第四百三話 消えた主人たち 後編
アクロシア王国の南、大氾濫の総司令部でも異常が発生していた。
天空の王フォルティシモの代役でもある宰相エンシェントが、身体を光の粒子に変えて消えてしまったのだ。その様子は幸運にも他国の者に見られることがなく、その事実は総司令部の者たちだけに留まった。
そしてラナリアは、瞬時に異常事態を悟る。
「戒厳令を敷きます! 戦いの激化により、エンシェント様は前線へ参戦されました。あとのことは私が引き継ぎます。この事実は、アクロシア大陸都市化作戦で高揚している前線に悪影響があるため、決して外へ漏らさないように。以後、ここへの報告は仕切りを作り、仕切りの外で私が受けます」
目の前の現象と言葉の間に無理があることは分かっているけれど、総司令部の者はエルフばかり。ラナリアは信頼されていなくても、フォルティシモへの信頼はある。
ラナリアは細かな指示を加えた後、花を摘みに行くと言って席を外し、周囲に誰もいないことを確認して板状の魔法道具を操作した。
「エンさんが消えてしまいました! 普通の消え方ではありません。まるで魔物のように、光になって消えました。このメッセージが見える方はすぐに返答をお願いいたします!」
ラナリアは<フォルテピアノ>のチームチャットへ全員へ向けて語り掛ける。
希望的観測として、消えたのがエンシェントだけに賭けた。エンシェントは間違いなく天空の国フォルテピアノの要だ。狙われる理由はいくらでも思い浮かぶ。
しかしラナリアは無知ながらも、神戯についてラナリアなりに考察をしている。エンシェントの消失は異常事態、そして彼女一人の消滅には留まらない予感がした。
『どういうことなのじゃ!? あのエンがみすみすやられたのか!?』
すぐにアルティマの返答があって、ラナリアの口から思わず安堵の溜息が漏れた。
「アルさん! ひとまず一度、こちらへ来て頂けますか?」
『あ』
「アルさん?」
『主殿がいないのじゃ!? いや、つう、だけでなく、キャロやリースも!? どうなっているのじゃ!』
『落ち着いてくださいねぇ。焦ってもぉ、何も解決しないのでぇ』
ラナリアとアルティマの会話に口を挟んだのは、セフェールだった。実を言うと、ラナリアにとってセフェールは最も苦手な相手なのだが、今はそれが頼もしい。
「セフェさんもご無事でしたか!」
『不幸中の幸いでしたねぇ。時間がないのでぇ、事実だけ伝えますよぉ』
ラナリアは時間がない、という言葉に反応して、口から出掛かっていた質問を飲み込んだ。今は自分の疑問を解消するよりも、セフェールの話を聞くことを優先するべき。
『フォルさんのアカウント、あぁ分かり易く言い直しますねぇ。フォルさんの存在がぁ、乗っ取られましたぁ。フォルさんが消えちゃいましたぁ』
幼少より天才と呼ばれたラナリアが、悲鳴を上げなかった自分を褒めたくなったのは、生まれて初めてである。
今になって蝶よ花よと育てられた無力な令嬢たちが、何もできずにむせび泣く気持ちが理解できた。この世は、それほどまでに理不尽だ。
『乗っ取ったのはぁ、近衛天翔王光、オウコー、フォルさんの祖父でぇ、カリオンドル皇国の初代皇帝ですよぉ。簡単に言うとぉ、フォルさんが死んでオウコーが復活しましたぁ』
少しフォルティシモ側に立ちすぎる裁定だけれど、ラナリアにとってオウコーが完全なる敵となった瞬間である。
『フォルさんが居たからこの世界に居られた従者たちはぁ、フォルさんが消えると同時に消えましたぁ』
つう、エンシェント、ダアト、マグナ、キャロル、リースロッテのことだ。
セフェールとアルティマが消えていないのは、何故なのか。
『今の私はぁ、亜量子コンピュータークレシェンドが本体になりましたのでぇ、残っていますよぉ。ただしぃ、電力を供給してくれていたフォルさんが居なくなってしまったのでぇ、今はUPSで動いてますがぁ、もうすぐシャットダウン、眠りに就きますねぇ』
『ま、待つのじゃ! セフェ! 主殿を呼び戻す方法は!?』
アルティマは自分のことが気になっているだろうけれど、何よりも現状の打破を優先している。ラナリアはアルティマのこういうところを信頼していた。
『それが分かっていたらぁ、何よりも優先して伝えましたよぉ』
「セフェさんを起こす方法はありますか? 雷の力をそのUPSなる魔法道具へ供給すれば」
ラナリアはセフェールの現状と聞くべき優先度を勘案し、セフェールの帰還可能性を選んだ。
『電圧や供給方法の情報はアルに送っておきますがぁ、難しいでしょうねぇ。あとは、任せましたよぉ。アルぅ、ラナぁ』
◇
キュウは主人の屋敷のダイニングに呆然と立ち尽くしていた。
目の前で主人の最初の従者つうが消えてしまった。何故、どうして、主人にどう伝えれば、主人は何を思うのだろうか。無数の思いが泡のように爆発的に膨れ上がって、破裂して消えていく。
―――フォルティシモが消えれば私もここにはいられない。
やがてその中で、一つの言葉がキュウを支配する。
主人が消えてしまったのだろうか。
主人が消えたら?
「はぁっ、はっ」
キュウは自分の呼吸がおかしくなっているのを自覚しながら、残った理性を総動員して懐から板状の魔法道具を取り出した。
「は、ご、ご主人様、出て、出て、くださいっ」
呼び出すのは主人。
キュウを絶望から救ってくれた主人。
誰にも負けない最強の主人。
主人は太陽神ケペルラーアトゥムと戦いの真っ最中であり、どんな理由があろうとも邪魔するべきではない。キュウはそれが分かっていても、自分の行動を止めることができなかった。
板状の魔法道具で何度も、何度も、何度も、通信を試みる。
「出て………出てください、ご主人様!」
「無駄なことは止めろ。その耳で聞き取っているのだろう? フォルティシモはもう、この世にはいない」
里長タマが震えるキュウの手を優しく押さえた。
キュウは事実を認めたくなくて、その手を振り払う。
「ならっ! 異世界召喚があります!」
キュウは一度、主人の召喚に成功している。主人がこの世界とは別の世界へ行ってしまったのであれば、もう一度呼び寄せれば良い。
太陽神ケペルラーアトゥムを召喚した時とは違い、主人はキュウの呼び掛けを蔑ろにしないはずだ。
「フォルティシモを召喚か。それは不可能かえ」
里長タマはキュウの希望を無慈悲に蹂躙する。
「何故なら、キュウの力はわてと同じく空っぽだ。キュウには補充の手段もない。それに加え、キュウとフォルティシモの間に縁はあるが、キュウと近衛翔の間にはない。そこに運命線は結ばれないし、仮に成功しても無力な人間、近衛翔が召喚されるだけだ」
キュウは里長タマの言葉を認めたくない。認めてしまったら、それは主人が消えてしまったことを認めなければならない。
あの主人と、もう二度と会えないかも知れない。
「タマ、さん? こう、なるって、分かって、いたんですか? ご主人様が、ご主人様、がっ」
「宇迦」
そうして里長タマは誰かの名前を呼んだ。
誰かの? キュウはその名前を良く知っている。誰よりも知っている。
それは、ある狐人族の里で、役立たずだった少女の名前だ。
橙色の毛並みで皆に尊敬されるお姉さんだった建葉槌には、いつも迷惑を掛けていた。
緑色の毛並みで皆の中心だった六鴈には、いつも助けて貰っていた。
宇迦は役立たずで、目立つところは、黄金色の毛並みだけ。だから奴隷商に売られて、心も体も自分のものではなくなった。そしてその少女は死んだ。代わりに生まれたのは、キュウ。
キュウは狐人族の里で、宇迦と呼ばれる少女だった。
キュウは主人が居なくなったから、宇迦という役立たずの狐人族に戻ったのだろうか。
キュウ
Lv:9999++
「え?」
キュウは“それ”に驚いた。
見間違いかと思い、目を擦って何度も見つめた。
キュウと里長タマの間、キュウが腕を伸ばすとすぐに届きそうな空中に。
窓が、あった。
窓にはキュウの名前と、様々な数字や文字が映っている。それは神の窓。神の力を行使するための窓。主人やピアノたちが使う窓。
情報ウィンドウ。
キュウの情報ウィンドウ。
キュウは恐る恐る手を伸ばした。キュウが情報ウィンドウを触ると、更に別の情報ウィンドウが浮かび上がった。
「まさか姫桐、準備していたのかえ………?」
それはキュウの錯覚ではなく里長タマにも見えるようで、彼女は驚愕で黄金の耳と尻尾を逆立てている。
つうが消える時、言葉ですべてを伝える時間はなかった。けれどタマとの話を聞くだけで、彼女が神に類する力を持っていることが分かる。
そしてずっと前から、キュウが料理を習いたいと言い出した日から、いやそれよりも前からキュウとの縁を結び、準備をしてくれていたなら。
あの瞬間、つうはキュウを異世界召喚し、神戯へ参加させることもできた。
> チーム<フォルテピアノ>へ参加しました
> フォルティシモの【拠点】の管理権限が付与されました
> <フォルテピアノ>の管理権限が付与されました
> おめでとうございます!
> 参加者【キュウ】
> あなたは神戯の勝利条件を達成しました!
この神々の遊戯ファーアース最後の神戯参加者、“到達者”にしてプレイヤーキュウは、つうにすべてを託された。