第四百二十四話 終末論
近衛天翔王光は神戯によって愛する娘を奪われた。だからあの日の近衛天翔王光は、<星>の神々を滅ぼすことにした。愛する者を奪われたという分かり易い動機であり、心より愛する存在を得て、それを奪われた者にしか理解しえない感情による復讐。自己分析の結果、あらゆる論理に従って<星>を滅ぼしても許されると判断した。
<星>とは、母なる星を中心とした神々の派閥の名前であり、最大派閥の一つである。そこに所属する神々は数多く、その中でも太陽神は絶対的な神威を誇っていた。
<星>の神々を打倒しようとした時、三つの不可能が立ち塞がる。
一つ目の不可能は、<星>の頂点マリアステラ自身が全視と呼ばれる存在であり、あらゆる権謀術数、策略や戦略、戦術や奇策が通用しない。加えて未来を観測して決定するという超越的能力を持ち、可能性に頼った作戦はすべてマリアステラに都合の良いように推移する。
二つ目の不可能は、マリアステラの腹心である太陽神ケペルラーアトゥムにある。神々と呼ばれる多くの存在は、力を行使するのに信仰心エネルギーを必要としていて、四十六億年輝く太陽への信仰の前に届く神はいない。さらに太陽本体が顕現すれば、生きることさえ困難だ。
三つ目の不可能は、『マリアステラの世界』だった。大勢の神々や天使が暮らすこの世界は、星々の世界のように広大でどんな存在も優しく受け入れる。その反面、招待されなければ例え神々でも足を踏み入れることができない。<星>は人が宇宙を開拓できないように拒絶している。
近衛天翔王光はそんな三つの不可能を破るため、長い時間を掛けてきた。
もしマリアステラがAIのように完璧な思考アルゴリズムで行動する、神の如き存在であれば付け入る隙などなかっただろう。
もし近衛天翔王光とクロノイグニスの元に、<星>へ並々ならぬ憎悪を燃やす狐の神が協力しなければ、太陽神ケペルラーアトゥムを引きずり下ろせなかったに違いない。
あとは『マリアステラの世界』。そこへ到達する方法さえ見つけられれば良い。そこへクロノイグニス率いる<時>の神々の軍勢を送る道を作ることができれば、近衛天翔王光の復讐は完了する。
『マリアステラの世界』は<星>と<時>、神々の戦争の主戦場となり、平和ぼけしている<星>の神々は蹂躙されるだろう。
マリアステラと<星>の神々は、愛する娘の感じた痛みを。太陽神ケペルラーアトゥムには、愛する者を失う痛みを。
もちろん『マリアステラの世界』へ道を作ることは簡単ではない。マリアステラはあの性格だ。大勢の神々から嫌われていて、恨んでいる神も少なくない。それなのに誰一人『マリアステラの世界』へ到達できていないのは、三つ目の不可能がそれだけ強固だからだった。
しかし今、この神戯ファーアースには、一つの軌跡が残っていた。
黄金狐の少女が『マリアステラの世界』へ行った事実。
それを解析する。『異世界ファーアース』から『マリアステラの世界』への道を模倣して造り出す。『異世界ファーアース』を踏み台サーバーにして『マリアステラの世界』へ繋ぐ。侵攻ルートの開拓だ。
オウコーは異世界ファーアースの上空から世界を見下ろし、その作業の合間、以前クロノイグニスと交わした会話を思い出した。
◇
「最後の審判って何だと思う?」
それは近衛天翔王光が自分の屋敷の地下で、マリアステラとの取引によって運ばれて来た神戯ファーアースへ干渉できる端末を操作している時だった。
近衛天翔王光はその才能を遺憾なく発揮しながら、解析と創造を続けていた。その背中に、琥珀色の液体が入った硝子瓶を掲げたクロノイグニスが話し掛けて来た。
硝子瓶の中身は時価百万ほどの五十年もの高級ウイスキーで、娘が初めて立った記念日二十周年に送ったら受取人不在で返って来たものだ。その他にも、娘がしゃべった、娘が文字を書いた、娘が転んだ、娘がパパと呼んだ、娘がピーマンを食べたなどの記念日に数十年の間毎年プレゼントを贈っている。
「システィーナ礼拝堂の天井画は、なかなかのものじゃった。見に行きたければ勝手に行って来るが良い。パスポートくらいは用意してやる。神にも芸術は理解できるだろう」
「そうじゃなくて、もっと神様的な質問の回答を聞きたいんだよ。たとえば拝火教の最後の審判では、絶対なる善神と絶対なる悪神の戦いによって世界が滅びた後に始まる。それから地上に人類史上死亡したすべての死者が復活するけど、悪人は神の火によって浄化され、善人だけの理想世界が生まれるってものだ」
近衛天翔王光は手を止めてクロノイグニスを振り返った。
「世界一可愛くて賢くて将来はパパのお嫁さんになると言っていた愛しの我が娘と、儂が生きるに相応しい世界だな」
「そうだねー。まあこれは善悪二元論の世界観だから極端だけど、他の話も似たようなものでさ。有名なノアの方舟だって、何が生者と死者を分けたのか、今から見れば不明なんだ。善人として偉大なる主と契約した者たちの子孫が今の人間たちにも関わらず、今の生きる人間が絶対善だなんて、子供でも信じてない」
「ノアの方舟は、最後の審判ではないじゃろう」
クロノイグニスは硝子瓶を呷り、すごい勢いで琥珀色の液体を胃へ流し込んだ。娘に飲まれなかった五十年もの高級ウイスキーの不幸を思う。
「世界の終末としては、一つの結論だと俺は思ってる。そして最後の審判と対極に見えるのが、神々の黄昏だ。エウヘメリズムの弊害とも言えるけど、北欧神話は顕著に、ギリシャ神話は少しずつ、人間ではなく神々の終わりを描写している」
「王権神授、神から人への移行こそが神話の肝じゃろう。神武天皇も太陽神の末裔となるくらいだな」
「そこだよ。神話は人間が主人公なんだ。最後の審判っていうか、世界の終末の後って神はどうなる? 善人だけの理想世界を創って終わり? そこで神々は滅びる? 人間に都合が良い神様は、それで良いかも知れない。神思うが故に神はあるから。でも神々の幸福はどこにあるんだろう」
近衛天翔王光はクロノイグニスの目を見て、彼が冗談で言っている訳ではないと悟る。コミュ障魔王と呼ばれている孫と違って、近衛天翔王光は会話技能も優れているのだ。
相手の考えを見通し、相手の立場になって考え、相手が欲しがっている返答に己の意見を織り交ぜることができた。ただし、できるだけで使うとは限らない。
「ならば最後の審判を超えた人間は、神に至るのだろう。神が神に似せて創った人が、神に至ることで完成した。神は滅びたのではなく役割を終えたのだ。最後の審判と神々の黄昏は同じ現象である」
「やっぱ俺は、オウさんを愛してる」
「儂を愛するのは自由だが、儂の愛は娘にしか向かん」
近衛天翔王光は話が終わったと判断して、再びマリアステラから貰った端末へ向かう。
「異世界ファーアースの【最後の審判】、俺が<時>の全員を招集するぜ。【最後の審判】なら神戯のシステムに則って異世界ファーアースへ行ける。あとは異世界ファーアースから、マリアの世界への道を開いてくれたら、始まりだ」
◇
> 【最後の審判】が開始されました
キュウは情報ウィンドウのメッセージを見て、急いで周囲を見回した。開始と同時に天が変わったり、彗星が降って来たりはしないようだった。
「何が、起きるのでしょうか?」
『分からないが、碌な事じゃないだろうな』
「その、【最後の審判】では、今まで遊戯の傍観者だった神様たちが、襲ってくるって」
『そう聞いていたが』
「フォルさん、相変わらず、こういうことには疎いね。狐も、まだまだ俺たちと比べるには未熟だ」
キュウたちの目の前で浮くトッキーが、地上を指差す。
キュウは超弩級ハリケーンに覆われたアクロシア大陸を見下ろした。視線はハリケーンによって遮られていたけれど、キュウの耳ならその先まで知覚することができる。
「あの人たちは?」
そこに居たのはVRMMOファーアースオンラインのプレイヤーだった。
もっと詳細に表すのであれば、主人よりも未来のアップデートでアバターを鍛えた<時>の神々が、主人以上のプレイヤーとして、主人以上の神戯参加者として、神戯を弄ぶ神として降臨した。
「フォルさん、実はさ、ファーアースオンラインのトッププレイヤーってほとんど俺の仲間だったんだぜ」