第四百二話 消えた主人たち 前編
世界を焼き尽くす巨神が姿を現す少し前。
キュウは里長タマ、ルナーリス、最果ての黄金竜、勝利の女神ヴィカヴィクトリアと共に、太陽神ケペルラーアトゥムの異世界召喚に成功した。
あとはもう、最強の主人へ戦いを任せるだけ。キュウたちは召喚を成功させた後、邪魔にならないように退避する。
【転移】で一気に戦闘域から離脱したかったけれど、ダアトでさえも最果ての黄金竜が潜れる大きさのポータルは開けない。そのため【転移】ではなく、全員が最果ての黄金竜の背中に乗っての移動となった。
断っておくが、ダアトが未熟なのではない。彼女の【転移】の魔術の腕前は主人以上だ。かつてエルディンから避難して来た何万人ものエルフ全員が『浮遊大陸』へ移動するまで保たせられる規模と持続時間がある。それでも無理なのは、最果ての黄金竜が山のような巨体を持っているせいだった。
またキュウだけ【転移】で先に帰ることもない。作戦を信じてくれた他の人に失礼というのもあるけれど、純粋な戦力としての最果ての黄金竜の強さは主人に次ぐ。だから大氾濫の最中、主人の傍の次に安全なのは最果ての黄金竜の背中なのだ。
キュウたちはその背中に乗って、主人と太陽神ケペルラーアトゥムの戦場から離脱する。
天烏の背中とは違い、もう小さな島に乗って移動しているようだ、と思う。
思って、今のキュウの自宅は『浮遊大陸』だった、と思い出して場違いにも苦笑した。
奴隷として建物地下に押し込められていた頃から考えると、なんて遠くに来たのだろうか。
「だ、駄目かと思いました。でも、上手く行きましたね。帰ってあーくんがブレイク前に出演したドラマの、収録映像を見て癒やされたいです。見たい人は一緒に来ますか?」
「その、ヴィカヴィクトリア様、まだ大氾濫は終わっていません。アーサーさんも、戦っているはずです」
「とは言え、これでわてらの役割は終わりかえ。想像以上に力を持って行かれた。もうくたくただ。ヴィカヴィクトリア殿とは違い、わてのような若輩は休息が必要かえ」
勝利の女神ヴィカヴィクトリアだけはピンピンしているようだったけれど、キュウや里長タマは疲れを隠せない状態だった。ルナーリスなんて気絶するように眠っている。
『我が協力者は、一人で勝てるのか? 竜神たる我が助力してやっても良いが』
身体が大きすぎて疲労の度合いが分からない最果ての黄金竜は、背中に乗っているキュウたちの話が聞こえているようで、そんなことをポツリと漏らす。
実際、その作戦もあった。主人が最果ての黄金竜に乗り、その状態で太陽神ケペルラーアトゥムと対決する。あのカンスト同士の戦いへ割って入れるのは、最果ての黄金竜をおいて他ならないとも言える。
しかしそれは主人自身が巨大生物と連携したり、乗りながら戦うことに慣れていないため、むしろ戦闘能力が下がると判断されて却下となった。
「なんだ竜神の? まだ余裕があるのなら、フォルティシモを支援するため、その辺りのモンスターを薙ぎ払え。NPCによく見える形でな。まあ疲れているなら、このままわてらを『浮遊大陸』まで運んでくれるだけでも良いが」
『竜神たる我を愚弄するか! 卑しい狐め!』
最果ての黄金竜は酷く里長タマを嫌っているようだけれど、キュウは彼がなかなか誠実なのではないかと思っている。
狐、狐と唾棄しているものの、同じ黄金色の狐人族キュウへの態度は普通だし、話も聞いてくれる。種族や人種でひとくくりにせず、個人個人をしっかりと認識しているのだ。純人族だって難しい、人種差別をしない巨大なドラゴンなのかも知れない。
だから余計に、個人を認識している結果、里長タマを嫌っている理由は気になるのだけれど、今はそれを問いかける場合ではないだろう。
「あの、もしまだ余力があるのでしたら、その力を使って頂けないでしょうか。その、竜神様」
『ふむ。子狐よ、お前には協力者との繋ぎをした褒美をやろうと思っていた。良いだろう。しかと目に焼き付けよ!』
【頂より降り注ぐ天光】。巨大なドラゴンが放つ、あのピアノさえも死を覚悟させる究極のドラゴンブレス。あの時以上の威力を以て、大陸の北側の魔物を消滅させたのは言うまでもない。
キュウたちが到着した『浮遊大陸』には、大氾濫の魔物は出現していなかった。
大氾濫はアクロシア大陸に対する神の試練だから、『浮遊大陸』には大氾濫の影響がない。主人もキュウもそんな楽観論を信じられるほど、愚者でもなければ馬鹿でもないので、理由の調査は今後の課題となる。主人の領域だから、という可能性が高くても調査をしない理由にはならない。
キュウ、里長タマ、ルナーリス、勝利の女神ヴィカヴィクトリアが次々と最果ての黄金竜から降りて、『浮遊大陸』の大地を踏む。
キュウたちは屋敷で待機しているつうに出迎えられた。
「おかえりなさい。上手くいったみたいね」
「つうさん! はい、あとはご主人様がケペルラーアトゥム様に勝利してくれます」
キュウはふらふらだったルナーリスを客間に寝かせ、帰宅してアーサーの補佐に回る勝利の女神ヴィカヴィクトリアへ御礼を言って見送り、屋敷を見下ろしている最果ての黄金竜へ休んでくれと伝えた。
そうして屋敷のダイニングへ戻ると、つうと里長タマが二人で椅子に座ってお茶を飲んでいた。
「タマさん、この度は手伝って頂き、本当にありがとうございました。お陰でご主人様は、あのケペルラーアトゥム様を倒すことができます」
キュウはまず、他の人にもしたように里長タマへの御礼を口にする。
キュウの御礼に対して里長タマは、お茶碗をテーブルへ置き、真っ直ぐにキュウを見つめ返して来た。
「キュウ、本気で言ってるのかえ?」
「は、はい」
「そうか。だったらキュウ、お前は、まだ未成熟だ」
次の瞬間だ。
里長タマの向かいで、キュウのためにお茶を入れていたつうの身体が光り出した。
つうの身体は、まるで魔物が消える時と同じように光の粒子になって消えようとしている。
「つうさん!?」
「これは、そういうこと。参ったわ。タマ、どれだけ綱渡りをしていたのよ。そういうのは策略じゃなくて、ただの賭けって言うのよ?」
「つう、いや、姫桐。安全な世界で、お前の愛する息子と共に、ゆっくりとこの戦争の終わりを待て。天翔王光もそれを望んでいる」
「お父様を上回れるとは考えていなかったけど、タマに出し抜かれるとは思わなかったわ」
つうが、消える。
キュウは一瞬、頭が真っ白になった。
この後、主人が太陽神ケペルラーアトゥムを撃破し、大氾濫をアクロシア大陸で一人の犠牲も出さずに終わらせたとしても。
主人の最初の従者つうを失ってしまったら―――。
「タマさん、止めてください!」
「わてがやっている訳がないだろう。太陽との綱引きで、わてはもう空っぽかえ」
里長タマは肩を竦めて答える。その言葉は事実で、里長タマからは何の力も感じない。
つうを消し去ろうとしている力は、里長タマではなくまったく別の何かだ。
「つうさん!」
「キュウ、よく聞いて。この私は、フォルティシモの従者つう」
つうが当たり前のことを言い出したけれど、その表情があまりにも真剣で、息を呑み必死に耳を傾ける。
「だから、フォルティシモが消えれば、従者たちもファーアースにはいられない。エンたちもそう」
「………え? それって、ご主人様、が?」
「戦って。あなただけがお父様の計略を超えられる」
「待ってください! ご主人様が、消えた、って! そういう意味、なんですか!?」
「あ、これ楽しい。思わせぶりなことを言うのって楽しい」
つうは笑って。
「キュウ、あなたが近衛天翔王光を超えて」
キュウの目の前から消えた。