第四百七話 プレストの見た世界 前編
時間は異世界ファーアースの約千年前に戻る。
デーモンの女武者プレストはプレイヤーオウコーに連れられて、オウコーが生まれ育った異世界へやって来た。どうやって来たのかはプレスト自身分からなかったけれど、オウコーは世界を渡る技術を持っているらしい。
そしてプレストは、信じられない光景に息を忘れる。
森の如く聳え立つ鉄の摩天楼は一つ一つが山のように高く大きく、何とか建造物だと分かるのは透明な硝子から中に動き回る人々が見えるからである。
動き回る鉄塊は内部に人を飲み込んでいて、中の人々は談笑しながら鉄塊の行動を疑ってもいない。馬車だって馬を操って行き先を見るはずなのに、彼らは前すら見ていなかった。
空を飛ぶ鉄鳥。轟音と共に空を駆けたそれは、魔物ではなく乗り物なのだと言う。数百人から数千人を乗せて運ぶ空の化け物だ。あんな超上空からなら、一方的に攻撃を仕掛けられるのではと短絡的なことを考えた。
「ここがオウコーの世界なのか」
オウコーは灰髪銀瞳の美少年ではなく、純人族で言えば七十代ほどの年老いた男性になっていた。この老人こそがアバターオウコーを操る近衛天翔王光。年老いてから生まれた娘に孫がいると聞いていたので、想像通りの外見だった。
「さっさと来い。この世界の時間は短い。ディアナもそこまで驚愕で時間を無駄にしなかったぞ」
「そのディアナと約束した。必ずオウコーを連れて帰るとな。だから今の余裕のないオウコーに文句を言おう。その体たらくで太陽を墜とせるのか?」
「悪魔の癖に律儀な奴じゃな」
「本物の悪魔は契約を遵守するらしい」
オウコーが手を挙げると、タクシーと呼んでいた無人の鉄塊が止まった。鉄塊は流暢な言葉をしゃべれるようで、『行き先はどちらでしょうか?』と尋ねられてオウコーが答えていた。
「魔物でもないのに、鉄の塊に生命があるのか?」
「自動運転レベル五のタクシーだ。AIが主体という意味においてはレベル六と言えるか。儂が研究開発し、各国の自動車産業へ売りつけてやったわ」
「常々思っていたが、オウコーの説明には不明な単語が多い。もう少し某にも分かる言葉を用いてくれ」
「儂の言葉を理解できない己の無知を恥じろ」
鉄塊の速度はなかなかのもので、プレストが自分で走るのよりは遅いものの、馬車に乗るよりは速い。何よりも舗装された道路を走る鉄塊の乗り心地は快適だった。そして鋼鉄の摩天楼の中でも一際大きな建造物まで連れて来られる。
オウコーは透明な門を守る警備兵の男たちとやりとりをして、上下に移動する部屋を使って巨大建造物の最上階へ向かって行く。当然プレストも一緒だった。
プレストが最上階の部屋へやって来ると、その光景に感嘆の溜息が自然と漏れた。最上階の部屋は、絵画に彫像、宝石など、プレストでも理解できるほど美しい芸術品ばかりが飾られているのだ。
オウコーの異世界に来てから理解不能なもので驚き通しだったプレストだから、部屋に飾られている物品が素晴らしいものだと理解できて安堵と感心が一気に溢れ出てきた。
しかしそれも数瞬しか続かない。
最上階の部屋の中央に場違いな少女の姿がある。プレストたちの位置からは椅子に座った後ろ姿だけが見て取れる。
プレストはその少女の後ろ姿を見ただけで、足を動かすことができなくなった。
一見するだけなら、体付きは到底戦士とは思えず、背も高くない金髪の少女に過ぎない。こちらを向いてもおらず、何か平べったい板に映された動くものを見つめている。その姿は隙だらけで、プレストの位置からであれば一足で首を撥ねられるはずだった。
なのに理解した。
理解して動けなくなった。
プレストの全細胞が、魂が、存在が、これは人では届き得ぬ何かだと、近付くべきではないと警鐘を鳴らしている。
「どういうことだ!? 儂が神戯に勝利した時、その権利を儂の可愛い娘に譲るという約束ではなかったのか! そのために、儂にファーアースを開発させたのだろう!?」
そんな何かに対して、オウコーが詰め寄ろうとする。何かはこちらを見向きもしない。
プレストにとってオウコーの発言は聞き捨てならないものだったのだけれど、それ以上に目の前の何かが恐ろしくてそれどころではなかった。
何かはオウコーの恫喝に、背中を向けたまま応えてくれる。
「近衛天翔王光、私の許可なく口を開いた無礼は許そう。私は何も約束を違えていないよ」
「では、どうして太陽の神が、儂の、儂の娘をっ!」
「他の神からの妨害を私の責任にする? あははは、面白いね。近衛天翔王光、お前が言うから面白い。他人には期待しないお前が、私を責めるか。その面白さに免じて、対応してあげよう」
何かはくるりと椅子を回して、オウコーとプレストへ顔を見せた。
もし宗教画や女神像の存在が顕現したら、正にこのような姿を取るのだろう。正面から直視しただけで思わず跪いて頭を下げたくなってしまう。プレストはようやく、足だけでなく全身が動かない自分に気が付いた。
人間の中にも従いたくなるカリスマ性や将来を感じさせる大器はいる。しかし目の前の何かは、そんなものはすべて人のものだと言わんばかりの、絶対なる上位者と下位者の関係を示す神威を感じさせた。
ああ、ここにおわすは偉大なる神である。
虹色の瞳が二人を貫く。
「私はお前が何をしても良いと言った。お前がいくら神を殺そうと、例え私の従属神や派閥の神をいくら殺そうとも、私を狙おうとも自由にして良いよ。そして私は、お前に約束を果たさせるため、お前を殺すなとは言う。やったね。超有利だ。楽しそう」
何かは両手を挙げてひらひらと振って見せた。
「でも、お前の関係者にまで手を出すな、とは言わない」
オウコーはこの圧倒的なプレッシャーを感じていないのか、虹色の瞳を持つ何かと対峙し続けている。
「ファーアースオンラインの開発はご苦労だった。魔王様誕生の道筋を付けた時点で、私にとってお前の役割は終わった」
何かは、だから、と続ける。
「近衛天翔王光、お前、もうつまらないよ」
もしこの場に、目の前の何かとプレストの二人きりだったら、その瞬間にプレストは自害を選んだだろう。絶対なる存在に無意味だと言われた絶望により、死以外に償う方法を見つけられなかったに違いない。
「ならば、面白くしてくれよう」
オウコーは絶対なる存在への反旗を表明する。
それは全知全能にして完全無欠である大いなる神へ反逆した魔王に相応しい。
そうして絶対なる存在は笑い出した。
「あははは! 私にそれを言う? 楽しませてくれるの? いいね。楽しさはすべてに優先する! お前みたいな天才に言って貰えると、楽しみでワクワクするよ」
絶対なる存在はプレストには理解できない。
「協力してあげよう。何が欲しい?」
「母なる星の女神、お前への要求は三つ。一つ、太陽を殺す神殺しの兵器がいる」
「用意するよ」
「二つ、神戯へのアクセス権を渡せ。儂がもっと、神戯ファーアースを面白くしてやろう」
「楽しみだね。いいよ」
「三つ、このプレストを、神戯へ参加させて貰おう」
「このマリアステラの名を以て、悪魔プレストの神戯への参加を認めよう」
「な、何を言っている!?」
プレストは神戯の遊戯盤に選ばれた、角付きたちの故郷を取り戻すため戦っている。そのプレストが神戯に参加するなんて、と考えて、その意義をすぐに見いだした。
プレストが神戯に勝利すれば、何よりも穏便に母なる大地を取り戻せる。オウコーの思惑に乗るのは癪だけれど、それはすべてが終わった後に竜神ディアナと相談してどうにかできるはずだ。
「近衛天翔王光からはそれだけかな? じゃあ私から最後に一言。魔王様と私の対戦相手以上に楽しませてくれるなら、お前の願いを叶えてあげる」
「あれは、何だ!? あの会話は、何なのだ!? オウコー! 貴様はまるで、最初から、我らの大地が神戯に選ばれることを知っていて、すべて、承知の上で協力していたかのようだぞ!」
プレストは絶対なる存在の住む居城から抜け出し、帰りの鉄塊の中でオウコーを問い詰めた。
「その程度は察せたか? そうじゃ。今回の神戯は、儂らが種目を決めた。最初から、儂と偉大なる神共の間で、すべてが決まっていた」
「どういう、ことだ?」
「言ったところで分かるまい。今は黙って付いて来い」
その後のプレストはオウコーに連れられるがままに、この国の首都にある近衛天翔王光の豪邸へ移動した。
人の姿に比べて声の数が段違いに多いことに警戒していたら、この豪邸の管理はAIという身体を持たない幽霊のような存在が行っているらしい。プレストは挨拶されたら挨拶を返していく。
それから客間まで案内された。客間は豪邸の中でも特に清掃が行き届いている。
しかしそれとはまったく異なる意味で、その部屋だけは空気が違った。
それはまるで、つい先ほど出会った絶対なる存在が、もう一つあるかのような。
「オウさーん、何、もう戻って来ちゃったの? 早過ぎじゃない?」
青年の姿をした、何かが在った。
何かはソファに座りながら振り向いて、オウコーとプレストへ向き直った。その何かは、人懐っこい笑みを浮かべる黒髪の青年の姿をしていて、半袖のTシャツにジーパンというラフな装いをしていた。
先ほどの虹色の瞳の何かが恐怖であれば、この黒髪の何かには、吸い込まれそうな憧憬を感じる。感じてしまう。
「貴様が無能だからじゃろう」
「ひでぇ」
「分かっていると思うが、力を貸して貰うぞ」
「相手を教えてちょ」
「<星>の神々。太陽の神も、母なる星の女神も、すべてだ」
「せんきゅー。はは、敵にとって役不足すぎワロタ。どんだけ異常者なら、<星>の神々を墜とせると思ってるん?」
青年は立ち上がる。
「儂はお前の冗談に付き合うつもりはない。偉大なる時の男神よ」
偉大なる星の女神と偉大なる時の男神。その日プレストは、二柱の偉大なる神と出会った。それはプレストにとって、逃れられない運命の濁流に呑み込まれたことを意味していた。