくれたのはあの人だ」
マリアステラは疑う余地もなく性悪だ。フォルティシモも大概な性格をしているけれど、マリアステラの悪辣さはフォルティシモ以上だろう。けれどピアノにとってマリアステラは真の意味で救いの神だから、彼女のことを悪く思えない。
フォルティシモ然りマリアステラ然り、ピアノは性悪と縁があるらしい。というか、自分の性癖が性悪好きだったらどうしようと思う。
「神様が、VRMMOゲームなんてやってたんだな」
『ん? ああ、そこは気付かなかったのか。あのゲーム、最初から俺たち用に作られてたんだよ。だから、あのクソゲーを必死にやってるプレイヤーの大半は神だぜ。俺のチームなんて、百人中九十九人は俺の仲間の神だし』
「まじかよ」
『おおまじ』
ピアノは心の中で、そりゃあ世も末だな、と溜息を吐いた。
「じゃあ【最後の審判】で、神様たちが好き勝手にやるってのは、信仰心エネルギーが目的か?」
【最後の審判】、それは最後の最後で最新アップデートから来た神々の圧倒的な力を示し、世界中から膨大な信仰心エネルギーを集める最後の収穫祭なのだろうか。
『目先の目的だけ見ればそうなるか。まあ補給の意味でファーアースを使うけど、この異世界はあくまで踏み台だ。俺たちはファーアースオンラインで、<星>の神々と戦える力を得た。ここを踏み越えて、マリアの世界を侵略する。そうして<星>は堕ちる』
「よく分からないが、もっとヤバイ話に聞こえる』
太陽神ケペルラーアトゥムは、神戯の信仰心エネルギーを世界救済のために使おうとしていたようだが、<時>の神々は違う。神戯を自分たちの戦力強化のために使い、異世界ファーアースを『マリアステラの世界』への足掛かりとし、<星>の神々を侵攻するために使う。
彼らにとって異世界ファーアースは、役割を終えれば不要な場所。そこに住む人々は、彼らの都合で産み出され、彼らの都合で選別される。神の審判を語った虐殺が始まった。