第四百八話 プレストの見た世界 後編
プレストは近衛天翔王光の豪邸の客間で偉大なる時の男神なる青年と出会った後、また別の部屋へ案内された。
その部屋は全体的に薄暗く、室温は真冬のように寒い。飾り気はほとんどない代わりに、衣装棚のような箱がいくつも置かれていた。箱の中では何かが動いていて、チカチカと蛍のように小さな光を灯したりしている。他にはゆったりとしたソファやベッドなんかもあった。
プレストはオウコーに聞きたいことが山ほどあるのだが、偉大なる時の男神が頭の後ろで手を組みながら付いて来るものだから、彼とオウコーの会話を邪魔する気にはなれなかった。
オウコーは衣装棚の一つへ向かい、目元が隠れてしまうわりに脆そうな兜を手に取り、何やらチェックをし始める。自然とプレストと偉大なる時の男神が取り残された。
「やあ、挨拶が遅れたね。俺はクロノイグニス、オウさんは偉大なる時の男神なんて呼んでたけど、その程度の存在だよ」
偉大なる時の男神は人なつっこい笑顔で挨拶し、右手を差し出して来る。
次の瞬間、プレストは思わず跪いて頭を垂れていた。それ以上は、許可がなければ口も開かない。
「ああ、なるほど。君、俺たちを理解できる程度には、存在の格が上昇してるのか。参ったな。マリアとは違って、こういうの苦手なんだ。許可するよ。今後、俺に傅く必要はない。仲良くしようぜ。何せ、同じゲームをやる仲間だ」
プレストは許されたため、頭を垂れたまま口を開いた。
「某が名はプレスト。角付きと呼ばれる一族のはみ出し者でございます。此度はオウコーに助力を請い、太陽の神によって奪われた故郷の地を奪還するべく戦っております」
挨拶と簡単な自己紹介をされたので、そのまま返す。
「それならプレちゃんで良い? プレちゃんさ、どうやってオウさんと仲良くなったの? 正反対の性格っぽいけど、だから惹かれ合って愛を育んだとか?」
「は? 某とオウコーがですか?」
プレストとオウコーが愛し合っているなんて言われて、思わず本気で嫌な返しをしてしまった。
「ジョークだってっ、でも今のは良かった。俺が望んでるのって、そういう反応だから」
偉大なる時の男神クロノイグニスは、間違いなく太陽の女神を上回る神だ。それなのにプレストはどこか馬鹿馬鹿しくなって来て、傅くのを止めて立ち上がった。
角付きたちが母なる大地を奪われ、絶対無敵にも思えた太陽の女神。短期間でそれを超える相手と出会い、こうも馴れ馴れしい態度を取られてしまうと、もうプレストの常識で対応する方法が思い浮かばなかった。
何も言わずに黙っていても、異常に傅いても、彼の意に背いてしまう気がする。彼はプレストの自分らしい対応を望んでいて、それを受け止めてくれる包容力がある。
「ではクロノイグニス殿」
「おお、殿とかかっけぇ。何かな、プレちゃん」
「クロノイグニス殿は、我らが母なる大地を奪い取った、神戯ファーアースにどこまで関わっておられる?」
「最初から全部」
偉大なる時の男神は語ってくれた。
「俺とマリアが、新しい神戯で遊ぶ約束をしたんだ。でさ、俺とマリアって、仲悪いんだよね。種目決めるのも大変で、だったら人類の中で、最も才能のある奴に決めさせようってことになって、オウさんを見つけた。その後は、オウさんを色々と説得して、オウさんが作った世界VRMMOファーアースオンライン、この時はまだアルファ版だったけど、それで神戯を始めた」
これはプレストの想像に過ぎないけれど、<星>と<時>は戦争をしていた。神々の戦争だ。永い、本当に永い戦争の中で両陣営は疲弊し、決着を別の形に委ねることになった。それが神戯ファーアースなのではないか。
角付きの母なる大地は遊び場なんかではなく、神々の代理戦争の場として選ばれた。そう思ってしまうのは、自分たちの世界に意味があったと思いたいプレストの願望だろうか。
「プレちゃんとこの世界を選んだのは、広さや困窮具合、滅びに瀕してたって点から都合が良かったからだ。最終的に選んだのはオウさんだって言い訳しても良いけど、選ばせたのは俺らだからオウさんは責めないようにね。角付きだけじゃなくて、君たち全員が世界を救う可能性を残せたって言うのは、俺たちの自己満足かな」
プレストは額に手を当てた。自分は今、すべての元凶の前に居る。そしてプレスト個人がどれほど足掻いたところで、この流れを止める方法が思い浮かばなかった。
「教えて欲しい。某に、故郷を取り戻す方法はあるのだろうか?」
「ゲームの行く末次第だ。まあ、取り敢えずさ、一緒にゲームやろうぜ。VRMMOファーアースオンライン、神戯ファーアースの元になった試戯。これからオウさんが、いっぱいアップデートして面白くしてくれる。VR世界では、違う自分になれるんだ。成りたい自分に。そしてその自分で、神戯に参加できる」
オウコーが両手に兜を持って、プレストとクロノイグニスの前に立った。
「儂が神戯ファーアースのアップデートを行う前に、お前たちには事前にアップデートを体験させる。先に実装を知っているのだから、有利に戦えるだろう」
その後、プレストは偉大なる時の男神と共にVRダイバーなる機械、魔法道具に見えるが魔力を一切使っていない不可思議な道具を使った。
『プレちゃん、キャラクリ終わった? 名前は何? すぐにフレ録しようよ』
「某が作ったアバターは、限界速度。某は、立ち止まらない」
『おっけー、俺のキャラ名は―――トッキーだよ、フレンド申請したから、承認よろしく」
トッキー、その名前はこれより遙か未来で、最強厨魔王に最も近しいプレイヤーとなる。世界を焼き尽くす巨神が実装された日、唯一その最強厨魔王と会話したプレイヤートッキーは、この日生まれた。
プレストは近衛天翔王光の豪邸を自由に使って良いと言われ、そこで最初こそ戸惑いつつ、異世界で生活をしながら、VRMMOファーアースオンラインをプレイする。
VRMMOファーアースオンラインは神戯ファーアースと酷似していたが、いくつか違う点がある。
まず死亡してもデスペナという多少の損害を受けてセーブポイントへ帰還するだけで、実際に命を失うことはない。これは情報収集に特に強大な意味を持つ。
ほとんどの場合、異世界ファーアースで危険地帯へ足を踏み入れた者は、生きて帰って来られない。生きて帰って来られないということは、情報が失われるということだ。だがVRMMOファーアースオンラインでは、死亡しても戻って来られるため、危険な場所、危険な攻撃、魔物の生息地、攻撃パターン、有効なスキル、何もかもをほぼ完璧に持ち帰ることができる。
ログアウトと呼ばれる力を使い、VRMMOファーアースオンラインという世界から離脱できることも地味ながら大きい。食事、排泄、睡眠は、魔物との戦いで最も頭の痛い問題だからだ。魔物たちはこちらの事情を慮ってくれない。だからどれだけ強者でも、一人では戦い続けることはできない。しかしログアウトしてしまえば、いくらでも休憩して万全な状態を整えられる。
そして何より反則と言いたいのは、“課金”の力だ。
使っただけで何倍もの成長速度を得られる。一定時間己の力を何倍にも増加させる。休んでもいないのに傷が治癒し魔力や気力が回復していく。魔法武具は魔物との戦いで刃こぼれしなくなり、魔法薬は無限に手に入る。極めつけに異常な性能の魔法道具の数々。プレイヤーたちの力の一旦、身を以て知った。
そんな日々の中で、プレストは偉大なる時の男神クロノイグニスへ問いかけたことがある。VRMMOファーアースオンラインではトッキーをリーダーとしたチームを組んでいるけれど、オフラインで会うのは久々だった日だ。
「トッキー、お前はどうしてそこまでして<星>と戦う? オウコーに協力する義理だってないはずだ」
「藪から棒に今更の疑問だね。しかもリアルでアバター名呼ばれるの恥ずい。ま、俺にとってオウさんは、それだけ特別ってだけじゃ駄目?」
「答えたくないなら良い」
「待った待った! 別に答えたくないんじゃないよ」
慌ててプレストを制止する姿は、最初に出会った時の威厳がすっかりなくなってしまっていた。
いや、プレストは慣らされてしまった。偉大なる時の男神クロノイグニスの思惑通りに、彼の望むプレスト本来の言動を、彼の前ではしてしまう。今でも、本気で彼を感じようとすれば、その恐ろしさに身体が竦むのに。
「オウさんって天才でしょ?」
「認めたくはないが、そうだろう。オウコーは、天才だ。神戯に参加している天才たちと比べても、いや、他の天才が陳腐に思えるほど、真の天才だろう」
「でしょ? でさ、俺は天才って、世界を早める存在なんだと思うんだ」
「世界を早める?」
「そそ。だから俺は、オウさんを愛してるわけ。俺はオウさんを愛してる。オウさんのためなら、何でもする」
プレストが寝る間も惜しんでVRMMOファーアースオンラインをプレイしている時も、オウコーはいつもどこかへ出掛けていた。
そんなオウコーが久々にプレストの家へやって来て告げたのは、新しい、本当の戦いの始まりだった。
「プレスト、お前のアバターはどうだ? 儂の金で課金したのじゃ。そろそろキャラクターを最強まで鍛えられたか?」
「かなりの強さには至った。しかし、最強ではない。魔王と呼ばれるプレイヤーが君臨していて、そのプレイヤーの強さが異常だ。もし魔王がファーアースへ来たら、神を墜とす本物の魔王になるかも知れないな」
プレストの口調は軽口だったけれど、オウコーの返答は意外な嬉しさを見せるものだった。
「これは儂の血の力か。さすわしじゃな。しかしあの子の復讐をするのに、これほど相応しい者もおらん」
「お前の血だと? あのVRMMOファーアースオンラインの魔王は、お前の血族なのか? だとしたら、オウコー、お前はどこまでこの状況を読んでいた? 最初から、ディアナも某もお前の計画の一部か?」
「すべて、儂のミス。儂の失敗。儂の誤算。あの子が、あの子が、死んだ。儂は奴らを許さん。奴らを虐殺する。それだけはプレスト、お前と同じ気持ちであろう? それ以外に何か、理由が必要なのか?」
プレストはオウコーの血走った目を見て、この件について、それ以上詳しく尋ねることができなかった。ただ分かるのは、近衛姫桐が殺されたのは、本当に想定外だったのだ。
ならば太陽神ケペルラーアトゥムは、この天才の策謀の上をいったのか。
「クレシェンドも再び神戯ファーアースへ戻った。お前もあの地へ戻り、クレシェンドと合流しろ。指示は追って出していく」
「最後に一つだけ聞かせろ」
「意義のある質問ならばな」
偉大なる星の女神、偉大なる時の男神、太陽の女神、天才オウコー、あまりにも遠く離れた世界の住人たちの戦い。
「某がオウコーに賭けようと思ったのは、オウコーが勝てると思ったからだ。勝てるのだろうな?」
「この儂が、神ごときに敗北するとでも思ったか?」