第四百十話 残された者たち 前編
キュウは気絶するように眠ってしまった里長タマを、屋敷の客間へ運んで寝かせた。布団を敷いている暇もないので、畳の上に転がすような形になってしまったのは勘弁して欲しい。せめて客間へ運んだことが、キュウから宇迦への最後の気持ちだ。
「キュウ!」
「キュウさん!」
ちょうど里長タマを運び終わった時、玄関からキュウを呼ぶ声がしたので急いで廊下を走った。キュウは玄関の人影を見て、思わず歓声を上げる。
「アルさん! ラナリアさん!」
主人の従者は主人と一緒に消えてしまったはずだったけれど、そこには自分と同じ黄金色の狐人族アルティマの姿があった。そんな彼女の姿に、これほど安堵を覚えたことはない。初対面で主人に似ている常識外れな人だと思った彼女が、今はとても頼もしかった。
「セフェさんから状況を聞いていますか? 聞いていないのであれば、すぐに共有します」
「セフェさんも残っているんですか!? お願いします! 私からも、話したいことがあります」
ラナリアが喜びよりも状況把握を優先したので、キュウもそれに習う。
それにキュウはセフェールをとても信頼していた。理由は、主人が必ずと言って良いほどキュウの護衛としてセフェールを付けてくれたからだ。
余談だが、アクロシア大陸で主人の妹と噂されるセフェールは、実際のところ主人の娘のような存在らしい。アルゴリズムから主人が創造した唯一の従者という話だ。全部は理解できずとも彼女がいつも一緒にいてくれた記憶は信頼できるし、彼女が一番主人に似ていると思っている。
ラナリアは主人が、カリオンドル皇国の初代皇帝にして主人の祖父オウコーに身体を乗っ取られたことを説明してくれた。
それによって主人の従者たちはファーアースの世界から消えてしまった。それでもファーアースに肉体のあったセフェールは残れたが、エネルギーの不足により休眠してしまったらしい。
「………アルさんは、何故、残れたのでしょうか?」
「な、なんじゃ!? 妾がいることが不満か!?」
「そんなことはありません! アルさんがいて、本当に良かったです! でも、なんでアルさんだけは残っているのかな、と思いまして」
「妾が残れた理由は分からないのじゃ」
キュウは頭と耳と尻尾を横に振るった。それからアルティマと鏡合わせのように、耳をピクピクと動かして、尻尾を振ってみた。
キュウの感じた疑問は主人が戻ってきた後に一緒に考えれば良いかも知れない。しかしキュウが里長タマのコピーだという事実を知った今、同じ黄金色の狐人族のアルティマが残っていることが、敵の策略である可能性は捨てきれない。
キュウは何の根拠もないけれど、その可能性を捨てた。キュウの黄金の耳は、アルティマが絶対に味方だと聞き取っている。だったらキュウは大先輩アルティマを信じるだけだ。
「アルさん、ラナリアさん、私からは―――」
キュウは里長タマとのやりとりを仔細漏らさずアルティマとラナリアへ共有した。少し時間が掛かってしまったけれど、緊急事態だからこそ、知る限りのことを話しておくべきだと思ったのだ。
ラナリアとアルティマの二人は、キュウの話に適度な相槌を打ちながら話易いように誘導してくれた。キュウも自分が冷静である自信がなかったので、二人の理性的な対応はとても有り難い。お陰で気持ちが落ち着いた。
「キュウさんが、タマ様のコピーで、プレイヤーに? ………アルさん、アカウントというものは、どのようなものなのでしょう? 簡単に奪えたり、譲渡できるものなのでしょうか?」
「妾もプレイヤーではないゆえ、絶対ではないが。この世界にある概念で近いのは、演劇の役割と俳優だと思うのじゃ」
アルティマはこれまで主人が演じていた役割が、オウコーに奪われたのだと説明した。しかしアカウントという概念がアクロシア大陸では存在しておらず、ラナリアも少しばかり厳しい表情をしている。
キュウは『マリアステラの世界』へ訪れた際に、アカウントの概念を感覚的に理解していたけれど、やはり説明できる言葉を持たない。
「完全な理解が及んでいるかは分かりませんが、限られた器を奪い合うのは神々の遊戯でも同じ。キュウさんがタマ様から聞いたフォルティシモ様を取り戻す方法は、間違ってはいなさそうですね」
「ご主人様のお祖父様と交渉するということでしょうか?」
近衛天翔王光と交渉して、もう一度主人と交代して貰うのは、誰でも考えつく現実的な解決方法だ。しかしキュウたちは主人のこれまでの態度から、近衛天翔王光に良い印象を抱いていない。
キュウなんて、いつか戦うことになるかも知れないと考えていたほどである。それが確信へ至ったのは、里長タマに主人を呼び戻す方法を教えて貰った時か、太陽神ケペルラーアトゥムに戦うべき相手を指摘された時か、怨敵クレシェンドの創造主がオウコーだと知った時か、もしくは生まれた時からか。
「無理、でしょうね。私たちだけでのオウコーとの交渉は、避けるべきだと考えます」
「ラナリアでも駄目なのか? 主殿とも上手く交渉したと聞いているのじゃ」
「アルさんに高く評して頂けるのは嬉しいですが、交渉材料がどこにもありません。こちらの要求を呑んで貰うために尽くすのは、もはや取引ではなく従属です。フォルティシモ様とは違い、情にも流されないと思われます」
キュウの知る限り誰よりも交渉ごとが得意であるラナリアがそう言うのだから、オウコーはそちらの方面でも恐ろしいほどに優秀なのだろう。
「またオウコーは自己中心的であり、他者との約束を違える人間性を持っているようです。仮に、何でも差し出すからフォルティシモ様と代わって欲しいと願っても、利用されるだけされて捨てられるでしょう」
キュウはラナリアからオウコーへの辛辣な人物評価に、少しだけ驚く。
キュウは心のどこかで、あの主人の祖父なのだから、きっと主人と同じくらいの情の厚さ、そして倫理観や道徳観を持っていると思っていた。しかしラナリアはそう考えなかったらしい。
「フォルティシモ様を取り戻すには、別の方法が必須です」
「うーむ。しかし妾たちだけでできることは、余りにも限られているのじゃ」
「そうですね。ですからその方法を探すのと同時に、オウコーへの交渉も準備しなければなりません」
「むむむ? 今のラナリアは、真逆なことを言っていないか?」
「いいえ、交渉するのと、交渉を準備するのは、まったく意味合いが異なります」
キュウにも何が違うのか分からなかったけれど、きっと政治の世界では違うのだろう。
「オウコーの思惑を徹底的に叩き潰して、交渉させて下さいと言わせることができれば、私たちの勝ちです。取り急ぎ、太陽神ケペルラーアトゥム様を支援しましょう。もちろん背後から刺す準備も怠りなく」
「え?」
「なるほど! 妾に任せるのじゃ!」
「え?」
キュウの耳で分かっていることは、ラナリアが怒っているということだ。彼女は静かに怒っている。
「キュウさんが頼りです」
キュウは二人の話し合いに割り込めず、やっぱり自分は未熟だ、と思っていると話を向けられた。
「私も全力は尽くします。ですが、どうしたら良いのかは、分からないです」
「いいえ、キュウさんだけだと思います。アルさんや私では、どこまでいってもオウコーに及ばない。しかしキュウさんだけは違います。キュウさんだけは、オウコーを超えられます」
ラナリアはキュウの両手を握り締める。
「正直、最初会った時は、キュウさんを蹴落として、私がフォルティシモ様の寵愛を得ようかと思ったんですよ?」
茶目っ気たっぷりな表情は、ラナリアのような知的な美人がやると凄まじい威力だ。キュウに同性愛者の気はないけれど、いつもの毅然とした態度とのギャップで可愛いと思ってしまう。
「でもすぐに分かりました。キュウさん、あなたは、私では及びも付かないような天賦の才を持っています。だからキュウさんとお友達になれたこと、凄く感謝しています」
「………私も、ラナリアさんが居てくれて、良かったです。ラナリアさんが、私と一緒になってくれて、だから、私は」
キュウは抑えていた気持ちが思わず口から漏れるのを感じる。一年程前、キュウは主人の奴隷になった。そのすぐ後にラナリアも主人の奴隷になったのだ。最初は容姿も頭もキュウより上のラナリアに劣等感を抱いていた。でも、すぐに彼女へ感謝するようになった。
同じ奴隷という立場でもぐいぐいと主人へ意見するラナリアは、キュウもそうして良いのだと言う姿を見せてくれた。ラナリアは圧倒的なレベルとスキルを持つ他の従者たちとも対等に渡り合うから、主人の従者だから凄いのではないと思えた。
たぶんキュウは、主人の下にいた奴隷がキュウだけだったら、色々なことを諦めて卑屈になっていただろう。
アクロシア王国がエルディンに侵略された日。
運命に出会えたのは、キュウにとっての幸運だ。
『キュウちゃんはいるか!?』
「ピアノさん!」
キュウは主人の親友ピアノの声が情報ウィンドウから届いて、思わず大袈裟に声を上げた。それはラナリアとの会話が思った以上に気恥ずかしかったせいだ。