第四百四話 vs狐の神 宇迦編
敬愛する主人がこの世から消えてしまったと知った時、黄金の毛並みを持つ狐人族の少女宇迦は、意識を手放してしまうほどの衝撃を受けた。
キュウという少女が生まれた日、与えられた自由で泣き崩れることしかできなかった宇迦は、あの日と同じように床にうずくまって力一杯泣こうとした。
しかし、それをギリギリのところで踏みとどまることができた。
つうが遺してくれた情報ウィンドウが、キュウが宇迦ではなくキュウだと教えてくれる。最強の主人の従者キュウならば、そんなことは絶対にしない。
主人を失ったことを知ったアルティマは、たった一人で見知らぬ世界を旅して主人を見つけ出した。
冷静に状況を見極めて情報収集したエンシェントとセフェールは、キュウを助けて主人の下まで連れて行ってくれた。
他の従者たちも主人を信じて力を蓄えて、主人が戻ってきた後は破竹の勢いで世界中を席巻した。
キュウはキュウだ。
キュウは宇迦ではなくキュウだ。
キュウもそんな人たちの一人だ。
だからキュウは、目の前の里長タマを精一杯の気持ちを込めて睨み付けた。
主人やつうを失った屋敷の中で二人だけの対峙だったけれど、キュウに恐怖などない。それが例え、宇迦にとって神にも等しい里長で、実際に狐の神と呼ばれる存在であっても恐怖に打ち勝てた。
「タマさんは、ご主人様を騙していたんですね」
「わては一つとして、フォルティシモへ嘘は吐いていないかえ」
「真実を教えないということは、騙しているのと同じです。ご主人様は、絶対にそういうことはしません」
「………いや、それはするかえ?」
「す、するかも知れませんけど、人を傷付けるようなことはしませんし、すぐ分かります!」
「それは宇迦だけ、いや、うむ。たしかに、大抵の奴は、すぐに分かりそうだな」
キュウは本題とずれてしまったと思い、気持ちを切り替えるために深く息を吐いた後、里長タマへ向けて拳を突き出した。
マグナの作ってくれた刀は持っていないものの、今のキュウならすぐにインベントリから抜刀することができる。
「あと、訂正してください。私は、キュウです!」
「かかか、クレシェンドと二人きりで話す機会はなかったようだな。フォルティシモはどこまでも“キュウ”が狙われることを警戒したらしい」
「話す必要なんてありません。タマさん、ご主人様と連絡が取れない状況について、知っていることをすべて教えてください」
キュウは戦闘態勢を保ったまま里長タマを威嚇する。
そんなキュウに対して里長タマは、いつもと変わらぬ様子で扇子を開いて口元を隠した。里長タマは微笑んでいるけれど、キュウの耳には彼女の驚愕と焦燥が聞こえている。
「それは、わてが知っていると確信しての質問かえ?」
「はい」
「根拠は?」
「………色々ありますが、最初は、里に聖マリア教を広めたからです」
二匹の黄金狐の視線が交錯した。
「タマさんはケペルラーアトゥム様を倒そうとしています。でしたら、聖マリア教の勢力を拡大させるのを防ぎたいはずです。だって聖マリア教は、ケペルラーアトゥム様が、マリアステラ様を信仰させるように意図的に立ち上げた宗教です。それが広がるということは、ケペルラーアトゥム様の思惑に乗っていることになります」
この事実から見えて来る。
「タマさんは、いえ、玉藻御前様は、ケペルラーアトゥム様と同じ、マリアステラ様の従属神の一柱です」
キュウはサンタ・エズレル神殿で大聖堂を訪れた時、里長タマとのやりとりを思い出し掛けた。その記憶は直後に主人から話し掛けられて、今まですっかり忘れてしまったけれど、たしかにキュウは里長タマのクラスを見たのだ。
従属神 狐竜神 Lv700
「いかにも」
里長タマはキュウの言葉を否定せず、パチンと扇子を閉じた。
「わては、母なる星の女神の従属神、傾国と殺生の権能を持つ、九尾の狐神だ」
それは初めて、里長タマがキュウの前で正体を明かした瞬間だったのかも知れない。
そしてそれは、キュウの真実が明らかになる時だった。
かつて主人がキュウを調べて、見つけられなかったキュウの過去。キュウはそれに対して、無意識に手を伸ばす。
「玉藻御前様は、ケペルラーアトゥム様を倒すため、マリアステラ様へ近付いて従属したのではないでしょうか? そして表向き仲間として、ケペルラーアトゥム様を観察し続けた。それこそ、一緒に神戯の管理をされるくらいの信頼を得るまで」
里長タマは扇子で表情を隠す事無く、キュウと向かい合っている。
「そうだ。わては太陽を墜とすため、それだけのために、母なる星の女神へ従属し、<星>へ加わった。まああの御方であれば、すべてご承知の上だろうがな」
「だ、だったら、どうしてご主人様の邪魔をするんですか!?」
キュウの主人は、主人の両親を殺害した太陽神ケペルラーアトゥムを恨んでいる。任せておけば、必ず倒してくれるはずだ。主人の邪魔をする意図が分からない。
里長タマは話をしながら電気ケトルという魔法道具を持ち、それから湯飲みへ白湯を注いだ。注がれた白湯は熱湯だろうに、彼女は勢い良く喉へ流し込む。
「足りないからだ。たしかにフォルティシモは強い。奴が望む勝利は得られるかも知れん。だがわての目的、太陽を墜とすには、フォルティシモの方法では実現できない」
「異世界召喚は、上手くいきました! ご主人様は絶対に勝ってくれます」
「かかか、太陽を墜とすと言って勘違いさせていたかえ? 勝利など、どうでも良いのだ。そう。わても、そして近衛天翔王光も」
里長タマは微笑ではなく、今まで見たことのない種類の笑みへ変化させた。暗い感情を表現した笑みに。
「太陽を絶望へ墜とすことが目的だ」
里長タマに湧き上がっている感情は、まぎれもない憎悪である。キュウはその暗い感情に飲まれそうになる自分を叱咤した。
「太陽と出会ったお前には分かるだろう? アレの行動原理はただ一つ」
里長タマの目的は単純明快だ。
「母なる星の女神へ尽くすこと。ならば、太陽の目の前で、母なる星の女神を滅ぼせば、わてたちと同じ気持ちを味合わせてやれる」
太陽神ケペルラーアトゥムを絶望させるためだけに、女神マリアステラを殺す。
狂っている。
キュウは単純にそう思うはずだったけれど、まったく別の感情が浮き上がってきた。
その感情に名前を付けるとしたら、共感。
「キュウ、いや宇迦」
その狂気は。
「お前なら理解できるだろう? だって、宇迦は―――わてだ」
狂気の源泉は。
「フォルティシモは魂のアルゴリズムと呼んでいた。あえてキュウよ、もう分かっているのだろう? 宇迦は、わてをコピーしたNPC、フォルティシモたちの常識で言うならばAIだ。つまり、お前はわてのコピーかえ」
キュウの中にも確実にある。
「あの飢饉を見計らったかのように現れた奴隷商人は、私を、毘沙門さんを、建葉槌さんを、六鴈さんを、皆を次々と奴隷として買い取っていった」
キュウの記憶、宇迦の記憶、里長タマの記憶、狐竜神玉藻御前が生まれる前の記憶。
「わてらは抵抗した。しかし抵抗は無意味だった。尊厳と仲間、すべてを蹂躙された。結局、わてに、キュウにとっての主人は現れなかった」
そして里長タマは、神戯ファーアースでかつてと同じ状況を再現した。狐人族の里を作り、自分のコピーを生み出し、かつての絶望を繰り返した。
いや神戯ファーアースだけではない。おそらく他の神戯でも幾星霜の時間、繰り返したのだ。
そうして憎悪という信仰を集め続けた。
「ようやく、わての中から、あの無敵の母なる星の女神へ届き得る者が、生まれたかえ」
狐人族の里で何の役にも立たない黄金色の毛並みを持つ少女は、無限にも思える憎悪を重ね、宇迦からキュウという神殺しを産み出した。
無限回製造されたテセウスの船は、宇宙の果てまで航海できるかも知れない。